孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

2017年02月

勤め先近くにある昭和の趣の漂う喫茶店が閉店になることを、先日地元紙の記事で知った。
私はその店は昼食に入ったことが何度かあるだけで、馴染みの店というわけでは全くない。
またその記事には、喫茶店の数が近年激減しているとも書いてある。

私は自主的に喫茶店に入ることがほとんどない。
誰かとちょっと話をする用件があったりした場合は、むろん利用するのだが、プライベートな時間を喫茶店で過す、喫茶店に行くこと自体を目的にするという習慣が無い。
1回だけ覚えているのが、倉敷の町並を歩いて、暑かったこともあって、商店街の喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲んだことくらいだ。
私としては非常に珍しい行動なので、今でも覚えているというわけだ。

喫茶店というと、私は年配者が一人でコーヒーカップを片手にゆったりとした時間を過すといった情景を思い起こす。
時間潰しや用件を済ますというのではない、そのゆったりとした空間そして時間を味わっているのだろう。
ある意味非常に贅沢で芳醇な時間だ。

若い世代でも、例えばノートPCなどを携えた営業マンなどが利用する姿は少なくないだろう。
商談にも使うことだろう。
スタバのような、新しい形の店舗なら今後も若者にも受け入れられなくなることは無いだろう。
しかもそれらは手段であって目的ではない。
喫茶店が減っているというのは、やはりそこに行くこと自体を目的とする客層が減少しているからだろう。

記事には、建物の老朽化や防火設備の負担増といったことが閉店理由に書かれていたが、そういう文化が段々薄らいでいることも背景にあるのだろう、と私は思った。

と同時に、知らないうちに貴重なものになっているこうした昭和レトロ喫茶店を出先旅先で見つけたら、時には入ってみよう、そういう心の余裕を持ってみるものも良い、と感じた。

私のUPしている映像のごく一部にMisiaのライブ映像がある。沖縄で行われた「Candle Night」という屋外ライブのものだ。この曲のオリジナルは加藤登紀子さん。


そのうちの一つ、この映像に数日前にこんなコメントが寄せられた。

『やはり、激動の時代を生きてきた加藤登紀子にしか歌えない。これはミーシャの歌として聞くにはいいけど、この歌の激動を表すには若すぎて透明感がありすぎる。』

ふとわれに返った、そして深く考えさせられるコメントというのが正直なところだ。

この曲、耳にしたことはあって全く知らない曲ではないはずだった。しかし私はこの映像に触れて、Misiaの歌声によってはじめて染み入って来たわけで、加藤登紀子さんの原曲を意識して聴いた事も、もちろんなかった。
加藤登紀子さんのファンや、加藤さんの曲で馴染んでいた人には、このMisiaの歌声を聴いて違和感を感じる人もあるのだろう。

年齢的には30代後半のMisiaもまもなくデビュー20周年になるし、実力派の中堅どころとしては十分なものを持っているはずなのに、それでも若すぎるといわれるのである。

加藤登紀子さんのような超ベテランの域に達しないと本当の意味で歌いこなせない曲。

勢いと歌唱力、歌声の張りだけでは聴くものに真の説得力が伝わってこないのだろうか。
それには、コメントにあるように負の事も含めてさまざまな人生経験を積まないと達し得ないものなのか?

Misiaの楽曲は、数年前までの長い期間、車で遠出をする時や、たまに気が向いた時にアルバムを手にとって聴くくらいの淡い期間が続いた。そんな盛大な間欠があるし、最近になってライブに足を向けるようになったとはいっても決して熱心なファンというわけでもない。
しかし、デビューから3作目のアルバムくらいまではかなり熱心に聴いたし、それらの詩は自然と思い浮かぶくらいなのだから、一応初期からのファンと言ってもよいだろう。

これから歌手として人間として経験をもっと積み重ねることにより、このような歌に説得力を帯びてくるはずだ。初期の姿から知っているのなら、これからそれを楽しみにしようではないか。

それがこのコメントを見ての最終的な感想だ。

札幌の雪祭りの話題がメディアで流れ出した。そのニュースを見て、学生時代に初めて冬の北海道を訪ねた時のことを思い起こした。あいにく祭が終わった直後で、大通りには雪の山が散見されるだけだった。1991年の2月のことだ。

