孫さんのあれこれ雑記

今朝、カープの赤松外野手についての番組があった。

日の出も早くなっているこの時期、休日は1時間ほど早朝ウォーキングを行うことが多いのだが、それを昨夜知り、今朝はこの番組を見た。

赤松選手は阪神から移籍後、打撃面での派手さこそないが、一級品の守備走塁能力で、特に大飛球をフェンスに登って捕ったあのシーンはファンならずとも記憶に残っている人も多いだろう。

2年前の優勝に貢献した直後、胃癌と診断され手術、それに続く治療を経て今期の復帰を目指している。

手術・治療に伴う身体機能の低下、それは第三者には理解しがたい深刻さがあるだろうし、ましてプロスポーツ選手として復帰するのは容易なものではない。実際、今年のキャンプ中も治療の副作用に悩まされた事もあったそうだ。
前例が無いだけに、本人もコーチも手探り状態だったらしい。

悪性腫瘍からの復帰。私が知る限りは、横浜、近鉄でプレーした盛田投手くらいしか知らない。
しかし復帰となると怪我による故障からの復帰などとは比較にならないほど重みのあるもので、影響力も計り知れない。

ぜひとも達成してほしいものと、一応出身校の先輩たる私は静かに熱く祈っている。

番組内の本人の発言の中で、この言葉が印象的だった。
キャンプ入り当初は、とにかくメニューに何とかついていきたい、こなしたいという思いしかなかったが、キャンプが終了する頃には、ヒットを打ちたい、チームに貢献したいという欲が芽生えてきたと。
確実に上のステップに戻れている。

1軍の試合に出場できるようになるにはまだ少し時間が必要かもしれないが、必ずやその機会が訪れるものと信じて待ちたい。

映画など長らく鑑賞したこともない。一時映画館に足を運んでいた時期もあって、今でも観たい気はなくはないのだが、日常の業務趣味些事を差し引くと映画鑑賞などに時間を割く余地などなくDVDなどでの鑑賞も含めてずっと観ていない。

珍しくも先週末、ふとしたきっかけから1本の邦画をネット鑑賞することになった。
昼間、偶然ホームセンターの1コーナーで安売りの映画DVDを手にとったことが、きっかけだった。
映画など本当に永く観てないなと。

「大いなる旅路」という昭和のモノクロ映画。1960年というからもう相当昔の作品である。
蒸気機関車列車を中心とした当時の国鉄の情景の描写があるので観る気になったものだが、いち国鉄マンの若手時代から退職するまでを、家族に焦点を当てて辿った内容だった。
実際心に残ったのは家族そして人間愛の部分ばかりだった。何度か目頭が熱くもなった。

良い映画に出会うと、人間らしい感性を取り戻したり、ふと我を振り返るきっかけにもなる。

このネット鑑賞、さいわいネットの特典で沢山無料で見られるので、また少し時間を作って何本か見てみようか。

「イオン」というと、今や大型商業施設の代名詞となっている。

良く言えば車社会でのショッピングとエンターテインメントが融合した拠点施設であり、悪く言えば大都市部を除くほぼ日本全国で、買い物の形をほぼ全国画一の形にさせた張本人である。その反動は地場の商店街、そして各種小売店の衰退、もっといえば地方文化の磨耗を招いた。

私は後者のイメージしか持っていないが、しかしもはやあえて実名を伏せる必要もないだろう。
幹線道路沿い、区画整理し拡幅・改修された沿道沿いに、広大な駐車場と複合型の店舗群。それらが展開してくる景色すら全国何処でもほぼ同じ形となった。

もはやわざわざ言うまでもないことなのだが、この話を出したのは、私の地元にあるこの「イオン」が、今月末で閉店となってしまうからだ。
店名が何回か変わって、最近イオンが買収して今に至っているこの店舗、しかし外見上は一般にイメージする複合商業施設ではなく、狭い立体駐車場のある、一昔前のスーパーである。
私が小学生の頃にオープンしたこのスーパー、当時はかなりの話題性を持って迎えられた。
私は良く覚えていないのだが、当初アイドル歌手のイベントも行われたのだそうだ。
当時は複合商業施設などはもちろんのこと、テナントが入るような形式のものは皆無で、日常足を向けるのはせいぜい平屋建ての小さな地場のスーパー、それ未満の小売店群、「八百屋」といった言葉も生きていたと思う。
我が家も、このスーパーには当分の間お世話になった。食料品だけでなく衣料品も小さな専門店も、食事どころもある。
今日、そのスーパー内にある眼鏡店を訪ねた。眼鏡をかけるようになってからずっとその店に通っている。
店の方とお話していると、閉店理由として耐震性の問題などもあるとのことだったが、大型商業施設の台頭で、自ら苦しくしていた、そんな状況も背後にあったのではないか。

