風竜胆の書評

コミックスから専門書まで、あらゆる本を読みます。元エネルギー企業の専任部長。現在は、ライター・書評家を標榜する自由人w 時に書評が過激になるのは、長州人の血? 現在「シミルボン」と「本が好き!」でも活動中。 執筆依頼、献本等歓迎します。右欄のメッセージ機能にてご連絡ください。 旧ブログ名:本の宇宙(そら)

大学

サリンジャーを読むには適切な時期がある3

 私は、昔山口県の田舎の高校に通っていた。既に少子高齢化のために近くの高校と統合され廃校になっているが、当時は、わずか一学年が120人3クラスしかない本当に小さな高校だった(理系1クラス、文系2クラス、ただし文理に分けられたのは3年のときのみ)。田舎の高校生だったためか、恥ずかしながら、当時はサリンジャーのサの字も知らなかった。たしか通っていた高校にも図書室があったはずだが、どのように記憶をひっくり返してみても、行ったような覚えがない。もっぱら読んでいたのは、なぜか田舎の書店でも揃っていたSF。早川書房や東京創元社のSF文庫は結構そろっていたし、SFマガジンなんかも買っていた。スタンダードな世界の名作も売ってはいたが、当時の私は、文学の香り高いものとはあまり縁がなかったのである。

 ところが京都の大学に入学して状況が大きく変わった。都会には大きな書店がたくさんある。田舎の書店に比べると本はよりどりみどりだ。それまでの大学受験の反動か、急に色々な分野の本を読みだしたのである。これまでとは違い、SF以外の内外の小説も大分読んだ。サリンジャーの名前を知ったのはその頃だ。初めて読んだのは、 野崎孝さんの訳による「ライ麦畑でつかまえて」だったと記憶している。当時それで一遍にサリンジャーに嵌り、彼の作品を色々と読み漁ったものである。

 あれから何十年。懐かしくなって「ライ麦畑でつかまえて」をはじめいくつかのサリンジャー作品を読み返してみた。就職や転勤に伴い、引っ越しを何度もしたこともあり、昔持っていたものはどこかに行ってしまったのだが、わざわざ買いなおして読んでみたのである。不思議なことに、大学生のころに感じたような面白さを感じない。思うにサリンジャーの作品を読むには、それに適した時期があるのではないだろうか。自分では、まだまだ若い感性を持っていると思っていても、知らず知らずのうちに「大人」になってしまったのだろう。もしかするとそれは一種の通過儀礼のようなものかもしれない。

黒いピラミッド3


・黒いピラミッド
・福士俊哉
・KADOKAWA

 本書は、「ピラミッドの怪物」というタイトルで、ホラー大賞を受賞した作品に加筆修正して単行本としたものだ。

 一言で言えば、呪いのアンクの物語。アンクというのはエジプト十字のことだ。分からなければちょっとググって見ればいい。いくらでも画像が出てくるから。サッカラで見つかったというこのアンクを持つ者は、次々に誰かを殺す。時にその相手は自分かもしれない。そして浮かび上がる黒いピラミッド。

 主人公の聖東大学講師日下美羽は、自らもアンクの呪いを受けながら、父の大学時代の友人戌井耕平といっしょにこのアンクを元の場所に返そうとする。向かうは、エジプト。

 日本とエジプトを股にかけたホラーだが、残念なことにそれほどの恐怖は感じない。最後の方はアドベンチャーもののようになっていたし。

 いくつかツッコミたいところがある。大学の組織についてだが、いくらなんでも、常勤の講師の解雇通知を教授名では出さないだろうと思う。

<大学から封書が届いた。なかには事務的な書面があった。”文学部古代オリエント学科講師 二宮智生 上記のものを解雇とする。理由、本学にあるまじき行為が確認されたことによる。定められた規定に則り解雇とする。文学部教授 高城達雄”>(p26)

 このあるまじき行為というのが、二宮と大学院に進む予定でエジプトで事故死した佐倉麻衣という学生との間の非常に親密な関係。これは講師から事務局に異動になったという設定の矢野という男が、准教授候補の二宮を失脚させようと、たまたまみつけた二人の親密な写真を事務局に転送したからだ。しかし家庭の事情で自ら希望して事務局に異動した矢野が、いまさら二宮を失脚させてどうしようというのだろう。家庭の事情が好転している訳でもないのに。

