風竜胆の書評

コミックスから専門書まで、あらゆる本を読みます。元エネルギー企業の専任部長。現在は、ライター・書評家を標榜する自由人w 時に書評が過激になるのは、長州人の血? 現在「シミルボン」と「本が好き!」でも活動中。 執筆依頼、献本等歓迎します。右欄のメッセージ機能にてご連絡ください。 旧ブログ名:本の宇宙(そら)

2016年08月

水底の棘 法医昆虫学捜査官5


・水底の棘 法医昆虫学捜査官
・川瀬 七緒
・講談社文庫

 本書は、「法医昆虫学捜査官」シリーズの第3弾にあたる。単行本まで含めると、このシリーズは既に4巻刊行されているが、本書は文庫版としての最新刊だ。

 主人公は赤堀涼子という法医昆虫学者。法医昆虫学とは、昆虫に関する知識を使って、事件の解明をしていくという学問らしい。大学名はこの巻では明らかではないが、涼子は、どこかの大学の准教授のようだ。年齢は36歳だが見かけは女子高生。喋り方もとても大学の准教授とは思えない軽さである。おまけに報告書を書かせると、誤字脱字のオンパレードに文法無視。しかし、昆虫(およびムシと呼ばれるもの)に関しては、ものすごい知識を持っている。

 今回の事件は、涼子が荒川と中川の合流地点にある中州で変死体を発見したことから始まる。害虫駆除会社「大吉コンサルタント」の代表である後輩の辻岡大吉を手伝っていた時に、音響トラップに寒冷期には繁殖しないはずのホオグロオビキンバエが掛かっていたことから、辺りを調査して死体を発見したのである。

 身元不明の死体の手がかりは、気管支から出た216匹のコケシガムシ、頭の傷から出たカマキリの足と毛虫の棘らしき微物、そして動物や昆虫に食い荒らされて消えかかった入れ墨と死体の持っていた割柄ドライバー。

 この作品のユニークさは、ミステリーに昆虫学を結び付けたところだろう。ミステリーにいろいろな学問分野を結び付けた作品は多いが、昆虫学というのはあまり聞いたことがない。著者の経歴を見るとデザイン系の人のようで、昆虫学を専攻していた訳ではないようだ。しかし、養老孟司さんのように、専門は別のところにあっても、虫好きという人は結構いる。著者もかなりの虫好きと推察する。

 そんな虫に関する知識を活かしながら、警視庁の解剖医・九条が下した「絞殺」という所見を崩して、真相を解明していく過程はなんとも面白い。

 脇を固める人たちも魅力的だ。涼子と組んで事件を操作する警視庁の岩楯刑事と鰐川刑事など、みなそれぞれに個性的である。

 久しぶりに面白いミステリーに出会った。また折を見ながら、他の作品も読んでみたいものだと思う。

※本記事は、シミルボンに掲載したものです。
 

○姉妹ブログ
文理両道
時空の流離人

超チーム力 会社が変わる シリコンバレー式組織の科学4


・超チーム力 会社が変わる シリコンバレー式組織の科学
・リッチ・カールガード マイケル・S・マローン、(訳)濱野 大道
・ ハーパーコリンズ・ ジャパン

  「三人寄れば文殊の知恵」という諺があるように、一人でなにかをしようとするよりは、チームで取り組んだ方がうまくいく。しかし、勝つチームがある一方で負けるチームも存在する。本書は、この勝つチームを作り上げるにはどうすればよいかを、人類学、社会学、精神科学、認知科学などにおける最新の知見と照らし合わせて、論じていこうというものである。

 人間の本質は協力し合うことであり、チームを作って問題に取り組むものだという。人間は、徹底的に社会的な生き物なのである。だから。革新的な仕事をやり遂げた人には、必ずパートナーがいた。スティーブ・ジョブズしかり、ビル・ゲイツしかりなのだ。日本でも本田宗一郎と河島喜好の組み合わせはすぐに思いつくだろう。

 学問の世界でも同様だ。時空の概念を根本から変えたアインシュタインだってそうなのだろう。あの一般相対性理論を確立するためには、リーマン幾何学という高度な数学が必要だった。それをアインシュタインに教えたのが、友人で数学者でもあるグロスマンだったのだ。

