孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

2017年03月

このアルバムは、今井美樹さんの3枚目のオリジナルアルバムで1988年発売。

それより前、中学から高校のはじめにかけては、空前のおニャン子ブームといったものが巻き起こっていた。
ブームの核心世代は5歳くらい上だったのだろうけど、私も例に漏れず夕方の番組を見、クラスの仲間とは誰が好みやらどうやらといった話題が頻繁に湧き起こった。
今の数々の一大アイドル集団と、形は違えど内容は似ている所も少なくないように感じる。
何せ仕掛けは同じ秋元康氏だ。

なので、私の初めて購入した楽曲というのも、メンバーの一人だった渡辺満里奈さんのアルバムだった。
CDが普及し始めた頃で、最初はカセット版で買い、後にCDで買いなおした。そのCDは今でも手元にある。
しかし今思い出すと、渡辺満里奈さんは大好きだったのだが、ではグループ全体の歌はどうだったかというと、正直余り興味なかったようだ。

おニャン子ブームが去った頃、私は部屋にいるときにはずっとFMラジオを聴いていた。あの時代にネットがあれば私はどうしていただろうか。部屋にTVを置かせてもらえなかったのでラジオが唯一の娯楽だった。
FMラジオからはさまざまなアーティストさんの楽曲が流れてきた。

渡辺満里奈さんの場合はもちろん明確な理由があったのだが、今井美樹さんをはじめこの頃手にしたアルバムというのは、そのきっかけが思い出せないものが多い。
恐らくFMラジオで歌声を聴いて興味を持ったからだろう。

さてこの「Bewith」、私が買った初めての今井さんのアルバムであり、またアーティスト系の歌手のアルバムだった。今聴き直しても若々しく綺麗な声に魅了されるのだが、歌詞やタイトルに再婚とかいった当時20代半ばである今井さんが歌う内容としてもなかなか大人びているものが含まれていた。もちろん当時の私にはそのような歌詞を文字としては理解しても、真意を理解できるはずもなかった。しかしとにかくその声の美しさは陶酔するようでもあり、そしてその歌声が自然に体に浸透してくる感触はそれまでに味わうことの無かったものだった。しっとりと歌い上げる曲が多いのも私の好みにあっていたのかもしれない。
渡辺満里奈さんの歌唱力についてはここでは言わないが、本当の歌手の歌声に始めて身近に接した気がした。

このアルバムを手にしたことが、私の好んで聴く音楽のジャンルというのを位置づけたような気がする。

今井美樹さんのライブ映像等は、第三者による動画掲載が相当規制されているようで、このアルバム曲のものがほとんど存在しない。

このアルバムのものではないが、今井さんの代表曲の映像を一つ置くことにする。

最近、先月だったか、ある中学校で「やばい」という言葉の使用が禁止されるといった話題を眼にした。

この言葉自体、私も自然に使うが、もちろん「悪い結果(が予想されるとき)」に使う。
これが本来の用法で、このほかに無いはずだ。
過去形で「やばかった」という場合は、その悪い結果が回避されて、安堵した時に使う。
もちろん口語、もっというと俗語に近い単語であり、文章では使用しないという認識だ。

こう書いて、私もちょっと自信がない。そのような使い方をする人が、今何割いるのだろうかと。
肯定的な意味で使うことに抵抗のない人が、もはや何割かいるように思う。
中学校で禁止されるように若年層で顕著な現象なのだろうけど、その広まりはどうも若い人だけでないようにも感じる。

TV番組などでも、例えばグルメレポートのレポーターなどがこの言葉を頻発する。
この場合、噂どおり、または期待以上の美味しさであることを示す言葉で、もちろんマイナス要素を示すものではない。
しかし、やはり嬉々とした表情で口にする言葉ではないというのが私の感覚だ。

