町田まごころクリニック 院長日記

  町田市の心療内科・神経科・精神科・メンタルクリニック 町田まごころクリニック院長 鹿島直之のブログです

町田まごころクリニックは小田急線、JR線町田駅より徒歩8分、町田市民ホールの斜め向かいにある心療内科・精神科です。
うつ病、パニック障害、不安障害、統合失調症、認知症などのこころの病気や問題に対する治療と相談を行います。

ご予約・お問合せはお電話で 042-851-7824  http://magokoro-clinic.info/

自分と向き合うこと

 また少し時間が空いてしまいましたが、大学の授業も今週の木曜日で終わるので、やや余裕が出来ました。今回は私事が中心ですが、自分との付き合い方について思うところをお伝えいたします。

 

私のクラブ活動

 以前にお伝えしましたが、私は中高一貫の男子校でした。そこでは中学1年生の時からブラスバンドに所属し、高2の秋に部活動を引退するまで、チューバという大きな金管楽器を担当していました。もう30年以上ほども前の思い出ですが。同じチューバで一歳上の先輩がとても優しいいい先輩だったのです。

 

おしゃべりと冗談ばかりの中学時代

 以前にお伝えしましたが、今であればほぼ確実にADHDという診断を受けていたであろう特徴を濃厚に持っていた私は、衝動的で、部活動でも受けを狙っての礼儀知らずな暴言が目立っていました、時に面白がられることがあっても、それに憤る先輩は少なくありませんでした。怒られたり、注意されることもよくありました。

私は浮いていました。
 中高一貫校のブラスバンドは、中学生1年生から高校2年生まで、時に部員は50名を超え、10代の少年たちが礼儀を伴う上下関係というものを初めて体験し、それに慣れていく場でもあったのです。情けないことですが、その場の中で私はかなり浮き気味でした。

 

ずっと優しかった先輩

 そんな私でしたが、その先輩は自分が引退するまでの5年間、同じ楽器のパートで、いつも穏やかに優しく私に接してくれていました。その先輩は誰に対しても優しいばかりか、大らかで明るい性格で、私と異なり、誰からも好かれていたのです。

先輩に依存していました。
 私が高1の時でしたが、その先輩は部活での最高学年となる高2の時に、部長として部活動全体を統率する立場になったのでした。私はその先輩が高2の秋に引退した時には、寂しいだけではなく、部活動を続けることに、自分が最高学年になりながらも、不安すら感じたものでした。

 

久しぶりの邂逅

 もう2ヶ月ほど前のことになりますが、その先輩と20年以上久々に会ってきました。その先輩は都内のある名門高校の教頭先生となっていたのでした。その人間性はさらに円満さを増したようで、教職はまさに打ってつけの天職のように感じられました。片や精神科医になっている私とは、人の心を直接相手にするということが、職業上共通していたことから、久々とはいえ、話題は尽きず、とても楽しい晩を過ごせました。

 

20年間の振り返り

長らくお会いしなかった尊敬する先輩の素晴らしい社会的なご活躍を喜び、その相変わらずの落ち着きと穏やかさを懐かしみながらも、私は自分が10代の頃を思い出していました。私自身のその頃の振る舞いが遥か彼方の記憶の中から蘇り、この20年間に自分に起こったかなりの性格的な変化に改めて気付いたのです。

30年前、ADHDは知られていなかった。  
 元々私は物事に動じやすく、衝動的な性格だったのでした。30年前のことであるがゆえに、ADHDとは気づかれていなかった私ですが、部活動に限らず、同級生の中でも、些細なことで反応し、騒ぎ立てるといった傾向がありました。

 

騒がしい性格でした。

 突飛な言動で時にその場を盛り上げることがあっても、その独特の騒がしさを嫌がる同級生も多く、時に孤立気味になったり、友人に絶交されたりすることもあったのです。10代の頃にはそういう私でしたが、今では、私はその頃よりは遥かに物事に動じなくなり、人が嫌がることもほとんど言わないで済むようになっています。

 

同じ匂いがある精神科医

 以前一緒に同じ職場で勤務したことのある精神科医ですが、やはりADHDの傾向を強く持つ方がおられました。頭の回転はすごく早く、思い付きで皮肉たっぷりの冗談をすぐに口に出し、その場にいる人に合わせて調子のいいことを言いながらも、実際にはお願いしたことにほとんど取り組んでくれない人なのです。

 

クールダウンが必要なのに
 些細なことで感情的になりやすく、患者さんを怒らせてしまうこともよくありました。出勤の遅刻も何度注意されても改善されませんでした。さらに、プライドは人一倍で、感情的になりやすいがために、周囲から意見もとても言いづらいのでした。

回転の速さも使いよう
 イライラする感情をあまり隠そうともせず、頭の回転の速さからか、一方的に自分の意見をまくしたてるようなところがあったからです。相手がよく言われていることをわからないままで、その方との話が終わってしまうことも珍しくなかったように思います。私は自分の性格的特徴とその方のそれに近いものを感じましたが、私とその人では全く違っている点がありました。

 

自分を知ることの重要性

 驚くべきことに、その人は自分がADHDということに全く気が付いておられなかったのです。ここまで成人のADHDがマスコミなどで騒がれるようになったこのご時世で、しかもご自分が精神科医でありながら、典型的といえる自分の症状に全く気付かないまま、私とさほど離れていない年齢にまで至ってしまっていたのです。

頭が切れるゆえの落とし穴
 その人の病院勤務における不適応ぶりを何度となく見せつけられるにつけ、私は自分の性格的な特徴を認識することの重要性に気付かされたのです。不適応の一方で、その方はとても頭が切れるところがあり、プライドも高かったために、かえって自分の性格的な偏りに気つくことができなかったようでした。もっとも私も職場不適応なところが全くないとは申せませんが。

 

幼少時からの違和感

 正直に告白しますが、私は子供の頃から、おしゃべり過ぎたり、誰に対しても一言多かったり、些細なことで動揺しやすかったり、その場の思い付きをを行動に移しやすかったりするために、何度も悩むことがありました。いつも身の回りは散らかり放題で、どうして自分はこうなのか、と考えることもありました。しかし、日常生活は何とか送れていたし、少数ながら親しい友人もいたため、それほど深刻にならずにいました。

 

医師になってみると

 真の試練はむしろ社会人になってから待っていました。医師としての研修における基本的な訓練として、上の先生に担当した患者さんについての情報をプレゼンしなければならなかったのですが、私はこれが大の苦手でした。

頑張って準備していても
 というのは、せっかく色々調べて準備しても、その場になると、緊張するせいもあり、言いたいことが頭にいろいろと思いついてしまうのです。その結果、情報の重要度に基づく優先順位を考え、落ち着いてプレゼンすることが中々できなかったのです。

苦い思い出 
 研修先の病院で毎週行われていた院長回診で、大勢が見守る中で、適切に院長からの質問に答えられなかったことが何度もあり、人生における苦い思い出の一つになっています。後で落ち着いて振り返ってみると、ああ答えればよかった、こう答えればよかったといつも悔んでいたものでした。


