magaminの株と歴史の雑感

株と戦前の昭和史について考えます  

カテゴリ:読書日記 > 古代

紀元前五世紀から三世紀まで中国は戦国時代で、

趙、韓、魏、秦、斉、燕、楚

の七国がしのぎを削っていました。あるときは斉が覇権を握ったり、魏が覇権を握ったりとギリギリの戦いです。

現代の言葉を使えば、イギリスがヘゲモニー国家であったり、アメリカがそれに変わったりということです。今は平和な感じですが、これからどうなるか分かりませんよ。

中国の戦国時代も平和な時代はありました。しかし最後はどうなったかと言うと、秦と趙がガチンコの戦いを始めて、趙の兵士40万人が捕虜になります。秦はこの40万人を何百人かを残し全て生き埋めにして殺します。秦は一線を越えたのです。趙の生き残った何百人かが中国全土に秦の恐ろしさを伝える事により他の五国はビビッテしまい、後は秦の独壇場、秦の始皇帝の誕生です。

秦は中国を統一した後、他の六国の歴史を抹殺してしまい、戦国時代の様子はよく分からなくなっているらしいです。戦国時代の魂みたいなものは消え去り、漢の時代になると、それはもう別の世界です。
趙の兵士40万人は本当は最後まで戦わなくてはいけなかったのです。趙の兵士達には秦はこの世界を壊さないだろうという甘えがあったのでしょう。

今の世界も同じです。平和で比較的穏やかな世界に慣れてしまえば私達は趙の兵士のように生き埋めにされ、そして別の新しい世界が始まるでしょう。

諸葛孔明の出師の表は何度読んでも泣けます。

諸葛孔明は、泣いて馬謖を斬るということわざからしても、法律重視の法家的なところがあります。さらに劉備に三顧の礼で迎えられる前は、出師の表に「みずから南陽に耕し」とありますから、老荘思想、道家的な生活を送っていたのではないでしょうか。さらに、劉備の死後は、自ら蜀の王になろうなんていう考えもなく、死んだ劉備を慕いながら、劉備の息子の劉禅をたえず叱咤激励。この点で諸葛孔明は、君臣の秩序を尊重する儒家の属性もあります。

法家、道家、儒家、という矛盾しがちな性質を、その人格の内に統合した諸葛孔明は、中国史上、特異な地位を占めるべき傑物だったと思います。

諸葛孔明の恐るべき意思の強さはとてもまねできるものではないですが、たまに「出師の表」を読んでその存在を確かめるというのはいいものです。


インドで興った仏教が日本に伝わってきました。でも、日本の仏教と言うものには、輪廻転生というインド風の思想が薄いのではないのかと日頃思っていました。

私の田舎では葬式なんかの後でお坊さんを囲んでのお話みたいなものがありました。クソ坊主を中心に当たり障りのないような、お互いをヨイショするような話をするわけです。高校生くらいのときかな、私、そんなのが我慢できなくて、

「仏教においては、来世というのはどう考えているのか」

とか

「般若心経の意味はなんなのか」

とか、空気無視の質問をねじ込んで、かなりのひんしゅくを買ったことがあります。私でさえ普通はそんな親戚の間で空気無視みたいなことはしないです。親戚同志がお互いの人物批評みたいなことをしても、相槌ぐらいはうちます。しかし、人の死に関わる場面では、そうはいかないね。ここを逃しては彼らには自分の内面を見つめるなんてことはないのではないのかと思って、ある種の善意で坊主に食って掛かるわけです。

まあ、それはいいとして、インドから中国に入った仏教は、中国人の老荘的なフィルターを通して理解され、それが日本に伝わったそうです。

ある意味あたりまえですね。

日本では、自然にする、というか、人為的なものを排除してあるがままを楽しむ、ということが伝統であるとされたりしますが、それは老荘思想の流れを汲んでいます。民族という枠組みで日本を考えるのではなく、東アジアという枠組みで考えないと、日本の本質にはたどり着けないと思います。いま、中国がどうとか韓国がどうとか話題になったりしますが、そういう話題はげんなり。ある種の呪いではないのかな。とにかく大きい枠組みで物事を考える事が大事だとおもいます。

日本古代史って進歩するんですね。高校で習ったのと全然違う。

結論から言いますと、古代日本において、任那という朝鮮植民地なんてものは存在しないね。日本書紀をマルマル信じると、あたかも日本は朝鮮半島にかなりの権益があったかのように思ってしまうけど、日本書記は天武天皇の時代に書かれたもので、割り引いて読まなくてはいけないというのは合理的な考え方です。

私も日本人ですから、古代日本が朝鮮半島にまで強い影響力があったなんて思えば悪い気持ちはしないです。でもね、事実に即して物事は考えていかないといけません。古代史なんていうのはパズルみたいなものですから、思い込もうと思えば、なんとでも妄想を膨らますことは出来ます。ただ中国から朝鮮半島を通して、文明が日本に流れ込んできたのは間違いないわけですから、日本が朝鮮半島に強い影響力を持っていたと考えるより、朝鮮半島から流れ込んでくる文明を倭国の貴族が独占することで日本を統一できていた、と考える方が普通ですよ。

「日本の古代」というものは、ある種微妙な時代です。天皇の根源というものに触れざるをえないですから。でも、あの戦争から70年です。天皇は神聖であるとか、天皇は平和主義であるとか、ウンザリするようなイデオロギーの呪いを振り切って、リアルな天皇というものを考えていかなくてはいけないと思います。

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