孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

2015年10月

先日、私のtwitterアカウント内で、彼女のある曲の動画コメントを引き上げてツイートしたところ、他のあるアカウントからこのような反応があった。

『松浦さんという人はたんなる元アイドルではなく、ソウルフルな稀有な歌手なので、われわれは、期待してしまいます。』
という動画コメントを取り上げた私のツイートに関し、
『前の職場で知り合ったバイトの子が 「すっごい良いから聴いてください!」 ってアピールしていたんだよね。 >RT』
というものだった。
(※RTとは「リツイート」のことで、他アカウントの呟きを自アカウントで引用し拡散するという意味)

「バイトの子」は大学生位の女の子?なのか。そして、このアカウント主も男性か女性かはわからないが、他のツイートをのぞき見るに、彼女とそれほど年齢は違わないに違いない。

私はこの反応を見て、色々と思いを膨らませた。

既に若い人の間では、松浦亜弥さんは既に、基本的に認識されていないのだろう。
考えてみればそうだ。活動最盛期の頃彼ら彼女らは、まだ小学校低学年くらいだったのだから。

以前少し触れたことがあるが、私の動画サイトで扱う松浦亜弥さんの曲の多くはアイドル曲ではなく、20歳を超えてからの歌唱力を前面に出した歌唱の動画であるにもかかわらず、特に女性の視聴者に若年層が目立つ。
それは特に妊娠出産報道で、同年代から若い層の女性の共感を得たことによるともいえるが、それ以後ずっとその傾向が変わっていないので、20代前半以下の若い世代にも、ある一定のファン層があるのではと思っている。
多くは、動画を見てその魅力に気付いたのだろう。
私の場合は意外性を含んだ再発見だったが、彼女たちにとっては全くの新発見である。

その根底にあるものは何なのか?

私は、その歌い方の素直さ、正統派の歌唱にあるのではと思う。

最近の20~30代前半くらいの女性歌手で歌唱力が評価されている人を思い起こすと、いずれもやや歌声や歌い方に「個性の強さ」が感じられてならない。どことなく凝った感じである。
人によっても感じ方は異なるので一概にはいえないが、そのような歌声は、最初はインパクトが強い印象を感じるかもしれないが、一方で飽きやすい。
大所帯で合唱するようなアイドルグループが席巻する中、彼女のそのような歌声は、新鮮に感じられるものなのかもしれない。

30代後半以降のある程度キャリアを重ねた歌手には及ばないとしても、松浦亜弥さんほど、ソロで正統派勝負できる歌手は稀有な存在といえる。私はその思いはゆるぎないものになっている。

彼女が今後動いていけば、若い層に対しては新鮮さを、アイドルとしてのイメージしかなかった層に対しては再認識再評価されることは間違いないと思っている。

では、その正統派の魅力が伝わるのは?ということで色々考えたが、例えば  この曲辺りだろうか。



先日、何ともなしに情報番組を見ていて「人口争奪戦」なることばを聞いた。
人口減少時代を受けて、地方が何とか人口を維持しようと躍起になっているのだそうだ。
一昔前までには考えもしなかった単語だろう。

ある自治体は、移住後すぐに農園を開園できるよう準備しておき、転居者を募るとのこと。また他の地方都市では、社会人になると同時に大都市へ転居してしまうのを防御するために、その都市への通勤費を、特急料金を含め補助するとのこと。

それらはただ、最終的には自治体が疲弊してしまうことにつながるのではと思う。地方財政の実態など私は全く詳しくないが、その財源歳出で費えてしまうことになるのではないかと。

それどころか、争奪戦の土俵にすら登れない地域や自治体が多くあるのではないかと。
その思いを強くしたのが、広島県三次と島根県江津を結ぶJRのローカル線「三江線」が廃止の方向に動いているとの記事を見たことだ。
もともと零細きわまる路線で、いつ廃線になっても不思議ではない状態ではあったのだが、その報道で私が何よりも驚いたのが、JR発足時から乗客が9分の1に減少したということだ。これは本当に、驚くべき数字といえる。

