孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

プラスチックごみの問題がここ最近にわかに叫ばれ出している。ネットでも毎日のように眼にする。
リサイクルは海外に頼っているのが現状で、それも飽和状態であり多くは海洋などに投棄している状態という。それらはやがて分解されないまま海洋汚染を招いている。
また奈良公園の鹿は餌とともにゴミ箱などのプラスチックごみを口にし、消化不良を起こして死ぬものが相次いでいるという話題も眼にした。

中でも一番の元凶はペットボトルであると思う。何しろ絶対量からすると圧倒的だろう。飲み物はもちろん調味料の容器などに至るまで、液体の容器はペットボトルが多用されている。しかしレジ袋などは段々使わないようにしようという動きがあるが、ペットボトルを規制しようという動きは聞いたことがない。

しかし思い出すと、これが出回り出したのはここ20年余り(30年弱?)のことで、それ以前は全く無かったはずだ。栓を開けるとすぐ飲めるお茶、そして水が店で売られるということも、以前は一切なかった。買うものではなかったのだ。
そう考えると全く便利になったものだ。

以前のアルミ・ブリキ缶などは学校などでも積極的に回収され、再利用されていたはずなのだが、再加工に費用がかかるからか、消費者にとって不便だからか、ある時期から急速にペットボトルに取って代わった。そういえばペットボトルが普及し出したころ、一回口をつけた物をカバンの中などに仕舞ってまた後でそれを取り出して飲むといった行為に抵抗感があり、しばらくの間、買うのを避けていた。そうしたことも思い出す。缶入りの飲料は容量も250ml又は350mlであるし、開栓すれば別の容器に移し替えなければ保存も出来ないので、すぐに飲みきってしまうのが常識だったのだ。物心ついたころからペットボトル飲料が当り前の世代の人には理解してもらいにくいことかもしれないが・・。

話が少し横道にそれたが、ペットボトルを減らすには、と考えてもどうにも名案はすぐには浮ばない。紙パックといっても牛乳なら今でもそうだがお茶や飲料水には、それこそ抵抗感があるし。それだけペットボトルのある生活にもうどっぷり浸かってしまっているのだろう。

最近ふとしたきっかけで、森口博子さんのライブ音源を何本か耳にした。
森口博子さんといっても、若い人の中には知らない人もいるかもしれない。
90年代あたりには、バラエティー番組を中心にかなりメディアへの露出が多かったので、一定年齢より上の方々には知名度は高いことだろう。
私はその頃、歌の部分に一時引き込まれCDは必ず買っていた。
知っている人は少ないだろうが、森口博子さんはかなりの歌唱力がある。
もちろん本業は歌手である。紅白歌合戦にも出場したことがある。
しかし一般的なイメージは、やはりバラエティータレントなのだろうか。



それらの一つだが、いつのどのライブの音源かは情報がないのでわからない。
コメントを見ていると、このようなものもあった。
「もっと歌手として注目されていいはずなのに、もったいない。」
「カバー集出してるのかな、出して欲しいです。」

ここで私はふと気付いた。

松浦亜弥さんのカバー曲歌唱動画に寄せられているものととてもよく似ているではないか。

視聴した人たちの反応が松浦亜弥さんの動画と同じなのだ。要は彼女のイメージも、デビュー初期のアイドル歌唱曲のイメージしか一般には無いため、歌唱力表現力をストレートに感じることのできる渋いカバー曲などを聴くと驚くのだろう。
 


動画再生回数がかなり増えているものもあるが、所詮は一ファンのネット動画のみの展開で、まして本人は活動していないわけなので、一時話題にはなったとはいえ一般的認識を変える効果があるかといえば、それは微々たるものだろう。 

森口博子さんはもちろん歌手として活動を続けている。

こういう映像を見ると、一度こういうライブに足を運んでみたくもなる。

松浦亜弥さんはどうだろうか。

歌唱力表現力があるということ自体が知られないままに、本人が歌うのを止めてしまうというのは、やはりもったいないものであると思ってしまう。

「日本ボロ宿紀行」なる本が出ていることは、少し前から知っていた。

私の第一の趣味である町並集落探訪に関し買ったり読んだりした本は、以前は保存地区を取上げた本などが中心だった。しかし最近ではレトロな店舗やスポット、鄙びた温泉や旅館といった、本来探訪中に付加価値として求めていたものを好んで読む。

春になり少し時間の余裕がでてきたところで、この本を求めた。筆者が実際に宿に予約をし現地に足を運んだレポートである。ちなみに筆者がボロ宿と呼んでいるのは古く設備が悪いという意味ではなく、歴史的に価値のある宿から古いが安くて良い宿をひっくるめて愛情を込めてそう呼ぶとのことである。
聞くところによるとドラマ化もされているらしいが、そちらには興味は湧かない。