そして、その時の鉄道旅行で、深名線に乗ったことも思い出された。
この線は宗谷本線の名寄から分岐し、西側に大きく迂回して函館本線の深川に達していた。

既に北海道の多くのローカル線が廃線になっており、あと5年早く私が生れていたら、それらのローカル線も存分に乗り回していたはずだが、そんな中で深名線は生きながらえていた。沿線の多くを占める幌加内町は厳寒と豪雪で有名で年の半分近くは除雪と寒冷対策のための出費を余儀なくされる。旭川を通らず人家の少ない山間部のみを走るためもとから乗客は少なく、国鉄末期の廃止対象線の上位に匹敵する営業成績だった。しかし、冬季の積雪による沿線道路の通行止が年平均10日以上に達し、鉄道が代替輸送手段になるということで廃線を免れていたのだ。

名寄駅の外れに肩身が狭いといった趣で待機していた深名線の列車を忘れることができない。列車と言ってもたった1両で、宗谷本線のホームを短く切り込んだ一角が深名線専用の乗場であった。車内は地元の人らしい姿はまったくなく、旅行者が5人程度だったと思う。

発車すると車掌がやってきて、「深川までですか?」と乗客に声をかけていたのも思い出す。恐らくそれは、客の実態を掴んで廃止の方針を定めようとしていたのではないか。

名寄盆地が尽きると一気に山中に分け入る。朱鞠内までの約50分、車窓に人家というものはほとんど映らない。特に前半は厳しい登りで、老朽気動車は身体を震わせながら一身に辿っていく。わざわざ乗りに来たわずかな客を乗せ、深い雪に埋もれた原生林の只中を走っていくうちに、深名線の命は既に尽きかかっているのではないかとの思いが湧いてきた。鉄道は何よりもまず地元の人々の日常の交通手段であるべきで、その客がほとんどないのであれば廃線もやむをえないのではないかと。

深名線が廃線となったのは、それから4年ほど後のことだ。

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朱鞠内駅に停車中の深名線の列車

2月に入り、各チームが一斉にキャンプインし注目選手の情報、ベテラン選手の思わぬ早い始動など、早速情報が飛び交いだした。
この時期、例年大きな期待と小さな不安で開幕に向けて楽しみが増してくる。

一方、今年は開幕前にWBCがある。
レギュラー試合数の増加、クライマックスシリーズ制など、ここ最近選手にとっては負担が増している。
それにWBCが加われば、選抜された選手にとっては開幕前から相当に消耗されることになる。
しかもWBCは球も公式戦のものとは異なるし、海外遠征もある。出場する選手は体を作ることから、普段とは異なる調整法をしなくてはいけない。

故障で出場を辞退した大谷翔平投手の件を知り、この記事を書く気になったのだが、大谷選手の決断は正しい。無理に出場して怪我が悪化し、シーズンを棒に振るようなことがあっては一大事である。

そして一方で、代わりに出場することになった武田投手が、「そのつもりで準備していた」とコメントしていたが、それは誰か欠員が生じた場合の補欠選手として打診されていたからなのか?
シーズンに向けての準備は、先月の自主トレから計画されていたはずである。

以前、某球団の監督が、自軍の選手は一切参加させないと主張し、批判を浴びたことがあった。
それは各監督が多かれ少なかれ思うところであろうし、たまたまその監督が表明したに過ぎないだろう。
もちろん理由は、レギュラーシーズンとは異なる調整を強いられ、そこで故障でもされればレギュラーシーズンに重大な影響を及ぼすからだ。
増してやメンバーに選ばれるのは主力選手。そのままチームの成績にも影響しかねない。

私もちょっと古いプロ野球ファンだからか、「レギュラーシーズンが全て、WBCはもちろん日本シリーズすら余興であるべき」という考えがなかなか拭いにくい。

WBCに出場したことでシーズンに悪影響が及び、ひいてはチームの成績にも響くようでは、本末転倒のようではないか?

もちろん、WBCで優勝、好成績をおさめることはとても名誉なことだ。しかし少なくとも私は開催年になるたびに、そう思うのである。

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