magaminの株と歴史の雑感

株と戦前の昭和史について考えます  

2017年04月

正直マザコンはまずいと思う。でも自分の中では、マザコン息子でも母親が死ねばマザコン病から開放されると思う。だって依存する相手が存在しなくなっているのだから、何言っても悲しきギャグみたいなことになると思う。  私は妻もいて子供もいて、子供は妻の事をママって言っているから、私も妻の事をママーって言うこともある。懐かしい思いをこめてママーって言うんだけれど。そうしたら妻は、「私はあんたのママじゃないよ」なんて毒舌をかます。私の両親は20年ほど前に死んでいる。  妻をママと呼んだからといって、マザコン呼ばわりはきつくないだろうか。実際の母親は20年も前に死んでいるのだから、今さらママコンプレックスなんて、ありえないだろうと思う。20年も前に死んだ母親の息子にマザコンだとか、ほとんど神経症あつかいだろう。若い男がアニメを見て、  オッパイのでかい女のキャラクターに、ママーとか言うのは馬鹿げきったくそオタクだと思うけれど、20年前に母親が死んで、30年付き合って子供も出来た女に、例えばママーとか言ったって、全くダメとかいうわけでもないだろう。積み上げたが故に許されるということはあると思うんだよね。これがもしダメということになれば、ママという言葉が日本語に存在している意味が理解できなくなってくる。  結局夫婦同氏の問題だとは思う。妻は私のことを「おとうさん」と呼ぶのだけれど、イラっとはする。おまえのお父さんってまだ生きてるだろう? 俺の事、お父さんって呼ぶのは100年早えーよとは思う。

表現力って、結局意味の強弱だと思う。だらだら喋っていても、ここぞという時に強烈な表現をはさんでいけば、話は全体として締まってくるだろう。何が強烈な実際的な表現なのかというと、漢詩というこもの行き着く。歴史のフィルターというのは人智を超える。  

杜甫の、「茅屋(ぼうおく)の秋風の破るところとなるの嘆き」という詩がある。内容としては、台風のせいで、家の屋根に乗っけていた茅が飛ばされて、その茅を近所の悪ガキに全部パクられてくやしいみたいな、杜甫50歳の時の詩。  

南村の群童は我が老いて力なきをあなどり  

むごくもよく対面して盗賊をなし  

公然 茅を抱きて竹に入り去る  

唇は焦げ口は渇き呼べどもかなわず  

帰りきたり杖によりてみずから嘆息す  

俄頃(がけい) 風は定まりて雲は墨色  

秋天漠々として昏黒に向かう  

たいしたことは言っていないとは思うのだけれど、内容の割には言葉の量が明らかに少ない。意味が、何らかの力で凝縮されている。これは驚くべきことだ。生きる意味がわからないといって、日本では年間に何万人も自殺している。にもかかわらず、意味というのは存在するだけではなく凝縮されうるという。どうせ漢詩なんて誰も知らないのだから、ちょいちょいパクって会話にぶっこんでいけばいいよ。何それとか言われても、怯む必要は全くない。相手はどうせ根拠なしなんだし、こっちは2000年の意味の歴史をパクっているわけだから、根本的に勝負にならない。

20年ぶりに友達の家を訪ねたら、友達は結婚していて、子供も何人もいて、杜甫のところに可愛く挨拶に来たという詩なんだけど。  

いずくんぞしらん二十載  
重ねて君子の堂に上らんとは  
昔別れしとき君いまだ婚せざりしに  
児女たちまち行をなす  
いぜん父の友を敬して  
我に問う「何れの方よりきたるや?」と    

子供って可愛い。昔の友達の尋ねて、そこの子供に「おじさん、どこからきたの?」なんて聞かれたら、自分は何処から来たのかなんてしみじみ思っちゃうよね。そして友達の家族と別れて自分の人生が始まるわけだ。  

明日山岳を隔てなば  
世事ふたつながら茫茫  

なかなか杜甫のようには書けないだろう。

   
私の小学2年の女の子の宿題で、「心の鬼をおいだそう」というのがあった。 まず鬼の名前を決める。そしてその鬼の絵を描く。最後に、その鬼がどのようなものかという説明がある。  鬼の名前は「ねぼうおに」。ニッコリ笑ったかわいい鬼。 その鬼は、「おそいじかんまでまんがをみたりするおに」だという。実際の子供というのは、杜甫の詩に出てくる子供と同じように、大人の感覚とはちょっとずれているところにある。

