孫さんのあれこれ雑記

2016年07月

松浦亜弥さんのファンの方々の何人かとは直接お会いしたりネットでのやり取りがあって、公式でないライブ音源もあるファンの人経由で何本か手にしている。

どのライブのものかも良く知らないままだが、聴き応えのあるものばかりだ。

これはそのうちの一つで、数日前蒸し暑い早朝に目覚めてしまって、不意に以前ウォークマンに入れていたのがあったなと思い出して聴きなおしたもの。

甘く繊細で、哀愁を帯びたようで、そして体に直接浸透していくような独特の歌声。


(注)貼付の映像(音声)は状況に応じて削除する可能性があります。

私はこのライブ会場でこの歌声に触れていたなら、と思う。
至福のときとはまさにこのような時のことを言うのだろう。


ネットでの反応を見ていると、今でも彼女の素晴らしさに改めて気付いたり、何かのきっかけで思い出したりする人も少なくないようだ。
それを目にして嬉しく、そして頼もしく思う。
但し、それらの多くはいわゆるメディアの露出が多かった10代の頃に対してものものだ。
しかし、彼女の歌の本質はやはり、20代になってから発揮された(つつあるものだった)と私はどうしてもそう感じる。
後期のそれもマニアックライブなどの聴かせるタイプのライブシーンにひかれた私からすると、どうしてもそう思う。

このライブは後期になってからのもので、それも小規模な会場のものであるのは間違いなく、恐らくファンのごく一部しかこの歌声に接していなかったはずだ。それは誠に残念でもったいないことだ。このライブ音源での彼女の歌声は、やや繊細でか細い点が心許ないともいえるが、とにかく心に浸透する。
私の中では、他の歌手の歌声では体験し得ないものだ。

20代になってから、聴かせることに重点をおいたライブをやって来たのは間違いなく本人の意思があってのことだと思う。
このような路線は、今の世間の音楽嗜好からすると大きくヒットすることは無いのかもしれないが、多くの人々に感銘を与えることは間違いないと思う。
この続きが見たい。

どんなジャンル問わず音楽は趣味としては持ったことはないので、多くは語れないと何時かどこかで言った事がある。
実際、鉄道旅行や町並探訪などのよく言えばフィールドワーク、悪く言えば放浪が趣味だったので、それも仕方ない。
そんな中で、音楽と言っても流行り曲だが、比較的濃く接していたといえるのが中学から高校までの6年間かもしれない。部屋にTVを置くことは許されず、もちろん現在のようにPCや携帯・スマホなどない時代だったので、唯一の情報源はFMラジオというわけだ。
そこからは常に最新の音楽情報が流れてきていた。  当時の音楽情報源の筆頭はやはりFMラジオだっただろう。勉強している時もそうでない時も、部屋にいる時は常に流していたから、当時のヒット曲は今ではすっかり忘れているように思っても、動画サイトで気まぐれに聴きまわってもたいてい覚えていて、懐かしさを感じる。

まずこれは、中学校の修学旅行の時バスの中で流れていた曲だ。
当時全盛期だったグループである。


何故か卒業というタイトルの曲が2曲同時に発売されて、どっちが好き?と当時クラスの中でひとしきり話題になったのを思い出す。
菊池桃子さんと斉藤由貴さんの曲だが、私は菊池桃子さんの方が好きだった。

 

この曲を聴くと、夏休みの暑い中、部活動に通っていたのを思い出す。練習は昼からでひときわ暑い時間帯だった。夜ラジオをつけるとこれが良くかかっていたの記憶がある。
当時、不良(これも今は死語ですね)ものの映画が流行っていたのも思い出す。


このようなことを書くと私の年代年齢もわかってしまうようで、余り面白くないのだが・・。
それにしても、もう数十年前にもなる昔の曲群を無料で難なく見聞きできるとは、時代も変ったものだ。

