三軒茶屋にあるビヤバー「香奈里屋」。そこは、色々な種類のビールに、絶品の料理、そしてマスター・工藤の細やかな心遣いで、常連客の憩いの場となっている。個々の常連客は、色々と身の回りで起こった奇妙な出来事を持ちこんでくる。それらの謎を、工藤が控えめながらも見事に解き明かしていくというのが、このシリーズの基本的な構成であり、この「螢坂」(北森鴻:講談社)でもそのパターンは踏襲されている。




 表題作の「螢坂」では、元カメラマンの有坂祐二が、偶然立ち寄った「香奈里屋」で、昔の恋人江上奈津美の友人植村洋子と再会する。「香奈里屋」は、奈津美のなじみの店だったのだ。有坂がカメラマンとしての将来をかけて、中東に旅立つ前、二人で歩いた螢の舞う思い出の「螢坂」。しかし、実際にはそのような地名はないし、東京のど真ん中で螢が舞う訳もない。そこには、奈津美のいじらしいような思いが込められていたのだ。美しくも悲しい話である。

 この作品は表題作の他に4編を集めた短編集となっている。各作品では、単に謎解きを示されるだけでなく、共通して人の「思い」と言うものが描かれているように思える。簡単に各作品で示される謎と描かれている「思い」を紹介してみよう。

・猫に恩返し
 一般の人には、世田谷線の踏切から裏側しか見えない、不思議な顕彰碑の謎と、焼鳥屋にたむろする人々のアイドルのような女の子への思い。

・雪待人
 駅前再開発の反対を続けた画材屋の女主人が、なぜか今になって店を閉めることにした。描かれているのは、かってパリに発った画学生の恋人への思い。

・双貌
 これは、作中作だけでなく作中作中作まで出てくるかなりトリッキーな作品だ。常連の脱サラ作家秋津が隅田公園で見かけたかっての同僚に関する謎と彼に関する思い。

・孤拳
 「香奈里屋」に通い始めて1週間の谷崎真澄が兄とも慕った今は亡き叔父の思い出の焼酎の秘密と明らかになる彼の思い。

 マスター・工藤による謎解きを縦糸に、登場する人々の「思い」を横糸にして、見事に織りあげられた、珠玉のような連作短編集だ。


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