2017年01月

2017年01月25日

横綱稀勢の里誕生

今日ついに、稀勢の里が久々の日本人横綱に昇進した。

特にわたしはファンではなかったのだが、中卒からのたたき上げ、まさに相撲しかないここまでの半生を送った末での優勝そして昇進。
ここ数年にわたって外国人力士全盛のなか孤軍奮闘と言ってよい安定感を誇りながらなかなか頂点に登りつけない悔しさやいらだち、そして何より重圧もものすごかっただろう。

大器晩成型という点では、師匠の元横綱隆の里に通じるものもある。

その技術面・精神面、そして今日の口上の内容に至るまで、師匠隆の里の思いが伝承されてのものだろうが、実際土俵上で見るその風貌や表情は、子供の頃に見た北の湖を思い起こさせる。
勝っても表情を変えないどころかますます憎たらしいような風情を漂わせるのだ。それは今場所千秋楽の白鵬との取組後にも感じられた。

勝っても負けても、感情を表に表さないのが相撲道であるということを体現してくれる横綱。
格下の力士を父親のように正面から受け止め、勝負が決まると状況によっては力を抜いて土俵下に叩き落したりするのを極力避ける横綱。
力強さのなかに思いやりを秘めた横綱本来の姿を、存分に見たいものである。

mago_emon at 23:13|PermalinkComments(0)メディアの話題 

2017年01月21日

松浦亜弥の埋蔵音源

昨年末に近づいた頃だろうか、ある彼女のファンの方から情報をいただいた。

大量のライブ音源がダウンロードできるサイトがあるという。

詳細に確認してはいないが、特に20歳前後以降のライブ音源は、各地各回全てが記録されているのではないかと思えるほどの物量だ。

某氏は既にかなり発掘され、相当量の音源に触れているらしい。

私も2年くらい前なら、何よりも優先しその発掘そのものが趣味という状態にもなっていたのではないか。
それほどの膨大な量だ。

良識ある彼女のファンの間に大きく広まってほしいものと思うのだが、これは正規のものでないのは明らかで、URL等をお伝えすることができない。

何らかの方法でこのサイトにたどりついてほしい、と願うことしかできない。

本音ではその音源をどんどん紹介したいところではある。しかしさすがにそれは差し控えなくてはいけないのが惜しまれる。

例えば、この曲のライブ音源は私は触れる術もなかったが、そのような音源も容易に確認できる。

(秘密の音源)
→ https://www.youtube.com/watch?v=FqjW4EU3JeY

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私のところでは公開設定ではとても紹介できません。
その某氏のチャンネルで、徐々に公開されている模様です・・。


mago_emon at 22:40|PermalinkComments(4)松浦亜弥 

2017年01月15日

今年京都を再訪する理由

先日ふとネット上で、私が学生時代のバイト先で4年間お世話になったホテルの話題を眼にした。

非常に懐かしい思いだった。

その思いを強くしたのは、投稿された料理の写真に、見覚えのある皿が写っていたからだ。
私はそのホテルの厨房で働いていたのだ。

そのホテルは、修学旅行生などの客単価が安い大口団体が主体だった。
多い日は一晩で800人もの修学旅行生をさばいていた。

ホテルは今年の秋に建て替え工事が始まり、2年ほど休業するのだという。

修学旅行先に京都を選ぶ学校は相変わらず多いと思われるが、少子化で私が働いていた頃に比べると絶対数は少なくなっているだろう。しかし一方で、近年急増した外国人旅行客によって、都市部のホテルは室数不足で料金も高騰している。
京都は中でも特に需要が逼迫していると聞く。
最近ではもしかしたら宿泊客に外国人旅行客も増えていたのかもしれない。

しかし、施設は今考えてみると、外観も館内の設備も、一般の観光客には古めかしいイメージが拭えない。
しかも市街の一等地にある旅館だ。そんな状況に胡坐をかいていてはいけないと思ったのか。

