世の中には、「理系人間」とか「文系人間」といった言葉があるようだ。単にその人間の知識や能力だけを表しているのなら問題はないのだが、性格や人格まで表すような使われ方をするとなると問題だろう。以前、私の持っている別のブログ「文理両道」に、 「理系と文系」という記事を書いたことがあるが、人間はそんなに簡単に理系だとか文系に区分できるほど単純な存在ではない。文豪森鴎外は医者だったし、小説家の森博嗣は建築を専門とする学者だった。

 しかし、学問自体には、「理系」、「文系」と区別しても差し支えないものが多いだろう。もちろん、きれいすっぱりと切り分けられるものばかりではないというのは言うまでもないことである。

 元々、人間には、「理系」、「文系」両方の分野でのバランスが取れた知識やセンスというものが必要なのだ。だから、「理系」と「文系」の両方に渡っての素養を身につけておくということは、誰にでも必要なことだし、その分野の素養を身につけていることが、世間で言われる「理系人間」だとか「文系人間」といった人間の性格に結びついたものとなるとは思わない。

 竹内薫氏による「理系バカと文系バカ」(PHP研究所)は、 「理系」とか「文系」とかのジャンルにとらわれずに、「文理両道」(著者は、「文理融合」とか「理文両道」という言葉を使っているが)を目指していこうという本であり、基本的にはその趣旨に賛成である。

 しかし、現実の社会はどうだろう。「理系」の学問を主に学んで来た者は、人間としても「理系」に分類されてしまい、日本社会では、「文系」人間に比べて、十分な処遇がされているとは言い難い。「理系白書」(毎日新聞科学環境部)によれば、文系出身者と理系出身者では、生涯年収になんと5千万円もの差がつくそうである。これでは、理系学部を目指す人間は少なくなり、また理系学部を出ても、いわゆる文系就職を目指すことになってしまう。ものづくり国家としては、なんとも寂しい限りではないか。

 また、書店においては、科学書が酷い扱われ方をしているらしい。書店に届いた科学書が、開封されもせずに送り返されるという事例を、著者は実際に目撃したそうだ。新聞などでも、 WとWhの混同、○○Vの電流(Vは電圧の単位)と言ったような、あまりにも基礎的な科学知識を欠いた表現は、あきれる位多く目にする。「文系」の分野を歩いて来た者は、「理系」の分野にアレルギーを持っている者が多いのではないだろうか。

 一方、いわゆる「理系」の分野を歩いて来た者は、案外「文系」の方面にも興味を持っている者が多いのではないかと思う。私なども、工学系の出身だが、経済学や経理などの勉強もしているし、文学作品などもよく読む。科学書を読まない「文系人間」はたくさんいても、小説を読まない「理系人間」は、それほど多くはないだろう。この本で、「文系人間」に「理系」の素養を付けることの方に比重を置いて記述されているのは、著者がサイエンスライターということだけではないような気がする。

 ひとつ疑問なのは、著者は「頭の悪い理系オタク」の例として、某研究所で大々的に発表した事に取材を申し込んだら、広報が忙しすぎて対応できないと断ってきた例や、有る科学者から取材時に、自著を宣伝してくれと頼まれたので、新聞のコラムで紹介したところ、掲載日を報告しなかったとして抗議されたといった例が示されていること。しかし、果たしてそれは「理系」だからなのだろうか。著者はサイエンスライターなので、当然「理系」の学者の相手をする機会の方が多いだろう。必ずしも、「理系」だからそんな人間がいるとは言えないのではないか。「理系」分野で働いている者にそのような人間が多いと決めつけるのは、それこそ「理系」らしからぬ偏見と言えるのではないだろうか。

 
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(本記事は「時空の流離人」と同時掲載です。)

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