2015年12月

2015年12月23日

「赤いスイートピー」を歌う松浦亜弥

今年の紅白歌合戦の曲目が先日発表された。NHKの番組だから、出演者の選択は比較的万人向きとはいえ、最近は初めて聞く歌手やグループも多く、正直以前よりは興味が失せている。
しかしそんな中で、松田聖子さんが「赤いスイートピー」を歌うというのが眼についた。
世代によって異なると思うが、私には懐かしい曲だ。懐かしいと思う最後の世代かもしれない。
当時小学生だった私は、大人の初々しくも微妙な恋愛感情が描写される歌詞に、情景を思い浮かべていたのを覚えている。

しかし、その本当の原因は、松浦亜弥さんが数年前のライブでこの曲を歌ったことだろう。

私が初めて参加した会員限定で開催されたライブだった。ファンからのリクエストにより他アーティスト曲を歌うという形は、この手のライブでの恒例だったので、今回もそのコーナーが楽しみだったのだが、イントロが始まった瞬間、参加者からどよめきが起きたのを良く覚えている。




(ライブは2部構成で、上から第1公演・第2公演の映像。MCあり)

このときのライブパフォーマンスは、古くからのファンによると満足すべきものではなかったという声をあちこちで耳にする。
しかし、臨席していた私は彼女の歌声を聞きながら、子供の頃の懐かしい感触を思い起こさせるのに十分なものを感じていた。
この曲が発表されたとき彼女はまだ生れる前なので、聞きなじんではいなかったはずである。
それでも私にそのような感を抱かせるのだから、やはり私が動画で感動していたのは間違いないと、そのとき確信した。

私が感動する彼女の歌唱シーンは、どうもカバー歌唱が多く、古くからのファンなどにはその点恐縮してしまうのだが、オリジナルを尊重しながらさらに自身の表現力で素晴らしい歌唱に仕上げていくという能力は半端なものではないと感じている。
リハーサルも十分にしないで望んだライブとのことで、今映像を見ても確かにもっと高いレベルでそれが発揮できるのではと思える。それでも私にとっては、この曲を聴けたことでライブに参加して良かったと思えるものだった。

本格的な形での再活動はしばらく先になっても良いから、カバーアルバムをリリースするというのはどうかなと、私はずっと思い続けている。

mago_emon at 00:00|PermalinkComments(14)松浦亜弥 

2015年12月20日

座席四苦八苦談

最近ネットの情報で、クロスシート/ロングシート論が再燃しているといった情報を眼にした。
在来線の普通列車の座席のことで、前者は進行方向に対して(または背にして)着席する座席のことをいい、後者は進行方向に横向きに窓を背にして着席する座席のことをいう。

私はこの情報から、はるか以前の鉄道旅行を趣味としていた時代に「座席四苦八苦談」と題した随筆を書いていたことを思い出した。
要約すると、ロングシートの車両からは旅情が半減してしまう。ボックスタイプのクロスシートが一番お気に入りだ。ロングシートの車両は通勤列車のイメージがあり、空いていたとしても旅の移動には望ましくない、という内容である。
とはいえ当時は国鉄時代の車両がほとんどを占めていたので、現在と比較すると幹線でもローカル線でもボックスタイプの座席が主流だった。
見知らぬ乗客と向かい合わせになるという煩わしさもあるが、空いていれば少々行儀は悪いが前の席に足を投げ出し、車窓を堪能する事もできる。駅弁を味わうにも適度な遮蔽空間のおかげで、自然だった。

ところが今では大都市近郊区間のみならず地方でもロングシートの列車が増加している。
私は既に鉄道での移動は目的を果たすための手段に過ぎず、ロングシート車でも乗車時間が長くなければ気にしないのだが、鉄道旅行の旅情を大切にしたいと思う層から反発が出ているのだろう。
一方で、何故そんなことに熱くなるのかという層もあるという。昔ながらの「列車」の趣にこだわらず現在の車両運用に抵抗のない若い乗り鉄層か、移動を目的とは考えない旅好き層なのだろう。

