雲が行くまで待とう

音楽(8割がたクラシック音楽)と本を中心にしたブログです。あらすじの紹介はあまりしていません。 なお、以前に別のブログから引っ越して来たり最近ブログのURLを変更したりしたため古い記事内のリンク先URLがエラーになってしまいます。申し訳ありません。

事故や病気で脳に大きな損傷を受け「植物状態」と診断された患者に「意識」はあるのか?

脳神経科学者エイドリアン・オーウェンの"Into the Grey Zone"は、この質問への答えを求める本である。植物状態の患者は自発的な反応を示さない。呼びかけに応じて身体を動かしたり言葉を返したりすることはできない。では彼らの意識はどうなっているのか?彼らは周囲で起きていることを聞き、考え、しかし自分からは意思を伝えることができずに「生きている」と「死んでいる」の中間地帯(題名のgrey zoneはここからきている)に閉じ込められているのだろうか?

著者の研究はは、PETスキャンやfMRIなどの技術を使って、テニスをしていることを想像する時に人の脳の特定の部分の働きが高まり、自分の家の中を歩くことを想像する時にまた別の部分が活性化されることを明らかにする。その上で、植物状態の患者をfMRIでスキャンしながら患者に「あなたのお父さんの名前はジョンですか?」と言うような質問をして、答えがイエスならテニスをしていることを想像しノーなら自分の家の中を歩くことを想像してほしいと指示する。

患者たちと著者が接し、こういった質問を通して彼らに意識があるかどうかを調べる過程は、本を途中で読みさしにできない力に満ちている。何人かの患者は、テニスと家の中歩きとを想像することでイエスあるいはノーと答え、自分に意識があり、外界と意思疎通できることを示す。ケイトやスコットやフアンなど患者たちが、自分の力でうなずくことすらままならないものの、みな意識を持った人間であることが明らかになるくだりは感動的な記述である。中でも、スコットと言う患者に今痛みや苦痛を感じているかと尋ねる第10章は、この本のクライマックスであり、著者たちの研究にとって大きな転換点である。

この本は「植物状態の患者との意思疎通に成功した科学者の感動物語」にとどまらない。著者は、意識があるとはどういうことなのか、人間と他の動物の意識とはどう違うのか、と言うような根本的な問いに向かい、さらに、もし植物状態の患者が「私は死にたい」と言う意思を明確に示したら周囲の人はどうすべきなのか、その意思を尊重して死なせてあげるべきなのか、とも問う。

人間の意識を探り「心を読む」技術はごくごく新しい分野であり、今後技術が進歩すると、医学的にも倫理的にも哲学的にも法律的にも、これまで思いもよらなかったことが問われるようになるのだろう。私たちはその入り口に立ったばかりだ。もし私が暴力犯罪の犠牲になって植物状態に陥ったとして、技術の助けを借りて外界とやり取りできるようになったら、私の「自分を襲ったのは何の誰兵衛だ」と言う「証言」に従ってその人は逮捕されるべきなのか?植物状態の私に証言能力は認められるのか?

私には分からない。著者は科学と医学と哲学と社会的通念の間を行ったり来たりしながら書いている。彼にも答えは出せないと言う事だ。

これは私にとって最近読んだ中で最も深くものを考えさせてくれた本だった。近頃私には医療にかかわっている知り合いが増えてきた。この本は医学や医療について直接書いているわけではないが、医療に関連する人みなにぜひ読んでいただきたい。

「生存する意識」の題で日本語訳が出ている(みすず書房)。

丸谷才一編著「ロンドンで本を読む」を読んでいる(マガジンハウス)。

これは、イギリスで発表された書評の翻訳を丸谷才一が編集し、おのおのの書評に短い紹介文をつけた本である。冒頭の「イギリス書評の藝と風格について」と題した序文で彼は、イギリスの書評は名だたる編集者や作家が色々な本を紹介し評価していて、文章に魅力があり語り口が巧妙であると述べる。

それに続く本文ではイーヴリン・ウォー、コナン・ドイル、カズオ・イシグロ、アニータ・ブルックナーなどのイギリスの作家から、ミラン・クンデラ、マルセル・プルースト、マグリット・デュラス、ウンベルト・エーコなどを経て、紫式部、遠藤周作、村上春樹、北杜夫などの日本の作家の作品に至る多くの小説が評される。そもそもイギリスの作家とひとくちに言ってもウォー、ドイル、ブルックナーと言うのが相当幅広い顔ぶれだ。小説ばかりではなくデイヴィッド・ロッジの「小説の技法」のような評論も、マドンナ写真集も、「ダイアナ妃の真実」も、さらにはCD-ROM版オックスフォード英語大辞典まで含まれているのに私はびっくりした。辞書が書評の対象になるのか!

