magaminの株と歴史の雑感

株と戦前の昭和史について考えます  

カテゴリ:明治評論 > 内藤湖南

「新支那論」は戦後の日本思想からすれば、とんでもないことを言っているレベルだと思う。だから「新支那論」はダメだとか判断するのではなく、戦後日本思想というものを少し相対化して、その後また「新支那論」について考えてみたい。   太平洋戦争というのは、日本にとっては完敗だったけれども、アメリカにとっては完勝というわけではない。戦後すぐ中国は共産化するし、朝鮮戦争では、アメリカは中国人民解放軍の介入で戦線を38度線近辺まで押し戻されている。近年にいたっては、ベトナム戦争の敗北、現代にいたっては、北朝鮮問題、中国の躍進、と日本を除く東アジアをアメリカは全くコントロールできていない。その理由の淵源は太平洋戦争にあるだろう。日本占領下の南洋諸島を飛び石的に占領して日本本土に迫るというアメリカの作戦が、まあなんというか物量頼みの稚拙な作戦だったということだと思う。そもそもアメリカが日本を挑発した理由というのが、日本軍の南部仏印進駐のような大陸における利権の問題なわけだから、本来ならアメリカはフィリピンからベトナムに上陸して中国を北上して朝鮮、日本にいたるというルートを選択するべきだったろう。このような壮大な作戦がアメリカに出来たかは疑問ではあるのだけれど、出来ないのなら南部仏印進駐で日本を挑発するべきではなかったよね。完敗した後の日本が、アメリカの戦略の矛盾を指摘できるものではないのだけれど、客観的に見れば太平洋戦争でのアメリカの戦い方が世界のヘゲモニー国家アメリカの威信を傷つけたというはあるよ。  「新支那論」は戦後の日本思想からすれば、受け入れられないというところもあるけれども、以上のような歴史観から考えると、内藤湖南はそう間違ったことを言っているわけではないのではないかと推測したい。これは中国の伝統的な社会構造にかかわる問題だから、簡単には判断できないことだし。

宮崎市定のすばらしい世界システム論を目の当たりにして、内藤湖南をもう一度読んでみようと思って。内藤湖南の、中国の近代が宋代に始まるという論理は、ある種の大発見だと思う。ヨーロッパのルネッサンスが、遡っても13世紀だというのを考えると、戦前においてだよ、遅れた中国が進んだヨーロッパより200年も早く近代が始まっているというのだから。  今から考えると、現状中国はすばらしい経済発展で、中国って地力があったんだなって分かるのだけれど、100年前に「宋代ルネッサンス論」を唱えているのだから。     「支那論」を読んでみると、ここを掘れば結構面白いことが分かるんじゃないの? というところを、ポイントだけ提示して次々と別のテーマに移っている。「宋代ルネッサンス論」というのも、そのうちの一つなんだよね。例えて言うとなんだろうか、まあ真理をあっさりとしか語らないインディアンの長老みたいな感じだ。  「宋代ルネッサンス論」だけ取り出してみると、不完全ではある。内藤湖南は、孟子を引用して、「古代とはこのように貴族制の社会だった、それが徐々に進歩して、宋代にいたって貴族制度が解消されて中国は近代となった」という。   違和感がある。  孟子の論旨とはちょっとずれたところを引用しているのではと個人的に思う。 宮崎市定は、そのあたりを修正して、「宋代ルネッサンス論」はそのままに、古代を持ち上げ中世を下げて、簡単に言ってしまうと、古代は好景気 中世は不景気 近代以降は好景気 という世界構造論を展開した。私が短く要約してしまうとばかばかしく聞こえるのだけれど、実際はもっとすばらしい世界観を提示している。  しかしこの成果も、「宋代ルネッサンス論」を信じて突き詰めた結果だろう。   内藤湖南の荒削りな本質だけを言いっぱなしみたいな、こういうのってすごいよね。普通言いっぱなしだと、養老猛史の「馬鹿の壁」みたいに、戯言の垂れ流しになると思う。ここに黄金が埋まっていると思うけれど、掘るのメンドクサイから宮崎、お前掘れみたいな、そんな感じなのかな。