早口と滑舌

また、もともとの短気(衝動性)と、気持ちが焦ってしまうことが影響する早口と滑舌の悪さは、最近になって多少は改善が見られるものの、研修医の頃から今に至るまで患者さんから話が聞き取りずらいと苦情をもらい続けているのです。全く申し訳ないことです。

一生懸命でも・・・
 私は、お伝えしてきたように不器用だったこともあって、目の前の患者さんのためにせめてベストを尽くそうと心がけてきました。しかし、それが影響してか、お伝えしたいことが思いつき過ぎたり、中々話をまとめられず、診察が長引いてしまい、お待ちになっている患者さんに迷惑をかけてしまう傾向もあるのです。

外来診療の課題
 その傾向は国立病院での研修後、慈恵医大に戻り、医師になって4年目から、外来診療を本格的に任されるようになって目立ってきました。恐れ多いことですが、その傾向は和らいだとはいえ、今も続いています。申し訳ありませんが、当院ご通院の方はもうどなたもご承知のことでしょう。


治療に畏れを抱いていました
 研修の頃に話を戻します。私は自分に自信がなかったこともあり、いろいろな先生に積極的に質問し、出来る限り教科書や文献に目を通し、患者さんとは時間が許す限り話すようにしていました。当たり前のことですが、医師として振る舞うことが、人生で初めての経験でしたから、患者さんの治療にあたることに畏れに近いものを感じていたからかもしれません。

唯一の救い
 結局、研修中に表立って私がほめられることはありませんでしたが、自分なりにベストを尽くしてはいたのです。そういう姿を見てくれていたからか、ある病棟の指導医の先生が、私がその病棟の研修期間を終えた後にその病棟で研修した友人の研修医に、「ああいう奴は伸びる」と私のことを話していたとその友人から聞いたことが唯一の救いと感じられたものでした。直接その先生からその発言の真意を聞けなかったので、その先生の期待通りの医師になれたかどうか、今でもわかりませんが。


私なりの対処

 医師になってから、数年が経ち、20代の後半から、物事に動じやすく、落ち着かないところがある自分を変えようと、自己修養の一つとして瞑想を学ぶようになったのでした。お恥ずかしながら、自分が「ADHD」であったとはまだこの時期にははっきり認識していませんでした。

マインドフルネス瞑想との出会い
 ちょうど大学から秋田県の病院に3年間の長期出張に生かされた時に出会ったのは、幸運にも、最近マスコミで話題になっているマインドフルネス瞑想を日本に広めようとしていた井上ウィマラ師だったのです。

 

偉大な師

 師は、京都大学を中退され、その後ビルマやタイで本格的な仏教瞑想の修養をした後、日本に瞑想を広めようと、たまたま秋田県で瞑想のワークショップを開催していたのでした。お会いになった方は誰でも感じると思いますが、ウィマラ師は知性と優しさと静けさを兼ね備えた、理想的といえる瞑想の師だったのです。私は秋田県の病院への出張期間の間、師のワークショップに何度も参加し、瞑想のやり方とそのスピリットを自分なりに学ぶことができたのでした。

 

瞑想で得たもの

 マインドフルネス瞑想は、ただあるがままの自然な呼吸に、目を閉じてまっすぐな姿勢で座って集中する、というシンプルなものです。シンプルがあるがゆえに、日々の訓練によっては、我々と常に共にある呼吸というツールによって、いつでも自分自身を取り戻すことが出来るようになってきます。

マインドフルに生きる
 座っている時に限らず、いつでも意識的に呼吸をする習慣によって、自分の思考と感情と身体がどのような状態にあるか気づいた(マインドフル)上で、物事を選択することがが可能になってくるのです。

 

少し落ち着いてきました

ものに動じやすかった私は、呼吸というツールを使うことを覚えることで、動揺しやすい感情をある程度はコントロールすることが出来るようになってきたのでした。今では、当院の優秀な受付事務のお一人からは、「先生はいつも気持ちがフラットですね」と、お褒めの言葉を頂けるまでになったことは私にとって奇跡的な達成なのです。

 

ノン・ジャッジメント(裁かないこと)

 瞑想の師から、もう一つ学んだ重要なことは、どんなこともノン・ジャッジメント、自分の判断で物事を裁かないことが大切だということです。これも何でも批判的に考えることが格好いいと勘違いしていた私にとっては、カルチャーショックでしたが、メンタルヘルスにとっても非常に重要なことだったのでした。慈愛に満ちた我が師は、人を裁くことは、自分を裁くことにつながり、かえって自分の人生の緊張感を強め、自分自身が生きづらくなってしまうことを私にわからせてくれました。

 

それから17

 井上ウィマラ師から教えを頂いてからもうかなりの年月が経ってしまいました。私は大した弟子ではなかったでしょうが、師から教わった瞑想の習慣を日々短時間でも続け、ノン・ジャッジメントの教えは自分なりに実践し続けているつもりでいます。師から私が得たものは、計り知れません。師から教わった心の静けさと安らぎこそは、人生に永続的な幸せをもたらしてくれる、真の財産といえるからです。

 

欠点の克服

 医師として、先に挙げた全ての欠点を克服したとは今になっても到底言えません。恐れ入りますが、これを読まれている患者さんで私はまだまだだとお感じになる方は多いことでしょう。しかし、瞑想を含め、自分の欠点をあるがままに見つめ続け、それを克服しようとする日々の努力の積み重ねで、少しずつですが、緩和されてきているように私は感じています。急に変われないことは誠に申し訳ないのですが、引き続きベストを尽くしますので、ご容赦頂ければ幸いです。

 

むすび

 若いころ大いに悩むこと、壁に突き当たることはメリットがあります。大きな悩みを克服しようと努力すること、その努力の過程によって得られることが、その後の長い人生にとって大きな利益をもたらすことがあるからです。

精神医療における言葉の力、自己暗示の工夫

先のブログから3週間たってしまい、何人かの患者さんからご催促を頂いてしまいました。大学の前期試験の準備や、クリニックのミーティングなどで、時間が割けなかったことをお詫びいたします。今回は精神医療における言葉の力、および自己暗示について思うところをお伝えします。

 

大御所

 いまは文壇の大御所の一人といえる、芥川賞を含め、数々の文学賞を受賞している宮本輝さんは、25歳の時からパニック障害を患っているのです。電車の中で動悸や不安、冷や汗を伴うパニック発作が起こったことが始まりで、それ以後電車やバスに乗れなくなってしまったのでした。

大作家への道は病気が開かせた
 広告社に勤務し、コピーライターの仕事をしていたものの、通勤が出来なくなった宮本輝さんは、それをきっかけに会社を退職しました。そして、もともと文学好きであったことから、作家を志したのです。

 