 本書で主張されているように、チームを組むうえで大切なのは多様性だ。同質の人間の集まりからは、決して革新的なものは生まれない。いろいろな考え方の人が集まり、そこで化学反応を起こしてこそ、新しいものが生み出されるのである。

 本書は、このようなチームというものの特質、マネジメントにおける留意点などを、ペアリングから1500人規模の組織に至るまで、多くの事例とともに示している。もしあなたが、チームを率いて何かをやらなければならない立場なら、ぜひ目を通しておいた方がよいだろうし、経営層の人間にとっても多くの示唆に富んだ内容だろう。

 なお、本書は、「フロンティア・エンタープライズ」さまを通じてのいただきものです。ありがとうございました。

○姉妹ブログ
文理両道
時空の流離人

風土記の世界4


・風土記の世界
・三浦佑之
・岩波新書

 風土記という言葉をまったく聞いたことのないという人はおそらくいないだろうと思う。時折、紀行文やテレビ番組のタイトルなどにも使われることもあるが、本来の風土記は、和銅6年に、当時の律令政府が発した以下のような命令に対する報告文書であり、正式には、「解」と呼ばれるものである。

<五月甲子 (制すらく)畿内と七道との諸国の郡・郷の名は、良き字を着けよ。その郡の内に生れる、銀・銅・彩色・草・木・禽・獣・鳥・虫等の物は、具に式目を録し、土地の沃塉、山川原野の名号の所由、また、古老の相伝ふる旧聞異事は、史籍に載して言上せよ。>(「続日本紀」和同6年5月2日)(p3)

 しかし現在まとまった形で残っている風土記は、常陸、出雲、播磨、豊後、肥前の5か国のみだそうだ。しかし幸いなことに、後世の文献に引用された逸文が数多く存在しており、私たちは古代の姿を窺うことができるのである。本書は、この風土記とはどのようなもので、何が書かれているのか、どういったところが面白いのかなどを解説したものだ。

 風土記と言えば、我が国の正史とされる日本書紀との関連が問題になるだろう。本書は、日本書紀のタイトルは、本来「日本書」の「紀」であったという立場をとっている。その根拠として挙げているのが中国の史書との関係だ。

 古代日本が手本にしていたのは中国だった。当然史書についても中国を手本にしていたはずだ。その中国の史書は、国名を冠して「○○書」とするのが漢書以来の通例であり、「紀」、「列伝」、「志」から成り立っているのである。

 だから、日本書紀は、元々は、歴代天皇の事績である「紀」、皇子や臣下の事績である「列伝」、王朝の治世の記録である「志」構成されるはずだった。しかし、何らかの理由で後の2つの計画が頓挫し、「紀」だけが作られたという。風土記はこの「志」の中の「地理志」を編纂するために集められたというのだ。

 本書に面白い説が紹介されている。もともと「日本書紀」のタイトルは「日本書 紀」すなわち「日本書」の下に小さく「紀」と書かれていたものだった。これが、写されていくうちに、いつの間にか「日本書紀」になってしまったというのだ。当時は印刷技術などはないから、本は写本という形でしか増やせなかった。当然、写していく過程で、原本との相違がどんどん増えていくだろう。この説は、十分あり得ることだと思う。

 このようなことは、決して学校では教わらないことだが、我々のような素人にも極めて納得性の高い根拠だろうと思う。私を含めて殆どの人は、何の疑いもなく「日本書紀」というタイトルを受け入れていたのでなないだろうか。たかがタイトルではないかと思ってはいけない。どんなことでも、通説に疑問を挟む余地はないかと考えてみる。この姿勢が学問を発展させていくのだ。いや学問のみならず、ビジネスなどのあらゆる場面においても通用する真理ではないかと思う。

 本書では、まずこのように風土記と正史である日本書紀との関係が最初の章で述べられ、次いで現存風土記の概説、常陸国風土記、出雲国風土記、残りの現存3風土記について、それぞれ章を割いて解説している。これらの中から特に興味深かったことを紹介してみよう。

 まず「常陸国風土記」である。これには、記紀における悲劇の英雄、ヤマトタケル(表記は倭武)が天皇として登場するという。また神功皇后についても「息長帯比売(オキナガタラシヒメ)天皇」との記載があるようだ。

