町田まごころクリニック 院長日記

  町田市の心療内科・神経科・精神科・メンタルクリニック 町田まごころクリニック院長 鹿島直之のブログです

町田まごころクリニックは小田急線、JR線町田駅より徒歩8分、町田市民ホールの斜め向かいにある心療内科・精神科です。
うつ病、パニック障害、不安障害、統合失調症、認知症などのこころの病気や問題に対する治療と相談を行います。

ご予約・お問合せはお電話で 042-851-7824  http://magokoro-clinic.info/

どんなことも簡単だと思ってやればいい

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どんなことも簡単だと思ってやればいい

 今回は仕事を簡単に行う秘訣、ひいては学校や会社に行きやすくする秘訣についてお伝えします。上は椅子に置いたカバンの上で寛ぐひろりんの雄姿です。

 

エミール・クーエ先生

 私の治療の最大の武器と言える自己暗示の創始者は、フランスのエミール・クーエ(1857年~1926年)なのでした。偉大なクーエ先生の「自己暗示」という本には「仕事はいつも簡単だと思ってやればいい」とあったのでしたが、私はその言葉の意味がわからず、難しい仕事を簡単だと無理に思い込むことはかえって逆効果になるのではないかと思っていたものでした。しかし、あることをきっかけに、最近その意味がやっとわかったのでした。

 

私の仕事

 70歳になっても一日1516時間の診療を行い、自己暗示の力で疲労の色すら見せなかったといわれるクーエ先生の偉大さには全く及びませんが、自分の診療所で朝早くから夜遅くまで毎日患者さんのために暗示の力を用いて全力を尽くしている点では私もクーエ先生と近いところもあるようです。ただ、明らかに違っている点は、私は患者さんの診療を終えた夜8時ないし9時以降になっても、患者さんの紹介状や公的書類など、山のような書類仕事をさらに片付けなければならないという点です。

 

ある日の出来事

 私は大好きな患者さんとお付き合いさせて頂く診療はそれなりに楽しくやれているのですが、診療の後夜遅くに、独り書類と向き合うことがいつも億劫で仕方がなかったのでした。しかし、ある日、12時間のぶっ続けの診療で疲れている後、いつものように山のような書類を前にし、一旦は億劫な気分に圧倒された後、「この仕事は簡単にできる」と頭の中で繰り返してみたのでした。

 

あら不思議

 そうしたらどうでしょう、その日の書類仕事は、いつもよりスムーズに頭も働き、楽に出来たではありませんか。それ以降、私は夜の書類仕事について、それ程苦にならなくなったのでした。なぜなら、「この仕事は簡単だ」と自己暗示で思い込まされた私の脳は、仕事の前に「難しい仕事でも簡単にこなすイメージ」を私に提供してくれるようになったからなのです。その結果、億劫感は和らぎ、リラックスして頭も心なしか冴えるように感じられ、多少とも前向きに書類に取り組めるようになったのです。

 

未来予想図

 人間は必ず、意識的にせよ、無意識的にせよ、ある行動をとる前にその行動についてのイメージを持ちます。単純に言い切ってしまえば、ある行動について「難しい」というイメージを持てば、その行動は難しく感じられ、実際に難しくなり、「簡単だ」というイメージを持てば、その行動は「簡単」に感じられ、実際に簡単にもなり得るのです。

 

偉大過ぎるクーエ先生

 クーエ先生はもう100年ほど前に亡くなられておられ、いまとなってはご本でしかそのお人柄を知りえません。しかし、自己暗示の原理を発見し、治療を求める数多くの患者さんを拒まず、一日15時間を超える診療を長年にわたって行っていたという先生に私は心酔しているし、とても深く尊敬しています。

 

不肖の弟子

 この現代にあって、勝手に私はクーエ先生の弟子としての意識を持たせてもらっています。しかし、この不肖の弟子は、クーエ先生の考えを誤解していました。クーエ先生の「自己暗示」という本を読み返してみると、「自己暗示の過程は、(1)考えを受け入れ(2)その考えを現実に変える、の二つの段階からなっている」とありました。

 

不肖の弟子の誤解

つまり、まずはある物事についてのあるがままの感情や印象なりを受け入れ、その上でその考えを変える、ということであり、ある物事についての思いがいかに否定的なものであっても、まずはそれを受け入れることが、望ましい自己暗示の効果を発揮させるための必要条件なのでした。

