2016年12月

2016年12月27日

生かしてもらっているだけでありがたい

以前勤めていた職場の先輩に、先日とある用件があって昼休みに久々に顔を合わせた。

限られた時間だったが、その用件のことより先輩の病気のことでほとんど話題を費やしてしまった。
昨年に「ほとんど死にかけた」のだという。1ヶ月間は記憶なし、長らく入院し社会復帰まで半年を要したという。

原因はくも膜下出血とのこと。
私と3歳しか違わない、40代の人である。

くも膜下出血を発症するのは高齢者に偏っていないようで、30・40代の人でも結構あるようだ。
もと広島の選手で当時巨人のコーチを勤めていた木村氏もこの病に突如襲われ、試合前のノック中に意識を失いそのまま帰らぬ人になっている。

何の前兆も無く発症し、一度発症すると死に直結しかねない。命を取り留めたとしても後遺症が残る場合がある。事実、先輩も口調がもつれたようなやや不自然な感じになっていたし、何より階段を降りるのが難しいとのこと。片足の足首付近から麻痺が残ってしまったとのことだ。

聞くところによると発症後5日間意識不明状態だったそうで、まさに死にかけた状態から生還したのである。

健全に生かしてもらっているだけで有り難いと思わなくてはいけない。
束の間の再会を終えてその思いを新たにした。


mago_emon at 22:29|PermalinkComments(0)日常雑感 

2016年12月18日

「松浦亜弥 ラグジュアリー・クリスマス・ナイト2013」から3年

『この度は「松浦亜弥 ラグジュアリー・クリスマス・ナイト2013」にお申し込み頂き、誠にありがとうございました。お申し込み頂きました下記の公演が、抽選の結果ご当選されました。』
というメッセージで始まるメールを、今でも大切に保管している。

ちょうど3年前の今頃になる。
このライブは、東京駅から程近い位置にあるライブハウスで行われ、アルコール類や簡単な食事も出る、雰囲気的にはディナーショーにも近いものだった。お酒を片手に彼女の歌声に文字通り酔いしれた。

(当日の楽曲の一部)


こんなお洒落な空間でのライブを楽しめるという体験は、それまでは考えられなかったことだ。
私は日本全国を探訪するばかりに、他の趣味はほとんど持たなかったからだ。
ライブに参加するという行動自体、人に連れられてというものはあったものの自分から本当に行きたい、と思ったのは彼女が初めてだったのだ。

実際彼女のファンになって以来、副産物も沢山ある。
まずはファンの人との出会い。多くはネットを通じてのものだが、実際顔を合わせお話しする機会も何度かあった。そのたびに、彼女を思うファンの熱い気持ちを知った。
もうひとつは、以前好んで聴いていたアーティストさんの楽曲をふと聴きなおし、その良さに再度気付くきっかけを与えてくれたこと。一部はライブにも参加した。

でも、やはり彼女の続きを見たい。
最近の私に、少なからぬ影響を与えてくれたのが松浦亜弥さんだからである。
もう少し踏み込んでいうと、私の本当に感動した彼女の歌唱シーンは、まだ映像でしか見ることが出来ていないからだ。

mago_emon at 22:20|PermalinkComments(4)松浦亜弥 

2016年12月05日

「たばこは心の日曜日」

ふとこのようなフレーズを、撮っていた写真の中に見つけ、また最近SNS上である方がこの標語の見える煙草販売店の店先画像を投稿されているのを見た。

さらに、「贈り物にたばこ」というのも良く見た気がする。

私は、学生時代のアルバイト先のホテル厨房に働いていた大人の人の影響で、成人直後から当分の間立派な喫煙者として長らく経過してしまうことになった。
実際、周りの学生も煙草を吸う者が少なくなかった。大学の構内を煙草を手に歩いたりする光景は全く自然なものだった。

当時は、まだ公然と喫煙できる環境だった。

今では信じられないだろうが、子供の頃は近くを走る普通電車でも座席の間に灰皿があり、非冷房車ならまだよかったが夏の冷房車に乗ったとたんに煙草がシートに染み付いたようなの独特の香気に包まれる感触を、今でも鮮明に覚えている。

当然公の場で喫煙できる場所はほとんどない今の状況を、愛煙家は「迫害されている」とまで表現する。
私は今は煙草は吸わないが、喫煙者の気持はもと愛煙家としてよくわかる。
ふと手持ち無沙汰な感じになるとうずうずといたたまれない気分になるもので、それを一時的に紛らわすに過ぎないのだが、まさにその時の心を表すと、「心の日曜日」というのが一番的確なのだ。

ただ私はもう、何度か失敗はしているが基本的に煙草を手放している。
心の日曜日の感触は思い出さないように努めたい。

mago_emon at 23:09|PermalinkComments(0)随想 

2016年12月01日

鉄道は手段だったはずなのに

年末年始の列車の指定券が発売され始めている。

私はこのたび北東北方面の探訪を企てており、一部行程は帰省の流れに乗ってしまうので、早々に手配しておく必要があった。
その中で東北新幹線の復路の列車は、飛行機で言えばファーストクラス並みのサービスといわれる「グランクラス」にしたいと、前職の先輩に頼んで発売にかけてもらうことにした。ところが当てにしていたのに、確保できなかったとのこと。
しかも当日の他の列車は今調べても空席があるようなのに、私の希望する列車のみが早々に売り切れたようで、余計に口惜しい。せめてもとグリーン車を押えてくれたが、グリーン車なら普通車の方が良い。

他の列車でといっても、行程を崩してまでという勇気はない。目的と手段が逆転してしまう。

しかし、何故グランクラスとやらを所望することになったのだろう。改めて考えると滑稽だ。私は既に鉄道に関してはこだわりはなくなっており、目的地への手段になって久しくなっているはずなのに。

今回の探訪、宿泊予定はネットで押えた3000円台の駅前ビジネスホテル、そして1泊2食7000円前後の温泉民宿と旅館なのである。私がそうしたところを好むからではあるが、そのような宿泊・探訪の内容とは余りに不均衡ともいえる。何しろこの座席は、特急料金とは別に1万円近くの料金が必要となる。
ホイホイと万単位の旅費を上乗せできるほど経済的余裕があるわけではない。
乗ったところで、他の人に自慢できるわけでもない。しかも私の地元近辺では馴染みのない座席なので、先日知り合い数人の前で口に出してもそういう座席があることすら知らなかった。
せいぜい話のネタにしかならないだろう。聞かされたところで聞き流されるだけかもしれない。

やはり「最初で最後感」が強いからだろうか。この機会を逃すと・・・という思いから分不相応な座席を希望するに至ったのだろうか。

しかしこうなったらなんだか闘志が湧いてきた。久々に列車に乗ることが「目的」となりそうな機会が訪れるかもしれないからだ。
なんだったら、普通車で確保している往路をグランクラスに取り替えてもよいとも思っているが・・。


mago_emon at 22:33|PermalinkComments(0)旅と鉄道