 別に、講師と大学院進学を控えた女子学生が親密な仲になってもいいじゃないか。お互い独身の、成人同士だし。不倫とかじゃなければ、結婚するつもりと言えばそれまでだと思うが、いくら講師と学生(中高生の未成年ならともかく)が親密な仲になったからといって、いきなり解雇通知を送るというのはまず考えられない(そんなことをしたら労基や組合なんかからかなりきついお灸をすえられるぞ!)。いくら高城教授がこの大学の文学部の大ボスでも、こんなことがまかり通るのなら、黒い(ブラック)のはピラミッドではなくこの大学の職場環境ということだろうか。

 矢野の所属している事務局という組織の詳細はよく分からないが、一般に大学の事務方というのは、各研究室からは独立していて、大学内の事務(各種証明書の発行等)をやるのではないかと思う。それとは別に各研究室に事務作業を行う秘書だとか助手のような人がいる場合はあるが。それに、矢野が、高城の「お前は研究室の総務に向いている」(p108)という鶴の一声で、研究室の下働きのようなこともやっているのはちょっと変だ。

 また、一度事務方になったものが、研究室のメンバーに対して言っている事もおかしい。例えば矢野が、佐倉麻衣の事故死により中止になったギザ発掘の資料を整理しようとした、日下美羽に言ったセリフ。

<教授が何をいったか知らないが、この箱は俺が整理する。いいか?>(p46)

 事務方の人間が、研究資料を勝手に整理するというのはあり得ないだろう。そして矢野が自分を「矢野さん」と呼ぶ修士課程の学生である橘花音に言ったセリフ。

<お前、修士の橘だったな。ひとつ言っておく。俺は事務局にいるが、古代エジプト研究者としてのキャリアは一番長いんだ。お前らが俺を呼ぶ時は、矢野さんではない。先生だ。矢野先生。いいか、覚えておけ>(p104)

 勝手に事務方が研究職のように振舞っていいのだろうか? 作者はあまり大学の組織については詳しくないのだろうか。それとも事務方にいても、俺はベテランの研究者なんだという矢野のアンビバレントな心を反映しているのだろうか。

 この矢野の家がアンクの呪いで、火事になっているときに、たまたま通りかかった同じ研究室の日下美羽と橘花音。矢野の家にあったアンクを花音が掴んだ後、美羽へ言ったセリフ。

<ああ、先生、早く、早く逃げましょう!>(p117)

 特に警察や消防に通報した気配もない。他人の専有物であるアンクを取ったうえ、通報もせず逃げだしたのは、君たち人間としてどうよ。


どうせ片想いで終わりますけど?3


・どうせ片想いで終わりますけど?
・森もり子
・幻冬舎

 本書は、色々とこじらせてしまっている、極めて面倒臭い女子であるもり子のお話だ。4コママンガ形式で話が続いていくのだが、正直なところ絵の方はそれほどといった感じかな。それとも「ヘタうま」とでも言えば良いのだろうか。

 ところでこのもり子だが、大学に入学して1週間、理想の男子だというゆう君と出会ってしまう。それ以来、彼女の脳内は「ゆう君」一色。

 少し前に、「脳内メーカー」というものが流行した。今でもあるので、試しに「もり子」と入力してみた。全部「ゆう君」で埋まりそうな感じだが、さすがに入力してない名前は出てこない。でも頭の中は「疲」一色。もり子ちゃん、相当「ゆう君」のことで疲れているようだ(笑)。

 帯には「異常行動連発」とある。確かにヘンな娘だが、私の目からはギリギリセーフ。ストーカーとか、サイコとかじゃないので実害はない。逆にヘンな行動で友人たちにエンターテインメントを与えて楽しませているくらいだ。

 でも、俗に「人の不幸は蜜の味」というものの、このもり子が繰り広げるドタバタを、エンターテインメントと見なしている友人たちも、なんだかなあという気がするのだが。

 確かに、もり子の行動は、傍から見ていると面白いんだけど、いったいこいつら何しに大学に行っているんだという疑問も。大学いったら、ちゃんと勉強しようね(笑)