自己暗示の2段階
 不肖の弟子はクーエ先生のご意見であった自己暗示の2段階を見落とし、クーエ先生は「仕事は億劫だ」という否定的な気持ちを無視することが大切だとおっしゃっていたものと勘違いしてしまっていたのでした。全く基本的な勘違いであり、お恥ずかしい限りです。

 

どんなことも簡単だと思ってやればいい

 自分の体験を通し、億劫な仕事をスムーズにリラックスして行う秘訣として、私は最近よくこの言葉を患者さんにお伝えしています。しかし、その言葉を使うにあたって、ある言葉も同時にお伝えしているのでした。それは「まずは自分をわかってあげればいい」なのです。

 

まずはあるがままの自分を受け入れること

 「まずは自分をわかってあげればいい」という言葉の意味は、ある物事に対し、自然に思い浮かんだ否定的な気持ちに対して「わかるよ」と声をかけ、その気持ちを受容してあげることです。それが改めて自分にとって望ましい暗示をかけるための前提条件になるのでした。つまり、自分に「わかるよ」と優しく声をかけ、その上で「この仕事は簡単だ」と考えるようにするのです。皆様も試してみてください。その効果に驚かれることでしょう。


うつ病の人が自ら抱え込む重荷

 うつ病の人はそのほとんどの方で、朝会社や学校に行く前に否定的な「未来予想図」を描きます。職場や学校で起こり得るであろうあらゆる否定的で辛い事柄を頭に思い浮かべるのです。そんな不安の重荷を自らしょい込んでいては、出勤や通学が困難になって当たり前です。それは不利益をもたらす自己暗示の作用です。さらに不幸なことに、ほとんどのうつの方はその自分の心の働きに無意識で、気づいておられないのです。

 

不安より希望をイメージすればいい

 この言葉は「どんなことも簡単だとおもってやればいい」の別バージョン版です。うつ病の方が通勤や通学を多少ともリラックスしてスムーズに行うための言葉です。私は「希望」を呼び出すためのもう一つの言葉を考えました。「良かった時を思い出せばいい」です。これはそれまでの仕事や学校の記憶の中から多少とも良かったことを思い出すための言葉です。

 

理想の未来予想図

この二つの言葉を組み合わせることによって、通勤や通学の前に望ましい「今日はこれでいこう」と思える「未来予想図」を思い浮かべられれば、うつの人にとっては時に大変な苦痛となる通勤や通学への第一歩を踏み出すことが、多少は楽になるのではないでしょうか。

 

自分の出来ることを考えておけばいい

 この言葉は現実の不安に対処するための言葉です。いくら希望をイメージしようとも、実際の仕事や学校生活の上で不安に思えることがある場合があります。それについては最低限の対処方法を考えておく必要があるでしょう。不安なことに対して、いろいろなことを想像して悩みを募らせるのではなく、あらかじめ自分の出来ることを確認しておけば覚悟が決まり、不安が和らぐからです。ですので、現実に起こり得る不安なことについて、自分がこれまでどのように乗り越えてきたかを思い出しておくことも大切です。

 

朝、最悪の気分でもいいんです。

 うつの方は、朝起きた時にどのような気分でも、「わかるよ」と優しく自分を受け止めてあげてください。感情は受け止められることによってかえって和らぐものですから。そして少し落ち着いたうえで、先ほどの言葉の中で自分にあっているものを用いて、自分なりの望ましい「未来予想図」を心に抱くようにしてみてください。それが描ければ、職場や学校への足取りは多少とも軽くなることでしょう。

 

重症の方の場合

 時にうつの場合、重症になると、思考制止といって頭の中に何の思考もイメージもほとんど思い浮かばない、ないし思い浮かぶまでに大変時間がかかるようになる場合があります。そういう場合には今回お伝えした自己暗示もご負担になるかもしれません。患者さんそれぞれのお具合に応じ、ご無理なきようお願いいたします。


むすび

 心は、意識的にせよ、無意識的にせよ、イメージや思考によって人が与え続ける命令に従い、現実を休みなく作り出しています。それに意識的になることが、望ましい人生を送るためには欠かせないのです。


まごころ8周年と精神医療

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このクリニックも1月11日に8周年を迎えました。本当に皆さんのおかげです。まごころの8周年を振り返り、日本の精神医療の展望について思うところをお伝えしたいと思います。上の写真はたまの家族孝行にと、妻の誕生日に新宿の高層レストランに出かけた時のものです。

 