イオンなのに閉店。もはやそんな時代なのである。

昭和の雰囲気が残る商店街が元気な姿を見せる例など、今や文化財的価値があるといえるだろうし、地場のスーパーが現役であるだけでも、応援していきたいものだ。

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「普通におめでたいと思う」

今日もまた眼にしたか、と思う。
あるネット記事のコメント欄でのことである。
今や、この言い回しはそれこそ「普通に」使われるようになっているようだ。
しかし私としては違和感と、わずかながらとはいえ不快感も感じる。
こういうと逆に何でと不思議に思われる方も、もしかするといらっしゃるかもしれない。

私の知らないところで色々と小さな流行り言葉や好んで使われる言い回しが起こっては消えしているのだろうけど、この「普通に(+形容詞)」は今や根強くはびこっているのは間違いない。

しかしわざわざ取り上げるのは少なくとも以前(といっても何時ごろまでかはもはやはっきりしないが)は頻繁に使われる言い回しではなかったからだ。
私個人的にも使ったことはないと思う。

もっと他の表現があるはずだし、「とても」「すごく」といった意味を内包しているように感じる事もあるし、良い意味でも悪い意味でも使われるようだ。とりあえずの反応としては無難な言い方ということでとっさに出てくるものなのか、単に語彙力に乏しいのか、そんな言い回しをよく耳にし眼にするから使ってみようと思うのだろうか。

いずれにせよ、はっきり断言せずその意味を曖昧にさせる言い回しであることは間違いない。

女子高校生などで隠語のように使われる意味不明な流行語とは違い、それこそ「普通」の単語なので、抵抗なく受け入れ使う人も多いのだろうが、ただそれが特定の言い方で余りに多用され始めると、やはり違和感を覚えるわけだ。

こういうのにいちいち反応するのも、おかしいのだろうか。


松浦亜弥さんに関する記事。

前回は昨年10月だったので久々だ。

もちろん彼女の歌声に魅力を感じなくなったからではない。
何度も書いてきたように別格の歌声は決してわたしの中で色褪せ消えることはない。

でもやはり、活動をしていないということは大きく、改めて記事をこしらえるという機会が訪れにくいのだ。

全盛期と呼ばれる時代の姿に遡って、アーカイブ的定期記事を取り上げていく手もあるかもしれない。
しかしわたしはその時代にリアルタイムではなく、思い出も思い入れもないため、それは難しい。
そのため、今後も新たな話題がなければ、基本的には書く事がないわけだ。

最近何やら引退宣言をする有名人のニュースが続いている。

それらを見て改めて思うと、彼女は引退宣言はしていないのである。
再活動時期は確かに直近ではなさそうとはいえ条件が整えば歌を披露する気持は持っているのは間違いないと信じている。

ただその時期が余り遠ざかると、戻っても並の歌手の一人に・・。
そうならないことだけは願いたいのだが。

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松浦亜弥さんの動画。
睡眠時間が削られるほど視聴しまくった時期もある。

最近は音楽動画としてはどのようなものを視聴しているかというと、10代の頃に聴き馴染んだ曲をランダムに聴きまわることが多くなっている。
中高生の頃は部屋にTVはなく、FMラジオばかり流していたので、その頃の曲の多くは記憶にあり、懐かしさを感じるからだ。
今や動画サイトではそのような音源も不自由する事もなく聴くことができる。もっとも勇をふるって映像をUPしたが削除対象になる事も多いようで、UP主さんも大変だが、そのためおお懐かしいと言ってそれっきりで刹那的な出合に終わる曲も多い。

これもある意味松浦亜弥さんの副産物と言えるので、感謝している。

いや、そこで思った。
松浦亜弥さんの動画ですら、わたしの今書いたように感じて視聴している人も、もはや多くなっているのではないか?
もはや半ば過去のものになってしまっているのか?
そのようには思いたくない。

しかし一方で、未だにネット動画の影響を受けて新たなファンが生まれているのを実際目にしている。しかもその数は少なくない。
私もそうだったが、ネット動画のみで熱烈なファンになるという力を持っているわけだ。

わたしは運よく滑り込みで生歌を聴けたのだが、いつかそのような新しいファンも含め、満足できるようなステージに触れる機会が訪れないかなと、最近しきりに思うところだ。

ブランクが長くなりすぎて、錆び付いてしまわぬうちに・・。

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