孫さんのあれこれ雑記

孫右衛門運営、「郷愁小路」シリーズ 一番アウトサイドに位置するこちらまで ようこそおいでくださいました。 郷愁小路本編で受けるイメージとは 随分違うと思いますが、 むしろこれが私の本来の姿に近いと思います。 こちらでは、古い町並の話は一切なしにします。 私の興味あるさまざまなことを取扱います。

カテゴリ: 日常雑感

先日出張の帰りに、ふと新社会人時代数年過した町を足早に歩いた。

隣県にあるのだが、町歩きという観点では離れて以来ほとんど訪ねていない。

古い町並がないから歩く機会が少なかったという、私の趣味に照らして実に単純な理由だ。

勤務先であった昭和的なビルは当時アーケード街にあった。
さすがに何度かは再訪していたのだが、今回、アーケードが外れていた。
前面と側面が露になった姿となったそれは既に、古い町並の要素になりつつあるようにすら感じられた。

歩を商店街の中心方向に進めると、商店街の一角から派生した小さな地下街。これは懐かしさとして甦った。昼食時によくその地下街に足を向けていたからである。一方、商店街南側に平行し展開する小路的な商店の連なりがあって、小売店が続いている。当時私も足を踏み入れていたはずなのに記憶には残っていなかった。
それは今の私の基準だと、明らかに昭和レトロ商店街に該当するものだ。勤務時間中であることの後ろめたさから躊躇されたが、思わず数枚カメラにその情景を収めた。

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曲りなりにも2年は過したところであるのに、町の風景、建物、町並といった類のことに全て今より興味関心が低かったことが災いして、記憶の底にも残っていなかったのだろう。もうすこしは覚えておけよというのが率直な感想だったが、既に20年以上前の情景である。改築されたりして商店街全体の雰囲気も変化していることで既視感すら湧かなかったのか。それも或る意味では無理からぬことなのだろうか。

経過した年月の長さを実感するとともに、町を見る目が変ると、これほど新たな発見だらけになるのかということを実感するひとときであった。
そして再訪すると新たな発見がある。特にこの町のように長いブランクがあると、大袈裟に言えばあたかも新規訪問の町であるかのごとくその割合が大きくなる。

そういう意味でも、再訪は大切だと痛感した束の間の町歩きであった。

近所を歩いていると、「鎮魂祭」と大きく書かれた貼紙を見かけた。
毎年10月上旬に行われる地域の氏神の祭に関するもので、今年はその名の下、神事のみでイベント等は全て中止と添書きしてある。
貼紙には理由は書かれていないものの、それは明白だ。7月上旬の大雨による災害を蒙ったことに配慮してのことである。

例年この祭では神社下の通りに多くの出店が並び、地元の人で賑わう。しかしその地区は災害時に河川の氾濫で泥水に覆われ、床上・床下浸水となった家もあった。
また町内全体では土砂災害により死者も出るなど大きな被害を受けた。

今年の夏はこの豪雨災害の影響で、花火大会をはじめ多くのイベントや祭が中止になった。
中止か開催かの話題が出るごとに、ネットなどでは賛否両論の意見が渦巻いた。
賛成派は、自粛ムードが高まることで地元民の復興にむけての士気も下ってしまい、いつもどおりであることを示すことで活気付けようとする意見。
一方の反対派は、家屋を失った方もいる傍らでそのような催しを行うべきでないという被災者心理に立った意見。
今回の災害でもそうだが、同じ地域でも大きな被害に遭った家と全く無事だった家が近くに存在し、その対比が激しいことが、事態を複雑にさせているように思う。

どちらに決まっても全員一致の意見など出るはずもないことだろう。ただ結果としては中止の方向になる例が多かったように思う。強行すると被害者感情を逆撫でにするという声が必ず上るし、それよりも賛成派が「まあ仕方ないか」という形で折れるのが、無難な着地点であるというところなのだろうか。

それはいわゆる自粛ムードという形ということなのだが、私はこういう時、何でもかんでも中止の方向に向かうのはいかがなものかと思う方だ。

しかし災害被害者の当事者になったら、実際どう感じるか。
その辺を考えると、どちらが正解かはだれにも解らない問題のように思える。


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映画など長らく鑑賞したこともない。一時映画館に足を運んでいた時期もあって、今でも観たい気はなくはないのだが、日常の業務趣味些事を差し引くと映画鑑賞などに時間を割く余地などなくDVDなどでの鑑賞も含めてずっと観ていない。

珍しくも先週末、ふとしたきっかけから1本の邦画をネット鑑賞することになった。
昼間、偶然ホームセンターの1コーナーで安売りの映画DVDを手にとったことが、きっかけだった。
映画など本当に永く観てないなと。