スタッフはもともと4名でした。

 8年前、当院スタッフは私と受付事務3名でスタートしました。クリニックは今と比べて静かでのどかな雰囲気でした。非常にありがたいことですが、私ごときのことをご信頼してくれていた患者さんのどなたかが毎日初診として受診してくれていたものの、患者さんがいらっしゃらない空いた時間が少なからずありました。今では考えられないことですが、診療の時間帯に受付に行って、事務の方と世間話をすることすらありました。

 

今では43

それに比べ、今は非常勤の方を含め、受付事務の方だけで12名、私を含めて医師は11名、看護師は5名、カウンセラーは9名、ソーシャルワーカー1名、作業療法士2名、非常勤のデイケア講師が3名、当院職員は43名になったのでした。開設した翌年の20124月、たまたま空いていた隣のテナントにデイケアを開設したことも、当院が大きく飛躍できた要因でした。

 

一騎当千の方々

現在クリニックに集まって頂いている43人の方々は、他者への愛情と気遣いと情熱にあふれた、全く私にはもったいない素晴らしい方々なのです。そういう方々と、日々悩める患者さんに対して奉仕させて頂く精神医療という仕事に取り組めていることが、今の私には幸せでならないのでした。

 

患者さんは17名から時に180名に

 電子カルテを遥かにさかのぼって2011111日を見てみれば、患者さんの数はもちろん初診の方ばかりで17名でした。ところが現在いらっしゃる一日の患者さんの数は、デイケアのご参加も含め、今では180名に達することすらあるのです。誠にありがたいことで、私は恐縮の限りなのです。

 

ご愛顧本当にありがとうございます。

そればかりか当院を受診したいという患者さんのご連絡は開院から現在に至るまで大変多い状態が続いており、初診のご予約も時には多少お待たせすることもあり、これも非常に申し訳なく思っております。患者さんの切迫した受診のご希望には医師の増員で対応させて頂いておりますが、当院では優れた能力と人間性の双方を兼ね備えた医師を厳選しております。誠に申し訳ないのですが、当院の勤務を希望してくれる医師の選抜に長時間を要していることをご理解いただければ幸いです。

 

狭くなってしまった待合室

 もう何年も前から狭く感じられている当院の待合室ですが、混雑時には立って待っておられる患者さんもいるようで、院長として全くお恥ずかしく思っています。患者さんには広々とした待合室でリラックスして待ってもらいたいと考え、分院の建設を目的に、当院は4年前に法人化を果たしました。私は、広い待合室を備えた分院を必ず開設する所存です。恐れ入りますが、皆様にはいましばしお待ち頂きたく存じます。

 

当院のポリシーは当たり前の医療

 当たり前の医療とは、精神科医が患者さんの悩みを十分に聞き、それに対する最善の対応や考え方をアドバイスでき、その上で適切で最低限の薬の処方が出来ること、また、必要に応じ、生活リズムの改善や対人関係の訓練が可能な、社会復帰のリハビリテーションの場であるデイケアや、言葉のやり取りを通し、患者さんに希望を持ってもらえる能力を持つカウンセラーが十分な時間をとって悩みの相談にのるカウンセリングをリーズナブルに提供できる精神医療のことなのでした。

 

当たり前が珍しい精神医療

私にとってはこれらのことは精神医療において全て当たり前のことだと思っております。しかし、開業以来、当院は町田市を中心に非常に広い地域から圧倒的な支持を頂き、正直なところ、涙が出るほどうれしく、ありがたくもある一方で、すこし戸惑ってもいるのです。その戸惑いとは、当たり前のことが、ここまで数多くの悩める患者さんから求められていることです。ひょっとして、この当たり前のこととは、現在の精神医療にあっては、実際には稀有なことなのではないか、とも思ってしまうのです。

 

精神医療に批判的な2冊の本

 最近私が読んだいわゆる、「精神医療批判本」に私の戸惑いを説明するヒントがありそうなので、少しばかりご紹介させて頂きます。まずは反精神医療で有名な内科医である内海聡先生の「まんがで簡単にわかる!テレビが報じない精神科の怖い話~新・精神科は、今日も、やりたい放題~」です。彼の手による「精神科は今日も、やりたい放題」という精神医療批判本が、数年前に出ていましたが、それを漫画化したものが最近出版されたのです。もっとも、内容は精神医療批判本というより、精神医療否定本ですが。

 

目が点でした。

 「精神医学とその医師は存在自体が悪なんです。」と、何の躊躇もためらいもなくこの漫画には結論されています。私は悪だったのかと考え込んでしまいました。さらに「精神薬の全てが強い依存性を持ち、脳を破壊していく猛毒」「精神科医は危険な毒を出す薬屋であり、収容所の管理人にすぎない」とのことなのです。全く持って論外の偏見だと断ぜざるを得ません。私は危険な毒を患者さんに処方した覚えはありません。また、以前に精神病院の閉鎖病棟で責任者として勤務していた時ですら、微力ながら入院している患者さんの退院に向けて必死に向き合っており、収容所の管理人であったことはないからです。

 

用語ぐらい注意してあげたら?