芥川賞はとったものの

宮本輝さんは、勤め人から作家として転身するや、31歳の時には芥川賞を受賞し、世にその才能をいかんなく発揮することが出来たのです。しかし、パニック障害は続き、35歳の時に、激しいパニック発作のために、書斎にも入れなくなってしまった時期があったそうです。

驚くべき、しかし聡明なアドバイス
 そのとき、主治医であった京都府立医大の精神科の先生が言ったものです。「パニック障害は天才がなる病気ですよ。治らないほうがいいですよ。小説を書けなくなります。病気があなたを作家にしたんですよ」と

 

精神疾患と向き合うにあたって

 宮本輝さんはこの先生に救われたと言っています。パニック障害を含め、精神疾患は改善に長期間かかることが少なからずあります。そういった中で、自分の症状を憎んだり、嘆いたり、改善を焦ったりすることで、かえってその症状を強めたり、うつ状態に陥ったりすることがあるのです。

自分の出来ることを考えればいい
 これは私が最もよく渡す言葉の一つです。難しいことですが、長期にわたり、しつこい症状に悩まされても、望ましい養生のためには、なるべく冷静さを保ち、自分の出来ることを考え、そこに集中すべきなのです。名医に恵まれた宮本輝さんはその後も数々の名作と言われる作品を世に出していったのでした。

 

名医とは

 精神科に限らず、名医の条件の一つに挙げられると私が考えることは、言葉によって「患者さんを安心させられること」だと思います。どのような病気でも、長期間に及び、生活に影響がある場合には、普通は患者さんは病気になったことを嘆き、悔しがるものです。

病気に感情的になることが、かえって悪影響となる
 ただその嘆きの度合いが余りにも強すぎたり、極端な場合には、かって養生に悪影響があります。すぐには直らない自分の病気に対する憤りや憎しみがかえって病気の症状に自分の注意を向けさせ、敏感にさせてしまうからです。

 

病気を見ずして病人を見よ

 これは我が母校である慈恵医大の創始者である高木兼寛先生が残された言葉ということで、20年以上前の大学在学中には、私はこの言葉を嫌というほど聞かされたものでした。お恥ずかしながら、精神科医としてこの年になり、この言葉の意味が嫌というほどわかるようになってきました。

患者さんが病気と向き合えるよう配慮することが大切
 医師にとって患者さんの病気を治す努力はもちろんですが、患者さんが病気をどのようにとらえ、どのように向き合っているか、そこに注意を払うことも大切なのです。患者さんの自分の病についての考えや付き合い方が、その治療の経過に影響するからです。

 

京都府立医科大学の名医

 京都府立医大の先生は「直らないほうがいい。パニック障害は天才がなる病気」と伝えることで、宮本輝さんの焦りを和らげ、病気の中でも、宮本輝さんが出来ること、宮本輝さんしか出来ないことに注意を向けさせたのでした。同じ精神科医としても、その時の宮本輝さんに対する精神科医の言葉としてはベストに近い言葉ではないかと、感心してしまいます。

 

ある女子高校生の心の支え

 次です。「他人の言葉は気にしない」。これは最近(422日)の朝日新聞で取り上げられた40代のクリニックの精神科医の言葉です。友人関係や家族関係で悩み、情動不安定で自傷行為を繰り返す女子高校生に向けて、メモにして渡してあげたというものなのです。その先生は通院の度に本人が楽になるようにと言葉をメモに書いて渡してくれ、その高校生もその言葉が心の支えになっているということなのです。

 

尊敬すべき先生

 その先生はその他にも、通院の度に、「自分を大切にする」「自分を責めない」といった言葉をメモにして渡してくれるそうです。薬物療法しか能がないと批判されがちな現在の精神医療の中で、気を吐いている先生の一人だと思います。その先生は「自分を大切にすることが、大事な人を大切にすることになるんだよ」と話しかけているそうです。悩める女子高校生と望ましい教育的ともいえる治療関係を築いておられ、脱帽の限りです。

 

自己暗示の条件

 私はその先生の治療の方向性やその効果を尊敬するものですが、診察で治療のために、メモに書いた言葉を患者さんに渡す精神科医の一人としては、言葉の内容に思うところが少しばかりあります。「自分を責めない」「他人の言葉を気にしない」これらの言葉は、「~しない」と否定形になっています。恐れ入りますが、自己暗示の言葉としては、「~しない」という言葉は不適切なのです。

 

心の動きには必ず理由がある

他人の言葉をどのようにうけとめるかについて、そもそも私は「深刻になりすぎないで」「真に受けないで」とは患者さんにお伝えしますが、「気にしないで」とは余り言いません。人が「気になる」ことはそれなりに理由があるからです。また、「気にしない」ということは、かえって「気にしない」対象を意識させてしまいます。それでも私があえて「気にしないで」というときには、その場で代わりに注意を向けるべきことを患者さんに同時に示唆するようにしています。

 

役に立つ範囲で聞けばいい

これは他人の言葉に敏感で、気にして落ち込みやすい方に私が渡す言葉です。人間は自分がもともと引け目に感じていることを、人からの言葉の中に感じがちなものです。どのように感じられようと、他人からの言葉とは、自分が自分のことをどのように感じているかを教えてくれるのです。単に他人の言葉を「気にしない」ことより、それがきっかけとなった自分への気づきをどのように生かすか、それを考えてもらうことが重要だと思ったので、私はこの言葉を考えました。

 

「しない」ことはイメージしずらい

 記事で紹介されたもう一つの言葉、「自分を責めない」これも同じことです。「~しない」という文句はイメージしずらいため、自己暗示として自分の心に与えるインパクトが弱くなってしまうのです。それよりは同記事に出てくるもう一つの言葉、「自分を大切にする」がほぼ同じ意味になると思いますが、こちらの方がいいでしょう。私自身は、自分を責めそうになった時には、「愛情と喜びに生きる」を繰り返しています。また、これは心の中で他人を責めそうになった時にも使っています。

 

自己暗示の言葉はは人それぞれ

私はこの言葉を繰り返すたびに、心が温かくなるように感じられ、自分や他人への責めから解放されるような気になれるのです。ただ、私自身の使っている言葉はやや硬い響きがあり、どのような自己暗示の言葉が合うかは人によってそれぞれ違うということをご注意ください。

 

信頼している人からのプレゼントには意味がある。

 以上、暗示の効果という点から言葉の内容について私が思うところをお伝えしました。しかし、そうはいっても信頼する先生が診察の時に渡してくれたメモを、いつも手帳に挟んで落ち込んだ時に読み返し、心が落ち着くという女子高生の習慣は、精神衛生にとてもいいと思います。精神科医は診察の時に楽になってもらった感覚を日常生活にも使ってもらえるように工夫すべきなのです。もっとも、診察の時にも患者さんを楽にさせられないのでは論外ですが。

