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小説家・大学教授・評論家の東浩紀氏が、東北関東大震災と日本人の反応についてニューヨーク・タイムズ紙に寄稿している。真摯に、しかし冷静に、この地震に対する日本人の振る舞いに見出した希望について論じている。
(原文はこちら

ニューヨーク・タイムズ紙のブック・レビューに掲載された村上龍「昭和歌謡大全集」のレビューはこちら


珍しく日本人であることを誇りに思う
東浩紀

For a Change, Proud to Be Japanese
By HIROKI AZUMA
Published: March 16, 2011

日本人は地震に慣れている。僕自身も子供の頃から何回も経験している。だから、東京都心部の古い雑居ビルの6階で揺れが始まったときも、僕は慌てることは無かった。「普段より大きいな」ぐらいに思っただけだった。しかし揺れは収まるどころか、ますます大きくなっていった。埃が舞う中、狭い階段を駆け下りた。出口で振り返ると、ビル全体が傾いていた—あまりの揺れの激しさに隣のビルにあたってしまうところだった。路上に集まった人々は声にならない悲鳴を上げた。

ツイッターのメッセージによって震源地は北の方だと分かった。顔も名前も知らないツイッター・ユーザーたちの行方が次々と判明するが、僕は自分の妻にさえ連絡が取れないでいた。

地震から津波、原子力発電所の事故に至るまで、今や私たちは一連の出来事について知っている。具体的な予測や評価についてはまだ時期尚早だが、地震から6日目の時点で言えることが一つある:日本人は自らの国を、少なくとも過去20~30年よりは肯定的に捉え始めている。

第二次世界大戦の敗戦以来、日本人は自分たちの国や政府を誇りに思うことが滅多に無かった不幸な民族だ。特にこの20年、バブルが弾けて以来の長引く不況下ではそれが顕著だった。総理大臣は何回も替わり、政策は行き詰り、政治的シニシズムが蔓延する。実際に1995年の阪神淡路大震災時の政府の対応はあまりに無能であり、国民からの非難が集中した。

だけど今回は違った。もちろんマスメディアは飽きることなく、原発事故と停電に対する政府・電力会社の対応に疑問を投げかけ続けている。その一方で、彼らへの支持の声もきわめて強い。枝野幸男内閣官房長官はネットのヒーローとなり、自衛隊の救助活動は賞賛の的だ。

日本人の間で「公共」についてこれほど取り沙汰されているのを、僕は見たことが無かった。つい最近まで日本人と政府は、愚痴と口論にまみれた、優柔不断で自己中心的な存在かのように見えていた。しかし、今彼らは別人になったかのように、一丸となって国を守ろうとしている。若い世代の言葉で言うと、日本人は完全に「キャラ」を変えたかのようだ。

そして、奇妙なことだが、日本人は日本人であることに誇りを持ち始めた。もちろん、ナショナリズムと容易につながってしまうであろうこのキャラを不快に思うことにも議論の余地はある。すでにウェブ上ではそのような懸念も見かける。しかしそうであっても、僕はこの現象に一縷の希望の光を見出している。

震災前の日本は来るべき衰退に怯える臆病な国だった。人々は国に何も期待せず、世代間の助け合いや地域共同体内の信頼も崩壊し始めていた。

しかし、日本人はこの大災害の経験を、新たな信頼によって強固に結ばれた社会を建て直す、そのきっかけにできるかもしれない。多くは優柔不断な自分へと戻っていくだろうが、有害なシニシズムの中で麻痺していた、自分の中の公共精神や愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。

この災害に直面した日本人の落ち着きと道徳的な振る舞いに、外国メディアが驚きと共に報じているのを聞いた。しかし実際には、日本人自身にとってもこれは驚きだったのだ。「本気になればできるんだ」「国全体を見てみればそんなに悪くないじゃないか」過去数日、多くの日本人が少々戸惑いながらも、このように感じている。

この気持ちを、時間的・社会的にどの程度まで持続させることができるだろうか。この質問に対する答えが、この災難からだけでは無くこの20年にわたる緩やかな停滞と失望からの復興の鍵を握っている。

東浩紀は早稲田大学の教授であり、「Otaku: Japan’s Database Animals.(原題:動物化するポストモダン)」の著者である。この文章は Shion KonoとJonathan E. Abelによって日本語から翻訳された。


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