・もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか
・金沢優
・幻冬舎

 「もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか」というこのタイトルの問いかけに対して、あなたならどう答えるだろうか。もちろんその回答は「否」である。多くの人が中学、高校で6年間は英語を学んでいる。しかし、実際に英語を使いこなしている人がどのくらいいるだろうか。例え高校がもう1年長くなったにしても、同じような教育の延長では、英語ができるようになるとは考えられない。英語が本当にできるようになるには、学校英語の教え方を根本から変えなければならないというのが本書の主張である。

 本書は、読み書きはそれなりにできるが、リスニングやスピーキングがまるでだめな中学校英語教師・桜木真穂を主人公にして、どうしたら英語を使いこなせるようになるのかを小説仕立てで描いたものである。真穂は、英会話スクールに通ったり、オンライン英会話を試したり、教材を買いこんだりといろいろやっているのだが、いっこうに手ごたえが感じられない。ところが、踏切内に人が立ち入ったため、安全確認のために電車が停止した際に、たまたま「吉原龍子 英会話教室」の看板を見たことから、彼女の英語に対する取り組みが変わっていく。

 本書の主張する、英語と日本語とは根本的に違うものだということには賛成だ。巷ではよく直訳だの意訳だのという言葉があるが、昔から私には意味が分からなかった。元々違うものを直訳などできる訳がない。元の文章が意味するところのものを、いかに正確に伝えるかが翻訳というものだろうと思うのだが。

 もう一つ分からないのが、「語学留学」という言葉だ。単に外国語が話せるようになるために外国に行くことを通常は語学留学といっているようだが、まったくのナンセンスだ。「言語学」でも学びに行くのならともかく、どこに「学」があるのだろうか。

 本書の言うように、そもそも英語が教科扱いされているのもおかしい。言葉を身につけるというのは、コミュニケーションツールを身につけることなので、学問ではない。英語もコミュニケーションの道具なので、決して「語学」扱いするものではないだろう。

 本書で教える英語を学ぶための方法論には、賛同することも多いが、しいて言えば、もっと英語を学ぶ目的の重要性を強調して欲しかった。ネイティブといっても色々なレベルがある。日本語でもそうだが、北海道から沖縄まで、様々な訛りがあるだろう。スラングも数多くある。私なども、最近のギャル語などはさっぱりわからないし、同じ日本語なのにまったく聞き取れないような方言だって結構あるのだ。英語だって同じことだろう。

 英語を学ぶ目的は何か。将来貿易関係の仕事をしたいのか、外国に留学して科学を学びたいのか、それともイケイケギャル(外国にもいるのか?)といちゃいちゃしたいのか。それによりおのずとどのような英語をどこまで身につければいいのかも決まってくるだろう。英語が道具である以上、それの使い方ばかりに時間をかけてる暇など、普通の人にはないのだ。

 ところで、本書のストーリーは、真穂が旧態依然とした教え方を要求する英語の学年主任である阿蘇と戦っていくというものでもある。この阿蘇は従来の読み書き中心の英語以外は一切認めず、関係代名詞の説明の矢印が右向きか左向きかなんて下らないことに異常にこだわる人物として描かれる。要するに主人公の敵役なわけだが、こういう人物を登場させることにより、お話として面白さを与える効果を狙っているのだろうと思う。

 もう一人、この作品には、大変人が登場する。それが、真穂が通いだした英語塾の塾長である吉原龍子だ。この人物、とにかくエキセントリックで、さすがにこんな人はいないだろうと思うのだが、塾を実質切り盛りしている常識人の有紀となかなかいいコンビなのだ。この大変人ぶりも、ここまでいくと痛快でなかなか面白い。

 確かに、日本人は英語オンチだ。これを変えるために、文科省はまた大学入試で英語の試験を外部に丸投げなどしたりといったような事を行うようだが、お役人がやることでこれまでうまくいった試しはない。またまた世間を混乱させるだけで終わるだろう。そんなことをやるより、今日本にものすごくいる理科オンチの方をどうにかして欲しいと思う。でも、お役人が考えると、またろくでもない結果に終わるだろうというのが大きなジレンマではあるのだが。

 なお、本書は著者の金沢優さまからのいただきものです。ありがとうございました。

○姉妹ブログ
文理両道
時空の流離人