先月後半から少しずつ読み始めて、7割がた読み進んだところで「日本ボロ宿紀行2」を追加で注文した。今それも半分近く読み終えたところである。

最近求めた本の中には途中で読むのをやめてしまったものもある中で、吸い寄せられるように読み進んだ。
それはなぜかというと、まず単なる宿の紹介に留まらない紀行文形式になっていること。それも多くは公共機関を使って訪ねたものであり、宿の予約から当日のアクセスについても丁寧に書かれていることだろう。そしてその部分を読むにつけ、私の探訪中の趣向と実に合致しているのを感じる。
さらに筆者が酒好きであり居酒屋や地酒などの話題も随所に見られること。
客寄せを狙った、キャラクター物などを立てて町を宣伝しているようなことに否定的な感想が散見されるのも私の思いと共通する。
しかしそれよりもやはり、筆者の古い旅館に対する深い愛情が行間にあふれているのが一番大きいのだろう。

触れられた旅館の中には私も実際泊ったことのあるものもあれば、知人が泊ったという旅館もある。また残念ながら営業をやめてしまったものもあるようだ。

依然として慌しく町を訪ね歩く形が続く私の探訪も、趣向を変えていきたいとここ数年思いはじめている。実際変ったといえるのが、泊るところは原則旅館と決めていることだが、もっとその部分にこだわってみたいものだ。何しろ古い旅館はいつ営業をやめて、泊れなくなるかわからない。旅館に好んで泊るようになった私も実際思うことである。

このボロ宿紀行のような旅もひとつの形としては理想ではないか。
「日本ボロ宿紀行2」の残りを読み進めるのが楽しみだ。
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今回は、食事中または前後の方にはちょっと申し訳ない内容の話。

先日、勤務先の近くにある公園のトイレに入ったときのことである。
ふと個室の壁にあるこの注意書きが眼に入った。
中国語(簡・繁)、ハングルそして日本語が併記されている。

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そんなこと判りきっているではないか。
拭いた紙を流さずわざわざゴミ入れに入れるアホなどどこに居るのか、と思う人もいるだろう。

この公園は世界的にも有名で、多くの外国人の訪問がある。
そう云えば、アジア諸国では水洗トイレの機能が不十分で、尻を拭いた紙をそのままトイレに流せない国もあると聞いたことがある。その代わり紙を入れるゴミ箱のようなものがあるのだそうだ。
私は中国は訪ねた事はあるが、そのようなトイレには出会わなかった。
たまたま出くわさなかっただけかもしれないし、国や地域によっては逆にトイレに流すのではなく専用のゴミ箱に捨てるのが常識であることもあるのだろう。

基本的には日本語訳?は要らないこの注意書き、しかしそれがなければ、利用者の多くを占める日本人には、不信感を抱かせるだけのものになるから、増加する「ゴミ箱に捨てる」文化圏の人に向けながら、そして一方では日本人にも配慮した注意書きといってよいだろう。

そんなことを考えさせられる注意書きだった。

「平成最後の・・」というフレーズ。

昨年後半から急激に眼にする頻度が増し、年末は「今年最後」というべきところ、それを差し置いて多用されていたようにも感じられた。
ある日など、新聞の番組欄を見ていてふと数えてみたら番組タイトルをはじめ6つもこのフレーズを発見した。私は毎年発表される流行語大賞というのは全く興味ないが、昨年後半以降に限って言うと、間違いなく大賞レベルだろう。

私が「言葉のはなし」のジャンルで記事を書くのは、その言葉に対して違和感や嫌悪感を持ったことが発端であることが多く、「平成最後の~」についても安易な潮流に流されているようで、何でもかんでもそう呼べばよいというものではない、といった思いが先に立つ。

余りに多用されるので、こんなことにもなっているようだ。SNSでちらりと見た話題。
大晦日での夫婦の会話、奥さんが平成最後のお風呂に入ろう、といって姿を消したことで、
では年明けからは春まで一切風呂に入らないのか?と旦那さんが返した、という呟きである。
今年最後の入浴というべきところを平成最後と言い間違えたわけで、それほどこの言葉が奥さんの耳に残っていたのだろう。

とはいえ、平成最後平成最後とメディアなどで煽られてもまだ割と世間一般は冷静で、今のところ普段どおりの年末年始といった風情だ。
そして暫くはその状態が続くだろう。

旬でキャッチーな言い回しなので安易に、そしてさらに今後は濫用といえるほどの使い方になることだろうが、それに振り回されてはならぬ、と自戒したい。

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