それらの地域は例外なく高齢化が進んでいて、医師不足の今、医療を受けるのが困難な地域の続出。地元の祭も人が減って高齢化で廃れてしまった例はあちこちで聞く。

そんな中で、地方の人口が奪い合いになっていると聞いて、その犠牲は計り知れないものになるのではないだろうか。
どうなるのだろうと思っても、今は想像も出来ない。

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先日のある有名女優の死。
私はファンでも何でもなくメディアの報道もほとんど見なかったが、世間に多くの感銘を与えたのは間違いないだろう。
その真骨頂は、既に死期が知らされ、骨皮といった外観の病躯を晒してさえも、仕事を全うしようとしていた姿だろう。

そして私がこの一件で思い起こされたのが、作家・吉村昭氏のことだ。

吉村氏の小説は高校生の頃から当分の間親しみ、心に残る名著というと思いつくだけでも数多い。

氏は2006年に逝去されたが、その臨終は自ら点滴の管を抜き「もう死ぬ」と周囲に宣言してのものだったという。

吉村昭氏の遺作となった短編は私小説で、このようなくだりがある。

『幕末の蘭法医佐藤泰然は、自ら死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも絶って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。その死を理想と思いはするが、医学の門外漢である私は、死が近づいているか否か判断のしようがなく、それは不可能である。』

吉村昭氏は、学生時代に当時死病として恐れられていた肺結核の末期患者となり、開発間もない胸郭形成術という大手術を受け奇跡的に回復したという病歴を持つ、それは肋骨を切断することで肺の病巣を潰すという、「土木工事を想起させる大手術」(氏の表現)であった。

また先の遺作中で、闘病中に見舞いに来てくれた者に気丈に振舞った反動で、その後必ず症状の悪化に苦しんだ経験から、『死の確定し病臥している人の見舞いに行くことはひたすら避けている』ともある。
このような臨死状態の体験、さらに昭和2年生まれの吉村氏は、戦時中に数多くの死のある風景を見てきており、自らの死に対しても、ある意味客観的に受け入れることができたのか。

私は読書家でも何でもなく、たまたま出会った作家である。
吉村昭氏の作品、そしてその背景の激動の人生を思うと、私は氏からどれほど多くのことを学ばせてもらったかわからない。
氏については、機会があれば改めて記事を立ち上げたい。

今年のセリーグの覇者。開幕前には上位予想にもほとんど見なかった。ただ各チーム決め手を欠く状況であることは開幕前からも予測が付いており、上位に推す者が少ないのも前年までの成績を見た消去法的理由だろう。しかしシーズンを終えようとしている今、振り返ると必然性を感じる。セットアッパー、救援投手が鉄壁であったこと、天才的な打者を中心として攻撃陣が厚かったこと。

わが地元球団。開幕前の期待度は少し感情任せではなかったか。実績と実力は申し分ないとはいえ40歳の黒田投手に、例えば20勝などといった活躍は、さすがに期待するのは酷であろう。一方で出て行った投手もいる。黒田投手は、今シーズン常に登板試合は完璧に抑えることを期待されていた。事実、シーズン後半には期待はずれだったという声も聞かれた。しかし私はそのように思ったことはない。しばらくぶりの日本の野球そして変わった本拠地球場への対応、もちろん年齢のこともある。そんな中、昨日の投球は圧巻だった。打席でも、余り得意でない打席でも、ファールを重ね10球以上の粘りを見せ、その姿に野手が奮起したのか翌イニングの得点につながったように思う。

この時期になると、選手の去就が注目される。今年は40歳以上の選手のほとんどが一度にユニフォームを脱ぎ、40代選手は数えるほどになってしまう。また戦力外としてチームを去ったり別の球団に採用されるべく活動する、そういった情報を眼にすると、野球シーズンの終盤を感じ、そして1年もあと数ヶ月であることを実感したりする。いつの間にかといった感じだ。

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