或いは出師の表と為り  鬼神も壮烈に泣く と文天祥の「正気の歌」にあって、そう言えば諸葛孔明ってどんなんだったかなと思い、本棚をひっくり返し宮川尚志の「諸葛孔明」をひっぱり出しもう一度読んでみた。劉備が孔明に会いに行って、孔明が語るところなんだけれど、このようにある。   「その巖阻(がんそ)を保ち、西、諸戎を和し、外、孫権に結び、内、政理を修め、天下変あらば、将軍みずから益州の衆をしたがえて、もって秦川にいでなば、百姓たれかあえて箪食壺漿(たんしこしょう)してもって将軍を迎えざる者あらんや」  これ、孟子だろう。  孟子って結局、総力戦の思想だと思うんだよね。中国が統一されると、総力戦思想は薄れる。当たり前だ、世界が統一されていて平和であるなら、総力戦などというものをする必要はない。世界が分裂して、自らの生存を賭けて戦わなくてはならない秋において、総力戦思想は現れる。総力戦思想の精髄が孟子であり諸葛孔明であり文天祥であるだろう。   日本がだよ、明治維新から日清日露、太平洋戦争の大敗北まで、強烈に持ち上げられて今にあるという、この歴史的事実貫くものは、東アジア総力戦思想の伝統だと思う。様々な思想が日本には流れ込んできたと思うけれども、近代日本をここまで持ち上げた一貫した言説は、孔明とかのラインにあるだろう。例えばだよ、箪食壺漿(たんしこしょう)してもって将軍を迎えざる者あらんや というのと、515や226の将校たちの感覚というはかなり近いものがあると思うのだけれど。    

ウチの次男は小学5年の男の子なのだけれど、学校で大きいほうを漏らしちゃったというんだよね。トイレに駆け込んだのだけれど、間に合わなかったらしい。昭和育ちの私としては、これ、かなりまずのではないかと思った。私の子供のころなんて、学校のトイレで大きいのをすることすら、かなりの冒険だったから。いわんや漏らすをや、だよ。子供に聞いた。  「漏らして大丈夫なの?」  「だいじょうぶってなにが?」  「まあ、例えばさー、漏らして虐められるとかそういうことない?」  ここで彼は150キロのストレートを投げてきた。 「ぎゃくにきくけどサー、うんこもらしたからって、なんでいじめられなくちゃいけないの?」   これには参った。空振り三振だよ。逆に聞くけどサー、というすばらしいスピンまでかかっていて、とても打てる気がしない。  どうなんだろう。 子供のころの私が弱かったのか、昭和という時代が酷かったのか、今の時代は進歩してあるのか、次男がただ強いのか、どうなんだろう?

李 煜(り いく)の浪淘沙(ろうとうさ)が、もしインテリの常識みたいなことになると、ここぞという時につまらないことを言ったとしても、「天上と人間(じんかん)と」と付け加えると、ちょっとはつまらない言説も救われるということもありえるよね。例えば、「今日は雨が降りそうだったけど降らなかったよね」 などという発話があったとする。もうこれだけだと、全くつまらないのだけれど、、「今日は雨が降りそうだったけど降らなかったよね、天上と人間(じんかん)と」とすると、個人的には言説自体が引き締まる感じたね。こっちの方がずっといい。  ただ、天上と人間(じんかん)と の部分だけは心の中で言ったほうがいい。頭がおかしいと思われるから。

浪淘沙(ろうとうさ)  ひとり 欄にもたるるなかれ  限りなき江山  別るるときは容易にして見(まみ)ゆる時は難し  流水 落花 春去れり  天上と人間(じんかん)と    とまあこのような詩がある。言葉の意味はそれぞれ分かるのだけれど、「春去れり」から「天上と人間と」というところへの繋がりが分からない。分かるようで全く分からない。  そこでこの詩の作者である李 煜(り いく)という人物を調べてみる。李 煜とは、唐の時代と宋の時代の間に存在した五代十国時代の十国のうちの一つ「南唐」という国の最後の王であるという。 そのことを考えに入れて、もう一度浪淘沙を読んでみる。「春去れり」と「天上と人間と」とがつながらないのは、「春去れり」より前の言葉群を簡単に考えすぎていたからだろう。「欄にもたるるなかれ」というところ、欄といってもただの欄干と考えてはダメだね。象徴的な何かだと考えた方がいい。これは「春去れり」以前の全ての言葉にいえることだろう。分かりやすい言葉で書きながら、天上と人間(じんかん)と という最後の言葉で、全ての言葉を持ち上げようというわけだ。  すばらしい。 考えられないほどの技巧だよな。

よく思うのだけれど、誰もが永遠に生きようとしていないか? お金が大事だなんていうことになっているけれど、永遠に生きようとするからお金が大事になってはくるのだろう。こういうことを言うと申し訳ないのだけれど、ちょっと頭が足りないんじゃないかと思う。  永遠に生きるなんていうことはありえない。人類史上延べ何人の個人が存在したのかは知らないけれども、誰一人として生物としての人の時間限界を超えて、何百年も生き続けているという個人としての人間というのは存在しない。当たり前なのだけれど、人は生きるということを考えるのではなく、如何に生きるかということを考えるべきだ。   文 天祥 正気の歌 の続き。  この気の磅礡(ぼうはく)する所 凛烈として万古に存す (正気で満ちるこの世界 正気は時を越え厳然と過去にも未来にもある)  其の日月を貫くに当っては 生死いずくんぞ論ずるに足らん  (太陽や月を、正気が貫くほどの時代にあっては、自分の生死などというものは考慮するに値しない)   文天祥は、その言論を強力に持ち上げてきたと思う。「生死いずくんぞ論ずるに足らん」だって。本当にそうありたいと思うよ。会社での人間関係がどうとか、あの人の考えていることが分からないとか、自分の居場所がないとか、金がいないとか、ハゲだとか、馬鹿が馬鹿を言っているレベルで、自分もそうなのだけれど、全く恥ずかしいかぎりだ。  時代と歴史をてこにして、詩によって「生死いずくんぞ論ずるに足らん」と確信する枠組みってすごいよね。現代においては、お金を持ちたいとか、人から評価されたいとか、みんな表面的には考えているとは思うよ。でも本音では、何らかの真理とか何らかの正義とか、そんなものがあったらいいなとか、なんとなく感じていると思う。真理とは逆説だから恐ろしい。生きる意味というのは生死を論ずるにたらないところにあるというのだから。

