ニーチェ「善悪の彼岸 242」にこのようにある。  

「ヨーロッパの民主主義化は、同時に専制的支配の育成にたいする、思いもかけない準備となる」

ニーチェのこれまでのこれまでの言論から推測して、ニーチェの願望というのは、この世界の価値秩序を解体して、その跡地により合理的な社会体制を築こうという、まあそういうことだったと思う。そのようなことは、論理的には可能だけれども、現実的にはありえない。次善の策として考えられるのは、現代の民主主義体制の崩壊を出来るだけ促進して、その後に来るであろう専制支配体制に夢を託そうということだろう。 

これは方針転換だ。 

今までニーチェは、プラトンの影響をきわめて強く受けた近代西洋をプラトンごとひっくり返そうとしていたのだけれど、ここに来て、西洋文明盛衰という時間の尺をつめていこうという、そういうことだと思う。  

プラトンの文明論というのがそもそも、国家というものは、正義の哲学国家から、江戸時代のような名誉国家、明治国家のような金持ち支配性国家、戦後日本のような民主国家、ナチスドイツのような僭主国家、と連続的に堕落して行くというものだ。
すなわち、民主国家を早く終息させて、僭主国家に希望をたくそうというニーチェの論理はのは、プラトンの哲学に乗っかっちゃっているよね。 

この辺をニーチェは、明確に理解していたと思う。そもそもニーチェとは、ギリシャローマの文献学者の出身だから。 今までプラトンをひっくり返そうとしていたのに、今はプラトンに乗っかっているという、ここを私は、ニーチェの方針転換だと言っているわけだ。

ここから推測されることは、ニーチェは以降、プラトンの名前を出さなくなってくるだろう。そしてこの近代世界に不満を持つ人々を挑発するようになって来るだろう。まあ例えば、あなたのような高貴な精神を持った人間が、このクソみたいな世界でうじうじしていていいのですか? みたいな。

ニーチェの狙いというのは、自分の挑発に乗った者の中に一人でもいいから本物がいてくれたらいいな、ということだと思う。

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