6月12日に「先生も還暦」という駄文を書いた。

その数日後に、「先生の還暦を祝って久々に集まろう」とあるクラスメートから連絡があり、こんな偶然もあるのかと思いながら二つ返事で参加すると返した。

聞いてみると個人的な飲みのような数人の会合は時折あったものの、全体に働きかける同窓会形式は私が前回参加して以来の17年ぶりとのこと。

当時20代の若者だった先生が還暦になるのだから、当然ながら我々もそれなりに年を取っている。
或る者は一見スキンヘッドかと見紛うほどのハゲ頭(笑)で、また他の者は先生をコピーしたような白髪頭だった。
私も手入れしなければ実は結構白髪なのだが、一方で少年時代小太りで冴えない外観だったのに色黒で引き締まったイケメン!といっても差支えない風貌の奴もいた。

林間学校や修学旅行など、2年の間に宿泊をともにし、また先生の熱心なオリジナル企画も当時はちょっとめんどくさかったが、それが時を経ると、小中高通して最も濃厚な記憶になっている。
先生を中心にとてもまとまっていたメンバーだと思う。
なので長いことご無沙汰にも関わらず、全く幼なじみのように遠慮なく話し合えるのだと。
女子メンバーに対しても当時の赤裸々な話題が話せるというのは、他の集まりではあり得ない。
すっかり忘れていたことさえ色々思い起こさせてくれるものがあった。

彼ら彼女らと過した2年間が今でも精神的支柱のような気もする。
今後の日常の中で辛いこと苦しいことなどがあっても、このメンバーのことを思い出して何とか乗り切って生きたい、と。

ここ数日地元のニュース番組や新聞で見聞きしたもので、2件気になる記事・話題があった。

中国地方ではこの先30年でM6.8以上の強震に見舞われる可能性が50%を超えているとのこと。
最近、地震調査会なる組織が予測したものなのだという。
西日本は比較的地震の少ない地域とされてきた。実際、私自身携わっている橋梁の設計数値でも、地震力を見込む係数が東日本の多くの地域で1なのに対し、西日本では0.85の地域が多く、山口県や九州北部では0.7となっている。
しかし、先の熊本県を中心とした地震はその0.7の地域で発生している。
先日、ふと見ていた番組で、地震被害に遭うリスクを回避するために、首都圏から岡山県に移住する動きがあるというのを見た。
確かに岡山県では把握されている活断層は少なく、この予測の中での県別地域別の確率も低くなっている。
でも、それは本当にリスク回避になるのだろうか。
絶対に確実とはいえないはずだ。地震予知はその精度という以前に、予知できるレベルではないのが実際のところ。
ただ、万が一発生したとき、自分の身の回りにどんな事態が発生しうるか、そしてどこに避難するか、そういったことを想定すること、それだけで幾分かは違うだろう。
余り考えたくないことではあるが、頭の片隅に意識しておくかどうかは、いざというとき結果を分かつものになるのかもしれない。

もう一件は熊による人的被害。
秋田県での熊に襲撃され複数の死亡事故が発生した件をはじめ、今年はあちこちでそんな話題を聞く。
最近では県内そして近県でも人的被害のニュースを聞いた。
目撃情報だけでも、昨年の約3割増しなのだそうだ。
北海道に棲息する羆(ひぐま)は猛獣で、人間が食肉の対象になることもあり人的被害は少なくない。
私も吉村昭著「羆嵐」という小説を読んで戦慄を覚えたものだ。
しかし、本土の熊はツキノワグマで、性質はおとなしく臆病なもので、人に危害を与えるということも、私が知る限りではほとんど聞いたことがなかった。
それが今年になって突如として、それも全国共通の現象として現れたのか。
一つは餌となる木の実などの豊作で、子熊が増え個体数が増加したことによる食糧不足か、という専門家の指摘もあるが、野生動物の機微は人間には計り知れないものがある。
生息地の近くに住む人、山間部を訪ねる際には、おびえる必要はないがちょっとでもそのことに考えを巡らしておくだけでも、違うものがあるのではないだろうか。

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