プラスのイメージを思い出す習慣が重要。
 言葉の内容もそうですが、メモ書きとはいえ、先生からのささやかなプレゼントを見返すことで、自分が安心できる拠り所である先生の診察のイメージをいつでも思い出せるからです。その行為は、不安になった時にの屯用の精神安定剤の代わりにもなり得るでしょう。

 

プレゼントの名手

 そういった意味では当院の小林カウンセラーも「ちょっとした」プレゼントを患者さんにあげる名手です。患者さんに大人気の彼は、似顔のイラストを描いた小さなマグネットを望む患者さんにあげているそうです。彼はファンキーかつ、お洒落なナイスガイなので、そのマグネットを心の支えにしている患者さんも数多くいるでしょう。私はお洒落でもナイスガイでもないので、似顔絵のイラストを作ってプレゼントする自信はありませんが。

 

言葉を使った当院の新たなサーヴィス

 私は患者さんを癒すのは小手先のテクニックより、精神科医やカウンセラーの人間性や心の持ち方であるという考えですが、その考えにふさわしい優秀な臨床心理士の方が、3か月前より、当院に新戦力として加わっています。畑千穂先生といい、とても心暖かく、豊富な人生経験があるばかりか、知性にも優れた、素晴らしい方です。

人間的魅力を感じさせるお二人
  先月より月曜日に認知行動療法(保険ではなく、自費になります)を用いたカウンセリングを行ってくれていますので、カウンセリングご希望の方はご検討ください。また、日曜日にカウンセリングを行っている寺上カウンセラーが金曜日にもカウンセリングを行うようになりましたので、こちらもお勧めです。穏やかで、とても優しい人間性を持ち、苦労人でもある寺上先生は、ファンが多い優秀で共感性豊かなカウンセラーです。

 

結び

 薬物療法中心の現在の精神医療ですが、最大限言葉の力も用いようと心を砕く精神科医もいます。言葉を使う以前に、その人間性に触れるだけで、癒しを感じさせてくれる臨床心理士やカウンセラーもいます。当院はそういった方たちに集まってもらうように日夜心を砕いております。

パニック障害の小谷野選手と最善主義について

申し訳ありませんが、3週間ぶりの、お久しぶりのブログになってしまいました。職員の方々に少しでも満足してらいたいと、毎年頭を悩ませる、昇給、賞与の時期でもあり、書きかけのネット記事の原稿もあったりで時間が割けませんでした。今回はパニック障害に苦しみながらも、見事復帰を果たしたばかりか、今も活躍中であるプロ野球の小谷野選手について思うところを伝えしたいと思います。


小谷野選手

 小谷野選手は、プロ野球の北海道日本ハムからオリックス・バファローズにFA移籍して3年目の今年は36歳になるベテラン選手です。打順はクリーンアップに座り、リーグ7位の打率.313611日時点)でチームの主力といえる活躍を見せています。

 

長年の大恩人

小谷野選手ははことあるごとにオリックス・バファローズの現監督である、「福良さんを男にしたい」と口にしてきたそうです。それは福良監督を自分の活躍によって優勝させてあげたい、という意味です。

恩人を追いかけて
 そもそも、2014年に、FAの移籍先にオリックスを選んだのも、当時オリックスのヘッドコーチに、日本ハム時代の恩人である福良監督がいたからなのです。小谷野選手がそこまで福良監督に恩を感じていること、それには普通の対人関係からはおよそ想像もつかない、深い理由があるのでした。


パニック障害の発症

 日本ハム入団4年目の2006年、小谷野選手はパニック障害になったのです。以前のブログでご説明したかもしれませんが、パニック障害とは、激しい不安が伴う、動悸や過呼吸といった自律神経の症状に基づく発作による精神疾患です。その発作がとても苦しいものですから、そうした発作を繰り返すうちに「また発作が起きるのではないか」という予期不安を感じるようになり、1人で外出できなくなったり、それどころか自宅に一人でいることも難しくなることもあります。

 

外出できなかったプロ野球選手

小谷野選手も一時は外出できない状態になり、実家に帰った時期もあったそうです。心ならず、グラウンドから離れていなければならなかった小谷野選手を、再び試合の場に立たせたのが、当時、日本ハムの2軍監督代行を務めていた福良監督だったのでした。その年に、2軍選手中心の秋季の教育リーグであるフェニックス・リーグで小谷野選手を起用したのです。

 

「何分でもいいから。何かあったらすぐタイムかけてあげるから」
 
驚くべきことに、福良監督は小谷野選手にこう伝えたそうなのです。その時のことを、小谷野選手はこう言っています。「本当に嬉しかったです。僕はもう引退だと思っていましたから、『どうせ最後なら、吐きながらでも倒れながらでもやってやろう』と思えた。」パニック障害で見られる、しつこい不安の克服にあたっては、時に思い切った行動が大切なのです。その思い切りを促したのが、福良監督の適切な指示だったのです。

 実際に倒れても
 「実際、セカンドを守りながら倒れたこともあったけど、そういう時は『今日はよく頑張った。立てたね』と言って交代してくれた。」福良監督は、エラーどころか、症状のために、守備位置に「居られない」ことすら、許してくれたのでした。さらにそのうえで、「頑張った。立てたね。」とその場で立ち上がったことだけでもねぎらってくれていたのです。監督の、その信じがたいほどの理解と寛容のもとで、小谷野選手は不安に対して開き直り、不安でも出来ることをやろうと決意できたのです。

 

プロとして戦う集団でありながら

さらに小谷野選手はこう言っています。「本当に一番大変だった時に支えてくれて、もう一度野球をやれるようにしてくれた方です。あんな指導者いませんよね。しかもプロなんて戦う集団でしょ。そこで僕は戦えていない人間だったのに、『何分でもいいから』と言ってくれたんですから」プレーの質を問う以前に、グラウンドにいる時間をほめてくれる、福良監督は、どこまでも選手に寄り添う覚悟がある、途方もないスケールの指導者だったのでした。


引退と諦めていた小谷野の復帰

 当時日本ハムの2軍の責任者であった福良監督のもと、何カ月もまともに練習ができていなかったにも関わらず、そのフェニックス・リーグで小谷野は過去にない好成績を残したのでした。「自信になったんですよ。その1カ月間はもう“死も覚悟して”みたいな状況で、地獄のように苦しかったけど、結果を残せちゃった。それで、『あ、こんなことになっても野球やれるんだ』と思えたんです」と小谷野選手は語っています。

不安に立ち向かうことが自信を生む
 不安に苛まれていても、動くことはできるし、本当に自分にとって大切なことを諦める必要はない、小谷野選手はそう教えてくれているようです。翌年、自信を取り戻した小谷野選手は日本ハムで1軍のレギュラー選手になったのでした。

 

どん底から這い上がった人間はあらゆることに感謝する

 小谷野選手はパニック障害になったことについて今ではこう言っているそうです。「病気になったおかげで、グラウンドに立てるだけで嬉しいと思えるようになったんです」「僕は、最低限を計算できる選手になら、なれると思った。例えばランナーが三塁にいる時に、この選手ならアウトになったとしても最低限ゴロを打ってくれるから1点は入るな、とか、自己犠牲ができるとか」、グラウンドに立てること自体に感謝するようになった小谷野選手は、自分が目立つことより、チームに貢献することを優先するようになったのでした。