祇園祭の山鉾巡航を屋上から見下ろしたのも懐かしい思い出だ。
当時一緒に働いていた大人の人は、何人残っているだろうか。多分ほとんど居ないのだろう。

今の姿を留めているうちに、もう一度外観を眼にしておきたい。
ここ数年京都市街地は訪ねていないが、今年再訪する理由がこれで出来たのかな、と思った。

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(ホテル名を記すのは少々憚られるので、そのホテル裏にある寺の写真を載せておきます)


mago_emon at 20:51|PermalinkComments(0)随想 

2017年01月07日

奮闘する津軽鉄道

五能線の五所川原駅から北へ、津軽鉄道という零細なローカル私鉄がある。津軽平野の北部を縦断するように走り、十三湖に近い津軽中里までを結んでいる。

五能線には何度も乗っていたので、五所川原駅の構内で車両も幾度か目にしたことがある。いつか乗ってみたいと長年思い続けてきたのだが、やっと先日乗る機会を得た。

津軽鉄道が地方の中小私鉄の割に比較的良く知られているのは、冬季に運行される「ストーブ列車」のお蔭だろう。
旧型の客車に石炭式のストーブが置かれ、車掌が時折石炭を補充する姿、ストーブでスルメなどが焼かれる光景がメディアで紹介される。

しかしよくぞ今までこの鉄道が存続されたと思う。沿線に大きな町がないし、観光地に恵まれているともいえない。一番知られているのが太宰治の生家であった旧津島家、通称斜陽館だが、確かに太宰氏の貴重な資料なども展示されており建物としても素晴らしく訪ねる価値もあるものだが、太宰のファンならともかく一般的には決定的とまではいえないだろう。

やはりストーブ列車による宣伝効果、この鉄道に乗りに来る客によって持っている部分もあるに違いない。
しかし驚くことにこの列車、もともと観光列車として走らせているのではなく、客車の暖房としてずっと使われていたのだという(但し、客車は何度か更新されている)。
夜行列車もほぼ全廃された中で、客車列車(機関車が牽引する列車)自体も非常に珍しいものとなっている。その面からも今や余りに貴重過ぎる列車である。

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ストーブ列車(五所川原駅にて)

この列車は冬以外は定期の普通列車として運行されるため、客車2両の後方に普通列車用の気動車が連結されていた。ストーブ列車運行時は気動車の動力を使わず、機関車が牽引するのだろう。客車は1両は一般用、もう1両は団体用とのことで、少し前にバスで駅に到着した団体客が乗り込んでいた。
気動車に乗る地元客は数人しかいない。外観は旧態依然としたローカル列車とはいえ、内情は観光列車そのものなのである。

ガクンと衝撃が来てゴトゴトと緩慢に動き出す客車列車独特の乗り心地だ。私は山陰本線で一度旧型客車列車に乗車したことがあるのだが、それを久々に味わった。

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ストーブに石炭を補充する車掌

ストーブ列車への乗車は途中駅の金木までとして、次の列車までの1時間を利用して慌しく町並を取材し、そして斜陽館を見学後駅に戻ったのだが、そこでそれを象徴するものを眼にすることになった。

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これは以前国鉄でも一般的だったいわゆる「硬券」と呼ばれる乗車券で、もちろん自動販売機ではなく窓口で販売されるものだ。
今の時代、これだけでも骨董品的価値があるのだが、券面に記された運賃は現行のものではない。この乗車券は、運賃180円の時代に発行されたものなのだ。しかも写真では判りにくいが下半分が日焼けしたように色褪せてもいる。

金木の駅舎は観光客を意識してか現代的なものだったが、他の駅はいずれも古びており、また列車の乗り心地も良いものとはいえない。JRのローカル線と比べても揺れが大きく、そのため速度も出せない。揺れ方も古典的な感じだ。
路盤も古く、保線にも手が廻りにくいのだろう。だがそれがこの鉄道、特にストーブ列車には似合っているし、津軽の風土にもマッチしているようにも感じた。

最低限の部分以外は一切お金を掛けません、といった風情か。いや実際は掛けられないのかもしれない。だがそれが外部の利用客には郷愁を感じさせる要素となっている面もある。ストーブ列車を頂点として硬券乗車券にいたるまで言えることだろう。