 常陸国風土記が提出されたのは、日本書紀成立前と推測されているので、著者が言うように、当時そのような伝承もあったことは間違いないだろう。おそらく、古代の歴史書の編纂とは、正しい歴史を記すというよりは、多くの伝承の中から、取捨選択をしていくという行為だったのだろう。本書では、正史からヤマトタケル天皇が消えた理由も一応の推測はしているのだが、これはいまひとつすっきりしない気がする。

 どの伝承が選ばれるかには、当然のことながら何らかの作為が入ってくる。それはもちろん、当時の為政者の意思にほかならないと思うのだが、いったいなぜと想像してみるのも面白いだろう。

 次に、「出雲国風土記」だが、これには多くの疑問があるようだ。そもそも風土記とは中央政府の出した命令に対する回答である。だから提出するのは、政府から派遣された国司のはずだ。ところが出雲国風土記は、それに代わって国造の名が記載されているのだ。おまけに日付は、和銅6年の命令から20年も経ったもの。本書は、これを命令に対する「解」とみなしてよいものかと疑問を投げかけている。

 ここで、国造とは律令前、地方豪族にその国を治めさせるために与えた官職だ。国司制度が敷衍されるとともに廃止されていったのだが、なぜか出雲には国造が残った。実はこの国造家は現在でも残っており、出雲大社の宮司はこの国造家が務めている。

 なぜ出雲に国造家が残ったのかは分からないが、出雲が特別な地だったことは確かだろう。358本の銅剣が発見された荒神谷遺跡や、39口の銅鐸が発見された加茂岩倉遺跡など、近年その痕跡が多く発見されている。確かに、出雲には何かが存在したのだ。考えてみれば、これは邪馬台国に勝るとも劣らないロマンではないだろうか。

 記紀だけでは味わえない古代伝承の世界。それは私たちに残された貴重な文化遺産でもあるのだ。しかし、我々一般人には、とても風土記を原文で読むような知識も時間もない。せめて本書のようなもので、その面白さの一端にでも触れることができれば幸いだろう。

※本記事は「シミルボン」に掲載したものです。

戦力「内」通告 ハーバードが教えてくれない「本当に生き残れる社員」4


・戦力「内」通告 ハーバードが教えてくれない「本当に生き残れる社員」
・ダン ラスト ,(訳)武藤 陽生
・ハーパーコリンズ・ ジャパン

 本書に述べられていることを端的に表すとすると、以下の述べる2つになるだろう。まず一つ目は、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」ということだ。これはよく知られた孫子の言葉だが、ビジネスの世界においても当てはまるものである。

 ここで「彼」とは、ビジネスの場において、自分を取り巻く、上司、同僚、部下、顧客といったものだろう。世の中には様々な人間がいるものだ。うっかりしていると足元を救われる。また人には多面性がある。一面だけ見てその人に反感を持ってもいけないのだ。本書が教えるのは、注意深く観察すること、判断のための情報を集めることなどだ。そのうえで適切な行動をとっていく。決して、一時の怒りにまかせて短絡的な行動をとってはいけない。それはかならず自分に跳ね返ってくるのからだ。

 そして「己」を知ることも大切だ。失敗は、なぜ失敗したのかを自分のこととして考える。それが自分の成長に繋がるのである。自分の能力を把握しておくことも大切だ。何ができて何ができないのか。それを知ったうえでどのような行動をとっていくのか。自分自身をよく理解しておかないと、誇大妄想のような自信家になったり、必要以上に自分を卑下したりということになりかねないだろう。

 そしてもう一つは、いかにして自分のことを相手に知らしめるかということだろう。いくら能力があっても、それがキーパーソンに伝わっていなければなんにもならない。世の中には、隠れた才能を見つけ出してくれるような名伯楽なんて、そうそういるものではないからだ。

 本書は、このようなことを、多くの事例を示しながら教えてくれる。もちろん著者の住んでいる米国と日本では雇用慣行も違う。著者も経験したようだが、何か悪いことでもしない限り、いきなりリストラを宣告され、直ちにパソコンを取り上げられて、私物だけを持って会社から放り出されるということは日本ではまず考えられない。しかし、本書に述べられている考え方自体は日本でも役立つに違いない。これからキャリアを積んでいこうとする人は、一読しても損はないものと思う。

