風竜胆の書評

コミックスから専門書まで、あらゆる本を読みます。元エネルギー企業の専任部長。現在は、ライター・書評家を標榜する自由人w 時に書評が過激になるのは、長州人の血? 現在「シミルボン」と「本が好き!」でも活動中。 執筆依頼、献本等歓迎します。右欄のメッセージ機能にてご連絡ください。 旧ブログ名:本の宇宙(そら)

2013年07月

電通「鬼十則」1




  世界最大の広告会社である電通には、「鬼十則」なる教えが存在すると言う。何でも、四代目社長で「広告の鬼」と言われた吉田秀夫が50年以上も前に書き残したものらしい。

 「電通『鬼十則』」(植田正也:PHP文庫)は、この「鬼十則」をひたすら賞賛するものだ。どのような内容かと言えば、

 1.仕事は自ら「創る」可きで与えられる可きでない

 2.仕事とは先手先手と「働き掛け」て行くことで受け身でやるべきでない

 3.「大きな仕事」と取り組め小さな仕事は己を小さくする

 こういった調子で、十の教えが並んでおり、それを一つ一つ、著者が解説しているという構成になっている。著者は、広告業界での経験を持つフリーライターであるという。そのためか、この本には、まったく批判精神が見られない。ただひたすら賛辞を捧げているのである。

 たしかに、良いことも書いてあるのだが、なんとも説教くさくて、私のようなへそ曲がりには、どうにも違和感がある。この十則は、ただ馬車馬のように働けと言っているだけで、何のために働けくのかと言うことが無いからだ。

 私なら最初に以下の2つを入れたい。

 1.仕事は会社のためと心得るな、仕事を通じて、自己実現を図れ。

 2.会社のための仕事ではない、お客さまに喜んでいただくための仕事である。

 これらが無いと、ただ「行け行けドンドン」とはっぱを掛けられているだけの会社の奴隷ではないか。

 ただ、著者は、この「自己実現」に関して、第7則の「『計画』を持て、長期の計画を持っていれば忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる」をそのようにも解釈している。もし、そうであるのならば、7番目に来るのは不自然である。目的というものは、本来一番初めに来るべきものだからである。ここは、単に仕事とは短期で考えるなと言っているにすぎないと思うのだが。

 そして、最後にも、もう一つ入れたい。

 「考えろ、そして実行せよ。」と。

※ 本記事は、2006年09月16日付けで「時空の流離人」に掲載したものに加除修正を加えたものです。



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『性別がない』ということ4




 本書は、インターセックス(両性具有)作家を名のる新井祥さんが、自らの体験をもとに、「性別」ということについての考えを綴ったエッセイである。新井さんは、30歳までは女性として暮らしており、桜塚やっくんのスケバン恐子のキャラクターを発案した人としても知られる、俳優で演出家の新井一貫氏と結婚もしていた。

 新井さんがインターセックスというのは、染色体が男性、女性の二元論では決められないからである。インターセックスと分かったのは31歳の時に染色体検査をしたからだが、それまでは、ホルモンの影響で、体つきが女性化したり男性化したりと変化していたそうだ。それに伴って、心の方も女性化したり男性化したりしたというから、本当にホルモンの働きというのは不思議なものである。女性化している時期には、彼氏もできて、<小さくて可愛いものが好き>だとか<恋人しか興味ない>とかいった<ありがちな女モード>になっているが、男性化している時期には、彼氏ではなく彼女をつくって交際していたという。元夫の一貫氏と知り合ったのも、その元カノの女性の彼氏として紹介されたことがきっかけだったらしい。だから、祥さんの元カノは元夫の元カノということにもなってしまって、本人も書いている通り、なんだかややこしい。

 男性と結婚していた位だから、いくら男性化する時期があったとしても新井さんの体のつくりは女性形が基本なのだろう。しかし、最終的に新井さんが決心したのは、男性としての外見で暮らす事。きっかけは、20代後半に元夫との関係が停滞期に入って、男性化が再発してしまったからのようだが、ホルモン治療と縮胸手術を行っており、もうこのまま外見は変わらないらしい。最初に男性ホルモンを注射した医者からは<もったいないからやめたほうがいいと言われた>そうだ。確かに、今の日本は女性の方が恵まれているかもしれない。デパートに行っても圧倒的に女性ものが多いし、トイレで切羽詰まった際には、おばちゃんたちは平気で男子用に入ってくるし・・・。今の姿は、あごひげ金髪おじさんということだが、犬の散歩をしていて、酔っ払ったちんぴらに絡まれたりと、ろくなことがないみたいだ。

