日常雑感

2018年01月04日

こんにちは おはよう

先日、ある町を歩いていて不意に遭遇したのがこの2枚の看板だ。

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「こんにちは」
「おはよう」
この挨拶の文字が大書された鋼鉄製の看板で、部分的とはいえ腐食しているから設置から結構な期間が経過しているものと思われる。地区の子供たちに挨拶をすることを促すために設置されたものなのだろうが、なかなか珍しく滑稽な看板だと思う。

私は全国のあらゆる町を訪ね歩いているので、これを見て色々と思うことがある。
多くの町では、特にすれ違っても通りかかっても自然体の知らん振りだが、ある一定の町では、すれ違う子供たち、小中学生さらに高校生くらいに掛けてもすべて挨拶をしてくる。

逆にこのご時勢だから、知らない人には声をかけるなと教えられている所もあるだろうに、こんな町もあるのかと清々しい気持になる。もちろん私もそれに応える。

しかし実際は、彼らが純朴で礼儀正しいのではなく、「町で大人を見たら全て挨拶をしなさい」と刷り込まれているのだなと私は思う。

挨拶は、もちろん物心つかない子供の時は教えられて身につけるものだが、強制されてするものではない。
この看板が設置された町を歩いている間は子供とすれ違わなかったので、ここの子供たちが「町で大人を見たら全て挨拶をしなさい」と教えられているかどうかは判らなかったが、こういわれて育った子供は、もちろん挨拶することの大切さは理解するかもしれないが、大人になってからはどうなんだろう。
都会の若者のように擦れていくのだろうか。

もちろん都会の子供たちはこのような形での挨拶教育は行われないだろう。訪ねた先で時折聞く子供たちの挨拶に接して、せめてそう教えられた子達は、社会に出てからもその礼儀正しさを失わないで模範になってほしいものと願いたい。

mago_emon at 22:15|PermalinkComments(0)

2017年10月09日

祭で地元を省みる

地元の町では、毎年体育の日がらみの連休に神社の秋祭りが開催される。

以前は体育の日が固定されていたので10月10日と決まっていて、前日夕方から神社下の通りに出店が並ぶことから祭が始まっていた。そのためその日は平日である事も多く、学校を終えて駆けつけていたのを思い出す。

以来しばらくこの祭から疎遠になっていた時期が続いた。学生時代から社会人になって数年の間は地元から離れていたし、その後町並探訪を趣味としだしてからは、気候の良い連休だから遠征を計画する事が多かった。
しかしここ5年余りだろうか、なるべくこの連休は遠征を企てず祭に足を向けるように心がけている。

そのことで新たな発見もあった。
祭の日は、各町内会ごとに数基の神輿が街を練り歩くのだが、そのうち一基が参道内での際どい切り回しを披露している。
子供の頃にはこのようなパフォーマンスをする神輿があることは知らなかった。聞くところによると10年前にこの切り回しを復活させたそうで、それこそ以前は私の生れる以前にしか行われていなかったものなのかもしれない。

今年も慌しい時間の狭間だったが、何とかその切り回しの時間に足を向けることが出来た。この動画はデジカメの動画機能で適当に撮影したものをつなぎ合わせただけのものだが、雰囲気は味わえると思う。

 

地元には近年になって新しい住宅団地もでき、人口は増えたものの、それらの地区の人々はこの祭に参加することは無い。出店の数も子供の頃からすると随分減って、寂しさを感じるものの、再び祭に懐かしさを持って接するようになって、やはり地元に根ざしたものはよいものだと思うようになった。



mago_emon at 21:35|PermalinkComments(0)

2017年09月28日

主なきあとも

昨日のことだ。

ふと私のサイトを通じて、以前よりネット上のお付き合いのあったあるサイトにお邪魔し、掲示板を覗いた。
レスポンスのない投稿が続いている。
その投稿内容を見ると、お悔やみ申し上げますなどと書かれているではないか。
これはどうしたことかと少し書き込みを遡ってみると、1年以上前の日付で、掲示板の管理者(サイト主)の息子と名乗る方からのお知らせ記事があった。
しかも過去記事を辿ってみると、そのお知らせ記事からわずか数日前には、投稿記事に対するサイト主の返事が書き込んである。

急逝だったようだ。

実際、ネットの垣根を越えて実際お会いしていた方の一人も、急逝されブログだけがまだ最後の更新のままの状態で存在し続けている。もう8年も前のことだ。
実は、ほかにも私が以前良く情報交換させていただいていて、ある時期を境に長らく更新されないままになっているサイトを知っている。