取り上げられている本の中で自分に馴染みがあるものを拾い読みしたのだが、テレンス・キルマーティンが訳したプルーストの「失われた時を求めて」をアンガス・ウィルソンが評した文章など、堂々たるプルースト論であり、またプルースト英語訳についての立派な評論である。大変なものだ。

アントニー・バージェスが丸谷才一自身の「たった一人の反乱」を評した文章にも舌を巻いた。こう書いてある。

 この小説は馬淵の会社のどんな電気製品にも劣らず精巧に組み立てられているのだが外見上はむぞうさに書き流したようにみえるところ、とくに深い意図も必然性もないように思えるところ、ときにはその場の思いつきという印象を与えるところさえある。しかし、そういうところもすべて、この作品の人間性と本質的なつながりをもっている。(幾野宏訳)

まさにおっしゃる通り!私はかねてから「たった一人の反乱」にいろいろなしかけがあって、作者があえて言葉にしていないところに深い意味があるのを感じていたので、よくぞ書いてくれました、と言う気持ちになった。

作者の丸谷自身も「これには参った」と書いている。鋭く見透かされたと言うことだ。

そうやって極めて質の高い書評を次々と読んでいて、これはまずいとつくづく思った。自分の文章と比べてしまったのである。私がこのブログで書き連ねてきたものは一体全体何であるか。余りにも質が低いではないか。

もちろん言い訳はできる。私はプロの文筆家ではないし、ブログは新聞や雑誌の書評欄ではないし、日本とイギリスは国情も文化も書評に対する社会的要請も違う。でもそれはみなとってつけた理屈で、このブログで私がしていることは紹介でも評価でもなく、面白いと思った本のひとくさりを(あらすじを書かないと言う理由の元に)ちょっと紹介してすましているだけだ。勝手な理屈で自己弁護するだけの文章なら、ブログと言う開かれた媒体に書く必要などない。

そしてもう一つの問題は、私の読み方である。断片的に書くのはきちんと読んでいないからではないか、本当には全体像が頭に入っていないから、どこどこのなになにの描写が素晴らしいなどとだけ書いているのではないか。

と言うわけで、本の読み方も、読んだ本についての書き方も、一から考え直しやり直さないといけない。以前からイギリスの書評水準の高さについての丸谷才一の文章を読んではいたのだが、こういう風に実例を突き付けられると逃げも隠れもできない。これは相当厳しい話だ。今になって、これまでしてきたことが全部ひっくり返されるとは。私にできるのだろうか?


デイヴィッド・ロッジの「起きようとしない男 その他の短篇」を読む。訳者はいつも通り高儀進先生(白水社)。

実に楽しかった。ロッジが短篇集を出すのはこれが初めてだそうだ。私も初めて彼の短篇を読んだのだが、巧みな技と切れが良い話の運びにすっかり魅了された。短篇小説の手本のような作品群だ。

長編小説と違って短篇では話を「膨らませる」余地はない。主人公の性格設定のために色々な描写をすることはできない。周辺的なエピソードも書けない。その意味では直線的なのだが、だからと言って読んで予想がつくような結末にあっけなく到達したのでは読者を引きつけることはできない。

上手な短篇小説作家は皆、話を飛躍させたり思いもよらない方向に展開させたりする。しかも、飛躍や展開のあとをさらに長々と書くわけには行かないから、こういう「ひねり」は最後に置かれる。つまり、短篇小説は終わり方で価値が決まるのだ。

ロッジはこの点で水際立った腕の冴えを見せる。読んでいて何回も、さすがだな、と思った。表題作「起きようとしない男」の、「話が一挙にひっくり返って今までとまるっきり違う形で全てが明らかになる」とでも言うべき結末など、見事と言う他ない。これをロッジはわずか8行でやってのける。

巻末の訳者あとがきで高儀先生はロッジのこれまでの小説作品を概説している。私はこれを読んで、自分がずいぶんロッジを読んできたのを今更ながらに確認した。1965年の「大英博物館が倒れる」、1975年の「交換教授」、1980年の「どこまで行けるか」、1984年の「小さな世界-アカデミック・ロマンス」、1988年の「素敵な仕事」、1991年の「楽園ニュース」、2001年の「考える・・・」、2004年の「作者を出せ!」、2008年の「ベイツ教授の受難」の9作の他に「小説の技法」とエッセイ集"Write On"も読んでいる。

読んでいないのは1960年の「映画ファン」、1962年の「赤毛よ、お前は阿呆だ」、1970年の「防空壕を出て」、1995年の「恋愛療法」、1999年の「胸にこたえる真実」、2011年の「絶倫の人 小説H・G・ウェルズ」の6冊である。こちらも読むことになるだろう。

オリヴァー・サックスの"The Island of the Color-blind"を読む。

二つの部分に分かれ、最初のBook Oneでは全色盲の人の割合が極めて高い島(ピンゲラップ島とポンペイ島)について、Book Twoではソテツ生い茂るグアム島とロタ島について書かれている。サックスはこれらの島を訪れ、全色盲の人たちやリティコ-ボディグと言う病気の患者たちと会う。

リティコ-ボディグ患者は、かつてサックスが「レナードの朝」で書いた嗜眠性脳炎の後遺症に見舞われた患者と共通する症状を見せる。私は読んでいて「レナードの朝」を思い出した。