 なお、本書は、「フロンティア・エンタープライズ」さまを通じてのいただきものです。ありがとうございました。

○姉妹ブログ
文理両道
時空の流離人

 

女性芸能の源流 傀儡子・曲舞・白拍子4


・女性芸能の源流 傀儡子・曲舞・白拍子
・脇田 晴子
・角川ソフィア文庫

 本書は、中世における女性芸能の流れを追ったものだ。我が国の伝統芸能は神楽から始まる。中世の神社には、巫女がいて、神楽を奉納していた。この神楽から出発して、出雲の阿国に至るまでの女性芸能の流れが詳しく語られる。

 巫女とは、霊能力を持ち、神の託宣を取り次ぐ者だ。神の託宣を取り次ぐためには、神を喜ばせなければならない。そのためには、巫女は舞が堪能でなければならなかったという。しかし、巫女には、寺社に奉仕している者ばかりでなく、民間の歩き巫女のような存在もかなりいたらしい。彼女らの奉じている神には、怪しげなものもあったようである。

 これに次いで本書に出てくるのは傀儡女(くぐつめ)だ。傀儡というのは操り人形のことだ。傀儡女とは男の傀儡子なども含んだ漂泊集団に属する女性のことである。決して女性型の操り人形のことではないので、誤解なきよう。男は、傀儡廻しや軽業、奇術を行い、女は今様が得意で春をひさいでいた。傀儡女は歌がうまく、姿が美しく、女だけをとれば遊女(あそびめ)と変わらないという。

 この遊女については、傀儡女との違いはよく分からないが、傀儡子から分化して女のみの営業となり専業化したものかもしれないと、著者は推測している。彼女たちは、今様の芸のうまさで売っていた。緋袴をはくことが多かったという。だから、江戸時代の遊女とはだいぶイメージが違う。なんと普賢菩薩の化身とあがめられていたころもあったようだが、時代が下るにつれ、罪業の深い身とされるようになってしまったのだ。高級遊女は教養も高く、歌が勅撰集に収録される者もいたという。

 そして、源義経の愛人・静御前で有名な白拍子女だ。彼女たちは、傀儡女から出てきたらしい。平家物語に伝わる、白拍子・祇王の悲しい物語も有名だろう。白拍子とは、数え上げるように謡うのが特徴だという。白拍子女は今様も謡ったが、白拍子の歌謡と舞を演じた。水干、太刀、烏帽子と男装をして舞うのが特徴のようだ。この時代から男たちは男装の麗人に萌えていたのだろうか。

 次に曲舞女(くせまいめ)だ。曲舞は鎌倉末期頃から流行した。曲舞女は白拍子の芸を受け継ぐ存在だという。曲舞は、次第と呼ばれる一節で始まり、同じ文句の次第で終わるという特徴がある。元々は男曲舞もあったようだが、結局女曲舞だけが残ったという。扮装は長絹の直垂に立烏帽子だ。

 本書はこれらの女性芸能についてそれぞれ詳しく説明した後、最後に瞽女、鳥追女、女猿楽にも簡単に触れている。そして、これらの中世女流芸能の総まとめとして出てきたのが、かの出雲の阿国だというのだ。つまり、阿国はいきなり世に出てきたのではなく、このような女流芸能の流れの中から現れたのである。阿国の出現は、近世芸能の幕開けだった。

 本書に示される、中世における女性芸能の歴史はなかなか興味深い。寡聞にして同じような内容の本を知らないが、本書を読んで、女性芸能にこれだけ多彩な芸能の流れがあるというのは驚きだった。ただ、本書を読むには、伝統芸能に関する知識がある程度ないと苦労するかもしれない。普段は科学技術関係に軸足を置いており、芸能方面には疎い私もそうだった。しかし、歴史物を観たり読んだりする場合には、このような知識があれば、より面白くなることだろう。

※本記事はシミルボンに掲載したものです。

○姉妹ブログ
文理両道
時空の流離人

 