ちなみに内海先生は精神医学の基本的な用語がよくお分かりでないようなのですが、精神科で使っている薬は「精神薬」ではありません。正確には「向精神薬」です。どなたが存じませんが、出版社の編集者の方がその程度はご指摘申し上げてもよかったのではないでしょうか。

 

減薬については分かりました

 恐れ入りますが、内海先生の偏った知識を背景とした思い込みが不愉快で馬鹿馬鹿しいので、その全てにいちいち反論はしません。もう一つだけ申し上げておきます。内海先生は減薬、断薬について「薬を抜いていくスピードは一人一人違います。これという正解はなく、医師と患者が共同しながら少しずつ抜いていきます」と書いてあります。これについて異論はありません。私も減薬はいつも心がけているし、患者さんによって減薬できるペースが違い、医師がそのペースを尊重するのは当たり前のことだからです。

 

内海先生は精神疾患を治せるのですか?

さらに減薬の過程において「運動療法」「食事指導」「サプリメント」「解毒プログラム」をお勧めされています。どれも目新しいものではなく、当院でも診療の中で、運動や適切な食事、時にはサプリメントの相談にも乗っています。減薬について自信たっぷりな一方で、本来の精神疾患の治療について全く触れていない内海先生は「心の幹や根っ子を本当に癒すのは自分自身だということを忘れないでください」とのみおっしゃっています。

 

精神科診断学の歴史やその背景を少しはご存じなのでしょうか。

また、一方では「・・・診断マニュアルが作られ、見せかけの善意として何か人間としての苦しさを病気に作り替えられてきました」と精神医学の診断そのものを「人間としての苦しさ」を「病気に作り替えた」ものとして断じているのです。精神科の患者さんが向き合っているのはたかだか「人間としての苦しさ」であり、その「苦しさ」を精神医療者や権力者が、自分の利益のために、患者さんを薬漬けにする目的で、精神疾患として扱っているとおっしゃっているようです。悪意すら感じられる暴論で、開いた口が塞がりません。

 

精神面の診断が全て明快に決められるわけがありません。

 精神疾患の診断は他科と異なり、目には見えない精神面を扱うため、確かに明確ではありませんが、それでも医療と言えるほどには確立していると私は考えています。患者さんは日常生活にありがちな「人間としての苦しさ」ばかりで苦しむのではありません。むしろそれは一部の患者さんに過ぎず、「人間としての苦しさ」としては理解できない苦悩を主に扱ってきたのが精神医療なのです。

 

それでも、内海先生は一部の患者さんのお気持ちを代弁している。

誰はばからず、明らかに間違っている暴論を長年にわたって吐き続ける内海先生を支持する患者さんが少なからずおられる事実を、我々精神科医は直視し、自らのあり方を猛省しなければなりません。お恥ずかしいことですが、診断や治療方針をわかりやすく患者さんに伝えられなかったり、薬に治療を頼りすぎる精神科医が少なくないのでしょう。とても残念なことですが、話を十分に聴くことや、カウンセリングでも改善が期待できる「人間としての苦しさ」で悩む患者さんにきちんと対応出来ず、不必要な向精神薬を処方している精神科医もいるのでしょう。


どうして日本の精神医療は暴走するのか。

もう一冊ご紹介いたします。過激な題名ですが、それもそのはずです。著者の佐藤光展氏は、かつて読売新聞の記者として精神医療ルネサンスという連載記事を通し、日本の精神医療の暗部を暴き続けた方だからです。かつての読売新聞での連載記事は精神医療に対して大変手厳しいものでしたが、それでも生温いと考えた彼は、一年程前に読売新聞社を辞しているのでした。


目を覆いたくなる内容

実例をふんだんに用いたその本にあっては、私にとって非常に心苦しく、目を覆いたくなるような一部の精神医療の悲惨かつ非人道的なあり方が示されています。何しろ、治療と称して患者さんを殴る精神科医が出てくるのですから。事実だとすれば、全く同情の余地のない、医師にあるまじき許しがたい行為です。