パノプティコンとは何かというのは、ウィキでも読めば直ちに明確になる。私はパノプティコン自体を問題にしようとは思わない。フーコーが何故パノプティコンなる概念を導入しようとしたのかということを少し考えてみたい。  現代社会において、犯罪を犯せば刑務所に入るというのは当たり前だと思われている。しかしそもそも刑務所とはなんなのだろうか、犯罪とはなんなのだろうか。日本でも、近代以前の江戸時代にも刑務所的なものはあった。そして、江戸時代の刑務所的なものと現代の刑務所とは同じものなのだろうか。そのあたりを明確にするための概念としてのパノプティコンだと思う。   フーコーがやろうとしていたことは、結局、罪を犯せば刑務所に入るという当たり前に思える価値に挑戦しようということだろう。パノプティコンとは、フーコーがこの世界の価値をぐらつかせるための道具としての観念みたいなものだよね。  そして、この世界の価値観をぐらつかせたらどうかというと、これが別にどうにもならない。磐石だと思っていた価値観が、フーコーによって磐石というわけではなくなりました、フーコーはすごいですね、パチパチみたいな。  これは本当にすごいのだろうか?  ニーチェも同じようなことをやった。しかし、ニーチェはフーコーほど賢くなかったから、マジで世界の価値を相対化しようとした。ニーチェは自らの狂気と引き換えに価値の相対化を成し遂げた。  ここで考えて欲しい。  フーコーは、価値は相対化できるという可能性を示して知の巨人としての栄誉を満喫した。ニーチェは、実際に価値を相対化して自らは狂気の闇に沈んだ。はたして、ニーチェとフーコー、どちらが本物だろうか。  わかり安く考えてみよう。 フーコーは様々な現代的価値観をぐらつかせるマジックを見せてくれた。監獄の価値観、精神医学の価値観、ほかにもいくつかあるだろう。私達が価値観が揺さぶられる様を見たからといって、それが一体なんだというのか。別に新しい価値の世界が始まるわけでもない。パノプティコンと言ったって、この世界の価値観を相対化する力を失ったら、それはただの知的なアクセサリーになってしまうだろう。

文天祥の「正気の歌」って、現代においては右翼の色が着いていてリベラルの人は食わず嫌いということもあるかもしれない。正気の歌を真っ直ぐに読めば、右とか左とか関係ないのは明白だ。  文天祥は感じた。この世界の正気というエネルギーは時において物質に凝固する。思いは叶う、という現象を越えて、思いは厳然たる物になる。中国の歴史上、強い思いはどのような物となったのか。文天祥はこのように書いた。   

斉にありては太史の簡  

晋にありては董狐の筆  

秦に在っては張良の椎  

漢に在っては蘇武の節  

厳顔将軍の頭と為り  

嵆侍中(けいじちゅう)の血と為る

張雎陽の歯と為り  

顏常山の舌と為る  

或いは遼東の帽と為り  清操、氷雪よりも厲(はげ)し  

或いは出師の表と為り  鬼神も壮烈に泣く  

或いは江を渡る楫と為り  慷慨、胡羯を呑む  

或いは賊を撃つ笏と為り  逆豎、頭、破裂す  

別に全てを訳す必要もないだろう。例えば最初の「斉にありては太史の簡」というやつ。斉というのは春秋戦国時代に存在した有力国家。紀元前何百年かの時代。当時、中国大陸には多くの国家が存在していて、それぞれの国家がそれぞれに年代記を書いていたらしく、国家事業としての年代記の記述は真実を書かなくてはならないという国家同士に暗黙の了解があったらしい。しかし、自分に都合の悪いことは書いて欲しくないという権力者がいた。まあ、このような者はどこにでもいるだろうが。斉という国で、歴史を改ざんしようとする権力者の横暴を頑として拒んだやつがいた。「崔杼(さいちょ)、其の君を弑す」というやつ。ここは春秋左氏伝で一番有名なところだろう。岩波文庫「春秋左氏伝」の帯に書いてあるレベルだから。太史の簡の太史とは名もなき記述者であり、簡というのは当時の紙の代わりの竹簡のことだろう。すなわち、正気は名もなき記述者を通して竹簡に凝固したということになるだろう。文天祥はこのような事象を重ねているわけだ。  
意味が物に凝固するってありえると思うんだよね。個人的な思いだって、形見の品とか想い出の物とかになったりする。多くの人の協同の想いが竹簡になったとしても何の不思議もないと思う。

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