自信がないとか、自己主張できないとか、自分の弱さに苦しむということはある。しかし、私はそのような人こそ誠実な人間だと思う。だってよく知りもしないことを、強弁したり出来ないよね。社会にでればこれが当たり前なんだなんて言われるだろうと思うのだけれど、そんなインチキ詐欺師みたいな言説を信じて、自分の一生を終わるなんて恐ろしい気持ちになるのもわかる。   自分に自信がない理由を突き詰めて考えれば、この世界が何故このようにあるのか分からない事にあると思う。自分の中で、確固とした世界観を持てないから、自分にとっての世界が不安定になる。   では、確固とした世界観とは何か? この世界は何故このようにあるのか?  この世界が一つしかないとするなら、その世界の中に暮らす人にはこの世界が絶対となるから、この世界は何なのかと問うことはできない。この世界は何故このようにあるのか、を問うためには、別の世界を発見して二つの世界を比較しなくてはならない。世界を相対化するとは比較にある。ニーチェは現代世界を相対化しようとして、ギリシャ悲劇時代を持ち出した。フーコーやウェーバーは近代以前の世界を持ち出すことによって近代を相対化しようとした。マルクスも似たようなものだろう。これはこれで悪くないと思うのだけれど、はっきり言えば物足りない。しょせんは西欧中心主義で、このような論理では日本人は救われない。もし人類の歴史が西欧中心だとするなら、日本としても受け入れなくてはならない。しかし実感としてその通りだろうか? 日本だけでなく、東アジアの長い歴史を思い返した場合、引っかかる所はないだろうか?   ここまで考えた時に、宮崎市定の凄みというのがわかる。宮崎市定はユーラシア大陸を中国、西アジア、ヨーロッパと3つにわけて、3000年にわたって互いに影響しあっていると喝破する。現代は確かに西洋文明の圧倒的な時代であるけれども、それは西洋人の遺伝子が優れているというものではなく、長い時の中での、現代においての切り口的現象に過ぎないという。これはべつにルサンチマンというものにではなく、合理的推論と判断せざるをえない。  よく考えて欲しい。  この世界が何故このようにあるのかを知るためには、別の世界との比較が必要だ。ニーチェやフーコーやウェーバーは、比較対象を自らの西洋文明の過去の中から調達してきた。しかし宮崎市定は、自らの文明を相対化しようとするとき、西アジア、ヨーロッパを引っ張り込んだ。宮崎市定の歴史観が整合性を持つとき、宮崎市定とニーチェと、どちらの歴史観がより整合性を持つだろうか?  内藤湖南という人が、中国の中世と近代との境目を宋初においた。こんなことを言うとなんなのだけれど、これって内藤湖南の思いつきレベルだと思う。だって戦前において、中国のルネッサンスがヨーロッパのルネッサンスに先んじているなんて、主張しにくいと思う。だって西洋は列強の集合だし、中国はあの体たらくだし。しかし、宮崎市定は、中国において近代は宋に始まる、という言説を確信して、自らの着想を育てたのだと思う。天才とかそういうんじゃない。一つの言説を強烈に確信するという、そこがすごいよ。日本人は、宮崎市定という思想家をもったことを誇りに思うべきだ。