 

レギュラー選手から打点王へ

その後、小谷野選手はレギュラーに定着し、2010年には打点王のタイトルを獲得したのです。自分のことよりチームに貢献することを優先することが、結局は自分の最大の利益につながることを、小谷野選手の取り組みが示してくれているように思われます。

 

弱みを見せる人に、人は心を許す

さらに小谷野選手は、「不得意なところがあったほうが人間味があっていい」「昔の僕は完璧主義で、人には強い部分しか見せたくなかった。でも、弱い部分も自分の個性だし、不得意なところがあったほうが人間味があっていいじゃん、って思えるようになった。弱いところも見せるようになってから、人付き合いがすごくしやすくなったし、僕に対する周りの見方も変わってくれたと思う。病気になってよかったなと思うのはそういうところですね。今でも試合前に発作が出ることがあるけど、みんな受け入れてくれているからすごくありがたい。こっちに来てからは、結構、若い子にいじられるんですよ。でも、『あ、そういうのもありだな、心地いいじゃん』って思えるんです」と話しています。

 

豹変した小谷野選手

昔は「人を寄せ付けないタイプだった」という小谷野選手ですが、今年1月の自主トレではオリックスから5人が弟子入りし、それ以降も後輩たちがこぞってアドバイスを求めにくるそうです。選び抜かれた選手ぞろいで、チーム内の競争も激しいプロ野球の世界であるからこそ、気さくに自分の弱みを見せることが出来る小谷野選手は、チームワークを保つために、オリックスで貴重な存在になっているのかもしれません。

 

完璧主義から最善主義へ 

 最善主義とは、アメリカでポジティブ心理学を研究しているタル・ベン・シャハ―博士が提唱していることですが、完璧主義を和らげるうえで、とても有効な考え方だと思います。誰にとっても人生の目標や理想とは非常に重要なことですが、誰でもそこに至るまでの道のりがまっすぐで完璧なことはありえません。誰もが、人生の紆余曲折や予期せぬトラブルの中で最善を尽くすほかはないのです。そして、それを理解して完璧にこだわらず、最善を心がける姿勢を最善主義というのです。

 

最善主義とは人生のあらゆる結果を受け入れ、生かすこと。

 小谷野選手は、予期せぬ病気による影響を自分の目的のために、最大限に生かし、人間的にも大きな成長を遂げているようです。病気を通して、小谷野選手は自分をそれまで苦しめていた完璧主義に気づき、それを修正したのです。誰にとっても、この不確実で保証がない人生というものに向き合いながらも、自分の夢や目標を持ち続け、しかもリラックスしているためには、最善主義を心がけることが役に立つように思います。 

 

むすび

 すぐにはそう思えなくても、あらゆる経験にメリットがあることを信じ、それを見出し、自分の希望や目標のためにそのメリットを生かそうと心がけること、それが習慣になっている人こそ、人生の達人といえる人なのでしょう。なお、今回のブログを書くにあたり、Number Web posted2017/05/02 08:00のコラム記事で取り上げられた小谷野選手のインタビューを参考にしていることをお断りしておきます。

戦う集団に求められること

ひろりん 修正済み 2017年5月
 
 ブログが少し空いてしまい、申し訳ありません。毎週の大学の授業の準備に加え、先週は薬剤師さん向けの講演会の準備もあり、ちょっと時間が取れませんでした。今回はある一つの目的のために活動する集団の一人一人にに求められる資質、ということについてお伝えします。上は最近のひろりんの雄姿です。

 

6周年記念パーティー

 先週の土曜日でしたが、当院も今年の111日に6周年を迎えたこともあり、当院スタッフと、いつもお世話になっている製薬会社のMRの皆さんをご招待し、総勢30名くらいで、町田のホテルの一室を借り切って、慰労パーティーを行いました。この日を迎えられたのも、ひとえに開業以来、これまで当院を頼りにしてくれてきた数多くの患者さんの方々のおかげです。誠にありがとうございます!

 

恒例のスピーチ

 年に数回行っている当院のパーティでは、私が最初に簡単なスピーチをします。今回は、いつもベストを尽くして仕事をしてくれているお礼を皆にお伝えした上で、もう一つのお願い事をさせて頂きました。そのお願い事は何かといえば、「自分の感情に責任を持つこと」ということだったのでした。

 

自分の感情に責任を持つ

そのうえで、まごころのスタッフである以上は、いつもなるべく楽しく、前向きで、明るくあってほしいとお伝えしました。いつでもなるべく陽気でいるように自分の感情を整えておくことをお願いしたのです。これには重要な理由があります。まごころクリニックが患者さんの利益という一つの目的に向かって一緒に戦う集団である以上、ただ表面的に楽しそうに見えるだけの仲良しクラブではだめなのです。

 

意見を言いやすい雰囲気が大切

人間は誰でも不完全であり、何らかの理想に向かって成長しつつある存在です。クリニックにあっては、苦悩されている患者さんのために、時にはスタッフが厳しい現実に向きあい、遠慮なく意見を言い合う必要もあるのです。もしあるスタッフが不機嫌だったり、陰気だったりした場合、周囲に余分な気を使わせるばかりか、必要な意見も言いづらくなってしまうのです。

 

厳しい意見こそが成長の糧となる

 だからこそ、スタッフが前向きで、厳しい意見こそ自分を成長させてくれるものと構え、どんな意見にも常にオープンでいられることがとても大切です。さらには、厳しくとも真っ当な意見を言ってくれた人に深く感謝できるくらいの心の余裕を持てていることが望ましいのです。意見を言ってくれた人はそのスタッフをを成長させ、そのスタッフの価値を高めてくれたのですから。

 

意見の言い方も大切

対人関係に対して前向きということは、人に対して好意的で、その意見や気持ちを十分に理解しようとする態度を持つことです。その態度もスタッフとして不可欠です。それがスタッフ同士で、普段から、お互いのことを掛替えのない価値がある存在として認め、信じられることにつながってくるからです。何があろうと、お互いを心の底では信じ、好意的であることが、お互いに忌憚のない意見を言うときに必要な、相手を尊重する礼儀正しさとして現れるものなのです。

 

相手への礼儀はお愛想ではない

そして、その礼儀正しさは、相手の機嫌を取るためのただのお愛想とは全く質の異なったものです。当院ではどこかの国の大統領ではありませんが、裸の王様にならないよう、院長である私がまず明るく陽気にオープンに、日々気をつけているつもりです。ありがたいことに、当院では、誰でも遠慮憚ることなく、それでいて礼儀正しく意見を言ってくれているようです。

 

