孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

2016年08月

史上最多のメダルを獲得した今回のリオ・デ・ジャネイロ五輪。

競技中継そのものは私は熱心に見ていたというほどではないのだが、相次ぐメダルを獲得の報とは別に、一つ印象的なニュースがあった。

閉会式の演出・監修を椎名林檎さんが担当したというものだ。

実はデビューから数年の間、私は椎名林檎さんに強烈に引き込まれたことがあった。
私の音楽嗜好からはだいぶかけ離れているタイプなので、今思っても不思議だが、それだけのエネルギーやパワーがあったのだろう。
離れて当分になるものの、アーティストとして演出家として類稀なる才能を発揮しているのを感じる。

そのことで、もやもやとした思いが沸々としてくるのを感じた。

2013年に行われた松浦亜弥さんの会員限定ライブでのこと。
今後も定期的に集まりましょう(ライブをやりましょう)、というバンドメンバーの投げかけに、
「5年くらい空いてもいい?」と返すやりとりがある。
不意に口についた言葉だろうが、多分彼女は、今後出産から子育てを経て、出来れば5年後くらいにはまた歌いたいと思っていたのではないかと思う。

東京五輪は2020年なので、その5年は経過していている。

椎名林檎さんは、松浦亜弥さんと親交があるという情報を眼にしたことがある。
そしてその歌唱力にも一目置いていることも。

東京五輪で引続き催事をプロデュースするという声も聞かれる。だったら松浦亜弥さんを大抜擢してもらえないだろうか。

不意に何かの応援歌に抜擢されて、多くの人の耳に留って「これ誰が歌っている?」となればしめたもの。

今回は随分私の独りよがりのような記事になってしまったが、好成績に乗じて・・。

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今朝ふと近所を散歩していると、昔聴き馴染んだメロディーが聞こえてきた。

それは朝のラジオ体操番組の始まりに流れるもので、少なくとも私と同じか上の世代ではそういうとすぐ思い浮かべられるものだろう。

そうことわりを入れたのは、最近夏休みにラジオ体操をする子供たちの姿をめっきりと眼にしなくなったからだ。最近どころか当分見ていない。
私が小学生の頃は、朝ラジオ体操に参加するのは半ば強制的なもので、子供たちは学校で配布された台紙を首にぶら下げて近所の決められた場所に集合した。そこには上級生がラジオを持ってきていた。そして例のメロディーが始まると、それに続く第1・2体操の伴奏に合わせて体操した。
ラジオ体操が終わると、当番の上級生に台紙にしるしをつけてもらう。それはシャチハタの印鑑状だったり、サインだったりしたが、夏休みが終わって学校にそれを提出する時、空欄がなく真っ赤なことを周囲に自慢したりした。
日曜日や盆休みにはなかったと思うが、それがために子供たちは早起きの習慣がついていた。
そういえば一度だけだが、そのラジオ体操中継が近くであって、朝4時頃からバスに乗ってそこに向ったこともあったことを思い出す。

ラジオ体操と並んで小学校の夏休みの思い出としてあるのが花火だ。
当時、近所には同年代の子供だらけだった。夕食が終わると、家の前の路地のどこからか花火をやりだす音と子供の声がする。
それを合図に花火大会の始まりだ。
線香花火のようなおとなしいものから大きな音がするものまでさまざまだったが、ネズミ花火という激しく回転した末乾いた音のするやつが大会のハイライトだった。
路地には花火の煙の匂いが漂い、はしゃぐ子供たちを見た親たちの制止する声が交錯する。
今は花火大会などに子供を連れて見に行くことはあるのだろうが、家の前などで、しかも近所の子供たちを巻き込んで一緒に花火をするような情景は残っているのだろうか。

少なくとも都市部では、失われて久しいように感じる。

そうしたことを、今日は朝あのメロディーを耳にしたことで色々思い出していた。

(ちなみにこれは、私が小学生だった1978年から1983年にかけての情景です。地域によっても違うかと思います)

連日待望されていたイチロー外野手のMLB通算3000安打の記録。その会見の様子を見たが、表情や発言にいつもとは異なるものを感じた。

一言で言うと、一個人としての人間らしさが濃くにじみ出ていた。

何しろ達成後、ベンチで涙を流したというではないか。あの常にクールなイメージのイチローが、と。
会見でも触れていたが、今回の記録は本人にもかなりの重圧だったらしい。

しかし一方で、インタビュアーの「達成感が今後のモチベーションの妨げになることもあるのでは・・」という問いに、真っ向から反論していた姿も印象的だった。

その姿から、まだまだ気力体力ともに衰えていないのを感じた。
私はイチロー外野手と近い年齢なので、住む世界は異なれど高い意欲をこれだけ続けられるというのがいかに難しいことかがよくわかる。ましてや体力勝負が全ての世界だ。

そのプレースタイル、そして本音もにじみ出た今日の姿に少なからず感銘を受けたプロを目指す若い球児、そして同年代の者も多いだろう。

MLBに骨をうずめる覚悟なのか、日本に戻って有終の美を飾るか。いずれにせよまだまだ当面はプレーを続け、記録を重ねていく期待を抱かせる日となった。

かなり以前のこと、もう何時だったかも忘れてしまったが、多分高校生の頃だったろう。
広島駅を朝一番の芸備線で出発し、三次から三江線、山陰本線と乗継ぎ、そして宍道から木次線に入り再び芸備線の備後落合駅に至り戻ってくる。このルートでの日帰り鉄道旅を実行したことがある。
今はどうかと時刻表を開くと、実現できないことがわかる。木次線の出雲横田駅で途方にくれてしまう。
その原因は三江線と木次線の列車本数の減少、そして鈍足化だ。

折しも、三江線の廃止についてJRが正式に表明するという記事を見た。
三江線に限った話ではないが、このようなローカル線における乗客の減少は全国的にも深刻で、JR発足時の10%にも減少している路線もあるという。
人口が減少局面に入ってきて、なおかつ東京を筆頭とする都市部に人口が集中しているのだから、考えてみれば当然の現象だろう。

正直なところ私も、国鉄時代にあれだけ赤字ローカル線が淘汰され廃線になったのだから、残った路線は安泰だという思いを安易に抱いていた。
しかしこの三江線では、1日あたりのkm当り輸送人数が40人にまで減少していると聞いた。
これはもう鉄道事業として存続できるとは、実際とても思えないものだ。
一方で、北海道でも留萌本線の末端区間、日高本線などの廃止が決定または噂されている。
廃止か否かの俎上に上がっているのが「本線」であることも驚かされる。
路線の廃止までにはいかなくとも、駅周辺の人家がなくなり乗降客がほぼゼロになった駅があるため、それらの廃止が実行または予定されている。

これらは、特に都市部に住んでいる人にとってなかなか想像しがたい事実かもしれない。
私はまだ古い町並などを求めて地方に足を運んでいる方だからまだ理解できる方だろう。

鉄道の廃止というのは、たとえ普段利用していない住民にとっても受入れ難いことなのだろう。
私は車を日常生活に使っているからもうなくなっても結構ですよ、と冷淡に切り離せる住民は少ないはずだ。
そこには少年時代、毎日通学で利用していたなどという色々な思い入れもあるだろう。

そしてそれは精神的なものに留まらない。
鉄道の廃止によって、極端なことを言えば、鉄道の廃止→限界集落化、という最悪のシナリオの可能性が潜んでいるともいえる。

この問題には、人口減少時代を象徴する、最先端をゆくものがあると思う。

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