 いずれにしても、性というものは、単純な二元論では片付けられない多様性を持っているということだ。だから、その二元論から外れていても、決しておかしいことはないのである。本書は、そんな性というものの本質について考えさせてくれる。



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特等添乗員αの難事件5




 主人公・浅倉絢奈のビキニ姿の表紙イラストがとても魅力的な「特等添乗員αの事件簿検(松岡圭祐:角川文庫)。このシリーズも、これが4作目になる。

 今回、絢奈が対決するのは、同じラテラルシンキングの使い手、ミン・ミヨン。その能力を駆使して、運賃、飲食費、宿泊費などを踏み倒しながら、世界中を豪勢に旅しているという、謎の美女である。日本に潜入していたミヨンは、既に出国し、現在はハワイのオワフ島にいるらしい。観光庁に勤務する官僚で、絢奈の婚約者・壱条那沖は、ホノルル警察に協力するためハワイに飛ぶ。ツアーの添乗でハワイを訪れた絢奈は、那沖のためにミヨンと対決すると言う訳だ。

 ところが、いつものように、那沖と絢奈の間には、ちょっとしたトラブルが発生している。家同士の付き合いがある藍岐家の娘・瑠華が、自称婚約者として割り込んできたのだ。もちろん那沖は絢奈一筋で、彼の両親も絢奈を気に入っているのだが、政治家の家のこと、色々なしがらみもあり、あまり邪険にもできないということで、これが絢奈を怒らせることになる。おまけに瑠華は、勤務する会社の保険調査員として、那沖に同行してハワイまでやってくるのである。

 本書は、「人の死なないミステリー」と銘打ってある通り、一番大きな読みどころは、絢奈とミヨンの対決である。ミヨンが、遊覧船に無賃乗車していたはずのその時刻に、絢奈はキカイダーショーに出演しているミヨンを目撃していた。絢奈がいかに、このトリックを、得意のラテラルシンキングを駆使して暴いていくかが、この作品のメインストーリーなのである。

 同時にこれは、光と影のように両極端に相対する者の対決の物語でもある。同じラテラルシンキングの使い手でありながら、絢奈とミヨンは正反対の道を歩んでいる。そしてこれに、名前だけ出てくる凛田莉子と瑠華との対比も加わる。絢奈の評価によれば、瑠華は、莉子の性悪版。マイペースで独善的なところも目立つ。もっとも、これは、彼女の父親の影響が強いようであるが。莉子は直接登場はしないものの、この対比も忘れてはいけないだろう。

 那沖とのラブロマンスの方は、お決まりのパターンを踏襲している。毎回二人の仲がピンチになりそうな事件が起きて、これが解決することで、最終的には一層絆が深まる。「雨降って地固まるのパターン」だが、これは女性ファンを意識してのことだろうか。

 そして、本書に含まれているもう一つの重要なテーマは「救済」だろう。絢奈のために警察に捕まることになり、「永遠に呪い続けてやる」と思っていたミヨンも、絢奈の真意を知って、最後は涙を流す。また、自称婚約者の瑠華も、父親の影響から抜け出し、新しい恋に歩み出す。軽快にサクサクと読めるのに、思ったより色々な読みどころがあり、なかなか楽しいミステリーである。


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魚舟・獣舟5




 上田早夕里による5つの短編と1つの長編を収めた作品集、「魚舟、獣舟」(光文社文庫)。表題作の「魚舟、獣舟」は、短編の一つだが、その世界観にまず驚く。

<我々の一族の女は妊娠すると必ず双子を産む。双子のいっぽうはおまえたちと同じようにヒト型だ。」だが、もういっぽうは魚の形で生まれてくる>(p13)

 この世界では、人が魚を産む。その魚が成長して巨大になると、双子の片割れのヒト型の方は、その魚の背中に住み、<操舵者>と<舟>の関係を結ぶ。これがタイトルの<魚舟(うおぶね)>だ。一方<獣舟(けものぶね)>とは、双子の片割れと操舵者としての関係を結べなかった<舟>のことだ。<獣舟>はやがて海を離れて陸に上がるという性質を持つ。しかし、陸に上がると、人間たちに殺されてしまう。かって、自分のいたずらのせいで、自分の片割れを傷つけ、操舵者になる資格を失った美緒。上陸しようとする朋を、海に帰そうとするのだが・・・。

