magaminの株と歴史の雑感

株と戦前の昭和史について考えます  

カテゴリ:外国文学 > セルバンテス

「ドンキホーテ」とは何なのか?、ドンキホーテとは何者か?  この小説の登場人物というのは、だいたいにおいてゆっくりだ。もちろん馬鹿というわけではなく、考え方というか思考パターンというか、そういうものが、現代の価値観と比べてなんだけど、ゆっくりしている。  これに対して、ドンキホーテのみがチャキチャキしている。大事なことと、どうでもいいこととの区別をつけて行動している。  どうしてかというと、登場人物で彼のみが、「騎士道」という観念で自らの価値観を強力に秩序付けているからだ。ドンキホーテは、騎士道という奇妙な観念を頭上に頂き、それによって世界の価値を整除して、そこから強力なエネルギーを得る。これは、回りから見ると狂気と映る。   私は何の意味もなくこのようなことを語っているわけではない。  現代とはなんだろうか。現代日本において人は、江戸時代以前よりはるかに強力な労働環境にさらされている。私達はその労働をこなしたりこなせなかったりするわけだ。私達は普通チャレンジする。チャレンジできないものは引きこもりになり、チャレンジに失敗すると神経症になる。何が現代の私達を労働に駆り立てるのか。結局、私達の価値観というものが秩序付けられていて、そのような状況から、まあなんというか働かなくてはならないという観念が生じる。   ドンキホーテは幸せだった。好きな「騎士道」によって自分の世界観を秩序付け、そこからエネルギーを調達していたのだから。では、私達の世界観というのは、いったい何によって秩序付けられているのか。   実はこれがわからないんだよね(個人的には知っているのだけれど)。ウェーバーによると、失われてしまったらしい。  決してドンキホーテを馬鹿に出来ない。私たちは、騎士道を忘れたドンキホーテだし、かつてドンキホーテを狂気だと判定して人たちはどこにいるかというと、ニート、軽度知能障害者、ADHDとして、軽く狂人扱いされている。

3巻目前半。  ドンキホーテ一行が泊まっている宿屋に、イスラム教徒らしき女性と連れの男性が泊めてくれとやってきた。奇妙な二人組みだから、みんな興味津々。懇願により、男の方が2人がここにいたるまでのことを話し始める。  話すのはいいのだけれど、この身の上話が文庫本換算で100ページだから。  内容自体はどうということもない。レパントの海戦でイスラムの捕虜になってしまった男が、キリスト者になりたいというイスラムの女の手助けで、共にスペインにまでやってきた、というもの。この話が、なぜ100ページにもなるのか。  たとえばスペインに上陸するあたりはこんな感じ。  「さまざまな意見が出され議論が重ねられましたが、最終的に採用されたのは、ゆっくりとすこしずつ岸に接近し、並が静かでそうすることが可能であったら、どこへなりと上陸しようというものでした。それを実行に移し、おそらく夜中の12時の少し前だったでしょう、われわれはいかにも不恰好な高い山のふもとに着きましたが、その山も波打ち際からすぐにそびえているわけではなく、楽に上陸できる空間をゆうに残すほどには奥まっていたのです」   近代小説を読みなれているものには、奇妙な文章ではある。焦点が一定していない。出来事の羅列の文章だ。これでダメだというわけではないのだけれど、この調子で100ページやられたら、読む者の心に余裕がないとちょっと読みきれないだろう。  「ドンキホーテ」とは何なのか?   この「ドンキホーテ」という小説は岩波文庫で全6巻なのだけれど、はじめの3巻が1605年にまず発表された。とりあえずこの3巻を読み終えれば、「ドンキホーテ」とは何なのか?、ということについて何かわかることもあるだろう。