ただし、「レナードの朝」は様々な患者の症例について書いた本だが、"The Island of the Color-blind"はそれに留まらず、おのおのの島の歴史についての豊かな記述に満ちている。またロタ島についての章には患者は登場せず、全編ソテツと言う植物の不思議について書かれている。

サックスと言う人は植物学にも深い興味と造詣を持った人だったと言うことがよくわかる。「タングステンおじさん」には子供の頃から化学に惹かれたことが綴られているし、「音楽嗜好症」では音楽愛好家としての姿を見せているが、植物学にも詳しいとは知らなかった。

こう言う博物学的好奇心と教養を持った人は現代ではすっかり少なくなった。

「色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記」の題で早川書房から翻訳が出ている。

福永武彦の「死の島」を読む。

読みごたえのある小説だ。重層的な構造を持っていて、話は順序を追って語られるわけではなく、するするとは読めない。

この小説には、1. 主人公相馬鼎の視点から描かれる出来事と自分の内面、2. 「内部」と題された萌木素子の独白、3. 「或る男」と言うジゴロの独白、これらに、小説家志望の相馬が書いた4.  「トゥオネラの白鳥」、5. 「恋人たちの冬」、6. 「カロンの艀」と言う三つの小説草稿が組み合わされ、合計むっつの部分がある。1.は相馬が朝目を覚ましてから翌日の朝までの一日の出来事で、これが小説の軸になる。ここに、相馬の視点から書かれた過去の出来事と2.以降がかわるがわる、時間的順序もばらばらに挿入される。作者はこれらの断片を周到に考えて配置している。

また、登場人物萌木素子と相馬が書いた草稿の中のM子の言葉や行動はどの程度重なるのか、同様に相見綾子と草稿のA子とはどう言う関係にあるのか、単純には読めない。同じく、小説草稿は福永武彦が相馬鼎と言う登場人物に書かせた文章だから、その草稿で語られる人間観や小説観が福永武彦自身のものであるか、そういう考えを持った人物として相馬を創り上げたのか、にわかには判断できない。

こういうことを考えながら読むのは実に面白かった。たいした小説だと思う。そして、思いもかけない結末の描き方も特筆に値する。とても大きな世界を持った作品だ。

私は読みながら、1971年に刊行されてすでに50年近くが経過しているこの小説が古典としての価値を獲得したのかどうかをずっと考えていた。

相馬鼎は広島に急いで向かうことになり、東京駅を正午過ぎに出る急行列車に乗る。広島に着くのは翌日の午前4時半ごろだ。この間相馬はホームで駅弁を買って食べ、一緒に買ったお茶を容器の小さな蓋から飲み、座席で煙草を吸い、広島の様子を尋ねる電報を車内から打ち、その返事を18時33分に通過する名古屋で受け取る。返事は列車宛に打電され、駅に届けられて列車の車掌が相馬に手渡す。

こう言う事物は、言うまでもなくすべて過去のものだ。ホームで買う駅弁も、ペットボトル入りでないお茶も、禁煙でない客室も、電報も(『ウナ電』と言う言葉があったのを、この本を読んで久しぶりに思い出した)。それにそもそも、東京から広島まで16時間かかる急行列車と言うものが、今では想像するのすら難しい。

でも、小説であれ何であれ、書かれた事物は書かれた瞬間から古くなる。小説の真価はそこにはない。「死の島」は東京から広島までの16時間を枠組みに成立しているが、それがこの小説のすべてでは無論ない。問題はこの小説が時代や事物を超える普遍的な価値を獲得しているかどうかである。

私にはこの点について評価を下す力はない。

新潮文庫の解説で加賀乙彦は、「死の島」と武田泰淳の「富士」と野間宏の「青年の環」と言う大作が刊行された1971年は日本の文学にとって記念すべき年になるだろうと書いている。そうなのだろうか。この3作は昭和の日本文学を代表し、時間の経過と共に色あせることなく読まれていくのだろうか。私には分からない。「富士」と「青年の環」を読んで自分で考えないといけないと言うことだ。

「死の島」を読むのは大学生の時以来だった。1979年4月と書き込みがある。このころの私には、購入した年月日を本に書き込む習慣があった。でも結末を除いて内容をまったく覚えていなかった。

ずっと放ってあったのは、この本の主題が大きく重くてそうおいそれとは読み返せないからだし、だからと言って処分せず取っておいたのは、一度読んだだけでは済まない作品だと考えていたからだ。私にはこういう風に、若いころ(あるいは小さいころ)読んで、そのあとずっと心にひっかかっている本がいくつもある。きちんと再読して今の自分の考えで再評価しないといけない、と思っている。

読み終えてほっとしている。私の再読再評価は、どんなにのろくとも少なくとも前進してはいるのだ。私にはあとどれだけ時間があるのだろうか。


ハイドンが作曲した「ナポリ王のための8曲のノットゥルノ」のディスクを聴く。

1780年代中頃にナポリ王フェルディナンド四世はハイドンにリラ・オルガニザータと言う楽器のための協奏曲を委嘱した。これが気に入られたらしく、1788年に再び、今度はリラ・オルガニザータを使った室内楽曲の注文が来たので書いたのがこのノットゥルノである。

