円空は江戸時代前期に、全国を巡って、多くの円空仏と呼ばれる独特の木彫仏を残した旅の聖である。彼よりによりほぼ1世紀後に、同じように全国に仏像を残した木喰と並び称される事も多い。彼は生涯に12万体もの仏像を造ったと言われているが、ちょっと計算してみれば、さすがに、そこまでは無理だろうと思える。しかし、全国に多くの円空仏が残されているのは事実であり、アルカイックスマイルを湛えた表情と大胆にデフォルメされたその姿は、素朴な力強さにあふれた不思議な魅力を発散している。

 「歓喜する円空」(新潮社)は、「隠された十字架」や「水底の歌」などの作品で古代史に大きな衝撃を与えた梅原猛氏が、全国の円空仏を訪ね歩き、謎の多いその生涯を解き明かすとともに、訪ね歩いた全国の円空仏についてその魅力について解説したものである。




 円空は1632年(寛永9)に美濃国、今の岐阜県で生まれた。彼の生涯には、2つの相反する説があるという。まず、円空は木地師だったかどうかということ。もう一つは生まれが、羽島市か郡上市美並町(旧美並村)かということである。

 初めて円空=木地師説を唱えたのは、劇作家の飯島匡だそうだ。その円空=木地師説を継承しながら、更に誕生の地を美並村として、美並村史を現したのが高野山大学教授、大谷大学教授を歴任した五来重だという。

 しかし、梅原氏はこれらの説に手厳しい批判を浴びせている。円空による仏像の制作法は木地師の使う手法とは異なり、羽島には文献も伝承も残っているのに、美並にはそれがないというのが理由だ。

 梅原氏は、五来氏について、「円空を芸術家としても認めず、単なる職人と見なして」おり、「円空の深い内面性に対して理解も関心も持たず、円空を木地師といる集団に還元すればよしとする態度である」とその舌鋒は鋭い。

 梅原氏が自伝とも言える「学問のすすめ」(角川文庫)に紹介している、ニーチェの思想に「ラクダ」「獅子」「幼子」というのがある。「人間の精神はまずラクダの形で現れる。ラクダの特質は忍耐である。黙々と自己に与えられた責務を果たすのである。次に、人間の精神はライオンに変貌する。ライオンの精神の特徴は勇気である。必死の勇気でドラゴンで戦う。そして最後に人間の精神は小児となる。小児とは、無邪気に創造をする者である。」というものだ。

 昔の梅原氏は確かに「獅子」であった。先に述べた「隠された十字架」や「水底の歌」などでも、既存の説を徹底的に批判し、権威に対して敢然と挑んでいた。しかし、最近は仏教関係の著作も多く、既に「幼子」の境地に達せられたかと思ったが、まだまだ「獅子」の片鱗を感じさせ、梅原節のファンとしては喜ばしい限りだ。

○関連過去記事
学問のすすめ(梅原猛)(角川文庫)
 (「時空の流離人」掲載)

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 (本記事は、「時空の流離人」と同時掲載です。)

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