水曜日の午前中、一週間前に新宿で見てきた映画についてお伝えします。未治療の統合失調症の女性が、医療を受けられずにその人生の大部分を過ごさざるを得なかった姿についての映画なのでした。
友人に勧められ
ある友人にその映画を勧められ、診療のない水曜日の午前中に新宿まで出かけてきました。実は週に一回の大学の授業でもこの映画を取り上げることにしていたからでもありました。テアトル新宿という歌舞伎町のそばにある映画館でしたが、午前中の映画館はガラガラで、快適でした。
大学時代に発症
ドキュメンタリータッチの映画なのですが、別に作品として明確な目的をもっているドキュメンタリーではありません。映像関係の仕事をしている弟が、姉が統合失調症を発症し、自宅にひきこもったままで異常な状況になっている家族の姿を、発症後してから亡くなるまで長期間にわたって映像に残したものを、あとで映画として編集し直したものなのでした。
成績優秀な姉
医師で研究者の両親のもとに生まれ、両親のようになりたいと成績優秀で医学部に入学していた姉は在学中に統合失調症に発症したのでした。家族が寝静まっている夜中に興奮して叫び続けたことが、その始まりでした。その後、医師の父親は娘を精神科医のもとに連れていきますが、診察の結果「全く異常はない」と言われたと娘を連れて帰ってきてしまいます。
治療を拒否する両親
姉の急激な変貌に驚いていたこの映画の製作者である弟は、病院に連れていったという父親を問い詰めますが、父親は「正常だと言われた」と繰り返すばかりなのです。典型的な統合失調症を発症した姉は、全く自分が病気であるという意識、病識がなく、自分から医療を求めることはありません。もともと聡明で活発、よく弟の面倒を見てくれていたという姉の様子は全く変わり果ててしまいますが、それでも両親は治療を受けさせようとしないのでした。
姉の様子
私は30年程度、精神科医として数多くの統合失調症の方と付き合わさせてもらっています。発症したお姉さまの様子は、これまで見させてもらってきたさまざまな症状そのものでした。常に何かを気にし、落ち着きない雰囲気、ずっと座っていたかと思うと、突然立ち上がって行ってしまう様子、焦点が定まらない視線、まとまらない独り言、突然の怒りや興奮、そして怒声といったことです。会話していてもいつもうわの空で、相手の言葉にきちんと注意を払えず、会話もまとまりません。食事をしていても、こぼしたり、残したり、不注意による粗相がめだちます。
どうしてそうなるのか
典型的な統合失調症の方は幻覚妄想があります。幻覚ですが、統合失調症の場合の幻覚は幻聴、その内容は悪口であったり、本人に対する命令であったりします。幻聴の主はもともと本人が苦手にしていた人物であったり、家族であることがあります。妄想とは、統合失調症の方にとっては、現実よりリアルに感じられる思い込みです。その内容は、被害妄想や誇大妄想が典型的です。幻覚妄想による普通のひとではありえない異常体験によって、思考と感情は常に大きな影響を被り、その結果としての行動も突飛なものになりがちで、目の前の日常生活に取り組むことが困難になるのでした。
弟の必死の訴えもむなしく
異常な様子が続く姉に治療を受けさせるよう、この映画製作者である弟は何度も両親に訴えますが、頑として両親は受け付けません。姉は長年にわたり自宅に引きこもりっぱなしになりました。お二人とも業績ある、名の通った医学研究者であり、医師でありながら、精神症状が明らかな娘をどうして治療を受けさせなかったのでしょうか。
弟は何度も両親に問いかける
姉が自室にこもって興奮し、何かに向かって怒声を浴びせている時、近所を徘徊しようとする姉を自宅にとどめようとして両親が玄関のドアを開かないようにチェーンで固定していた時など、折に触れて両親に弟は問いかけるのでした。姉は病気だから、何とかしてあげよう、見てみないふりをして、どうして何もしようとしない?と。しかし、自らも医師でありながら、両親は変わり果ててしまった娘を、病気として扱うことを頑として拒み続けるのでした。
治療困難なことがある
統合失調症の方が精神科の治療に結び付けられないことは、決して珍しくありません。その病気の性質上、自分の病気を認識できず、治療に対して拒否的になるからです。残念なことに、きちんとした治療を受けることを拒否し、症状をこじらせているように見える方も少なくありません。
発症25年後に
この映画は、姉が24歳で発症してから25年後、娘の治療を拒んでいた母親が認知症を発症したため、両親による姉の世話が困難になったことで、弟の勧めによって、両親の同意のもと、姉を精神科に入院させることが出来たのでした。病識に乏しく、入院を理解できない姉はおそらく医療保護入院となったのでしょう。皮肉なことに、姉の治療の障害となっていたのは、自宅にひきこもる娘の奇妙な振る舞いを耐え忍び、身の回りの世話を長年にわたってし続けていた両親だったのでした。
医療保護入院
この入院制度は、病識に乏しく、自分の病気を理解できず、その病気の破壊的な影響のため、入院治療が望ましい場合に、本人の同意が得られなくても、家族や後見人、保佐人の同意があれば、精神科医の診断のもと、入院が可能になるものです。統合失調症の患者さんでは、入院が必要となった場合に、本人の同意が得られないことがあることから、この入院制度を用いることが少なくありません。
わずか3か月の入院で
当たり前と言えば、当たり前のことでしょうが、3か月の精神病院入院後の姉は、見違えるようでした。落ち着かない様子はほとんど見られなくなり、家族と目を合わせながら、時には笑顔を見せつつ、普通の日常会話をしているのでした。統合失調症が当たり前の治療によって軽快しただけなのですが、未治療の状態でさまざまな衒奇的な振る舞いが映像に長時間にわたり記録されていた、姉の退院後の様子は健康に近く、憑き物が落ちたかのような印象すら与えるのでした。
お気の毒に
本人が治療を理解できないせいもあるのですが、両親の拒否もあり、治療が不断の進歩を重ねている現代にあって、25年間を未治療のままに自宅にひきこもって過ごさざるを得なかったことを振り返ると、お気の毒としか言いようがありません。
もっともっとよくなれたのでは
在学中に発症したため、姉は大学を卒業できなかったのですが、発症当時から治療に取り組んでいたら、大学を卒業できた可能性があるでしょう。また、医師は無理にせよ、病前の社会機能の高さからも、ある程度の社会生活は送れるようになっていたかもしれません。
むすび
原因の全てが判明しているわけではないとはいえ、ある程度の治療が可能になっている慢性的な精神疾患の治療の必要性をあらためて感じさせられた映画でした。治療というのはもちろん薬だけではなく、社会的なリハビリテーションを含めてのことです。この映画の主人公が、服薬治療だけではなく、25年前から望ましいリハビリテーションも同時に行っていれば、全く別の人生もあり得たかもしれないと思ってしまいます。