孫さんのあれこれ雑記

2015年07月

映画鑑賞という趣味は昔から私にはなく、そんな暇あるくらいなら旅行や探訪を選ぶのが常だった。

但し、一時的に時折映画館に足を運んでいた時期があり、1998年から99年辺りがそれにあたる。
ちょうど、前職を辞めてフラフラし、その後今の職場に転職した頃だ。
要するに、そんなことに時間を割ける暇があったからだろう。

当時、まだ大型の映画館での上映が主流で、映画ファンも劇場に足を運んで鑑賞するのが基本だった。

そんな中で一本を挙げるとするならばこの一本。

『もういちど逢いたくて-星月童話-』

1999年の夏に公開された香港映画で、主演:レスリー・チャン(香港の俳優で故人)、常盤貴子。

確か公開最終日近く、そのため観客は非常に少なかった。

その後一度TVで放映され録画したが、再生すると録画の仕方が悪かったのか、日本語版と原版の台詞の音声が被って意味不明状態で観る気を失った。

それ以来だから、正味16年ぶりということになる。

きっかけは、これも些細なことでYouTubeで森高千里さんの「まひるの星」という曲が、リカバーされてUPされていたのを見たからだ。この映画の主題歌で本編中にも流れるシーンがあったことを思い出し、それをきっかけに当時のさまざまなことが思い出されることになった。

物語は平凡といえば平凡で、常盤貴子演じる女性が事故で亡くした婚約者そっくりの男性に香港旅行で出会う、といったありがちな出だしで、内容的にも女性の方が共感するストーリーだろう。しかし数少ない鑑賞履歴のなかで、ダントツで印象深い一本といえばこれを挙げる。
仕事のことだけでなく、プライベートでも色々なことがあった時期でもある。そんなこととこの映画のストーリーが共鳴したのかもしれない。
映画や音楽は不思議な力があり、第三者の考え方や人生観にも間接的に影響を及ぼす事もある。

今回DVDを再生しながら、多くのシーンははっきり覚えていたし、懐かしくも少し涙ぐましくもあった。
常盤貴子さんは私と同年齢なのだが、当然ながら若い。
私も当時に戻りたいと思うがそれでは後悔する事になる。

そんなことをぼんやりと、DVD鑑賞後感じていた。

それにしても余りに締りがない記事なので、主題歌を森高千里さんがセルフカバーしている動画を貼り付けます。



2007年に私が書き残しているものに、こんなものがある。

『最近テレビのCMを見ていると、一つの定型が見られる。宣伝の最後の方で検索を促すが如く商品名などの文字列の入力と検索というボタンが並び、マウスポインターがボタンをクリックするというものだ。』


CM自体、昔から私は非常にわずらわしいだけのものとの認識で、当時特に判を押したようにどれも「検索」のボタンが最後に出てくるのが余計苛立ちを増幅させるものと感じ、思わずこのような書き出しでブログ記事を掲載した。

そういえば最近、このタイプのCMを見なくなった。

その理由は、スマホの普及に他ならないだろう。マウスポインターが検索のボタンをクリックするのは、PCの画面においてであり、スマホでは、指の操作で全て完了だからだ。

でも私は、スマホよりPC派である。
日常のネットでの操作が、私の場合HPの作成、アップロードなどPCの方が便利なものが多いのもあったし、「新しいものにはまず嫌悪感を抱く」私の性向も災いしたのかもしれない。

実際スマホも持っているが、ニュースを見たり検索したりたまに音楽を聴いたりするくらいで、能動的なネット活動は専らPCだ。むろんこの記事もPCから作成している。

若い人は、文字を打つのもPCよりスマホの方が早く、逆にPC離れになっているのだそうだ。
その感覚、私は全くわからない。PCのキーボード配列でないと私はめんどくさくて文字を打つ早さが極端に落ちる。

学生時代などにギャップを感じていた時代遅れのオヤジになっていくのかと、その過程を踏んでいるようで何とも心許ない気分になる。

7月の半ばに差し掛かる頃。

思い出されるのが2年前の6月からこの時期にかけての一連の、松浦亜弥さんに関する出来事だ。

約3年前にネット動画で彼女の歌声の魅力にようやく気付いたときには、既に表立った活動は少なくなっていた。
生の歌声に一度は接してみたいという強い願望が募りながら、メディアに出る事もほとんどなくなっていたこともあり、その場を求めることは難しい状況だった。

調べてみると、ファンクラブはまだ存続しているらしいが、どうも本人が活動しているようには思えないし、入ったところで何の特典があるのかも今ひとつはっきりしない中で、時々チェックするに過ぎなかった。
そんな中、ある日公式サイトを訪れてみると何とライブの告知がなされているではないか。

そのライブは、会員以外は参加できない由。申込み期間は終わろうとしていて、しかもこれから新規会員申請をしても会員証が発行されるまでひと月必要とのこと。
これはまあ、せっかくだが縁がなかったと思うしかないと諦めながら、しかし全く活動しないわけでなさそうだし、このライブを皮切りに再開するのかもしれない。申込みしておいて損はないかもしれないということで、まあ大した期待もなく手続きをした次第である。