福沢諭吉というのは、文章は面白いし頭は抜群に切れるとは思うのだけれど、論理的な体系を創ったというわけではないだろう。福沢は、その時々に自分にとっての合理的な発言をしていただけで、別に人生を貫いて首尾一貫した論理を語ったというわけでもないと思う。福沢の発言を首尾一貫したものとして理解しようという考えみたいなものは今でもあると思うけれど、そんなの無駄じゃないかな。例えば、福沢の脱亜論の思想を「学問のすすめ」のなかに見つけようとしても無駄だという意味で。 脱亜論というの思いつきのレベルだろう。ただ思いつきにしてはよく出来ている、福沢諭吉だから。   一方、徳富蘇峰は変節とか言われているけれども、首尾一貫した思想というものがあったと思う。蘇峰の言動が揺れているように見えるのは、世界が揺れているからであって、蘇峰は一本筋は通していると思う。   宮崎市定の「中国史」の明の記述。  明の時代というは、爛熟の時代とされている。内藤湖南によると、中国の近代というのは宋に始まる。だから、明というのは近代2周目なんだよね。明代に祝允明(しゅくいんめい)という人がいた。「中国史」にこのようにある。「経史に通じ、文章がうまく、あらゆる分野に独自の見解を有したが、実際の生活には必ずしも主義に拘泥しなかった。彼の処世哲学は、馬鹿者は本気に相手になるな、ということで、こういう場合は自己の主張を曲げても恥にならないのであった」  これは福沢諭吉だろう。馬鹿が馬鹿言ってる、というのは福沢の口癖みたいなものだった。祝允明(しゅくいんめい)というのは、近代という時代における都市部知識層の精化みたいなものだろう。祝允明(しゅくいんめい)と同じ時代に、王陽明がいた。宮崎市定がいうには、「陽明学とは、田舎くさい意思の哲学」 という。いわれてみればその通りだ。私は陽明学が好きだから、田舎くさいというところは引っかかるのだけれど、宮崎市定の陽明学に対する褒め言葉としても受け取れるし。 それはいいとして、田舎くさい意思の哲学、これは徳富蘇峰だろうと思う。   歴史って、起こった出来事をそのまま牽強付会的に丸暗記していたのでは、正直何がなんだかわからなくなる。無駄なところをそぎ落とすことで、形みたいなものが現れてくる。明代の不必要なものをそぎ落としてみたら、日本近代の福沢や蘇峰的なものが現れてきたなんて、不思議な感じがする。

宮崎市定は中国史をすばらしく相対化して記述している。これは並大抵ではない。  歴史を相対化して考えるというのは、実は非常に難しい。例えば、あの太平洋戦争のことを考えてみればよくわかる。普通に考えてしまうと、強大なアメリカに真珠湾攻撃なんて、今から思うと、戦前の日本人は馬鹿かキチかその両方かということになりがちだ。負けるとわかっていたのに何で戦うの、バカじゃないの、という論理だ。私は団塊ジュニアだけれども、私のおじいさん達は戦争世代だったけれど、今から思い出しても彼らは決して馬鹿ではなかった。現代の論理で戦前を推論すると、あたかも彼らは馬鹿だったかのように判断されがちなのだけれど、それはただ単に全く自分勝手な論理だ。戦前の日本人には彼らなりの世界観みたいなものがあったのだろうと思う。  私たちは、現代の価値観を過度に重要視して、過去の価値観を無意識に軽視してしまう。全く残念な態度だ。知力を振り絞って、戦後と戦前の歴史を相対化するべきなんだよ。ところがこれがなかなか難しい。これをやり遂げたとして、例えば次に明治維新から太平洋戦争までの歴史を考えてみる。明治維新と太平洋戦争とは、70年ほどの期間しか存在しない。にもかかわらず、明治維新と太平洋戦争をつなぐ歴史観、日本近代を貫く歴史観、さらにいえば、日本近代を相対化する歴史観、そのようなものを読んだり聞いたりしたことがあるだろうか? かなり日本近代史を読んだけれども、日本近代を相対化した言説というのを、私は徳富蘇峰一人のものしか知らない。司馬遼太郎などは、日露戦争までの日本を善玉、日露戦争後の日本を悪玉と設定することによって、日本の近代史を説明している。善玉日本と悪玉日本をつなぐ人物が乃木大将であって、乃木希典を貶めることで、日露戦争前の日本と後の日本とをつなごうとしている。   そのような断絶した歴史観が、真理を表すものだろうか。司馬遼太郎の失敗は、日本近代の精神史記述の失敗だろう。    宮崎市定は、このような全く困難な歴史の相対化ということを、中国史という悠久の時の流れの中でやろうとしているわけで、これは全く度肝を抜かれる。おそらく様々な批判にさらされているだろうと思うけれども、チャレンジというだけでも、すばらしいチャレンジだと思う。

