2007年02月20日

突然ですが
宮崎駿をものっ凄い尊敬してます。
一番好きな漫画作品は漫画版『風の谷のナウシカ』です
漫画版ナウシカは一冊一冊がめちゃくちゃ安いので是非買ってください
全七巻です

ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」

ちなみにこっちはめちゃくちゃ高い豪華版
風の谷のナウシカ (上巻)
風の谷のナウシカ (下巻)

両方持ってますが何か


クリエイターとしての宮崎駿の凄さは改めて語るまでのこともないですが
メカと美少女とゆーオタクの基本要素を開眼したのは宮崎駿ですし
オタク的には言えば『オタクの始祖鳥』といっても過言ではない

メカビVol.02


さらに彼はホンモノのロリコンです
真の格闘家を目指す!的に言えば、真のロリコンです!
ロリコンの国があれば皇帝となるべき漢です(褒めてます!
宮崎駿がいかに真性のロリコンであるかについて書かれた
素晴らしい文章はこちら

ユリイカ2001年八月臨時増刊号
斉藤環『倒錯王の倫理的出立』

書き出しが凄い
『ある意味でわれわれは、今なおルイス・キャロルの世紀に生きている。そう、これほどあからさまなペドファイル保因者の排泄物を、それにもかかわらず見事な物語として食べさせられ続けること。それは果たして不幸なのか幸福なのか。』
走ってます斉藤環先生!!大丈夫!?
『だがそう、宮崎駿はペドファイルだ。そのことは何度でも指摘しておかねばならない。しかも彼は、不能のペドファイルだ』
そこまで繰り返し言わなくても
『宮崎駿の倫理と創造性は、彼が倒錯者である限りにおいて保証される。』
最終的には、宮崎駿の創造力と倫理性の源泉が「小児愛」にあることを明らかにする訳ですが、宮崎駿について書かれたあらゆる文章の中でも最も面白いと思われます。機会があれば是非。

つまり仮にもオタクならば宮崎駿に足を向けては寝られないと言う事です(え

ユリイカ (第33巻第10号8月臨時増刊号) 宮崎駿「千と千尋の神隠し」の世界


また宮崎駿は言うこと書くことがどれをとっても面白い
宮崎駿本人の文章が載ってる本はインタビューなど含めてかなり集めて持っています
最近(ハウル以降)は表に出て喋られることが少ないので非常に残念です

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡
虫眼とアニ眼
宮崎駿の世界―クリエイターズファイル
宮崎駿全書
宮崎駿の仕事―1979~2004
宮崎駿の着地点をさぐる
宮崎駿の原点―母と子の物語
黒沢明、宮崎駿、北野武―日本の三人の演出家
宮崎駿の“世界”




さてそこまで尊敬している(してるのか)宮崎駿ですが

私が件のラスボス問題、悪役問題を最初に明確に意識したのは
宮崎駿のこの文章を読んだ時です
(やっと本題)