リラ2台のパートをフルートやオーボエで演奏し、クラリネット、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ各2とチェロ、ヴァイオリンと言う編成で、アメリカの管楽合奏団モッツァフィアートとオランダの弦楽合奏団リルキブデッリに、マーテン・ロットのフルートとマイケル・ニースマンのオーボエが加わっている。皆オリジナル楽器を使って演奏している。

のびのびとした屈託のない音楽を颯爽と軽やかに演奏していて楽しい。聴いていて心が晴れるようだ。

音楽学者ロビンス・ランドンがこの演奏の音楽学的芸術的相談役をつとめていて、ディスク冊子の解説も書いている。大宮真琴先生の研究成果を引用してこの曲の成り立ちを説明している。演奏に使われたのは大宮先生がハイドン全集のために校訂した楽譜だろう。

「コーチング・バイブル」を読む。著者はヘンリー・キムジーハウス、キャレン・キムジーハウス、フィル・サンダース、訳はCTIジャパン。

3人の著者たちが提唱する「コーアクティブ・コーチング」の考え方を説明した本である。彼らはこの考え方を実践し広めるためにCTIを設立した。私は何年か前にCTIジャパンが主催するコーアクティブ・コーチングの入門セミナーに出席した。今回は、コーチングについて自分の理解を整理しようと思ってこの本を読んだ。

こーアクシブ・コーチングは、コーチングと言う営みを動的で不定形なプロセスとしてとらえる点に意味があると思う。コーチがクライアントの心の中およびクライアントとコーチの間に起きるさまざまなことに気づきそれにもとづいて瞬間的にコーチングの流れを作ってゆくと言う考え方に説得力がある。

また、日本のビジネス書としては翻訳のレベルが高い。複数の翻訳担当者が議論を重ねながら翻訳してきたのだろうと推測する。

ダリウス・ミヨーの「フランス組曲」は、アメリカの出版社の求めに応じて1945年に作曲された吹奏楽曲である。(後にミヨー自身が管弦楽に編曲した。)スクール・バンドで演奏されることを想定して、技術的に難しくなりすぎないように配慮されている。

第1曲 「ノルマンディー」、 第2曲 「ブルターニュ」、 第3曲 「イル・ド・フランス」、 第4曲 「アルザス・ロレーヌ」、第5曲 「プロヴァンス」の5つの楽章で構成され、おのおのの地方の民謡のふしが使われている。

ミヨー自身が寄せた文章によれば、これらはどれも第2次大戦でドイツからの解放のために熾烈な闘いが繰り広げられた地方であり、アメリカの若い人たちにその事実を心に留めてほしいと思って選んだのだそうだ。

つまりこの曲は、戦火を逃れてアメリカで生活していたミヨーの祖国への強い思いを反映しており、同時に、戦争で亡くなった多くの同胞を悼む音楽でもある。地中海的な明るさに満ちた骨太ないつものミヨーの音楽とはずいぶん性格が違う。この点は「アルザス・ロレーヌ」の哀切な曲調に明らかだが、8分の6拍子の行進曲で書かれている「ノルマンディー」にも現れている。これは単なる陽気なマーチではない。何しろノルマンディーは連合国による上陸作戦で多大な犠牲者を出した土地であり、ミヨーが作曲しながらその点に思いを致さなかったはずがない。

どういうわけか、今耳にすることができる演奏は、この曲のそういう性格を考慮していないものが多い。とても残念だ。

松任谷由実 「日本の恋と、ユーミンと。」を再び聴く。

今回はCDに同梱して発売されたDVDを中心に観た。過去の松任谷由実の公演画像を編集したもの。

私には一番最後の「卒業写真」が印象的だった。2005年4月の"The Session at Stella Ball"と題された公演の画像らしい。最後のアンコールに歌ったようで、ピアノ2台(うち一人のピアニストは松任谷正隆)だけの伴奏なのが、歌に意識を集中できてありがたかった。

この演奏を聴いて分かったのだが、松任谷由実と言う人はいつも真正面から歌うのだ。声を浮かせたり引いたりと言うテクニックを使わないで、常に100%で歌う。これはもちろん彼女の歌が力で押しまくるだけだとか一本調子だとか言う事ではない。

彼女の「潔い」とでも形容すべき歌唱表現に打たれた。

「細雪」を読む。

20代半ばのころ読んだはずなのだが、内容が頭に入っていなくて、今回は初めて読むのも同然だった。

蒔岡家の4姉妹を描く谷崎の筆の冴えは見事と言うしかない。蘆屋を中心とした小さな世界が、ひとつの宇宙として生き生きと表現されている。

こんなに素晴らしい小説を読んで何も覚えていないと言うのは何たること、と、かつての自分のぼんくらさにあきれる思いだ。いつものことながら、それを出発点にしてやって行くしかない。