余り想像したくないのだが、そういう例はかなりの数に上っているに違いない。

運営されているのが全くの個人の場合が多く、身近な家族もパスワードなどがわからず、編集する術を知らないため、サイト主の存亡にかかわらず外部から見た姿はずっとそのままになってしまうわけだ。
無料のサーバーを利用されていたりすると、それこそ何年も更新されないままの状態で残ってしまう。
今回の場合、まだ息子さんが掲示板に書き込んでくださっていたからよかった。

さきほど実際のお付き合いがあった方というのも、まだ50代であったし、昨日のサイト主もそんなに高年齢ではなさそうな方だった。

人間いつそのような事態に陥る可能性があるかわからないということ、そして健康であることのありがたさを改めて思い知る。

そして、主無きあともずっと生き続けるサイトは、ネット社会の一つの象徴的な姿であると思う。

mago_emon at 22:44|PermalinkComments(0)

2017年08月16日

心のふるさとの町

先日、仕事で外出中に不意にメールが入った。
見ると新社会時代、同じ会社に入社し、配属先は別だったが色々愚痴を聞きあった仲間である。
現在はお互い勤め先も変り、彼は東京住まいになっている。そうなって20年近くもなるのにこうして会う機会があるというのは、非常にありがたいことである。

彼と会うのはほぼ10年ぶり、来ていると言う呉に急行した。呑みながら待っているよと言ってきた店は、地場の居酒屋らしい地味なたたずまいの構えだった。
聞くと、実はこのところ毎年呉を訪ねているのだそうだ。
彼は、最初に赴任したこの町のことに興味を持つ余裕もなく、無機質に働いた新社会人時代を懐かしく思い、離れてからその良さを来るたびに感じていると、繰り返し語った。

後になって調べると、BSの番組「酒場放浪記」でも紹介されたことのある、ある程度有名な居酒屋らしい。
まさに灯台下暗しで、呉に飲みに行くなど普段考えもしないから、店の知識など全くないのである。
料理・酒とも実に旨かった。私が逆に新鮮な感動を得たようなものだった。

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彼と別れてから思ったのが、私にはそのような心のふるさとのような町はあるのだろうかと。
来月頭に京都を訪ねる。過したのは学生時代だから、彼の呉とは様子は異なるものの、第一候補の町である。
あれから私も京都は何度か訪ねる機会はあっても、町並目当てであることが多く、訪問理由が偏っていた。
彼と同じように、懐かしむだけでなくそれまで気付かなかったものを探す旅にできれば、より実り多いものになるのではないだろうか。
京都の場合は、なおのことそういったものが無限に出てくる要素に満ちているはずだ。

毎年訪ねるとまでは行かなくても、懐かしさと、私の望むところの新発見を求めて定期的に訪ねられる心のふるさとになれば、そしてそのきっかけになる訪問になれば、いうことはない。


mago_emon at 21:34|PermalinkComments(0)

2017年06月05日

雑記2題

ニュースでも今やっていた痴漢冤罪問題。

何しろ女性側の主張だけが尊重されがちで、その結果根拠も無く拘束されることにもなりかねないのだから、男性はとても神経質にならざるを得ないわけだ。

逃走して有耶無耶にできるのなら、と線路上に逃げ込む心理も、正直わからなくもない。

実際、私も日常利用している列車。乗っているだけで痴漢に間違われるほどの大混雑ではないわけだから、その点では大都会に住んでいなくて良かったとつくづく思う。

聞くところによると、最近は冤罪保険なるものまであるのだという。
世も末である。


異常気象という言葉を、最近やたらと耳にするような気はしないだろうか。

世界のどこかで珍しい気象現象があった。そうした映像を取り上げて、「地球レベルの異常気象」「何かが起ころうとしている」などと、特に民放の情報番組などで頻繁に報じられる。

確かに北極圏を中心とした気温上昇など、データ的にも裏づけされている現象はある。
しかし、どこかで雹が降ったとか、そういった局地的な現象を取り上げて異常気象というのは、性急過ぎるとそんな話題を見るたびに思ってしまう。

こういう現象が取り上げやすくなったのは、ネットの発達によるところがその要因のほとんどを占めているのではないかというのが私の思うところだ。

局地的な珍しい気象現象であっても、それがSNSなどをはじめとしたネットの力で瞬く間に拡散され、共有され知るところとなってしまう。それらを種にすれば、異常気象というワードで括りやすくなるのだろう。

本当に異常なのかどうかは、視聴者側にも判断する余地があると思う。

mago_emon at 21:39|PermalinkComments(0)