副題が「『自我の社会学』入門と銘打った「自分とは何か」(船津衛:恒星社厚生閣)。本書は、放送大学教育振興会から出版された「自我の社会学」をベースに、修正、変更、再構成し、章を新たにひとつ加えて作られたものだ。つまりは、放送大学のテキストが元になっているということらしい。恥ずかしながら、生涯学習でもう10年以上放送大学の学生をやっているにも関わらず、この科目があったことには気がつかなかった。もっとも、専攻外の科目であるし、受講できる科目も多いので、無理もない事かもしれないが(言い訳)。


自分とは何か―「自我の社会学」入門
  • 船津衛
  • 恒星社厚生閣
  • 1950円
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書評



 さて、この本の内容を一言で述べれば、人間の自我というものは、孤立したものではなく、社会との関わりの中で形成されていくものだと言うことである。「ワレ思う、故にワレあり」と言ったのはデカルトだが、クーリーと言う人は、自我はそのような孤立的なものではないと厳しく批判したそうだ。また、G.H.ミードと言う人は、自我は他者の期待を取り入れる「役割取得」によってつくられると主張した。これは、アダム・スミスがその著書「道徳感情論」で主張した、人間は経験により、「胸中の公平な観察者」を作り出し、この「公平な観察者」が引き起こすであろう感情に照らして、他人の行為に対し賞賛したり憤慨したりするのであるということにも通じていると言えよう。

 少し、思考実感をしてみよう。仮に、人が、ただ一人で生まれてすぐに無人島に置いていかれたらどうなるだろう。思考実験なので、それでは赤ん坊が育たないだろうというツッコミはなしにしておいて欲しい。ここでは、社会と言うものが存在しない。その場合、人は言葉すら習得できないということは容易に想像できるだろう。人は他者との相互作用があってこそ自分と言うものを作り上げることができるのである。

 しかし、次に、それでは自我は全て「社会」の影響により作り上げられるのかという疑問が出てくる。例えば、まったく同じ環境で育った人は、同じ自我を身につけるのだろうか。これもありそうにない。これについて、ミードは次のように説明しているそうだ。自我は「主我」と「客我」から出来ている。「主我」は人間の主体性を指し、個性、独自性、想像性などを表しているが、「客我」は、自我の社会性を表し、他者の期待を受け入れることによって形成される。これは、パソコンに例えれば、OSとデータベースに例えられるかもしれない。OSは人によって微妙に異なりこれが個性になるのだろう。そして、このOSの下で、人は社会とのかかわりの中で独自のデータベースとして自我を形成していくのではないだろうか。

 本書を読んでもう一つ感じたのは、「社会学」というものの裾野の広さだ。この内容は、「心理学」といっても通用するだろう。こういったことも、「社会学」の研究範囲に含まれるということには少し驚いた。

 なお、この本は、「本が好き!」さまを通じて献本していただいたものです。お礼申し上げます。


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