出発点―1979~1996

私のバイブル『宮崎駿 出発点1979〜1996』内の
「日本のアニメーションについて」1988.1.28 より抜粋です

『動機の喪失

シャーロック・ホームズのある話に、ワトソン博士が「君は人類の恩人だ!!」と叫ぶくだりがある。こんな風に世界を考えられたらどんなに楽だろう。愛は至上のものだ、と断定できたら物語を作るのはどんなに楽だろう。正義が自分の側にあり、悪は全て他民族や他人や、他の家に属していると決められたら活劇映画を作るのはどんなに簡単だろう。
人間は崇高な理想のためと、いかなる自己犠牲も献身もひるんではならぬと言えたら、いやそんな理想が存在すると思えるだけで、仕事はずっとやりやすくなる。
一方、人間というものはどいつもこいつも同じように愚劣で、信ずべきものなど方便以外になくて、大儀や信条などすべてうさんくさくて、自己犠牲も裏がえせばすべて計算ずくだと決められたら、それもやっぱり楽なのだ。みっともない、汚いものを探すなら、こんなにたやすい社会はないのだから…。
(中略)
いま、作り手たちは、もはや主人公たちに自発的な動機を与えることが出来なくなっている。管理社会の中で、人間の努力の空しさを、どうしたわけか何もしないうちに受け入れてしまったようだ。かつての当面の敵「貧乏」も何やらはっきりしなくなって、戦うべき相手が見つからなくなってしまったのである。
残るは、他のジャンルがそうなっているように、職業意識しかない。ロボットの兵士だから戦い、刑事だから犯人を追い、歌手を志望しているのだから競争相手に打ち勝ち、スポーツの選手だから努力するのである。
(中略)
たまたま、自分が巨人軍に属し、相手が中日か、広島か、阪神に属したからといって、相手を憎むことはできない。負けたくはないが、お互い大変ですな…てなことになってしまう。そんなロボット宇宙戦争のTVアニメがたくさん作られたが、登場人物はひき裂かれた者たちがひしめくばかりで、視聴者はこれから出ていかねばならない社会のシュミレーションとして、その分裂をリアリティーとして受け入れもした一方、ウンザリもしたのである。
職業意識とプロ意識というのは、一種の没価値観で、どこかで生存競争説に溶けてしまう言葉だ。』


1988年にこんなこと言ってるんですから
21世紀にもなればそりゃ悪役を作るのも難しいってもんですね

さらには

『作り手に動機づけができなくとも、子供たちは毎日生まれ、育っている。子供たちの戦いは少しもなくなってはいない。かつてのように正義のヒーローに自分を託して励まされる子はいなくても、いまも子供たちは励ましや、世界を美しいと感じとる術を教えられたいと願っている。そうでなければ、どうして、あんなに子供たちが暴れたり、自分を破壊しようとしたりするものか。
(中略)
観客と呼ばれる不特定多数の人々の願いは昔も今もそんなに変わっているはずがない。ダサイとかイモイとかいわれるものの中にこそ願いが秘められているのだと思う。どんなに時代が移っても、ぼくが「白蛇伝」との出会いで受けた衝撃を、子供たちは求めているはずだ。そうでないと分かったら、ぼくはこんな商売はすぐ辞めてしまう。独断と飛躍のついでに書くならば、ぼくらはリレーをやっているのだ。受けとったバトンを、次に渡そうと走っている。芸術とか創造とかいう、もっとも恐ろしくて先鋭なものと、ぼくらの通俗文化は本質的に違うのだと思う。アーチストなんて言葉で誤魔化すのもやめよう。』


と、いかにも宮崎駿らしい愚直ながらも熱さに溢れる言葉が続き
たいした覚悟もなくこの業界に入ってしまった若かりし頃の俺は
読みながらいたく感動したものです
(貧乏が敵とかイモイとか凄いですが、古い文章なので(笑




この文章が私にとっても出発点になって様々な疑問が沸き起こり
仕事の合間にその疑問を解消しようと
時間がないながらも色んな本を読むことになる訳ですが

とりあえず、その疑問を軽くまとめると以下の四つ




 ,覆縞語において『悪役』を設定するのが難しくなったのか


◆,修發修睚語に『悪役』は必要なのか


 そもそも何故人間ににとって『物語』とゆーものが必要なのか
  いや本当に必要で不可欠なのか?
  つまり『物語』とは一体何なのか?


ぁ〃歃僂板迷文化(エンターテイメント)の差異は?




 屬覆縞語において『悪役』を設定するのが難しくなったのか」
については論じてる人も多いですし、色々読むうちにほどなくわかりました
簡単に言えば
「日本が成熟社会になり、各人にとって何が幸福で不幸なのかが自明でなくなった」
ってことなんですが、ちょい簡単すぎて色々取りこぼしてる気がしますし、人に説明できるほどちゃんと理解している訳でもないですので今はパス
この点について分析してる最高の本はこちら
サブカルチャー神話解体 増補―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在