大変悔しく、残念なことですが。

先述の内海先生と違い、もとは新聞記者でいらっしゃっただけのことはあり、内容の客観性と公平性を保とうとする抑制的な筆致で描かれているだけにその本はかえってリアルで衝撃的なのです。佐藤氏はそのご著書において、「精神疾患の患者をバカにせず、・・・当たり前の対応ができる精神科はそれほど多くない。患者中心の当たり前の医療を提供できる精神科に辿り着けず、苦悩する患者、家族は多い。」と述べておられるのでした。


ある患者さんのご感想

数種類かつ大量の精神安定剤の減薬目的で当院を受診し、半年間程度の通院でそのほとんどを減量、ないし中止出来たある患者さんのご感想をご紹介いたします。「病院で病気は作られる。最初は薬に助けられるが、よくなったつもりが、薬に依存してしまう。減量についての適切な指導がなく、診察に心がこもっていないから、結局薬に頼るしかなくなる。どのクリニックも余り変わらなかった。口コミもすごかったし、最後だと思ってここに来ました。ここでは付き合ってくれる先生がいることが心強い。アドバイスをもらえたことが大きかった。 」私にとっては、大変恐れ入る、全くありがたい御意見ですが、精神医療全体を振り返れば、とても残念な御意見でもあります。


むすび

この先進国の現代日本において、当たり前の精神医療が当たり前でないことが事実であるならば、大変なスキャンダルといえるでしょう。日本における精神医療のあり方がどうであろうと、当院では開院以来取り組んできたように、まごころに基づく、患者さん中心のごく当たり前の精神医療を弛まず地道に実践していく所存です。

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向精神薬は精神より、脳に作用する。

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旧年中は大変お世話になりました。明けましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。当クリニックも1230日から14日までの年末年始のお休みをいただき、久しぶりにとてもゆっくり過ごさせて頂いております。上は正月もいつも通りゆっくり過ごすひろりんの勇姿です。いつもは大みそかに家族が見ている紅白歌合戦を聴きながら書くことが習慣になっているこのブログですが、今年はゆっくりとし過ぎてご挨拶が遅れてしまったことをお詫びいたします。今回は精神科で用いる薬、向精神薬は脳に作用するということについてお伝えします。

 

向精神薬

 精神科で用いられている薬、向精神薬は人間の脳を構成する神経細胞の細胞膜にある受容体に作用する様々な神経伝達物質の働きに関わり、脳の状態に影響を与えます。特定の神経伝達物質の脳における働きはある程度解明されており、それぞれの向精神薬はそれぞれが関係する神経伝達物質の働きを強めることで、脳の状態に一定の変化を与えるのです。

 

向精神薬の恩恵

 周知のとおり、数多く開発されてきた向精神薬が脳に与える影響は多種多様であり、治療にその脳への影響を生かすことで、精神医療は多大の恩恵を得ております。ことに不安、不眠といった症状にその効果は劇的なことがあります。しかし、向精神薬は、その名前とは裏腹に、脳に直接影響を与えるものであって、精神への影響は間接的なものなのです。私の考えでは、脳と精神は違います。

 

精神とは何か

 それは脳と異なり、科学的な手法では直接計測できないものであり、脳にその活動力の息吹を与えているものです。いくら科学が進歩したとはいっても、脳における神経伝達物質の働きだけで極めて神秘的で玄妙な働きを持つ精神というものの本質を全て説明できるわけもありません。言葉通り、精神、すなわち人間の意識とは物理的な脳に宿った目には見えない「神の精」なのです。私はそれを霊や魂と呼ばれてきたものであると考えており、以前のブログでお伝えしたように、肉体とは別次元でその存在を信じています。

 

精神に直接影響を与えるもの

 我々の感覚器官を介し、精神が感じること全てが精神に影響を与えています。そしてその中でも最も影響力が強く、精神医療で一般的な治療に用いられているものは言葉です。およそ患者さんを元気づけるために、言葉を有効的に使用しない精神医療はありえません。また、生活指導によって生活のあり方を見直してもらうことも重要です。なお、デイケアや地域支援センター、訪問看護といったように患者さんが参加しやすい対人関係の場を提供することも有意義です。日々の生活習慣や対人関係のありかたも精神に影響を与える大きな要素だからです。

 

望ましい精神医療

ざっくり言えば、精神医療は第一に精神に働きかけなければなりません。つまり、言葉で患者さんを可能な限り癒し、日常生活や対人関係のあり方を見直してもらい、しかるべき後に、病んだ、神経伝達のバランスが崩れている脳に必要最低限の薬を処方する、これが精神医療の望ましいあり方でしょう。しかし、嘆かわしいことに、精神を脳と取り違えがちな精神医療は、脳中心の、すなわち薬中心の医療になりがちなのです。