石川県立音楽堂邦楽ホールでのオペラ「卒塔婆小町」公演を聴く(8月19日)。

前半に神田松之丞の新作講談「卒塔婆小町」があり後半がオペラと言う構成だった。前半の講談は能の「卒塔婆小町」に題材を取って、三島由紀夫の「近代能楽集」を原作とするオペラと対比させていたので、その共通点と相違点がよく分かり面白かった。

オペラでは田中祐子の整理された音楽づくり(オーケストラ・アンサンブル金沢が演奏)のもと、老婆・小町役の家田紀子と詩人役の小林由樹をはじめとする歌手たちがよくまとまった演奏を聴かせた。

知久晴美の演出は、シンプルさに基礎をおいて時間空間の変転をアクセントとして配するもので、台本と音楽に寄り添う姿勢が明らかだった。

篠井英介の語りは堂に入ったもの。

日本人作曲家による室内オペラ上演と言うこの催しがさらに続き発展して行くことを望む。

九州大学の学生オーケストラの東京公演を聴く(8月18日、サントリーホール)。新聞でこの公演が紹介されたので、東京以外の学生オーケストラの演奏をぜひ聴きたいと思って行ってみた。

良い演奏会だった。

きちんと練習を積んだ学生オーケストラの音がする。弦楽器が後ろのプルトにいたるまでちゃんと弾いている。そして、音が若々しい。ブラームスの「大学祝典序曲」がとても瑞々しく響く。

続くチャイコフスキーのピアノ協奏曲では、独奏の上原彩子がオケと一緒に音楽をしようとしているのが伝わってきた。一体感のある演奏だった。この人の演奏を聴くのは初めてだったが、高次倍音があまり表に出ない落ち着いた音色が印象的だった。ぜひ他の機会にじっくり聴いてみたい。

休憩後のドヴォルザーク「新世界より」でもこのオケの特質が発揮され、外向的なドヴォルザークになっていた。

指揮の鈴木優人は、音楽の「方向」をオケに提示しオケと共有してアンサンブルを作ってゆく。例えばチャイコフスキーの一楽章でソロとオケとの縦を合わせるのが難しい場所でも、棒を細かく振り分けたり指揮のテクニックでオケをまとめたりしないで推進力と流れを大切にする。それが成功していた。指揮者の提示する音楽に学生たちが共感して演奏していることがよく分かる。

このオケの音色に一つ欠けるものを挙げれば「陰影」だが、私はそれを欠点だとは思わない。大学生のオケが陰影に満ちた音色で諦念にいろどられた音楽を演奏する必要があるだろうか?

九大フィルハーモニーの皆さん、楽しい演奏会をありがとうございました。また聴かせていただきたいものです。その時には、ベートーヴェンはいかがでしょう?

「吉松隆の 調性で読み解くクラシック」を読む。

作曲家吉松隆が、長調の音楽を聴くと「楽しい」、短調の曲を聴くと「悲しい」と感じることを出発点に、なぜそうなのか、そもそも調性というものは何なのかを解説した本である。この人の作品については、「サイバーバード協奏曲」と題されたサクソフォーン協奏曲のことをこのブログに書いた

私は自分が行う「クラシック音楽を120%楽しもう」と題したセミナーで調性による響きの違いを説明し、この違いに気づくと聴いていてもっと楽しくなりますよ、と話している。共通する問題意識を感じてこの本を読んだ。

調性とは何か、楽器からみた調性、科学的にみた調性、調性の歴史、と言う章立てで書いている。これは当然で、調性そのものについて、さらには楽器の音が生み出される理由について、調性と言うものが確立されてきた歴史にして、と掘り下げていかないと、きちんとした説明にならないのだ。

しかも、きちんと説明するとどうしても、純正調とか平均律とか、聞いたことがないような言葉を使わないといけない。さらに、歴史の話をし始めると、何しろ形の残らない音というものを対象にするので、断定的に述べるのはとても難しくなる。

難しい主題を分かり易く説明してくださっている著者にお礼を言いたい。

ジノ・フランチェスカッティのヴァイオリンとロベール・カザドシュのピアノで、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「春」と「クロイツェル」を聴く。1958年から1961年にかけて録音されたベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集から。

この二人のベートーヴェンについてはイブリー・ギトリスがインタヴューでその明るさを讃える発言をしていた。

確かにこれはさんさんと降り注ぐ陽光を浴びているかのような明るくて陰のない演奏だ。斜に構えない、肯定的なベートーヴェン。「クロイツェル」終楽章のプレストが、まるでイタリア起源の舞曲「タランテラ」の様に響く。

でも同時に、フランチェスカッティの音にはきちんとした核あるいは芯がある。決して、とろけるような(あるいは聴き手の心をとろけさせるような)音色ではない。そして、放縦に陥ることなく、音楽の骨格はしっかりしている。