 こんな不思議な世界を描いた作品。最初のうちは、異世界ファンタジーものかと思っていた。しかし、読み進めるうちに、これが陸地の大部分が水没した未来世界を描いたSF作品だということが分かってくる。ゲノムや進化ということをモチーフに紡ぎだされる、思いもよらない未来世界。感じるのは、圧倒的な存在感と哀しみ。ヒトがゲノムをいじっても、進化はやがて、人間の思惑など超えて進んでいくということなのだろうか。

 その他、短編として、人間を食い尽くす寄生茸が蔓延する世界を描いた「くさびらの道」、人工知性体の男の最後の選択「饗応」、妖怪と人間が共に暮らす街での事件を描いた「真朱の街」、そしてかって暮らした麻莉絵との愛の思い出「ブルーグラス」。長編としては、女性ばかりを狙うシリアルキラーの生い立ちと心理を描いた「小鳥の墓」。こちらは、サイコ風味「車輪の下」未来編という感じだ。、


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「余剰次元」と逆二乗則の破れ4





 我々の住んでいるこの3次元空間は、もっと高次元の空間の中に浮かんでいるという理論がある。3次元を超える「余剰次元」は、少し前までは観測不能なほど小さくコンパクト化されていると考えられていたが、アルカニハメド、ディモプロス、ドバリの3人が提案したADD模型によれば、もっと大きい可能性があるという。

 自然界には、「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4種類の力が存在するが、この中で重力のみが他の力に比べて、極端に弱い。しかし、この重力こそが3次元のブレーンを超えて、余剰次元まで伝搬する可能性があるというのだ。本来重力は、他の力と同様の強さを持つ力なのだが、他の力のように3次元空間に閉じ込められていはいないために、遠距離では弱まって見えるということである。それを証明するにはどうしたらよいか。これは、原理的には意外と単純だ。

 表題の「逆二乗則」というのは、高校物理でも習うように、2つの物体に働く重力は、その距離の逆二乗に比例するということである。実はこの法則は、空間が3次元であることによって成り立つものであり、近距離において成り立たなくなることを示せば、余剰次元の存在の証明に繋がる。ところが、実際にやるとなると非常に難しい。近距離になるほど、ノイズの影響が大きくなるからだ。しかし、2007年には、ワシントン大グループが、0.01%という精度で、重力は逆二乗則と矛盾がないことが示されたそうだ。本当に、余剰次元はあるのか。著者は、「超弦理論」の要請からは、余剰次元の存在は不可避に見え、重力は、余剰次元の存在を示すための唯一の武器であることは確かだという。

 ブルーバックスには、時にかなりマニアックなテーマを扱ったものもあるが、本書もかなりのマニアックでな内容だろう。「余剰次元」や「逆二乗則」という言葉だけでも、大部分の人は頭の上を「?」マークが回ってしまうのではないだろうか。それでも、多くの図を使ったり、これまで行われてきた実験を図解で説明したりと、できるだけ分かりやすくする工夫はされている。また、関連する話題についても広く紹介されており、ある程度物理学に興味がある人なら、十分読みこなせると思う。「余剰次元」の存在はまだ証明されていないようだが、夢のある内容ではある。



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殺生伝 疾風の少年5




 九尾の狐と言えば我が国の伝説の中でも、最凶の妖と言っても良いだろう。玉藻前という絶世の美女の姿で宮廷に入り込み、害を成していたが、やがて正体を暴かれ、安倍泰親率いる軍勢によって討伐された。しかし、そのためには数万の兵を必要としたという。九尾の狐は、討伐された際に「殺生石」という毒石に変化して、近づく者の命を奪っていたが、玄翁和尚という高僧によって、打ち砕かれ、その欠片は各地へ散って行ったと伝えられている。本書は、この殺生石をモチーフにした伝奇小説だ。作者は、「心霊探偵八雲」シリーズなどでおなじみの神永学である。