 

すごい薬の量を飲んでいたのに、あの治療は何だったんだろう

 最近いらっしゃった長年に渡る慢性のうつ状態に悩まされていた患者さんのお言葉です。以前に大学病院で向精神薬の大量投与を受けても、精神症状は全く改善しなかったのです。現在、その患者さんは私から抗うつ薬1種類と抗不安薬1種類、睡眠薬2種類を投与されています。当院に受診する前、その患者さんは抗不安薬と睡眠薬を常用していました。その処方に、不安や抑うつが目立っていたので、私は当院で抗うつ薬1種類を追加、不眠が続いていたので、睡眠薬の種類や量を調整させて頂きました。

 

薬は最低限が最善

通院して一か月程度で、以前に大学病院で受けていた大量の向精神薬の投与より遥かに少ない最低限の量で、薬の効果を実感でき、気持ちもすごく楽になったとおっしゃって頂けたのです。その大学病院の治療では大量に薬を服用していても、ほとんどその効果が分からなかったようなのでした。

 

どうして効果がないのか

 向精神薬は現在の精神医療に多大な貢献をしていますが、患者さんが向精神薬の期待できる効果や起こり得る副作用を十分に理解し、納得して服用して頂くのでなくては、その効用も十分に発揮されないのです。患者さんが受診していた大学病院は患者さんのためにベストを尽くそうと頑張られていたのでしょうが、その治療に決定的に欠いていたものがあったようです。

 

ある大学病院の治療に欠いていたもの

 それは患者さんとの信頼関係の確立、及び節度をもった薬物療法のあり方のように思います。信頼関係を確立するためには、患者さんにこの治療で良くなれると思ってもらう必要があります。単にいろいろなお薬をお勧めするだけで、患者さんに良くなってもらえると思われるはずもないのです。患者さんにそう思ってもらうためには、先ほどに述べたような、精神状態に影響する重要な個別の要素について患者さんと話しあい、その上で患者さんの助けになると考えられた時には、治療の一つの要素として最低限のお薬を勧めることが大切です。

 

言葉の威力

 長年にわたって不安と抑うつに悩まされていた先ほどの患者さんでは、現在の職場で配慮に乏しい上司との緊張感を伴う関係が病状を長引かせる強いストレスとなっていたことが私には見て取れました。私は「人の感情は人の責任」「どんな時も自分をわかってあげればいい」「役に立つ範囲で聞けばいい」「誰でも見えない事情がある」といった言葉をお渡ししました、人目を気にして緊張感や自責感を強めてしまう患者さんを楽にさせる言葉をお渡ししたのです。そしていつもその言葉を内心で、出来る時には声に出して毎日繰り返すようにお勧めしました。

 

日々の積み重ねが大切

 以前にもブログでお伝えしましたが、我々の精神に極めて強い影響を与えるものは、日々心の中で意識的にも、無意識的にも繰り返される我々の考え、自分に向かって内心で投げかけられる言葉です。本当は誰もがコントロールできるその言葉は、患者さんによっては慢性的にご自分を苦しめる刃となっている場合が珍しくありません。内心で繰り返される言葉を、苦痛や緊張を生み出すものから、喜びやリラックスを生み出す言葉に意識的に変える、そういう努力を日々積み重ねてもらうことが出来た患者さんは、驚くほどよくなっていきます。

 
長く服用する必要がない薬
 もうお一人、最近印象的であった患者さんをご紹介いたします。もうお年は70歳位で、若い頃に統合失調症を発症され、長期に渡って向精神薬を服用されていた方でした。施設入所をきっかけとして、私の外来に転院されてきた方です。私はその薬を一見し、いらない薬が数種類あることがすぐにわかったので、抗不安薬、抗精神病薬の副作用止めとして投与されていた抗パーキンソン病薬の減量をお勧めしました。患者さんはすっかり落ち着いている、というよりむしろ活気に乏しい印象があったからです。そういった状態では向精神薬の減量を検討しなければなりません。

服用する必要がなかったということでしょうか?
 おそらくは10年単位もの長い期間で服用していた抗不安薬を私があっさり中止してしまうと、同伴してきていた施設の職員さんは驚いて私に問いかけてきたのでした。職員さんのおっしゃる通りなのです。患者さんに不安が見られず、活気がないのに精神安定剤を投与する必要がどこにあるのでしょうか。