13社の製薬会社のMRさん

 今回の当院のパーティには何と13社の製薬会社のMRさんにご参加いただき、場を大いに盛り上げていただきました。こんなに製薬会社さんの方々が一堂に会することは皆無らしく、そのご協力に深謝あるばかりでした。集ってくれた皆さんが口を揃え、当院の受付の方は、いつでも誰もが心暖かく対応してくれると言ってくれるのです。

 

「まごころ」は分け隔てしない

一般的によくMRさんから聞くことですが、他の病院では受付の方に冷たくされることも珍しくない、とのことなのです。私の考えでは、それは望ましくないように思います。患者さんだから丁重に接し、他の人には態度を変えるということでは、当院のモットーである「まごころ」と反するからです。そういう態度ではかえって患者さんからの信頼を損ねることになりかねない、とまで思っているのです。

 

目の前のあなたに尽くします。たとえあなたが誰であっても。

 人は、何か見返りを求めて親切にしてくれる人より、誰に対してもいつも親切な人、親切にすることで自分の内心の満足が得られるとわかっているからそうすることが習慣になっている人を好むものです。「まごころ」とは、目の前の人に対する無条件の好意や愛情のことだと思います。当院のスタッフにも是非それをもって日々仕事に取り組んでほしいと思っているし、スタッフの方々はそれに十分応じてくれていると私は信じております。

 

面会をお断りする場合もあります

私はクリニックでは朝から晩まで診療で非常に多忙なので、こちらの都合を全く考えない飛び込みの営業や売り込みはお断りするようにしています。しかし、製薬会社からはそもそも我々の医療の基本となっている薬を供給してもらっており、そのMRの方々はいつも貴重な情報を医師に親切に提供してくれるのですから、短時間でも必ずお会いするし、頂いた資料にもなるべく目を通すように心がけています。私より聡明な当院のクリニックのスタッフは、あらゆる人への応対を適切に愛情をもってこなしてくれているようです。

MRの方々は教育され、人間が出来ている
 いつも思うことなのですが、営業職だから当たり前と言われればそれまでですが、製薬会社のMRの方はその礼儀といい、周囲への配慮といい、人間性といい、とても優れていると感じさせられることが多くあります。今回の当院のパーティにご参加いただいたMRの13名の方々の、和気あいあいとしながらも、節度のある振る舞いも素晴らしいものでした。

私も医師ですが。
 医師である私が言うことではないのかもしれませんが、同じ人と接する仕事である医師の方々とは大変な違いです。偏差値が高すぎる医学部を卒業された方々は勉強に追われ過ぎていたせいか、人間として当たり前の良識や、思いやりとか、そういったものを身につけている暇もなかったのか、と考えさせられるような方が少なくないような気がいたします。

悪性の自己愛
 子供の頃からテストが出来るというだけのことで周囲から一目おかれ、いまや難関の医学部に入ればちやほやされ、医師になればその資格だけのことで若輩であっても職場で「先生」と重んずられる、そういう扱いを長きにわたって受けることは、教育という見地からは、百害あって一利なしです。自分が「他人より優れている」という錯覚に基づいた悪い意味での自己愛を育むことになりかねないからです。

自己愛は治療が難しい
 長期にわたる歪んだ社会的な教育によって出来上がってしまったそういった無根拠なプライドは、大変修正しずらいものです。現実的ではない自己愛を育んできた医師は些細なことで傷つきやすく、対人関係で被害的になりやすく、周囲に余計な気やエネルギーを使わせることになります。不必要にプライドが高い先生と一緒にチーム医療に取り組まなければならないスタッフの苦労や、その先生に診てもらわざるを得ない患者さんの苦悩や悲劇は至る所にあるのです。

医学教育は企業教育を見習うべし
 そういったことから、ほとんど機能していないように見える人間性に関する医学教育は、非常に教育力があるように感じられる一般企業から学べるところが多いのではないかと思うのです。以前にブログでお伝えしましたが、週に3時間ほどのわずかな時間ですが、私は10年位文系の大学で教育に携わっています。

授業中の騒がしさに困り、呆れることもあります。
 授業では、礼儀正しく真面目な学生も多いのですが、毎年必ずと言っていいほど、何度注意しても他の学生の迷惑を顧みず、おしゃべりし続けたり、無礼で、奔放に過ぎるように見える学生も少なくなくいるのです。こういった学生たちは社会に出たらどうなるのだろう、と思ってしまうこともありました。

企業の教育力と学生たちの変貌ぶり
 
しかし、私の狭い範囲の社会的な経験では、そういった学生達への心配は杞憂だったようです。というのは、私が製薬会社から社員教育のための講演を頼まれた時にそれを聞いてくれる20代そこそこのMRの方々や、あるいは卒後数年に過ぎないと自己紹介されるMRの方にお会いする時には、いつもその礼儀正しさや爽やかさに感銘を受けるものだからです。講演は必ず心のこもった全員の私への礼に始まり、礼に終わります。まだ若いMRの方々は礼儀正しいばかりか、その熱意や誠実さにも心打たれることがよくあります。

あの学生たちは今どこに
 興味深いことですが、大学の授業で目立っていた、あの不真面目で無礼な学生達はどこにいったのかと不思議なほどなのです。もちろん私が日常でお会いしている若きMRが勤務している製薬会社には誰も入社していないのでしょうが、年齢が数年しか変わらないのに、大学生と社会人の違いは余りにも際立っています。そのため、所属している組織や社会環境が若者に与える影響の大きさというものについ思いを致してしまうのです。

残念ですが、悲観しています。
 プライドばかりが高く、患者さんの苦悩の訴えやスタッフの意見に聞く耳を持てない医師が少なくないことを見るにつけ、今のところ、その大学の高い偏差値ばかりが話題になりがちの医学教育に私は悲観的です。

若き社員へのパワハラや過労死は願い下げですが
 しかし、世界に冠たる日本企業の若者への教育力の秘密から学ぶことで、謙虚で誰に対しても心優しく、協調性に富み、誠実で常に向上心に燃えている、そういった医師を数多く育成するための方法論のヒントが得られるように思えてなりません。もっとも最近では、就職後の若者の過労死が問題になっていることもあり、すべて良しというわけではもちろんないでしょうが。

毎日陽気で楽しくいるために

 話を戻します。最近私が毎日陽気に楽しく過ごすために取り入れている習慣をご紹介いたします。朝目覚めた時、一番最初に何を考えるか、これは一日を心穏やかに過ごすために大切な準備になると思っています。私は「今日一日をありがとう」と新たな一日を迎えられたことに感謝し、そういう思いをもってから、一日の活動に入るように心掛けています。私にとって新たな一日とは、新たな発見と成長と喜びの一日であるからです。

 

人と接する時には笑顔と感謝で

 私は一期一会とまごころが大切だと思っていますから、誰といるときでも笑顔を心がけています。また、誰かと何かの話を終えるときにも何か感謝の言葉をお伝えして、話を終えるようにしています。自分の陽気さを保ち、人と接することを愉しいものにするためにも、笑顔とまごころを心がけることが大切でしょう。