秦の始皇帝は見事に中国を統一したのだけれど、始皇帝の死後1年で陳勝の乱が起こっている。無理をしすぎたといわれている。  何が無理だったのか。  始皇帝って合理的な思考をする。中国を統一したら、文字を統一する、貨幣を統一する、道幅を統一する、郡県制を採用する、全体に効果があると思えば合理化する。このあたりがやりすぎたところだと思う。  現代においては、合理的思考というものは良いとされているけれども、そもそも合理的思考というものは無条件に与えられたり、訓練によって習得できたりというものではない。合理的思考というのは、「この世界は合理的である」という非合理な信念にって支えられている。  始皇帝は、合理的な行動によって中国を統一したことによって、「この世界は合理的である」という信念が極端に肥大化したのだと思う。  現代日本においても、合理的に考える人ばかりではない。例えば、会社というものは利益を追求するもので、会社社会では合理的思考が尊重されやすいはずだ。にもかかわらず、合理性を超越した変なこだわりを持った同僚はいないだろうか? そんなこだわりは家でやれや、と言ったとすると、怒ったり無表情になったり、全身全霊でくだらないこだわりを墨守しようとするやつってかなりの割合で存在する。  人間というのは、それぞれに世界観というか、価値の序列の体系みたいなものを持っている。この世界観がないと、未来を予測できなくなり、ひどい場合は統合失調症となり日常行動すら不自由になる。この世界観には、合理性というものが無条件に高い価値を与えられるわけではない。変なこだわりを持つ人というのは、人から見てつまらないと思える「こだわり」がその人の世界観においては重要な要素になっているのだろう。こだわっている当人も必死だよ。危ういこだわりが、彼の世界観を支えているのだから。多くの場合、説得によるこだわりの放棄というのは不可能だ。過度の清潔という、どうでもいい「こだわり」が、潔癖症という症状になって現れるみたいな。   合理化の強要で、潔癖症が直らないのと同じで、始皇帝の合理化の精神というものが、同時代人に反感を買ったというのも当たり前だと思う。さらに、会社なら利益という合理化のための指針があるのだけれど、統一された中国世界においては、戦国期とは異なり、明確な結果証明なんていうものは存在しないのだからなおさらだ。

秦の始皇帝がなぜ中国を統一できたか? ってよく寝る前とかに考える。紀元前400年から紀元前200年まで、200年の中国戦国時代。200年、しのぎを削った七つの国からなる世界が統一されるなんてただごとではないと思うんだよね。総力戦体制が200年続くと、愛国心も生まれるだろう。斉と燕の戦いにおいても、斉が燕を攻略すれば、楽毅によって燕は回復されるし、燕が斉を攻略すれば、田単によって斉は回復されるし。普通はこんな感じだと思う。現代的に考えれば、植民地というのはコスト的にペイしないというのもあるし。  世界を統一するなんて並大抵の事ではない。秦という国に圧倒的な国力があって、さらに世界を統一しようという、天の声というか人民の声というか、まあそんな時代の後押しみたいなものが二つそろわないと、世界統一なんて無理だと思う。ウエスタンインパクトなどといっていた近代の強力なヨーロッパ文明だって、東アジアまでは征服できなかった。現代はヨーロッパ文明すら力及ばず、現状は百何十カ国が自治権を固定されるにいたる群雄割拠固定状態だ。  秦に世界を統一させた時代の風がなんだったのか。 このような設問の答えは非常に難しく、遠い未来に世界が何ものかに統一される時に、天才によって事後的に理解されるレベルのものだろう。 ミネルバのフクロウは夕暮れに飛び立つ。  ただもう一つの設問、秦という国はどのようにして強勢になったのか。これは比較的答えやすい。宮崎市定は、騎馬戦術を最大限に利用したのは秦だ、という。 これは一理ある。 戦国以前は、馬を戦争に利用するときは、4頭の馬に車を一台引かせて、それを戦車と称し、軍の主力としていた。小回りがきかなそうな感じがするよね。ところが、戦国時代、趙という国の武霊王が「胡服騎射(こふくきしゃ)」と称して、北方の蛮族を真似して、馬に直接乗って戦うという戦法を採用した。宮崎市定の言う、秦が騎馬戦術を最大限に利用したというのは、この胡服騎射だ。武霊王は胡服騎射を採用したために、いい死に方をしなかったらしい。そんな記憶がある。結局、4頭の馬に車を一台引かせて戦うという伝統が優先されて、馬にまたがって戦う胡服騎射なんていうものが、いくら効率的でも伝統世界では受け入れられなかったということだろう。秦という国は、戦国時代においては新興国で、胡服騎射が非伝統的だなどという意見が少なかったのだろう。合理的な胡服騎射という戦法を大々的に採用したという。胡服騎射だけではなく、だいたいにおいて秦では万事がこのようなものだったのだろう。 伝統の縛りが薄いから、より合理的な世界観を速やかに採用できたということだろう。  アメリカが伝統的な縛りがないから、より合理的な社会体制を採用してヘゲモニー国家となったのと似ているところがある。  宮崎市定という人物はたいしたものだ。なかなかこの境地には至らないようなレベルだろう。