この単語をプラスの内容でも自然に発言する人の感覚とは、どのようなものなのか。
恐らく、本人の尺度で「日常の平凡さの範囲内」を逸脱する振れ幅を示すと、それらはすべて「やばいもの」という認識なのではないか?と考える。
こういう用例が横行している影響で、もはや耳にすることは違和感を覚えなくなったともいえるが、少なくとも私は使わない。使いたくない。
「やばい」などという表現に代用されて語彙が貧しくなりたくない。

もっと的確で美しい表現があるはずだ。

私のサイトで運用している有料の掲示板、次回はもう更新しないことにしようと思う。

掲示板自体を廃止するか、機能の低い無料版で続けるかはまだ時間があるのでもう少し考えたい。

サイト運営を始めた15年ほど前はネットでのコミュニティー手段は電子メールか掲示板しかなく、同じような趣味の方々と大いに情報交換していた。しかし最近はもう掲示板という形式は時代遅れになっていて、書き込み自体も非常に少なくなっていて、役割を終えたなというのが実感だ。
もう何年も前から感じていたことで、むしろ遅いとも思う。

そのような事態となった原因。
第一波はブログ形式の普及、そして第二波として決定的だったのが各種SNSの登場だ。
このなんと言うか瞬時性、大量配信性にはもう掲示板などは太刀打ちできるものはない。
掲示板は線であるのに対し、SNSは面そして三次元なのだ。
前者は単線のローカル線、後者は世界各地に張り巡らされた航空網とでもいえようか。

私自身も実はSNSに分類されるものを利用しているので、多少はまだなんとか付いていけているのではないかと思うのだが、その激しい変化に当惑する事も多い。

私の場合は、ネットが普及し始めたのは社会人になって当分経ってからだったので、そう感じることが多いのだろうが、中学高校生頃からSNS系が普及していたひとたちとは、随分その辺の感覚が違うのだろう。

掲示板にもいいところは沢山あるのにと思う。しかし、そう思うわたしがもはや古いのだろう。
そのひとつが時刻歴と思うのだが、今やあっという間に、或るものは爆発的に広まり、他の多くのものは古いものとなって忘れ去られていく。そこに順序などないようだ。

先日の松浦亜弥さんに関する久々の話題。
今回はその後、ネット記事にもなったことからファン以外にも大きく拡散されたこともあって、続編を。

私がファンになってからだと、(2013年の結婚の話題は別として)一番世間の関心を傾けた話題といっても良いだろう。

それに続くファンの反応、呼応したネット記事。わたしはいちいち追っていたわけでないが、漏れ伝わるところを見ると、良くも悪くも未だに松浦亜弥というワードは、かなりの影響力を持っているのを感じた。
10代の一番露出の多かった時代、私はそっぽを向いていたからだろうが、それは改めてというか初めてとも言ってよい認識だった。

ファンの反応と一言で言っても、様々な反応があって新鮮な気持になる。
ただ、私の思いと違う意見があっても、それは間違っている!といいたい気持にはならない。
一言にファンと言っても、全く指向が一致する人などいるわけないし、ましてデビュー当時のファンとはその辺は違っていて当然だろう。

さて今回は、ここからはささやかな夢を見ることにする。
その拠り所はまだあの雑誌記事だけなのに、随分気の早い夢だ。

彼女の久々のお目見えは、どんな形が良いだろうか?

ライブというのが一番かもしれないが、私は最近のライブが全てみたいなのは、ちょっと違うのではとも思っている。
ライブは能動的に聴きたいと思う人が参加するものだし、そういう下地がある程度あれば良いけど、彼女の場合、その分布が余りにも偏っていると思う。
それより、その前の初動として、広く一般にさりげなく働きかけるのが面白いのでは、と。