背筋が伸びた人が話しているのを聴くような、でも厳しさではなく親しみを感じさせる演奏だ。 

ドニゼッティのオペラ「愛の妙薬」を聴く(8月11日、よこすかベイサイドポケット)。

出演は、アディーナが坂口裕子、ネモリーノが後田祥平、ベルコーレが増原英也、ドゥルカマーラが宮本史利、ジャンネッタが服部響子。弦楽四重奏とピアノが伴奏する。

実に楽しい舞台だった。私は筋金入りのオペラ・ファンではないが、幸運にもこれまで東京以外に名古屋、大阪、ウィーン、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、パリでオペラを聴く機会を得た。今日の「愛の妙薬」は、楽しさから言うとその最上のものに属する。

成功の原因は三つある。

一つは、ソロが皆達者だったこと。声量があるし表現が自分のものになっていた。「でこぼこ」がなく全員が高い水準だったのが素晴らしい。

二つ目は、合唱が上手だったこと。村人と兵隊を「ラ・スペツィア・オペラ合唱団」と言う団体がつとめていたが、オペラの合唱をよく知った人たちで、演技もうまく、とても充実していた。

合唱が上手なのでソリストたちがとても歌いやすいのがよくわかる。非力な合唱だとソロが孤軍奮闘と言う感じになって声を張り上げなくてはならずとても大変なのだが、この合唱はソリストをうまく「乗せて」いた。

三つめは演出の趣味がよかったことである。500席程度の小さい小屋で、オケではなく小編成の伴奏と言う舞台だが、それをうまく利用し、大道具を使わず背景に風景写真を投影し、そこに字幕も載せて、最小限の装置で効果を上げていた。人の動きに無駄がなく(これは、合唱団がオペラに慣れていて動作が自然だったからでもある)、音楽に集中できる演出だった。こう言う風にするのも面白い、と思った。演出家の名前がチラシその他に明記されていなかったのが残念だ。

オペラの楽しさを存分に味合うことができてよかった。

この公演はご当地横須賀出身の歌手宮本史利さんが中心となって実現したものだと思う。その実行力に敬意を評すると共に、ここまでできるのなら定期的に公演し、ロッシーニ(例えば『セヴィリアの理髪師』)やモーツァルト(例えば『コジ・ファン・トゥッテ』)などを上演していただきたい。いや、他にも、「ラ・ボエーム」だって「ジャンニ・スキッキ」だって、あるいは工夫次第で「ファルスタッフ」だって舞台にかけられる。こう言う水準のオペラ上演を重ねると「小劇場のオペラは横須賀に行って見るものだ」と言う定評ができる日も遠くはない。

公演にたずさわった方全員に深く感謝し、今後ますますのご発展をお祈りします。素晴らしい公演でした。ありがとうございました。

三島由紀夫の「近代能楽集」を読む(新潮文庫)。

8月19日にオペラ「卒塔婆小町」を金沢で観るのでその予習を兼ねて。

三島本人が解説で「能楽の自由な空間と時間の処理や、露わな形而上学的な主題などを、そのまま現代に生かすために、シテュエーションのほうを現代化した」と書いている通り、能の作品の設定を現代に移している。

私には「時間の自由な処理」がとても面白かった。例えば「卒塔婆小町」に見られるような、戯曲の中で過去と現在とを縦横に行き来するさまに感銘を受けた。

これは能楽の素晴らしさだろうし、それを十二分に生かした三島の筆の冴えでもある。

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を仏訳で読む。

私は日本の文学作品を外国語で読む。語学の勉強のためでもあり、また、読み飛ばしてしまう悪い癖のある私にとっては、少しずつ外国語訳で読み原文にも当たることできちんと腰を据えて原作を読むことが必要だからでもある。

この翻訳はいったん脇に置くことにする。「大手の旅行会社」は「おおて(と言う場所)の旅行会社」だろうか?ショルダーバッグを「たすき掛けにし」は「たすきで(身体に)つけ」の意味だろうか?(話の)「水を向けても」は「温泉の湯の方に視線を向けて」だろうか?

私のフランス語がもっと上手になればきちんと言えるのだろうが、今の私にできるのは、この訳で勉強するのはしばしお休みすることだ。

藤田嗣治の展覧会を見る(東京都美術館)。

彼の画業の全貌を捉えようとした意欲的で大規模な展覧会だった。生涯のほぼ全てにわたる時期の作品が展示されている。

取り上げる題材と作風を何回か変えているが、この人はとても「静かな」絵を描く人なのだと言うことがよく分かった。「争闘(猫)」と題された作品でも、彼の関心の中心は喧嘩をしている何匹もの猫の運動をどう画面に構成して表現するかにある。

1926年の第4回芸術家愛好援助会(AAAA)舞踏会のためのポスターが2作品あって、単純化された色彩と描線が異彩を放ち大変面白かった。

大変勉強になりました。展覧会主催者の皆さまにお礼申し上げます。

最近、豊島区大塚がずいぶん注目されている。放送番組を含めて報道機関に取り上げられることがにわかに増えた。ちょうど同じくらいの時期に、私は縁あって大塚の人たちと会い、話し、一緒に行動するようになった。その中で、大塚の人たちの考え方と行動にはっきりした特色が三つあると思うようになった。私はこれこそが大塚の持つ一番大きな資産だと考えている。「大塚は人にあり」と強く思う。以下説明させていただきたい。