※初出は「本が好き!」です。

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街場の大学論 ウチダ式教育再生4




 著者がブログに掲載していた教育論を基に編集したという「街場の大学論 ウチダ式教育再生」(内田樹:角川文庫)。

 大学教授でもある著者は、日本の教育に危機感を抱いているようだ。最近は、子供たちが「学ぶ」ことが出来なくなっているらしい。どの大学でも、びっくりするような低学力の学生が入学してくる。小さい頃から塾でお勉強をしてきている割には、それが「学習意欲」や「知的好奇心」にはつながらず、世界一勉強しない子供たちを作り出してきた。

 著者は、学生が、「フェミニズム」や「上野千鶴子」を知らないと言ってびっくりしている。でも、これは別に知らなくてもいいことだ。学問の世界は広く、人によって、カバーする領域が違うのは、当然のことだろう。私としては、そのような社会生活をおくるうえでたいして役に立たないことをを知るよりは、せめて基礎的な科学知識でもつけたほうが、よほど有益だと思う。もっとも、何も専門的な知識がないというのが、最近の学生であると、著者は言いたいのかもしれないのだが。

 結局、現在の日本は、勉強とは、人から「習う」ものだと勘違いして、自分の頭で考えない子供たちを大量に作り出しているだけではないかと思う。だから、お勉強をさせられていても学力に繋がらないのだろう。こういった子たちが大量に大学に入り、そして社会人になっていく訳だから、大学も企業もたまったものではない。著者によれば、「現在の日本の大学の二年生の平均的な学力は、おそらく五十年前の中学三年生の平均学力といい勝負」とのことだが、本当だとすれば、憂慮すべき事態だ。

 しかし、教える側にも問題がないわけではない。「人文系の場合は、論文を十年に一本しか書かない教師が『私の論文は一本でふつうの学者の論文の十倍の価値がある』というような妄言を言い募っても、誰も咎めない」ということだから、あまり学生のことだけを言うのはフェアではないだろう。ただ、昔は、いちいち教えてもらわなくても、学生が自分で興味のあることは、ちゃんと勉強していたので、教師側のことはあまり問題にならなかった。むしろ、授業に対していい加減な方が、名物教師として人気があったようなところもある。今は、大学の授業もずいぶん改善されたと聞くが、私のように昔の大学を知っている者からは、高校の延長にしか見えない。

 大学も40%が定員割れ(2006年当時)で、関西の私大も凋落が激しいという。企業本社が集まる東京周辺に、ビジネスマンが集まるのは分かるが、どうして大学生まで東京に集まるのか、私には理由が分からない。学問をするより、遊ぶ場所が多いからということだろうか。いっそ、東京への大学設置を禁止したらどうか。学問には落ち着いた環境が必要だ。大学は国公立にしても私学にしても、巨額な公費がつぎ込まれている訳だから、遊びたい人間は大学に行く資格はない。著者は、「学生数は減らしてもよいが、大学の数はあまり減らさない方がいい」と述べているが、私は賛成できない。現在は、大学の数も多すぎる。資源のない日本は、人づくりしかないのだから、もっと重点的に税金を使うべきだろう。ただし、地域による格差がないように配慮は必要だ。通信制の拡充という手もある。しかし、東京周辺の大学などは、半分にしても良いと思う。読んでいて、そんな思いを強くした。


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コミュニケーション学入門―心理・言語・ビジネス3




 大学初学者用のテキストに使われることを念頭に書かれた、「コミュニケーション学入門―心理・言語・ビジネス」(植村克彦、松本青也、藤井正志:ナカニシヤ出版)。3人の著者は、いずれも愛知淑徳大学の教授(2000年時点)であり、本書は、そこでの新しいカリキュラム作りの中から生まれたものだ。余談ではあるが、私の大学時代、教養部の入り口の近くにある吉田神社のそばに、大学の教科書などを扱っている「ナカニシヤ」という書店があった。発行元のナカニシヤ出版は、住所が京都になっているので、おそらくその書店と関係があるのだろうが、学生時代を思い出して、なんとも懐かしい。