とある夜11時台の報道番組。
一連のニュースが終り、「今日から、エンディングテーマが新しくなりました」とアナウンス。
いきなり映像と彼女の歌声が流れ出す。
画面の字幕で視聴者は彼女の歌声と知るわけだ。
もちろん、視聴者のほとんどは持っている彼女のイメージと流れている歌声とがすぐには一致しない。
ネットでは、翌朝にはちょっとした話題に。
拡散され、番組を見ていなかった人も巻き込んでいく・・・。

それからもう一つ考えた。
とくに地上波では真っ当な音楽番組がほとんどなくなってしまったが、
その中で、NHKの「SONGS」という番組。
ここで彼女のデビュー以後の姿をざっと紹介した上、映像を幾つか流すわけだ。
それは、良く知られた曲のものと平行して、例えばこのようなものを・・・



そして、この流れから、本人のインタビュー、新生松浦亜弥を生歌で披露する、というプログラムである。

ちょっと先走りし過ぎたか、いや、前回も言ったが時期は問わないので、こんな展開があればいいな、という1ファンの勝手な妄想だ。

もちろん、こんな零細なブログ記事が本人や事務所のスタッフなどに届けば良いなどという不遜な気持は、毛頭ない。

そういえば、このような内容をある彼女のファンの方のブログにコメントしたところ、『「待機児童解消キャンペーン」のイメージキャラクター』という案も出てきた。これもある意味的を得ているのでは、・・・とも思う。

しばらく松浦亜弥さんの記事から遠ざかっていたところ、そのきっかけを与えてくれる出来事があった。
某週刊誌に、彼女の記事が載った。それも内容は復帰を匂わせるものだ。
まあ週刊誌の記事などもともと怪しいものだが、実際彼女本人に触れての記事のようなので、少しは信頼してよいような気もする。
「また歌います」という直筆メッセージをよりどころにずっと復帰を信じていたので、それがようやく実現するのかな、とほのかな期待を抱かせるには十分だ。
娘さんは2歳になるとはいえ、何人も欲しいと言っていた筈なので、このタイミングで?と半信半疑な部分もある。すぐでなくてゆくゆくはそうしたい、そういう思いを感じ取れたのが収穫ということで、今は思っておくことにした。

でも、こういうことがあるとやっぱり私は復帰後のことをいろいろ思い巡らしてしまう。
結婚・出産を経て、年齢的にも30代を迎えての復帰。
ファンによって様々だとは思うが、私はやはり本格派アーティストとしての姿を期待する。
それも女性としての経験を重ねて、説得力のある歌を聴くことができる歌手。

私は以前からじっくり聴かせるタイプの曲が好みなので、好んで聴くのは、どちらかというと中堅からベテランの本格派歌手が多い。それらの歌手たちと並んで彼女がそのひとりというのが私の中の感覚だ。
だから、私の中でそれらの歌手をも上回って、さらにダントツの強烈な立ち位置になってくれれば、私は何もいうことはないわけだ。
要求は相当に高い。でも彼女ならその気になれば出来るはず。


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それにしても、われながら松浦亜弥さんに未だかなりのエネルギーが差し向けられているのを感じる。
世間のイメージと彼女の本当の実力のギャップが埋まるにはどんな手段があるか、それをシミュレーションすること、期待すること、具体的に言えばそういうエネルギーだ。
何も再開していないのに、ちょっと信憑性の定かでない週刊誌の記事をみただけで、こんなに想いがあふれてしまう、記事を書かずにいられないわけだから。

あと、どうなんだろう、旦那がプロデュース云々という記事も眼にしたが、これはまだ後でよい気がする。
まずはこれまでほとんど知られていない、一歌手としての姿がもう少し知られてからでよいのでは?

しかしそれが十分に果たされた以後の究極の姿は、夫婦のライブを見ること、なのかもしれない。

果たして、どんな姿そして復帰後のストーリーがベストだろうか?楽しく、そして少なくとも活動再開までは答えの出ない悩みだ。
まあ記念ライブだけではどうかとか、活動するとはどういうことかといったことは散々書いてきたので、もういわないことにします。

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