「大いなる旅路」という昭和のモノクロ映画。1960年というからもう相当昔の作品である。
蒸気機関車列車を中心とした当時の国鉄の情景の描写があるので観る気になったものだが、いち国鉄マンの若手時代から退職するまでを、家族に焦点を当てて辿った内容だった。
実際心に残ったのは家族そして人間愛の部分ばかりだった。何度か目頭が熱くもなった。

良い映画に出会うと、人間らしい感性を取り戻したり、ふと我を振り返るきっかけにもなる。

このネット鑑賞、さいわいネットの特典で沢山無料で見られるので、また少し時間を作って何本か見てみようか。

「イオン」というと、今や大型商業施設の代名詞となっている。

良く言えば車社会でのショッピングとエンターテインメントが融合した拠点施設であり、悪く言えば大都市部を除くほぼ日本全国で、買い物の形をほぼ全国画一の形にさせた張本人である。その反動は地場の商店街、そして各種小売店の衰退、もっといえば地方文化の磨耗を招いた。

私は後者のイメージしか持っていないが、しかしもはやあえて実名を伏せる必要もないだろう。
幹線道路沿い、区画整理し拡幅・改修された沿道沿いに、広大な駐車場と複合型の店舗群。それらが展開してくる景色すら全国何処でもほぼ同じ形となった。

もはやわざわざ言うまでもないことなのだが、この話を出したのは、私の地元にあるこの「イオン」が、今月末で閉店となってしまうからだ。
店名が何回か変わって、最近イオンが買収して今に至っているこの店舗、しかし外見上は一般にイメージする複合商業施設ではなく、狭い立体駐車場のある、一昔前のスーパーである。
私が小学生の頃にオープンしたこのスーパー、当時はかなりの話題性を持って迎えられた。
私は良く覚えていないのだが、当初アイドル歌手のイベントも行われたのだそうだ。
当時は複合商業施設などはもちろんのこと、テナントが入るような形式のものは皆無で、日常足を向けるのはせいぜい平屋建ての小さな地場のスーパー、それ未満の小売店群、「八百屋」といった言葉も生きていたと思う。
我が家も、このスーパーには当分の間お世話になった。食料品だけでなく衣料品も小さな専門店も、食事どころもある。
今日、そのスーパー内にある眼鏡店を訪ねた。眼鏡をかけるようになってからずっとその店に通っている。
店の方とお話していると、閉店理由として耐震性の問題などもあるとのことだったが、大型商業施設の台頭で、自ら苦しくしていた、そんな状況も背後にあったのではないか。

イオンなのに閉店。もはやそんな時代なのである。

昭和の雰囲気が残る商店街が元気な姿を見せる例など、今や文化財的価値があるといえるだろうし、地場のスーパーが現役であるだけでも、応援していきたいものだ。

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先日、ある町を歩いていて不意に遭遇したのがこの2枚の看板だ。

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「こんにちは」
「おはよう」
この挨拶の文字が大書された鋼鉄製の看板で、部分的とはいえ腐食しているから設置から結構な期間が経過しているものと思われる。地区の子供たちに挨拶をすることを促すために設置されたものなのだろうが、なかなか珍しく滑稽な看板だと思う。

私は全国のあらゆる町を訪ね歩いているので、これを見て色々と思うことがある。
多くの町では、特にすれ違っても通りかかっても自然体の知らん振りだが、ある一定の町では、すれ違う子供たち、小中学生さらに高校生くらいに掛けてもすべて挨拶をしてくる。

逆にこのご時勢だから、知らない人には声をかけるなと教えられている所もあるだろうに、こんな町もあるのかと清々しい気持になる。もちろん私もそれに応える。

しかし実際は、彼らが純朴で礼儀正しいのではなく、「町で大人を見たら全て挨拶をしなさい」と刷り込まれているのだなと私は思う。

挨拶は、もちろん物心つかない子供の時は教えられて身につけるものだが、強制されてするものではない。
この看板が設置された町を歩いている間は子供とすれ違わなかったので、ここの子供たちが「町で大人を見たら全て挨拶をしなさい」と教えられているかどうかは判らなかったが、こういわれて育った子供は、もちろん挨拶することの大切さは理解するかもしれないが、大人になってからはどうなんだろう。
都会の若者のように擦れていくのだろうか。

もちろん都会の子供たちはこのような形での挨拶教育は行われないだろう。訪ねた先で時折聞く子供たちの挨拶に接して、せめてそう教えられた子達は、社会に出てからもその礼儀正しさを失わないで模範になってほしいものと願いたい。

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