内藤湖南の支那論は明治の末、新支那論は大正末に書かれたものです。

日本の近代は明治維新から始まりますが、中国の近代は唐末、宋から始まると内藤湖南は言うのです。近代とは何かというと、結局人民が力を持って国を動かす事ができる文明レベル、ということになると思います。中国においては唐末から貴族政治が衰退して、宋代に入って絶対君主の時代が現出したのです。科挙という試験で選ばれた官僚が皇帝をサポートするという体制になるわけです。

現代において中国のイメージは残念ながら発展途上国です。民度は日本の方が高いとか、中国人の年収はまだまだ日本に及ばないとか、ネットではそのような事がよく言われています。しかしそれは中国という国を改革解放以降についてのみ考えた場合であって、長い歴史の上に今の中国があると考えれば、中国という国を簡単に考えてしまうということはやってはいけないことです。

趙匡胤が宋を建てたのは紀元960年です。日本の明治維新は1867年です。ヨーロッパでさえ絶対君主が現れるのは17世紀以降でしょう。内藤湖南によれば、中国は近代に入って1000年以上経っています。中国近代1000年の精神史なるものを研究する事ができれば、今の世界がこの後どうなるかを予見することも出来るでしょう。

人間はせいぜい生きても100年です。人間は生まれてそして死んで終わりなのでしょうか。
私は人間には積み重ねる事ができる何かがあると思うのです。私達はまずまずいい世界に暮らしています。それは過去に死んでいった人間が今生きている私達をここまで押し上げてくれたからなのではないでしょうか。
その押し上げてくれた人類の運動のある部分が歴史といわれているものではないでしょうか。そのものすごい分厚い歴史を体現するものが中国だとするなら、これはものすごい事ではないでしょうか。

私の乏しい能力では、日本の近代を考える事が精一杯です。
誰か中国近代1000年の精神史を考えてくれないでしょうか。そこには絶対何かあると思います。

この本は内藤湖南の講演集です。
おもに江戸時代の儒学者、漢学者を紹介しています。 

私は漢学なんてほとんど知りませんから、漢学者を紹介されてもよく分からない、と言うのがこの本を読んでの正直な感想です。明治大正ではかなり漢学というものが盛んであったようですが、今はどうなんでしょうか。私は名古屋大学に行っていましたが、文学部漢学科なんて聞いたことないです。探せばあったかもしれませんが。

今の時代、保守というものでさえ儒学時代の人から見れば、情けなくなってあきれ果てる、という程度のものでしょう。戦前の教育を受けた人がもうほとんど生存していないわけで、時代というものは移り変わっていくんですね。

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