 

会話を言葉ではなく、命のやり取りに高める

まごころをもって接してもらった相手は、まごころをもってそれに応じてくれるものです。お互いのまごころが通じ合っている会話は、相互の交流と理解を深められることによって、会話を単なる言葉のやり取りではなく、お互いの心のやり取りにまで高めるものといえるのではないでしょうか。そしてまごころを持った者同士の心のやり取りが、お互いの癒しにつながるのだと思います。心とは、我々の命でもあるのですから。

 

まだ続いています

 去年から1年以上続けている縄跳びは今や1㎏で1度に120回跳べるようになり、30分ほどで1000回ほど跳べるようになりました。1年前にはそのあまりの重さに、20回も跳べなかったことを思うと、人間の体とは、すごい可能性を秘めているものです。私でも多少気持ちが沈むことがありますが、縄跳びを1000回も跳んでいると、もう気分はすっきりして、いつもの自分に立ち返られるのです。

 

音楽の力

 私が最近助けられていることをもう一つあげると、音楽の力があります。ちょっと予定がたてこんで大変な時は、ちょっと古いのですが、麻倉未稀の「Hero」を聞くようにしています。中学生だった頃、私は「Hero」がテーマ曲だった「スクールウオーズ」というドラマに夢中で、いつも泣かされていたものでした。どんなときにも、疲れ切った人でも、今一度立ち上がらせずにはおかない、素晴らしい歌だと思います。また、仕事のプレッシャーで不安がある時には、「ミッションインポッシブル」のテーマで開き直るようにしています。

 

リラクセーション・ミュージック

激務で疲れを感じたときには、いわゆるリラクセーション効果を目的としたシリーズの音楽に触れるようにしています。「ウェルビーイング・シリーズ」「メディカル・サウンド」「フィール・ザ・ネイチャー」などがお勧めです。「フィール・ザ・ネイチャー」の「ヒーリングフォレスト」という曲はただいろいろな鳥の鳴き声が収録されてあるだけのように感じるのですが、その楽になれる効果は不思議なくらいです。

 

むすび

常に明るく陽気であることは努力と工夫を要します。しかし、そのように努力することが、大変張り合いがあり、実りあることなのです。当院スタッフ一同楽しく明るく、まごころをもって今後とも皆さんとお付き合いさせて頂くことを願ってやみません。まごころは、皆さんのために闘い続ける所存です。

成功への道

非常勤で週に一回引き受けている成城大学の講義が始まってしまい、毎週ある授業の準備に追われ、ブログがやや遅れがちになっていることをお詫びいたします。この前のブログで触れた私の結石ですが、今のところ全く痛みはありません。痛みが再発したにも関わらず、病院を受診できていないことが気になっていますが、まだ薬もあり、結石の経過は分かっているところもあるので、少し様子を見てみようと思います。

 

履修者386

 今回は最近の成城大学での講義のことをお伝えします。これは今年の私の成城大学の講義の履修者数です。以前のブログでもお伝えしたのですが、「心とからだ」という授業で、精神医学全般を教えています。前年度の396名より多少少なくなったために、450名を収容できる大学における最大の教室から、387名を収容できるやや小さな教室に、ぎりぎりのところで移されてしまいました。

 

冷房をつけてください。

 この前の木曜日の授業では、教室は満席に近い状態で、4月とはいえ人いきれの暑さから、冷房をつけるように学生から要望がありました。この4年間、履修者は400名を越すことが多く、大学で一番大きな教室でやらせてもらっていただけに、久々の「都落ち」となってしまったことを、多少残念に感じたものです。

 

どんな経験にもメリットがある。

しかし、狭い教室にはそれなりにメリットがあります。ただっぴろい教室より、教室全体に私の注意が行き届きやすく、学生も多少は緊張感が増すからです。今年で10年目になる成城大学の講義なのですが、心機一転し、ベストを尽くしています。普段の診療で多忙の中、毎回の講義の準備はいつも大変ですが、講義を通した、好奇心旺盛で純粋な心情を持つ大学生との交流はとても楽しく、学べることも多くあるからです。

 

10年前のこと

 思えば、成城大学の講義を大学教員をしている中学時代からの旧友から頼まれ、余り気乗りしないまま引き受けた初年度はちょっと悲惨なものがありました。初年度の講義が開始された時期は、大学病院から町田市民病院に転勤したばかりの頃でしたが、それまで私が行っていた講義といえば、看護学校の50名程度のクラスを対象とする年に数回の講義だけだったのです。

 

初体験

 ただ、現役の精神科医が文系の学科しかない成城大学で講義をするということで、それなりに初年度から大学生の興味を惹きつけていたようでした。一番最初の講義の日は、今よりはるかに小さな規模の教室でしたが、私の講義目当てに100名足らずの学生が集まっていました。講義開始直前に、授業で用いるプリントの配布を手伝うために一緒に教室に来てくれていた事務員さんが教室から引き揚げるときに私が何を感じていたか、それはそれは情けないことでした。

 

ちょっと待ってくれ!

 大勢の大学生達と私一人を置いたままに、教室を去ろうとする事務員さんの背中に向かって、「ちょっと待って、俺をこんなところに1人で置いていくのか!」と内心で叫びをあげていたのですから。最初の肝心の講義はどうであったかほとんど覚えていませんが、非常に緊張する中、何とか与えられた1時間半そこで持ってきた資料について話し続けた、という程度であったでしょう。

 

講師は未熟でした。

初年度は、講義の構成や話し方も全く未熟で、講義の所々で学生の注意を惹きつけるためのちょっとしたトピックスや雑談の蓄積もほとんどなく、よくあれで講師が務まっていたなと今から思えばしみじみ感じます。

緊張で眠れませんでした。
 それでも、ありがたいことに初年度から講義の履修者は100名を越しており、講義の前日は緊張感から眠れないことも少なくありませんでした。しかし、心優しく向学心に富む学生たちは私を見捨てることなく、あまつさえ授業に興味を持ってくれ、何とかその後も講義を続けられたのでした。

 

10年目の今日では

 もはや出席する学生数が400名に達していようと、ほとんど緊張することはなく、講義の構成や内容にもある程度の自信があります。10年間の講義を通して、大学生たちが教えてくれたことと、私なりの授業の工夫の蓄積があるからです。講義中に学生が騒がしくなってきた時に、静まり返らせるためのとっておきの雑談も準備できているし、学生への注意ややりとりもそれなりに落ち着いてやれるのです。

 

学生達の感想

 今年の最初の講義を受けた学生のコメントペーパーによる感想を、お恥ずかしいのですが、いくつかご紹介させて頂きます。「今日の講義で先生がすごく優秀なすごい人だと知ることが出来ました。」「この一回の授業を受けただけで、患者の皆さんが鹿島先生のところに通う理由が少しわかった気がします。鹿島先生の声を聞くと、元気が出るだろうなと思いました。」「一度先生のお話を聞いただけで、元気とやる気にあふれた教養のある、とても暖かい先生だと分かりました。・・・これから毎週たくさんの面白いお話を聞くことが出来ると思うと、とても楽しみです。」