 ところで、本書のタイトルは「コミュニケーション学入門」だが、コミュニケーション学というまとまった学問領域が確立されている訳ではないようだ。だから、コミュニケーションは、既存の色々な学問分野から、それぞれの切り口で切り取られて研究されているという。だから本書は、3人の著者の専門である、心理学、言語学、ビジネスというそれぞれの切り口からコミュニケーションについての説明が行われている。

 心理学的な切り口からは、ありのままの自分みせる自己開示、自分を演出する自己呈示、相手に要請を承諾させるためのコミュニケーションなどが語られ、言語学的な切り口からは、言語と社会や文化教育との関係といったものが示される。ビジネス的な切り口から解説されているのは、職場内でのコミュニケーションならず企業をとりまく社会とのコミュニケーション、世界を相手としたグローバルなコミュニケーションなどだ。

 それぞれの切り口から述べられたことについては、必ずしも統一感がある訳ではないが、これは、上に述べたように、コミュニケーション学という共通の切り口が確立していないことから、しかたがないということかもしれない。初学者向けということもあり、内容も概論的だが、コミュニケーション一般について、広い観点からの知識を身につけるということはできるだろう。各章の終わりには、「もっと学びたい人のために」という見出しで、更に詳しい内容が書かれているテキストも紹介されているので、更に詳しい内容を勉強したい人は、これらを読んでみると良いだろう。

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eビジネス教室3

eビジネス教室




 ちょっと誤解を与えそうなタイトルの、「eビジネス教室」(中村忠之:中央経済社)。eビジネスでどのように金を儲けるかといったノウハウを教える本ではない。

 本書は、情報処理やインターネットという、基礎的な話から、ネット上で展開されるビジネスの数々、更にはマーケティング、セキュリティ、倫理と法といった幅広い範囲までをカバーして概説したものだ。大学のテキストに使われることも念頭に置いて書かれたとあるが、まあ、大学初年級の「概論」の教科書だと見れば良い。概論の教科書だから、内容は広く薄くといった感じだ。だから本書だけで、eビジネスを深く学ぶことはできない。しかし、最初から各論に入るよりは、このような本で、全体の見通しを身につけておいた方が良いだろう。

 この分野は、非常に進展が早いので、発行されたのは2008年だが、統計だけでなく記述の一部にも古さを感じてしまう。例えば、今は、死語同様になったWeb2.0が章のタイトルに使われていたり、Facebookやビッグデータに関する記述がないと言うようなところである。しかし、まだこの分野全体を俯瞰することはできる。

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最高学府はバカだらけ3




「最高学府はバカだらけ」(石渡嶺司:光文社)、なんとも挑発的なタイトルだ。立花隆が「東大生はバカになったか」という本を書いているが、こちらは一応疑問文の形のタイトルである。しかし、本書は、断定的に言い切っているというのがすごい。

 大学生の学力低下が言われて久しい。大学に入って、授業についていけないので、高校の教科の補習をしているところもあると聞く。本書は、昨今の大学事情をレポートしたものだ。かなりセンセーショナルな語り口であり、言っている事が、どれだけ普遍的なことかどうかということには疑問があるが、色々なところで見聞きすることも考慮すると、ある程度はうなずける。

 本書では、大学の低迷の原因を色々述べているが、私はやはり「少子化」と「ゆとり教育」の影響が大きいのではないかと思う。昔は、授業に出ない学生はいくらでもいたし、教える方も、授業は、何年も同じノートを読むだけという剛の者も多かった。それで、大きな問題はなかったように思える。大学生は、教えられるのではなく、自分で学ぶものであるという社会的コンセンサスができていたからであろう。この時代にも、大学側の問題は潜在していたが、顕在化していなかったのである。しかし、これが、入学者の学力低下に伴って目立つようになったのだろう。

 中国の大学では、ある時間になったら消灯するところもあるという。消灯しないと、いつまでも勉強し続けて体を壊してしまうからだ。程度問題ではあるが、日本の学生もその姿勢だけは見習わなければならないであろう。


本記事は、2007年10月18日付で「時空の流離人」に掲載したものに加筆修正したものです。

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