そんな議論を見て、私も熱くなっていた頃がふと懐かしく思い出された。

mago_emon at 22:15|PermalinkComments(0)旅と鉄道 

2015年12月12日

「火の用心」

年末を感じさせるもの、私にとってもっとも実感度が強いものは、「火の用心」の夜回りだ。

深夜に差し掛かる頃、数人で編成を組んで、「火の用心」と声を上げながら拍子木を叩く。
静まり返った夜の澄んだ空気に響き渡る拍子木の音は小気味良く、それが始まったことで今年もいよいよ押し迫ったことを感じる。

地元を離れていた時期も帰省していたので、物心ついたことからほぼ毎年聞き逃すことはなかったと思う。
かつては、学校が冬休みに入る頃には始まっていた。しかし、ここ最近は29・30日辺りのごくわずかな期間しか、その恒例行事が行われていないようだ。

小学生の頃、「火の用心」の声と拍子木が始まると、祖父は仕入れた藁で注連縄を手作りした。餅も、餅つき機を使い自家製だった。覚えていないが幼少のころは臼と杵でついていたという。
雑煮に入れる芹の葉も、父や祖父につれられて近くの谷間に採りに行った。
大晦日には三世代が集まり会食をし、紅白を見た。三が日まではそのような非日常が続いた。

最近は、あれよあれよという間に年末になってしまう。この時期から年度末に向けて異様に忙しくなる会社に勤務している事もあるが、私にとっての12月は本当に呆気ない。年も押し迫った頃に、そういえばあの「火の用心」をまだ聞いていないなと、ふと思い呆然とすることもある。

幸い、最近でも一度も聞かずに年を越すことはないのだが、今年も私の中の年末の風物詩に接することができるだろうか。
この声と音を聞くことで、年末を実感し新年を迎えるという思いが湧いてくるのだが。


mago_emon at 21:57|PermalinkComments(0)日常雑感 

2015年12月06日

趣向に影響を受けた二人のアーティスト

高校生から大学生の頃、大人の人の曲を意識して聴いていた時期がある。
一人目は尾崎亜美さんだ。
きっかけは尾崎さんの曲が聴いてみたかったわけではない。ただある日、CDショップでたまたま眼についた一つのアルバムを求めただけなのだ。
なぜこの1枚を手に取ったのか、今となってはその理由が思い出せない。
それは名曲「オリビアを聴きながら」をはじめとしたバラード集であった。
歌唱そして楽曲に心底から痺れた。
その歌い方は、奥深くから湧き出るような非常に感銘深いものだった。
今の歌手で、このような歌い方をする人はほとんどいないといってよいだろう。
歌声から情景が浮んでくるというのは、こういう歌唱を言うのだろうという思いはそれからずっと変わらない。

そのアルバムには収録されてはいないが、それが一番表れているものとして動画を貼り付ける(本当はCD音源の方がもっとよいのだが、消えてしまったので)。CMでも流れていたので、その頃10歳以上位の方は聴き覚えがあるだろう。
ほとんど同じフレーズのリフレインばかりで占められる一見単純な流れの中で、一度だけ現れるBメロの重さ。そしてその余韻を引き、またリフレインに戻っていく。



もう一人、鈴木雄大さんを挙げたい。
1982年から活動されている方だが、大きなヒット曲があるわけでも、表向きに活動しているわけでもない。
これも、たまたまラジオで流れていて、ふとしたきっかけでCDを求めたのがきっかけである。
氏の楽曲には、どんなものにも温かさ、優しさという共通したものが感じられる。



両氏とも、他アーティストへの提供も盛んに行ってきたが、特に鈴木雄大氏に関しては、後になって好きなアーティストの一人になったMisiaさんへの楽曲提供があり、私にとって相当嬉しい出来事だった。

音楽に何を求めて魅力を感じるかということは、それこそ人それぞれだろう。

私の趣味として音楽鑑賞は、旅行系の趣味に押されて優先順位としてはずっと低いものだが、私の指向ははっきりしていて、それは聴いていて心の琴線に触れるもの、またいわゆる、癒しになるもの、ということになる。
それは、この二人をはじめ、少し背伸びをして年長の人の楽曲に触れたことで固められたのだと思っている。

mago_emon at 22:01|PermalinkComments(0)音楽など