孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

2017年09月

昨日のことだ。

ふと私のサイトを通じて、以前よりネット上のお付き合いのあったあるサイトにお邪魔し、掲示板を覗いた。
レスポンスのない投稿が続いている。
その投稿内容を見ると、お悔やみ申し上げますなどと書かれているではないか。
これはどうしたことかと少し書き込みを遡ってみると、1年以上前の日付で、掲示板の管理者(サイト主)の息子と名乗る方からのお知らせ記事があった。
しかも過去記事を辿ってみると、そのお知らせ記事からわずか数日前には、投稿記事に対するサイト主の返事が書き込んである。

急逝だったようだ。

実際、ネットの垣根を越えて実際お会いしていた方の一人も、急逝されブログだけがまだ最後の更新のままの状態で存在し続けている。もう8年も前のことだ。
実は、ほかにも私が以前良く情報交換させていただいていて、ある時期を境に長らく更新されないままになっているサイトを知っている。

余り想像したくないのだが、そういう例はかなりの数に上っているに違いない。

運営されているのが全くの個人の場合が多く、身近な家族もパスワードなどがわからず、編集する術を知らないため、サイト主の存亡にかかわらず外部から見た姿はずっとそのままになってしまうわけだ。
無料のサーバーを利用されていたりすると、それこそ何年も更新されないままの状態で残ってしまう。
今回の場合、まだ息子さんが掲示板に書き込んでくださっていたからよかった。

さきほど実際のお付き合いがあった方というのも、まだ50代であったし、昨日のサイト主もそんなに高年齢ではなさそうな方だった。

人間いつそのような事態に陥る可能性があるかわからないということ、そして健康であることのありがたさを改めて思い知る。

そして、主無きあともずっと生き続けるサイトは、ネット社会の一つの象徴的な姿であると思う。

昨日、久々に松浦亜弥さんの情報がネット上に。
現在の所属事務所を移籍するとの話題。
SNS上で他のファンからの情報で知った。
それにつれてファンの間での様々な思いが垣間見られた。

3月頃、某週刊誌で再活動を匂わせる記事があったが、それとの関連性も感じられるし、何時かは別として再び歌が聴ける日が来ることは間違いないと見て良さそうだ。

実際、これまで所属していた事務所を離れると言うこと自体は、メリットあると思う。
余り批判的なことは書くつもりないけど、その事務所は全般的に、所属している人の扱い、ファンや一般に向けてのアピールなどは余り得意でないと感じている。
それに私の場合、それまで好んで聞いていた歌手の人と並んで、彼女のファンであるという位置づけだったので、その事務所に所属している他のグループ等への関心はなかったし、逆に復帰しても何だか内輪的なものに終始してしまうのではないかという心配もあった。
わたしはあくまで、復帰するのならイメージチェンジした1歌手としての姿を見たい。既に活動後期にはその片鱗がうかがえていたが、その姿は世間にはほとんど知られていない。そこに私の彼女を応援するエネルギーの多くが注がれているといってよい。再デビューするなら改名してもよいとまで思っているほどだ。
なので、復活ライブだけとか、焼き直しのような活動だけではもったいないし、意味がない。
一時的な一般受けはよいだろうが、それだけで終わってしまう。

古くからのファンの人たちを中心として、彼女へのアプローチはハロー系やアイドルとしてが多いと思うし、このニュースに寂しさを感じている人も少なくないだろうが、私はそのようなことでファンとして毛色の違う少数派?なので、事務所脱退自体は良い方向だと思っている。

では、移籍先はどうか。旦那さんグループの「個人事務所」ということだが、そこにもすこし不安が淀む。間違いなくここで復帰となれば、イメージチェンジにはなるだろうが、完全に旦那さんの傘下でのプロデュースなどとなれば、個人的には、どうも抵抗を感じてしまう。
それはもっと先であるべきではないか?
こんなことを思ってしまうのは、私はまだまだだということだろうか。

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何だか以前も書いた気がするが、活動休止期間が長引くにつれ、一時のがむしゃらさは落着いてきた代わりに復帰後の要求が高くなって、頑固なファンになってしまったきらいがある。

でも実際出てきた時には、どんな形にせよ、全てに寛容になって受け入れてしまうのか?
そんな気もしている。

期待半分危惧半分で、どんな姿になるのか、しばらく楽しみにしておくとするか。

1月に「今年京都を訪ねる理由」という記事を書いた。
そのきっかけは、バイト先のホテルが10月にリニューアル工事を始めるというものだった。

それで機会を探っていたのだが、せっかくなら1泊して、それも住んでいた付近にないかと探していた。旧市街には最近空き家になった町家建築を利用した宿泊施設が増えていると聞く。ぎりぎりの9月に入ってからではあるが予約可能だったので、先日実行してきた。

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出身大学構内も久々に歩いたし、件のホテルも外観をしかと眺め写真に記録し、1Fロビーのコーヒーショップに入って余韻に浸った。しかし、当時の社員はほとんどいないだろうし、ましてアルバイトの分際である。
フロントで何か依頼しても、いまや何にも成果は得られないだろう。
そのようなことで、それだけに留めて後にした。

それよりもやはり印象に強く残り、また郷愁感を覚えたのは暮らしていた界隈のことである。
狭い路地に町家建築の連なる西陣界隈だ。

宿に荷物を置き、自転車で界隈を走っていると、良いこと悪いことを含め、様々なことがふと思い起こされてくる。

町家や町並に関心が向いがちな私の探訪、しかしここではさすがに趣の異なるものになった。

西陣滞在中の初日夜と翌昼食は、当時よく行っていた店に行こうと決めていた。
前者は自転車で5分ほどにあった大衆中華料理屋。後者は歩いて3分ほどの小路にある洋食の店に決めた。
とはいえ学生食堂やアルバイト先での賄いがほとんどだったので、そう頻繁に行っていたわけではない。

洋食の店。腰を下ろしたカウンター内には60年配に見えるご主人と20歳前後の若者が。ご主人の顔は何となく見覚えがあるような。
私が強い郷愁を感じたのは、注文した「とんかつ定食B」を受けて、その後主人が小声でつぶやいた「とんB」という一語。

今回の再訪で最も印象的な一場面ともなった。
訪ねるきっかけになったホテルでもなく、町家・町並でもなかった。

この店はとんかつを中心とした洋食の店で、看板のとんかつ定食は、豚肉のボリュームに応じてAからCまでがあって、Bが標準的な量のとんかつとサラダ、味噌汁と米飯が付いて比較的手ごろな値段なので、注文する客も多いのだろう。
私自身、実際この洋食屋に行って、「とんB」を何度か注文したのだろう。
耳に残っていて懐かしいと感じたのだ。

この「とんB」、ずっと意識外にあったのだ。大袈裟に言えばそれからそのとんBを味わって店を出るまで、学生時代に戻ったような感触になった。

ただ、泊った町家宿や夕食に寄った中華料理屋その他で、学生時代良く来ていた(近くに住んでいた)、懐かしい有難うと、思わず打ち明けずに居られなかったのに、この店ではそれが出なかった。思わぬ懐かしいフレーズを聞き、ある意味放心状態になっていたのか。

ゆかりのあるところを再訪する旅の醍醐味は、実はこのような些細な体験なのだろうと、一週間経った今噛み締めている。

暫く間の空いていた京都探訪だったが、これからは定期的に訪ねようかと思う。

懐かしさももちろんだが、まだ知らないことだらけである。

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