なお、この小文では「大塚の人たち」と言う言葉を使うが、これは私が大塚の方々を誰も彼もひっくるめて同一視したり全員が同じ価値観を持っていると考えたりしているからでは決してない。大塚は年齢も人種も国籍も宗教も異なる人たちがその多様性を生かして暮らしている街である。女性が大変活躍している。

1. 「発信志向」

大塚の人たちの意識と行動の特色は、まず何と言っても街の外に対して「大塚はこう言う街です」「大塚にこう言うものがあります」「大塚でこう言うことをしています」と発信する意欲がとても強いことである。そして、発信が芸事と結びつくことが多い。だから大塚発の行事は会議や展覧会などよりは歌や踊りが中心になる。

その一つの例として「おおつか音楽祭」をあげたい。今年2018年で10回目を迎えた。5月末から6月上旬くらいの期間に、大塚の複数の会場で様々な演奏家たちが弾き、歌い、あるいは踊る。

大塚では一年中発信のための行事が行われている。区や商店街や地元団体が開くものに個別の店が行うものも加えると、行事のない週はないだろうと思う。

2. 「前進志向」

大塚の人たちの意識と行動の特色の2点目は、あくまで前に進もうとすることである。彼らの辞書に「後戻りする」と言う言葉はない。

今年6月に大塚駅南口前の広場で市が立った。初めての試みだった。地元の商店の人たちが食べ物飲み物を販売し、個人も店を出した。当日の天気が怪しそうで、予報では雨になると言うことだったので、朝早く私は主催者の一人に実施するのか聞いて見た。「やります」返事はこれだけ。私が何を気にしているのかは伝わらなかった。

7月の同じ広場での行事は雨にたたられた。私は夕方会場に歩いて向かいながら、霧雨が小雨になり本降りになって来るので困ったなあと思っていた。会場に着いたら皆傘をさしたりして雨をよけながら飲み物を楽しんでいる。生演奏を聞いて盛り上がっている。音楽と同時に踊りもあり、仮設舞台の外で雨に濡れながら踊っている。

結局この日は雨がますます激しくなり、それに呼応して演奏も踊りも熱が入り、観客も傘を閉じて土砂降りの中ずぶ濡れになって皆で踊った。後にも先にもあんなに濡れたことはない、と何人も言っていた。雨は水を差すどころではなくかえって催しを盛り上げた。

私はこの二つの行事で、大塚の人たちには中止とか中断とか言う発想がないのを知った。学校の運動会であれなんであれ、「当日朝6時の時点で主催者が判断する」ような催しが多いが、その判断はどちらかと言うと中止側に傾く。大事を取り、何か起きたらどうなるかどうするか考えると慎重になる。今の日本ではどんどんその傾向が強くなっている。私はある高校が保護者あてに「明日は雪の予報が出ているので休校にする」と連絡したのに驚いたことがある。学校としては、生徒が雪のなか滑って転んで怪我でもして学校の責任問題になるのを避けたかったのだろう。大塚の行事でも、中止の決定が朝下されても、雨足が激しくなって来た時点で中断してもおかしくなかった。

物事をしない理由はいくつも見つかる。曰く「慎重な検討が必要だ」、曰く「それより先に他にすべきことがあるのではないか」、曰く「他の選択肢はないのか」、曰く「時期尚早だ」、曰く「費用に見合う効果はあるのか」、などなど。一方で、物事をする理由は通常一つ、「したい」と言うことだけだ。出てくる意見の数で考えれば「しない」ことになる。逆に「する」のは、推進者に強い熱意や情熱があるか、懸念をものともしない推進力がある場合である。

大塚の人たちは明らかに後者だ。雨の日の行事の判断ばかりではない。新しい試みでも、面白そうだ、やってみよう、と言う気持ちが彼らを前に進める。誰も慎重な検討などと言わないのだ。

これは日本人の一般的な行動様式とは大きく違う。日本人は問題を起こさないように注意深く慎重に考えて、しばしば「しない」ことを選択する。昔日米の首脳会談だったか外交協議だったかで日本側が「前向きに検討する」と回答し、それを賛成と受け取った米国側と否定の婉曲的表現のつもりだった日本側との間でのちに大きな問題になったと言う話がよく知られている。これは大塚の人たちには当てはまらない。彼らが前向きに検討すると言ったらやるのだ。

私は欧米人と一緒に仕事をすることが多いので、この点で彼我の違いをいつも感じている。その経験から言うと、大塚の人たちの前進志向は日本人としては特異だ。

3. 「蟻の巣づくり方式」

大塚の人たちの意識と行動の特色の3点目は、役割分担と協力関係に「蟻の巣づくり方式」と呼ぶべき原理が働くことだ。

蟻の巣は最初に描かれた全体図や設計図に基づいて作られてゆく訳ではない。蟻はその場その場で穴を広げあるいは掘るのをやめる。一匹一匹の作業が巣を作ってゆく。女王蟻の指示などどこにもない。