ライブ開催日をおよそ10日後に控えた7月頭になって、席数の調整で空席が出たのか、「当日券予約を受け付ける」という記事が出たが、その受付日は申込後3週間余りしかない日だし、と思い、あと1週間早ければよかった、まあやっぱり今回は縁がなかったと。次あればそれに期待したいという思いだった。

ところが、当日券予約受付日前日に会員証が手元に届いたのである。それが、関係ないかもしれないが七夕の日だったので、これは行きなさい!というサインだと直感したのだ。翌日、仕事中に気付かれぬように、何度も手元で予約専用番号への発信ボタンを押し続けた。何しろ1回線しかないからなかなかつながらない。まあ無理だろうねと思って粘った甲斐あってか、1時間ほどして電話がつながった。

幸いまだ空席があった。まさか彼女の生の歌声を聴ける機会が、それも1週間後という直近に思いがけず来るとは、ひと月前には思いもしなかったわけだから、幸運が重なったこのライブ参加の機会を大切にしたいと思い、あっという間に当日を迎えたわけである。

当日は今日と同じく蒸し暑い日で、受付に並ぶだけで汗が吹き出たのを思い出す。
何だかわけもわからずとにかく会場に入って、最初に歌ったのがこの曲である。



彼女にとって1年半近く、ライブはおろかその他の活動も一切していなかったとの事で、プライベートでも歌う機会は少なかったと、そんなMCをいきなり聞かされて呆然としてしまうことになる。
ファンの一部は、このときの歌唱が物足りないという感想も見られたが、1年以上本格的に歌わずこのライブもほとんどリハーサルしないで望んだというのだから、それを考えると相当なパフォーマンスの高さといえる。
少なくとも私はこの曲で彼女が歌いだしたときのその声が今でも鮮明に頭に残っている。

そんなライブを、また体感できる日が来ることを信じて、そういえばしばらく観てなかったこのライブのDVDを今晩は再生してみようと思う。

・・・あれからもう2年になるのですね。

この写真は、見方によってはもっと昔の写真っぽいが、1988年6月に撮影したものだ。とはいえ早いもので27年も前のものになる。

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これは岡山県児島と下津井を結んでいた下津井電鉄の車両である。
残念ながら、瀬戸大橋開通後しばらくして廃止された。
元々は国鉄宇野線の茶屋町が起点だったらしいが、その当時のことは知らない。
一方、下津井は私の町並サイトでも取り上げているように、大変歴史のある港町だ。
宇高連絡船の陰ではありながら、丸亀へフェリーが出ていたので、零細ながらも本四を連絡する役割を果たしていたものと思われる。

私が乗ったのは、瀬戸大橋開通直後、既に晩年期にはいってからだが、話題に満ちた路線だった。
写真を見ると、天井の部分に無数の落書きがされているのがわかる。落書きし放題の電車が走っていた。「赤いクレパス号」という愛称がついていて、運よくその車両に乗れた記念に撮影したものだ。

当時高校生だった私は旅行好きの友人と出かけ、折りしもこの日は瀬戸大橋を渡る列車に乗って香川県から徳島県を一通り回って、夕刻帰り際に児島で途中下車しての寄り道だった。

途中、車窓には瀬戸内の海と巨大な吊橋が占めた。

この迫力の車窓も晩年の下津井電鉄の魅力の一つだったのだろうが、それが廃止に至る原因になったとは、皮肉なものだ。

この春になって、京都市中心部の東西の通り「四条通」の歩道の拡幅工事が行われ、片側1車線となり、大規模な渋滞が問題となっているという記事を眼にした。

大学時代、そしてその後探訪客として度々訪ねたときの印象から言うと、当時から週末の午後は相当な渋滞が発生していて、バスが何台もバス停に連なる姿を通りに面する建物の中から何度も見たことがある。

私は拡幅後の様子を見てはいないが、これを聞いたとき、何ということをはじめたのだろう、というのが正直なところだった。
ところが最近手にしたある専門誌で、5月以降渋滞は収束し、市バスの四条通の通過時間は拡幅前と同レベルになったのだという。
市は、車線減少の周知不足が渋滞を巻き起こしたと分析。渋滞が問題化したことで四条通に車を乗り入れることを控えるドライバーが増えたために、自然に緩和されたのだろう。

道路拡幅というと車両通行の緩和ということに決まっていたが、この事例は観光客買い物客などの通行の多い歩道を広げ、ゆったりと四条通の散策を楽しめるようにというのが狙い。

京都市街地は戦災を受けずまた伝統的な町割を守る地元の意識の高さにより、バスなどの通る何本かの通り以外ほとんど路地で占められ、離合も困難な細い通りも多い。しかしそれら全てに歴史的な通り名があることは知られるところであり、車社会になっても良くぞ大きな改変をしなかったと思うところだ。
しかしそのために車で訪ねるのは日本一不向きな町といっても良いだろう。

この車社会にある意味抗う町であるからこそ、市街屈指の大通りの車道幅を狭めるという発想が生まれうるわけであり、一旦悪い方向に振れながらもほぼ成功したこの例が、他の都市にも好事例として広がっていかないかな、そう私は思う。

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四条通ではまもなく京都を代表する夏の祭、祇園祭が始まる。山や鉾が四条通に交わる南北の小路に据えられている風景も風情あるものだ。
写真は2007年のものだが、歩道が拡幅された今年はまた少し違った祭の風景が展開されることだろう。

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