日本の恋と、ユーミンと。
松任谷由実のデビュー40周年記念ディスク「日本の恋と、ユーミンと。」を聴く。CD3枚に46曲が収められている。

全曲を通して聴いて、DANG DANGにもっとも心を惹かれた。この曲には、彼女の特質が集約されていると思う。

私が魅力を感じる点のひとつは歌う内容だ。あなたにふさわしいのは私じゃないと言って泣いたり、それしかあなたに会う機会がないから友達でよいと歌う人は他にもいるだろう。たくさん。 

この曲の真価はその先にある。「狭い街で顔を合わせ、微笑みを交わしてゆくうちにだんだん何も感じなくなって行く」と言う中間部で様相が一変する。ここで彼女は泣いている自分、友達でいいから会ってと言う自分を離れ、あるいは超え、客観的な視点を獲得している。

そして次に来るリフレインでは、この中間部の前と同じ歌詞なのに、世界が違うのだ。「疲れたハートに弾丸(たま)をぶちこむ」と彼女が歌うのを聴くと、哀しみをぶっとばしている爽快感と、でも同時にその哀しみは耐え難く深いと言う感覚を同時に味わう。こんな歌詞でこんなことを歌った歌手がほかにいるのだろうか。

松任谷由実のもう一つの魅力は、この歌詞を歌うのに彼女の声が本当にぴったりだと言うことだと思う。ヴィブラートをまったくかけない、輪郭がはっきりしてエッジが効いた、そっけなくさえある声がこの歌にはふさわしい。 世に言う美声とは違うし、声域が広いわけでもないのだが、ほかの人の声ではこんなに聴き手に迫ってこないだろう。

もうひとつ気づいたのは、松任谷由実が歌うのは日本だと言うことだ。彼女が街と歌い空と歌い雲と歌うとき、それは日本の街であり日本の空であり日本の雲である。では日本のどこだろうか?どこでもない。

「中央フリーウェイ」のように具体的な地名が特定できる場合もあるし、どこそこの情景に触発されて作ったと明らかになっている歌もあるが、松任谷由実の歌う場所は日本のどこにもない、でも日本以外にはない場所である。この不思議な土着性に私は強い印象を持った。

まとめて松任谷由実を聴くのはずいぶん久しぶりだった。聴いている自分が以前の自分とは違っていることを改めて思い、彼女の歌に聴く内容が以前と違うことを感じる。たとえば「青春のリグレット」に、以前の自分は何を思っていたのだろう。それでも同じ歌を聴くのはなぜなのかどういうことなのかしきりに考えた。