 

若者に教える喜びとは

私にとっての毎週の大学の講義を行う喜びとは、毎晩ためになるおとぎ話を父親に語り聞かせてもらうことを、寝るときの楽しみにしている子供のために準備してやるような、父親の心境に近いものがあるのかもしれません。

若者は愛おしい
 誰でもそうかもしれませんが、40も半ばを越した私にとっては、20代そこそこの若者の純粋さや好奇心からの質問やいろいろな悩み事の相談が、子供のそれのように愛おしく感じられます。愛おしさから、その純粋な問いかけに、何としても応えてあげたくなるのです。

昔はよかった
 改めて過去を振り返れば、かつて私はそんなにいい父親ではありませんでしたが、私の父親は私が子供のころには、いつも寝るときに世界や歴史についての、とっておきの面白い話をしてくれたものでした。スマホ全盛のいまは子供と親のこのような交流も減っているようで、全く技術の進歩とは本当に人の役に立っているのかわからないところがあります。

私のおとぎ話
 
私の講義は3部構成になっています。最初に、学生が講義後に提出するコメントペーパーに書かれていた学生の日常生活の悩みや、精神医療についての質問に答えます。次に、精神医学の知識を最新の知見を踏まえ、医師としての豊富な実体験を交えて伝えます。最後に、その時々の講義のテーマに関連する主要なマスコミの記事に目を通しておき、それについて解説します。学生の興味関心に寄り添い、楽しく知識が身につくように私なりに考えた結果の講義の構成なのです。

 

学生の感想もう少し

 もう少しご紹介させて頂きます。「先生が新しいことをどんどん取り入れていこうとするような柔軟な姿勢で、自分が理想とする人間像であったので、授業中のさりげない発言も自分で吸収していきたいです。」「こんなに熱意あふれる先生は初めてで、何だこの人!と思った。」これらもとてもうれしいのです。教育の真髄とは、知識を教えることではなく、それを介して教師の生き方や人間性を伝えるものだと思うからです。

講義の熱意は診療の時と同じ
 
私は講義中の熱意がすごいと、学生からよく指摘をされるのですが、それは当たり前のことのように感じています。私は普段から10時間以上診察室に座っていることが多く、患者さんの診察の時には、なるべく元気で明るく振る舞うように自分を訓練しています。たかだか、1時間半に過ぎない講義の間、講師として元気にしていることくらい、何ということもないのです。

熱意がない診療も講義もあり得ない
 しかし、大学に熱意が感じられない講義が少なくないとすれば、学生はお気の毒なことです。教師が熱意をもって学生に教えないとすれば、その教師は非常に重要な教育の機会を逃していることになるからです。当たり前ですが、学生に熱意をもって自分の講義に取り組んでほしければ、まず自分が熱意を示す必要があるでしょう。そういったことが理解できない方は教師には向かないと思います。

自信があるんですね。

図々しいと思われるかもしれませんが、もう少し学生の感想にお付き合いください。「この授業が毎年毎年大人気なのが、今日初めて授業を受けて、理由が分かった。何より授業に対する先生の熱意がけた違いに熱いことだ。先生の学生とコミュニケーションを取りながら、講義を進める方法は、他の大人数授業には類がなく、革新的な方法だと思う。」「私は自分に自信がないです。先生は自尊心を持つことがとても上手であるように感じますが、どうしたら自分に自信を持つことが出来るのでしょうか」講義を開始したばかりの頃を思えば、こんな感想を頂けるようにあるとは、夢にも思いませんでした。


どうして毎年大人気の授業になったのか

 今回は10年前のお恥ずかしい記憶を告白させてもらいました。そんな記憶を持つ私ですが、それでもこの数年間、大学で大人気の、成功している講義の一つと言われるまでの講義を出来るようになったのか、それには自分なりの秘訣があります。

学生からの贈り物
 毎回提出してもらうコメントペーパーで得られる学生からの講義の感想に従って授業の方法や工夫をいろいろ凝らし続けたからです。時には数百枚を超えるコメントペーパーは目を通すだけで一苦労ですが、それでも全てに目を通しています。より素晴らしい授業のための、かけがえのない情報源だからです。

 

成功の反対は「何もしないこと」

 最近診療でも患者さんによくお伝えすることですが、成功の反対とは失敗ではなく、「何もしないこと」なのです。たとえうまくいかなくてもやってみること、行動することが成功のための貴重な情報が得られる経験、成功のために必要なプロセスの一つになるのですから。成功のためには、人からどう思われようが、とにかくいろいろなことを試して、その結果を客観的に観察し、成功に近づくことが出来る行動を見つけることが重要でしょう。

 

学生の指摘は意外でした。

 なお、私は普段から自分のことを自信がたっぷりな人間とは程遠いように感じているために、学生からとはいえ、人からそう見られるとは、全くもって意外でした。ただ、自分に自信があるかないかと聞かれれば、ある程度はあると答えるでしょう。しかし、それは自分が人より優れているという意味での自信では全くありません。

 

自分を過大評価しないことの自信

自分が苦手であること、出来ないこと、得意であることをわきまえていること、自分の行動で失敗に見えることがあれば、謙虚に認め、一時的に落ち込んでも、それを成長に役立つ学びのチャンスとして考えられること、対人関係で悩んでも、人を責めず、悩むに至るまでの自分の行動や考えを振り返る姿勢を保てること、といったように自分のスキルや能力をある程度距離を置いて見て、修正を心がけることについては多少の自信があります。

一体化の中での力
 また、自分のものとは思えないような素晴らしい考えやアイデアは、人や社会に貢献しようと必死になっている時に、どこからともなく与えられることを私は何度も体験しているのです。それは人助けに尽力する時に起こるという意味で、私はそれを「一体化の中での力」と呼んでおり、誰もがその気になれば使えるし、実際に使われている力だと思います。

人間の力は人の間で最大限に発揮される
 それはもちろん私個人の力ではなく、他人との結びつきの中で発揮される力なのです。私はその力を信じております。悩んだときは、私はその力に頼るようにしているし、その力にある程度頼れる自信があります。ひょっとしたら、聡明な学生にはそれらのことが伝わったのかもしれません。

 

むすび

 私にとっては診療も、大学生の教育も、経営も、全ては一つなのです。診療にあっては患者さんの、教育にあっては学生さんの、経営にあってはクリニックで働いてくれている方たちと、クリニックに関わってくれる世間の皆さんの、それぞれのニーズに敏感であることが大切だと思っています。そして、お付き合いしてくれているあらゆる人々に心の底から感謝し、人々のニーズを果たすべく全力を尽くすこと、どんなことを成すにあたっても、それがと成功と喜びへの道だと信じております。

当院のご案内
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〒194-0022
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