また本が増えた



 雑誌を買いに近所の書店に行った際に、古書コーナーで見つけて、思わず購入した2冊。最近は、かなり処分を進めているのだ、溜まる方のスピードが速い。これだけ買って読めるのかと聞かれれば、もちろん「読めませんとも、はい!」と開き直るしかない(笑)。

星間商事株式会社社史編纂室4


・星間商事株式会社社史編纂室
・三浦しをん
・筑摩書房

 本書は、タイトルの通り星間商事株式会社社史編纂室を舞台とした物語だ。この社史編纂室というのは、いつまでたっても完成しない社史を作リ続けている部署で、究極の左遷先のようなところである。だから、所属員も変な人たち。

 主人公は川田幸代という女性だが、オタクで腐女子。友人2人と同人活動をしている。みっこちゃんは、無駄に元気な女子だ。ボーッとした言動だが、元営業部で海外での交渉にも同行したことがあるらしい。みっこちゃんから、ヤリチン先輩と呼ばれている矢田信平。専務の愛人に手を出したためにここに飛ばされてきたとか。しかし、みっこちゃんは、彼に気があるようだ。

 社史編纂室の本間課長は、定年まで1年の窓際でゆるゆるな人物。なぜ、首にならないか不思議に思われている。極めつけは、ここの室長。なんと、課長以外は、誰も見たことがなく、幽霊部長と呼ばれている。

 幸代が腐女子で同人誌を作っていると知った本間課長が、社史編纂室でも、同人誌をつくろうと変なことを言い出す。自分の若い頃の情熱が蘇ったというのである。

 全体を流れる、ゆるゆるした雰囲気。挿入される、幸代のホモ小説と、課長のなんだかよく分からない小説。ところが、編纂室の面々は、社史を作る過程で、サリメ二での黒歴史に行き当たる。この会社、女子社員に枕営業をさせようとしたり、専務が女子社員と不倫をしたりと、かなりとんでもないことをしていたのだ。これが明らかになっては困る専務一派が露骨に圧力をかけてくる。

 正確な社史をつくろうと、社史編纂室の面々がとった、起死回生の方法とは。あれだけゆるゆるとしていた編纂室のメンバーが、一致団結して専務一派を出し抜くところは、なんとも痛快だ。


○姉妹ブログ
文理両道
時空の流離人

続きを読む
livedoor プロフィール

風竜胆

記事検索
Archives
訪問者数
  • 累計:

メッセージ
Recent Comments
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
Blogチャート
メディア掲載等

H23.3:書評コミュニティ「本が好き!」より「免許皆伝」称号を受ける

H23.3.16:読売新聞朝刊“読者のホンネ”に「カラスと髑髏―世界史の「闇」のとびらを開く」の100字書評掲載

H25.10.26発売の図書新聞(3132号、2013年11月2日号)に「泥棒は几帳面であるべし」の書評掲載

H26.6,28発売の図書新聞(3165号、2014年7月5日号)に、「市場主義のたそがれ―新自由主義の光と影」の書評掲載

H28.8頃より「シミルボン」への投稿開始

H29.7.4「彗星パンスペルミア」の書評が「新刊JP]に掲載

H29.10.19「ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」の書評が「新刊JP」に掲載

H29.11.24「ペンギン・ハイウエィ」の書評が「新刊JP」に掲載

H29.12.26.「ニッポンの奇祭」の書評が「新刊JP」に掲載

H30.1.18.「問題解決大全――ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール」の書評が「新刊JP」に掲載

H30.4.26.「メゾン刻の湯」の書評が「新刊JP」に掲載

H30.7.20.「極道ピンポン」の書評が「新刊JP」に掲載

H30.7.26.「シミルボン」にインタビュー記事掲載

2019.2.23.「本が好き!」×「書店フェア」で「あなたの街で本と出会う Vol.2」に「こころを彩る徒然草」のレビュー掲載

2019.04.28.【本が好き!×カドブン】コラボレビュー!第4回『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』の書評が掲載

2020.01.24.「貧乏大名“やりくり”物語 たった五千石! 名門・喜連川藩の奮闘」が「新刊JP」に掲載

2020.02.04.『どんなことからも立ち直れる人』の書評が「新刊JP」に掲載
本が好き!免許皆伝レビュアー風竜胆
  • ライブドアブログ