何よりもこれは誰もが体感として分かっている事だとは思います
他にもこの問題には「大きな物語の終わり」やら何やら
色んなレイヤーがあるので調べると面白いです
「大きな物語の終わり」→「自分探しの時代」と来て、今何なの?
ってゆーのも気になるんですが、それまた別の話
でも何なんでしょう…「動物化の時代」?
誰か教えてプリーズ、よくわかりません
動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会





◆屬修發修睚語に『悪役』は必要なのか」
「そもそも何故人間ににとって『物語』とゆーものが必要なのか
  いや本当に必要で不可欠なのか?
  つまり『物語』とは一体何なのか?」
については…

出ましたね「そもそも」!
この「そもそも何でなの?」とゆーのが哲学好きなやつのダメな癖です(笑
哲学とゆーのは「既に自明となっている前提を疑う」行為のことです(多分
でも前提を疑ってたら一歩も前に進みません
何の役にも立ちません
無駄です
やはりダメ人間(笑

役に立たないことですので、やっぱこれは趣味ですね
でも役に立たないことを考えるのが一番面白い(笑

△皚も考え進めていくと次々に新しい疑問が浮かんできて止まりません

△蓮愾碓の問題』との『そもそも物語が何で必要なのか』
とゆー疑問への道を開きます
は実践的な脚本の書き方や、神話の話や、
ユングのアーキタイプの話(シャドウとかよく言うアレです)や、
『そもそも人間とは何なのか?』(また「そもそも」(笑))
と言った疑問に道を開きました

あまりに疑問の量が膨大で仕事しながらの身には処理し切れません(笑
こうなってから大学でもっと勉強しておけば良かったと後悔する訳ですね

『善悪の問題』や『人間とは何なのか?』とは
哲学においても大変重要な問題で
素人の私がどーこーいえる話ではないと思うのですが
最終的にはコレは

『自己と他者』
『人の自己意識とは何なのか』

とゆー問題に到達し、何とゆーか大変面白いです
これらは哲学における最も中心的で根本的な問題だと思います(多分

さらに自己意識なんかの話は
最新の脳科学の話とかに繋がっていっちゃいますので、全然止まらない
時間いくらあっても足りません
でも、おもしろい
くそ、何で学生時代ボケーと過ごしてしまったんだ(笑
ほんと、今からでも勉強を!
あー本読むだけで生きていければいいのに(笑

脳科学のいい本はこれ

脳のなかの幽霊
脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ

これはいつかまた紹介したいですが
最高の本です


さてこれらの疑問のうち
脚本、物語については機会があれば
『明日のために・その2(脚本 』の中で

善悪やら自己意識やらについては
『素人哲学』のカテゴリを新たに作って書いてみようかなと思います

どちらも素人ですので何の実用性も情報性もありません(笑
文章書くのも苦手ですし
誰かに向けて書いている訳でもありません
スミマセン
自分が整理するためのメモ代わりのようなものです
こーゆーの一人でこそこそ書いてると三日坊主になりますが
ブログだと続きそうなので…




い侶歃僂肇┘鵐拭璽謄ぅ瓮鵐箸砲弔い討蓮宮崎駿の言葉とともに、
今も自分が仕事をする時の指針になっています
漫画家目指す人でうまく行かない人はどうしても
この芸術を目指しちゃったりしてることが多いんですね
自分では違うと思っててもどうしてもそっちに行っちゃう
エンターテイメントが書ける人は普通に売れていくとゆー仕組みです
俺も良く怒られました

もちろん芸術も重要です
芸術とエンターテイメントの線引きは大変難しいところもありますが
私が『物語』という時には
基本的にはエンターテイメントの中の物語を指しています

でもこれまた難しい、神話はエンターテイメントか?と言うと難しいですが
いわゆる英雄伝説、英雄神話の主人公が
辺境の村から旅立たねばならないとゆー基本法則は
明らかに神話を聞く人がお話に入りやすいようにとゆー
エンターテイメント的な構造ですからね
英雄神話はエンターテイメントだとも言えますが


長くなりましたが
宮崎駿最高ってことで

(12:10)

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