1995年1月17日の早朝、なぜかふと目が覚めた。なんとなくいやな空気が漂っている。と思う間に、あたりがカタカタと揺れだした。広島だったので、それ以上のことはなかったが、かなり長い間揺れが続いたので、すぐさまテレビをつけた。地震速報を見るためである。しかし、揺れ直後には、目立った情報は出ていない。最初はどこで地震が起きたのかも分からなかった。しかし、阪神方面を襲った地震は、時間が経過するにつれ、その被害の深刻さが明らかになっていった。


災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
  • 中井久夫
  • みすず書房
  • 1260円
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書評



 「災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録」(みすず書房:中井久夫)は、当時神戸大学医学部の教授で精神病理学を専門とする著者が、震災後の、まさに戦場とも言える医療現場で戦った50日間の記録である。

 本書を通じて見えてくるのは、日本の普通の人たちの素晴らしさである。これは、この度の東日本大震災でも外国から賞賛の的となっていたが、阪神大震災の際にも、やはり人々の行動は素晴らしかった。例えば、自らも被災しながら、不眠不休で診療にあたる医療スタッフたち。不休で働き、3日目にやっとおにぎり一つにありついた研修医もいたという。街では暴動も起こらなかったし、この気に乗じて暴利をむさぼるような輩もいなかった。著者の友人の宝石商は、震災4日後に自分の店に行き、大破したショーウィンドウ越しに、指輪一つなくなっていないことを確認したそうである。

 これに引き換え、お役所の方はお粗末だ。もちろん、災害現場のために動いている人もいたということだが、中にはあきれた対応があったようだ。向精神薬が救援物資に含まれていないので、著者が、東京の精神科医に次々と電話をかけ、誰かに伝えて欲しいと頼んだところ、「麻薬取締法違反」ではないかとの異議があったという。また、二十四時間電話相談の開設に際しても、民間に特定の回線を割り当てることに対して大きな抵抗があったらしい。どうして、災害現場で働いている人を可能な限りサポートしていこう発想にならないのだろうか。

 これに関連して、心配なことが一つある。このような非常時には、災害現場では自分たちの判断で、出来る範囲で最適と思う事をやらなければならない。しかし、近年は、ISOの呪縛のためか、マニュアル主義が台頭してきた。目的を理解せずに、ただマニュアルに従ってやるマニュアル人間が増えているのではないだろうか。おまけに何かあるごとにマニュアルはどんどん厚くなり、とても普通の人間には対応できないようなものになっていく。経験もしたことのないような非常時には、マニュアルでは対応できないこともある。果たして、これからも同じような行動ができ続けるのだろうか。

 この度の東日本大震災でも、東北の人々は、日本人としての素晴らしさを見せてくれた。東北が、1日でも早く完全復興に近づくことを願ってやまない。

 なお、この本は、「本が好き!」さまを通じて献本していただいたものです。お礼申し上げます。


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