認知症も心配です。
 私は抗不安薬を中止すると、次には副作用止めの抗パーキンソン薬を減量中止ししました。抗パーキンソン薬としてよく用いられる抗コリン薬は認知症のリスクを上げるとされています。その患者さんは認知症のリスクが高くなる年代に入っており、判断力の低下が認められたからです。

先生が主治医になってくれてよかったです。お母さんが笑うようになりました。
 
私はいらない薬を数種類中止した後で、投与されていた古いタイプの抗精神病薬も徐々に減量し、活気をもたらす作用を持つ最近の抗精神病薬であるエビリファイを少量投与しました。その後、初診時には無表情でほとんど自発語がなかったその患者さんは明らかに反応が改善し、時に笑顔すら見せるようになったのです。私はその患者さんの娘さんに、お母様の笑顔が再び見られたことを非常に感謝されたのでした。

患者さんは物静かな方でした。
 患者さんは控えめで、物静かな方でした。自分の診察にあっても、自分から何かを訴え出るようなことはしない方でした。だからといって主治医が本人の利益になることは何かを考え、治療にベストを尽くさないことは許されません。恐れ入りますが、今までご担当されていた先生は、患者さんが何を訴え出ないことを具合が良くなっていることと勘違いされていたのではないかと感じてしまいました。

脳に働きかけることが必要な場合

 重症の統合失調症やうつ病、双極性障害、てんかんといった疾患では、向精神薬がどうしても必要になることがあります。頑固な幻覚妄想や重度の意欲低下、躁状態やうつ状態の繰り返し、脳を構成する神経細胞の過剰な電気活動であるてんかん発作に対しては、脳に作用する向精神薬が患者さんにとって福音になることが多いのです。

精神に働きかけることが求められる場合
 しかし、心理的な要素が症状の最大の原因となっている疾患、ストレスによるうつ状態である適応障害、不安を主症状とする不安障害,パーソナリティの偏りが問題となるパーソナリティ障害といった疾患では、向精神薬以上に精神に直接働きかけることが重要なのです。

 
科学がいくら進歩しようと
 いくら脳という物理的な側面から研究を進めても、脳を本当に支配している精神の本質に直接的に迫ることは出来ないように思います。世界各地からの生まれ変わりの報告や、身体から離れた霊が存在する証拠は数知れずあります。また、そもそもあらゆる躍動する生命が客観的にはただの物質に過ぎないという事実からしても、精神の本質である霊という物理的次元を超えている存在が脳に宿っていると考えた方が、脳のメカニズムで精神の全てが説明できると信じるより合理的であると私は思っております。

向精神薬は両刃の剣
 
あらゆる薬に言えることでしょうが、向精神薬の使用についてもそのメリットとデメリットを十分に考えなければなりません。一般的に、向精神薬は不安や焦燥を抑えるように設計されていることから、気持ちを落ち着かせる一方で、過鎮静という眠気や活気の低下といった状態をもたらすことがあります。また、長期に渡って服用していた向精神薬を中止する時には離脱症状が見られることがあり、頻度は多くなくても、それぞれの薬には独特の副作用があります。

むすび

常に精神科医は患者さんの正確な診断をもとに、ユーザーの患者さんが医療から得られる利益が最大限となるように、最も適切な治療方針を組み立てていかなければなりません。それが出来る優秀な先生方に、院長として今年も当院に勤務してもらう所存です。


人間は誰でも小宇宙を持っている。

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 寒くなってきました。愛猫ひろりんは床暖房の上にべったり横になっていることが増えました。上は私をじっと見つめるひろりんの勇姿です。今回、人間は誰でも小宇宙を持っているということについてお伝えします。

 

カウンセリングの授業

 以前にお伝えしましたが、私は成城大学で一般の大学生を対象に、週に一回カウンセリングについての授業を担当しています。そこで私が指導している実習は、学生同士でお互いの話を聞き、話の内容を肯定し合うというものなのです。とてもシンプルな実習ですが、お互いに一生懸命、それぞれの話を聞き合うことが学生は非常に楽しいようで、学生同士は半期を通した授業の終わりごろになるといつもとても親しくなり、授業が終わることを残念がったり、寂しがる学生すら少なくないのです。

 

学生たちの感想

 私はカウンセリングの授業を9年間続けてきましたが、毎年の学生たちは一緒に参加して親しくなった学生のことを「とても楽しい人たちだった」「すごい人たちだった」というように必ず話すのです。毎年のこの感想に私は驚かされました。私が見る限りでは、ある年度に限って、授業に参加した学生が非常に優れているとか、社交的であるとか、そういうことは一切ないからです。私は毎年同じようにとても素晴らしい学生さんが参加してくれているな、と感じるだけだったのです。