大塚の人たちの役割分担と協力関係はこれによく似ている。例えば駅前広場で行事をすることになると、誰それは酒屋なので露天での酒の販売を手配し、誰それは音響機材を持っているから持ち込んで操作し、誰それは知り合いの音楽家に出演を依頼し、誰それは仲間と踊り、誰それは慣れた司会を引き受ける。気づいた人が言い、気づいた人がやる。思い思いにしていることが、全体の中にきちんとはまって行く。一人一人の得意分野と個性が発揮され、しかも調和している。こうやって自発的に皆が持ち寄ったもので全体がみるみる出来上がってゆくのは実に面白い。

中心となる人、調整する人、指示し依頼する人はもちろんいるが、大塚の人たちはその指示や依頼があるから動くのではない。ここには統率と言うものはない。あるのは共有であり、しかも共有のために浸透させたり教化したり徹底したりする必要はない。大塚の人たちは、各自の「持ち場」で働くのではなく自分の「居場所」で仕事をするのだ。彼らは一枚岩ではない。あくまでも一人一人の自立と自律に基づいて協力し分担する。それが蟻の巣を作るように物事を形づくって行く。

このやり方に馴染まない人は加わらないか去って行くかする。新しい人たちが加わって来る。新しいとは若いと言うことを意味しない。面白そうだと思う人、自分の「居場所」を見つけた人が入ってくる。その時に、大塚の人たちは純血主義を取らない。歴史のある街だから何代も前から地元で商売をして来た人たちが多いのだが、地元出身でないなどと言う理由で入れてもらえないことはない。彼らにとっては人間関係と信頼関係が問題なのだ。

ここまでは大塚の人たちに見られる意識と行動の特色について述べて来た。逆に彼らにないものを二つ挙げておきたい。

ひとつは「輪番制」あるいは「任期」と言う考え方である。彼らが「前回は私がしたから、次回は他の方にお願いします」と言うのを聞いたことがない。大塚でも役割交代はもちろんあるし、役員が終身制であるわけでもないが、定まった任期を全うし次の人に交代しようと言う意識が薄い。なぜかと言うと、大塚の人たちは「特定の人に業務負担が集中しないように交代して取り組もう」と言う考えを前提としないからである。大塚では業務負担は前述の「居場所意識」によって結果として平均化されるのであって、最初に業務量を見積もってから誰かが平等に割り振っているわけではない。

もうひとつ大塚の人たちの意識と行動にないのは、継続を目的とする考え方である。彼らは今面白いこと、今できること、今やりたいこと、今すべきだと思うことに取り組む。その中には一朝一夕にはできないので取り組みが何年も続くものも多いが、彼らにとって継続は結果であって目的ではない。

こう言う人たちが何人もいると言うのは大変なことだ。「人は大塚にあり」と言う感を強くする。

近年、街づくりの焦点と関心は施設や設備の「箱もの」から、その「中身」に移って来た。あるいは、箱ものと中身を同時に考えようという機運が盛り上がって来た。私は大塚の人たちを見ていて、「人」と言う要素もこれに劣らず大切だと思うようになった。「箱もの」と「中身」を作りだし、担い、発展させ、変えて行く存在としての「人」を合わせて三軸で考えることが必要だと思う。「人」の軸が一番難しいだろうけれど。

地域の活性化や課題解決に取り組んでいらっしゃる地方自治体や商店街や地域団体の皆さんに、大塚をご覧になることをお勧めしたい。その時には、駅や都電や駅前広場やバラや通りや店を見て、そこで行われている催しを見て、そして、ぜひ大塚の人たちとじっくり話しをしていただきたい。貴重な示唆を得られると思う。

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を再び読む。

以前読んだ時には「でもそんなのはただの言い訳よね?」と言う言葉が小説全体の中で一番心に残った。痛い言葉だった。

今回は、主人公多崎つくるが高校生時代の友人たちを16年ぶりに訪れる描写に惹かれて読んだ。5人の
親密な友達サークルからなぜ自分が追放されたのかその理由を知るための再会だ。

自分が最近43年ぶりに何人かの友人に同窓会で再会したことが、今回の私の興味の背景にある。もちろん彼らは私を追放したわけではない。また、久しぶりに会ったことを皆喜んでくれた。でも私には、長年顔を合わせなかった同級生に会うのが怖いと言う気持ちと、長い時間がたったのだからそろそろ顔を合わせておくべきだと言う気持ちがない交ぜになって、会の場所に向かうのに決心がいった。受け入れてもらえるだろうかと言う心配は杞憂に終わり、皆の暖かさに感謝して家路についたから、結局は一人相撲というか、自分の影に自分で怯えていたようなものだったのだけれど。

どうもこの小説は、私にとっては読む前に起きた個人的な出来事と結びついてしまう作品のようだ。

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