しかし一方で、引続き乗った津軽中里行の気動車列車にも女性アテンダントの姿が。聞いてみるとこの時期は各列車にアテンダントが乗務しているとのことだ。
実態はやはり観光路線なのだ。夏場には鈴虫列車など、他のイベント列車も運行されている。

しかし、やはりメインはストーブ列車だ。車両の老朽化から廃止も検討されていた時期があったという。しかしその存続が、皮肉にも路線存続にも貢献している、ということなのだろうか。

1シーズンでも長くこの老朽客車列車が走り続けてほしい、そんな思いを抱きながら津軽平野を後にした。


mago_emon at 22:28|PermalinkComments(0)旅と鉄道 

2017年01月02日

親切心に救われた旅先の出来事

先日、年末年始休暇を利用して東北地方を探訪した時のことだ。

青森県南部の温泉地の民宿を予約していた私は、日が短いこともあり早めに現地入りし、宿へ向う前に共同浴場に入った。
主に地元の人が利用する飾り気のない公衆浴場だ。

民宿で改めて温泉に浸かり、夕食後部屋でくつろいでいると、着信音が。
スマホの画面には、見慣れぬ番号が表示されている。
通常私は、登録している発信先以外の電話には出ないことにしているが、何か察するものがあったのだろうか。

発信者は共同浴場のご主人だった。
「新幹線の切符を忘れている」とのこと。え、と私は思った。
帰路の乗車券・特急券類は、上着の内ポケットに、紙製のチケット入れに挟んで一式保管していたはずだ。

脱衣所に設置してある椅子の下から、他の入浴客が見つけたのだという。後になって思い出してみると、入浴後着衣する際にその上着を一時的に椅子の上に置いたのである。その時に切符類が滑り落ちたに違いない。

拾い主はこういう場合普通に考えて、どういう対応をするだろうか。
落し物として近くの交番等に届けるか。
または何もせず保管しておく。まあ落とし主が気付いてここへ取りに来るだろう。
そうでなければ諦めて買いなおすか。

しかし、なぜ私が特定できたのだろう。
お話をうかがっているうちに、そのいきさつがわかった。

実は、切符のほかに私が前日泊ったホテルの領収書もあったという。
領収書を頼りに、ホテルに電話したのだという。
何とか私に連絡できる手段を探り出そうとしたのだ。
ホテル宿泊時に、私の電話番号(それも携帯電話の番号)が記帳された可能性を信じてのことだったのである。
幸い私は、そのホテルはネット予約していて、会員制のサイトを通して携帯電話番号もホテルに通知されていた。

対応したホテルの従業員は、
「通常は第三者の方にはお客様の電話番号をお伝えできないのですが、そういう事情であれば特別に・・」
ということで主人に私の電話番号を伝えてくれたらしい。

・ 切符だけでなく、前日泊ったホテル領収証も同時に落とした
・ 他の入浴客が、椅子の下の落し物に偶然気付いた
・ 共同浴場の主人が、何とか切符の持主の手に戻したいと機転を利かせ、ホテルに電話をした
・ 前日泊ったホテルの従業員が、事情を察し例外的に私の携帯番号を第三者である主人に知らせた
・ 主人からの電話に、通常見知らぬ番号が通知されても出ない私が偶然出た

この5つの条件が揃わなければ、一つでも欠ければ私の手元に切符類が戻ってくることはなかったわけだ。

揃わないケースで可能性があるとすれば、私自身が翌朝までに気付いて、共同浴場でなくしたかもしれないと訪ねることである。
JRの切符が必要となるのは翌日の夕方のことだから、それまで特に切符が無いことに気付かないかもしれない。

それに私が当日そのまま近くの民宿に泊る行程だったのも功を奏したわけで、日帰り入浴的に遠くの場所に移動してしまっていたら、取りに向うのも容易でない。場合によってはその後の行程にも影響する。

そして何よりも、その共同浴場のご主人の親切心がこの偶然の要だろう。
なんとも東北人らしい心に触れたとも思った。

共同浴場に向う雪道を歩きながら、しかし心は温まっていくのを感じた。

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共同浴場の外観写真だけ載せておきます





mago_emon at 22:01|PermalinkComments(0)旅と鉄道