2巻目後半。  ドンキホーテ一行は宿屋に泊まる。ドンキホーテ本人は疲れてすぐ寝ちゃうんだけど、他の人たちは宿屋の主人とワイワイガヤガヤ。宿屋のお客の忘れ物の中に面白いものがあるという話になった。生原稿の小説で題名が「愚かな物好きの話」。これを読もう、ということになって、ひとりが代表して音読し始めた。  これ読むのはいいのだけれど、文庫本で100ページの量。この小説内小説ともいうべき「愚かな物好きの話」、かなりの分量にもかかわらず、本文とは関係がない。宿屋の客が忘れていった鞄の中からでてきた原稿に書いてあった小説だし、朗読会に主人公は参加していない。   「愚かな物好きの話」の内容なのだけれど、これが意外と面白い。親友同士の男がいて、片方が結婚する。結婚したのはいいのだけれど、自分の妻が本当に貞淑な女性なのかどうか試したくなって、友人に妻を誘惑してくれと頼むんだよね。頼む時の言い草がこんな感じ、「誰からも言い寄られたりしない女が貞淑であったところで、それは当たり前で、別にありがたくもなんともないからね」  友人は一旦断るんだけど、断り方がこんな感じ、「あなたの持っているダイヤモンドが、誰もが認めるすばらしいダイヤだとして、あなたはそれを確かめようとダイヤを金槌で叩いたりする必要はない。もちろんダイヤは壊れないと思うけれど、もし壊れた場合、あなたは全てを失うことになる」  二人ともうまいことを言う。 この小説内小説って一体なんなの?  友人は結局説得されて、親友の妻を口説くのだけれど、口説いているうちに親友の妻に恋をしてしまう。親友の妻も、その真摯な恋に答えちゃうわけだ。  なんだか面白くなってきた。  そのうち不倫がばれそうになる。二人でもう一芝居うって旦那をだまそうということになった。 旦那がクローゼットに潜んでいる部屋で、友人が言い寄り妻が拒絶するという喜劇を行って、これがものの見事に成功する。  この猿芝居が成功する確率は高い。 そもそも最初に妻を誘惑して、その操を試してくれと友人に頼んだのは旦那本人だから。信じたい物語が目の前で演じられれば、信じてしまうのが人情だ。  すなわち、この「愚かな物好きの話」という小説内小説は、ちょっとした多層構造になっている。  かなり出来のいい中篇小説を、セルバンテスは「ドンキホーテ」の中にぶっこんでくる。全体の整合性とかおかまいなしだ。にもかかわらず「ドンキホーテ」は面白い。  いったいこれってどういうことなのだろう。  近代以降、確かに科学は進歩した。しかし文学って進歩していない。

「ドンキホーテ」という物語は、現代小説とは構造が異なる。  2巻目で、ドンキホーテはやらかしちゃって山に逃げ込んで、そこで隠者みたいな男に出会う。人知れず?山奥に住むこの男にドンキホーテは興味津々。頼み込んで身の上話を聞かせてもらうことになった。男は話す条件として、軽々しい質問等をして私の話の腰を折らないようにして欲しい、と頼む。  しかし案の定、ドンキホーテはつまらない突っ込みをいれてしまう。  男は怒って話を途中でやめてしまう。  貴族の女性との恋の破綻の物語らしいのだけれど、まだ全然破綻していないような、二人はまだラブラブみたいなところで話は途切れてしまう。 この100ページぐらい後で、ドンキホーテを迎えに、ドンキホーテの友達がこの山を訪ねる。この友達も隠者の男に会う。 今度は首尾よく、友達は隠者の身の上話を全て聞いたという。隠者の話とは結局、親友に裏切られて婚約者を盗られた話だった。  しかしこれ、主人公のドンキホーテは話の前半しか聴いてないままだ。話の全部を聴いたのは、チョイ役であるドンキホーテの知り合いと、それに読者だけだという。  主人公を持ち上げるために事象をエンディングに向けて集中させていく、という近代小説とは異なったあり方。  「ドンキホーテ」は拡散する物語だ。

ドンキホーテが風車に挑む、というのは有名だ。「ドンキホーテ」はかなりの長編なのだけれど、これ、けっこう序盤で挑んじゃう。もちろんあっさりやられて終わりだ。 現代小説だと、風車に挑んで負けても、試練を経て強くなって再び挑んで勝つみたいな流れになるだろうけれど、「ドンキホーテ」の場合、それはない感じだね。伏線を回収するみたいな、物語の収束的要素は一切ない。まだ「ドンキホーテ」全6巻中1巻目しか読んでいないのだけれど、風車は二度とでてこないだろう。   ドンキホーテがある町に行くと、ある美しい女性に恋焦がれてついに死んでしまった青年の葬式をやっていた。ドンキホーテが興味本位で葬式に参加していると、その当の女性が葬式の参列者の前に現れて、「私は好きで美しく生まれたわけではないのに、勝手に私の美しさに恋してそして勝手に死んでしまった青年に対して、私は何の責任もない」 的な大演説をする。演説が終わると、その女性は森の奥に消えてしまう。ドンキホーテは、その女性に興味を持って追いかけるのだけれど、見失ってしまう。  そして見失ってそのままだからね。その女性が落としたハンカチをドンキホーテは握りしめたとか、次につながるであろう伏線は一切なし。「ドンキホーテ」全6巻中、まだ1巻しか読んでいないのだけれど、この美少女はもう二度と出てこないだろう、というのが容易に推測される。  拡散する物語。  収束する小説を読みなれた人間には、「ドンキホーテ」って、なんだか奇妙な感じがする。後2000ページも残っているから、ここからすごく楽しみだ。

「ドンキホーテ」って岩波文庫で全6巻なんだね。 1巻400ページとして、トータル2400ページというのだから、これはかなりだよ。1600年ごろのスペインの小説。1日で300ページほど読んでみたけれども、細部は近代小説とそう変わらない感じだけれども、大きい枠組みで観察すると、近代小説は収束する物語だけれど、ドンキホーテは拡散する物語だ。 話が拡散するから、いくらでも書けちゃうというのがあるかもしれない。  結構面白いので、2400ページは読めちゃうと思う。ハイデガーの「存在と時間」3.4巻と交互に、1ヶ月ぐらいかけて読んでいく予定。 

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