2017年11月

2017年11月23日

変わらないといけない大相撲

大相撲九州場所が終盤を迎えているが、どうも土俵の内外が騒がしい。

小学生の頃祖父の影響でファンになって以来、最近は熱も低いものになったとはいえ少なくとも本場所が始まると毎日中継は見られなくとも上位の結果や話題に耳を傾け続けて35年にはなる。
なので、少々嘆かわしく情けない気分で今場所中の事態の推移を見送っている。

その中心である横綱による暴行事件。

「かわいがり」ではないか?
元力士旭鷲山は、今日出演した民放のワイドショー番組でそのように発言しているのを見た。

相撲は、国技とはいえ格闘技である。稽古の場その他に荒々しい部分が存在するのは仕方ない部分もあるだろう。
親方や先輩力士にしごかれて成長する、根性論的な部分に支えられる部分も大きかっただろう。
しかし、かわいがりか暴力かという境界線は、年々下っているのではないか。
旭鷲山が現役の頃ともまた年月が経っている。
世間の認識の変化に、相撲界も追従するべきだろう。

メディアの話題は、相撲協会内の諸問題に関する内輪的な憶測に終始しているような向きがあって、余り見る気もしないのだが、
少なくともこのことは、改革途中であるのならぜひとも遂行してほしいものだ。

もうひとつ。
昨日の結びの取組で起こった、横綱白鵬による自分の取り組みに対する自らの「待った」には私も残念な気持だ。

行司と審判しか立会いの成否を判定することはできない。
ハッケヨイの行司の声がかかると立会い成立である。
白鵬は犯しては成らない部分に踏み込んでしまったわけだ。

しかし、以前も触れたことがあるが、日本に生れたものにしか理解しがたい独特の精神的なものがあり、それを外国人力士に理解せよといっても、やはりどうしても無理な部分があるのではと思う。

私などが思いを書き連ねたところで解決するわけがないが、大相撲がその精神的な部分も含む伝統を重んじたものであり続けるべきである一方、変えないといけない部分も山積みだと、今場所の様々な事態を見るに付け思うところである。

mago_emon at 20:53|PermalinkComments(2)メディアの話題