雲が行くまで待とう

音楽と本を中心にしたブログです。ブログ名はハイドンの弦楽四重奏曲第82番(ヘ長調、Hob. III: 82)の標題「雲が行くまで待とう」から取りました。   2023年11月にトップの写真を入れ替えました。Onさんからご提供いただいた伊勢志摩の安乗埼(ありのさき)灯台の写真です。

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2016年02月

デュマの「三銃士」を読む。話が次から次へと展開して行くのに思わず引き込まれる。その推進力とみなぎる活気が心地よい。登場人物たちがいきいきと描かれているのも、作者の筆力のなせるわざだと思う。ミレディーの邪悪さなど、ほとんど身震いするくらいの恐ろしさで迫って

ミルトンの「失楽園」を平井正穂の訳で読む。神の定めた禁忌を守らずそのために楽園を追放されるアダムとイブの姿には、人間の愚かさがこの上なくはっきりと表現されている。その愚かさは私の愚かさでもある。そして、高位の天使でありながら神に背いたために地獄に落とされ

「ニュー・シネマ・パラダイス」を、175分あるロング・ヴァージョンのDVDで観る。観ながらも観た後もずっと考えていた。幼いトトと映画映写技師アルフレードとの交情とトトが成長して青年になってからの二人の関わりとを描いた部分と、街を後にしたサルヴァトーレ(トト)が

読売日響の定期演奏会を聴く。曲目はモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とマーラーの交響曲第7番。指揮はシルヴァン・カンブルラン。(2月12日、サントリーホール)モーツァルトではカンブルランの注意深い表現が印象に残った。第1楽章冒頭のあのよく知られ

ユーリー・ボリソフの「リヒテルは語る」を読む。モスクワ室内歌劇場その他でオペラを演出し、また、映画監督でもあったと言う筆者が、ピアニストのリヒテルの言葉を書き取った本である。ここでのリヒテルは、様々な音楽について自分の感じる「プログラム(標題)」を語る。

オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」を読む。オルテガは、大衆が社会的権力の座に登ったと論じ(この本が発表されたのは1930年)、これを混迷と考えて、「選ばれた少数者」が社会を導く必要を論じる。選ばれた少数者という時、彼は血統にその根拠を置くのではなく、自らに

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