 ヒロインは、咲弥という亡国の姫。生まれた時から体に殺生石の欠片を宿し、それを狙う武田の軍勢に追われている。咲弥の体に宿る殺生石の欠片は、生き物の命を吸うことにより力を蓄えていき、やがては九尾の狐が復活してしまうという。優しい咲弥は、このことに心を痛めているが、だからといって死ぬこともできない。たとえ咲弥が致命傷を負っても、殺生石が、周りの生き物の命を吸って、傷を治してしまうからだ。ただ一つの希望は、那須岳にあるという、玄翁和尚が殺生石を砕いた「封魔の槌」。咲弥を守るのは、元々の護衛役である紫苑、咲弥を助けた少年の一吾、玄翁和尚の志を継ぐという玄通、そして凄腕の忍者だが、何か思惑のありそうな無明と矢吉。敵は、武田晴信(信玄)を操る魔人山本勘助とその手先の妖魔、これに武田の忍びである百足衆が加わり、咲弥たちの行く手を阻む。

 殺生石を宿すという非情な運命を背負った咲弥。育ててくれた真蔵を、妖魔との戦いで失った一吾。二人は、果たして自分たちの運命を切り開いていけるのか。無明たちの思惑は、いったい何なのか。また、この作品では、殺生石は9つに割れたことになっており、ひとつは咲弥の体に宿っているが、後の8つは、果たして物語に大きく関わってくるのか。この巻では、壮大な物語の幕開けといった観が強く、これからの展開に期待を持たせてくれる。


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妖怪文化入門4




 「神隠しと日本人」などの著作でも知られる妖怪研究の第一人者、小松和彦さんの「妖怪文化入門」(小松和彦:角川ソフィア文庫)。本書は、総論となる第1部「妖怪文化への招待」と各論になる第2部「妖怪文化研究の足跡」の2部構成となっている。

 第1部は更に「妖怪文化とはなにか」と「時代と文化を超える『妖怪』」の2つから構成されており、前者は、2005年から2006年にかけてパリの日本文化会館で開催された「妖怪展」の図録に寄稿した論考の日本語版ということである。また項後者は、2003年に仏教大学文学部の学科再編を記念するシンポジウムで、京極夏彦さんと行った基調講演の記録を改題したものだそうだ。

 第2部は、妖怪文化研究史に足跡を残した研究論文のアンソロジー「怪異の民俗学」の解説を集めたものである。「憑き物」、「妖怪」、「河童」、「鬼」、「天狗と山姥」、「幽霊」、「異人・生贄」、「境界」といった代表的な妖怪に関するテーマ毎に、多くの研究の紹介がされ、各テーマに関する著者の見解が述べられている。これらは、著者が後書きでも書いているように、「妖怪文化論入門」ではなく、「妖怪文化研究の足跡」への案内・入門だ。

 妖怪には、3つの意味領域があるという。すなわち、「出来事としての妖怪(現象ー妖怪)」、「超自然的存在としての妖怪(存在ー妖怪)」、「造形化された妖怪(造形ー妖怪)」である。この3つの意味領域は、我々日本人が、豊かな妖怪文化を発展させてきた過程にもなっている。例えば、怪異現象が共通体験として語り継がれていく過程で「小豆洗い」とか「天狗倒し」といったような名付けが行われ、それが超自然的な妖怪という存在が引き起こしたものだと考えられるようになる。更には、その存在が、絵師たちによって造形化され人々に共有化されていく。この造形化に、妖怪の玩具や遊戯、着物のデザインといった領域への進出に繋がっていったということだ。もちろん、今のように妖怪がポピュラーになった功績は水木しげるさんによるところが大きいのは間違いないが、その基礎が、我々の文化の中で、こういった過程により育成されてきたという指摘には納得できるものがある。

 著者は、妖怪を研究する事は、日本人の精神文化を理解する事に繋がり、そのためにはエティック的な研究(観測と統計を元にした科学的な研究)とエミック的な研究(研究対象の社会・文化の側からの意味づけ)の両面が必要だと書いている。これにも同感だ。

 巻末には、各パート毎に詳細が参考文献一覧が添付されており、この方面の研究を志す人や、妖怪に興味を持ってもっと深く勉強したい人などには、大いに役立つだろう。妖怪文化研究へのガイドブックとしては最適な一冊だ。


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H30.7.26.「シミルボン」にインタビュー記事掲載

2019.2.23.「本が好き!」×「書店フェア」で「あなたの街で本と出会う Vol.2」に「こころを彩る徒然草」のレビュー掲載

2019.04.28.【本が好き!×カドブン】コラボレビュー!第4回『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』の書評が掲載

2020.01.24.「貧乏大名“やりくり”物語 たった五千石! 名門・喜連川藩の奮闘」が「新刊JP」に掲載

2020.02.04.『どんなことからも立ち直れる人』の書評が「新刊JP」に掲載
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