 

学生はお互いの存在に驚かされる

 実習の方針で学生たちはお互いの話を肯定し合うことを義務付けられ、否定されないとわかっている状況で、内面を包み隠さずさらけ出せることが、お互いに対する感銘や驚きにつながっているようなのでした。たまたま同じ授業で一緒になっただけで、知り合いですらなかった学生同士が、授業を重ねるにつれ、尊敬し合える分かちがたい仲間になっていく様子は、感動的といえます。その場に毎年立ち会うことが出来る私はとてつもない幸せ者なのでしょう。

 

我々のつきあいはいつも表面的である。

 ひるがえって我々の日常の対人関係というものを考えた時に、我々はお互いのことを表面的な印象だけで決めつけがち、価値判断をしがちです。その人のことをほとんど知らないうちに、多少とも心を開いてもらってもいないのに、自分の思い込みを介し、半ば分かったつもりでその人と付き合っていることが多いのです。そしてそういうお付き合いは、貧しい実りしかもたらしてくれないものです。

 

私の診療

 私の患者さんにはご理解頂けているかと思いますが、私は診療で最大限患者さんのことを肯定するように心がけています。患者さんが安心して話してくれなければ、内面的な理解は困難となり、結果として治療も難しくなるからです。患者さんが自分の考えや感情を包み隠さず示してくれることが、悩める患者さんにとって役に立つ考えをお伝えすることや、必要なお薬を考えるための不可欠の前提となるからです。

 

理解することは、好きになること

 私は、正直に申し上げ、患者さんの誰もを尊敬しているし、大好きなのです。そうでなければ、医師として向き合ってはならないと思っています。患者さんは誰でも小宇宙といえる深遠な存在です。誰でも驚くべき長所があり、真似のできない努力があり、奇跡的な経験があります。私は精神科医としての経験からも、大学生相手に教鞭をとってきた経験からもそう確信しているのです。

 

小宇宙はどうして見えないのか

 しかし、悲しいかな、誰もが持っているはずの小宇宙は、我々が日常的に営んでいる対人関係において、その本当の姿が開かれることはまずありません。誰もがお互いのことを自分のちっぽけな価値観で決めつける傾向があるからです。ただ、人間が未知なること、自分の理解の及ばないことに関しては、もともとの自分の考えや価値観で決めつけ、埋め合わせようとする性質をもっている以上、それはある程度やむを得ないことでもあります。

 

小宇宙の秘めたる力

 しかし、人がある人に対して真剣にかかわりたい、何らかの好影響を与えたいと思うのであれば、その小宇宙を開いてもらう必要があるのです。人の小宇宙を開いてもらうためには、難しいことですが、可能な限り、その人の行動や発言、思考や感情の全てを理解しようと努めなければなりません。しかし、その努力は必ず報われます。見えなかったその人の広大な小宇宙が姿を現した時、その人固有の小宇宙に理解という光が当てられた時、援助者とその人の関係の中で、その人が秘めている力が存分に発揮されるからです。

 

宇宙の力は宇宙に委ねる

しかし、外部から強制されて誰もが持っている小宇宙の力が発揮されることはありません。その力が発揮されるにはあくまでのその小宇宙に畏敬の念を抱く援助者によって、その小宇宙と常に共にあり、その宇宙を最も理解している人の自発的な意志が尊重されることが不可欠なのです。

 

宇宙の中には何でもある

 精神医療で用いられる治療のための資源は、患者さんの誰もが持っている小宇宙の中に、無尽蔵に秘められているように私には感じられます。そこには患者さんすら気づかない無尽蔵の宝があるのです。その宝に気づいてもらい、患者さんが本当にしたいことに向かって、その宝を十分に駆使できるように援助することが、精神医療者の役割であるように思います。

 

実はひろりんも小宇宙だった。

 実は小宇宙は人間だけの専売特許ではなく、あらゆる生命がそれを自らの内部に育んでいるように思えてなりません。例えば我が家の愛猫ひろりんは、可愛がってやる程、愛情を持って話しかけてやる程にそのいろいろな姿を見せてくれます。


動物は最高の癒やし手である。

 猫を飼っている方ならおわかりでしょうが、我が家では誰かが悩んでいるときに、真っ先に近づいてきて慰めてくれるのはひろりんなのです。言葉こそ持たないものの、誰よりも優しいひろりんは人に宿る小宇宙のちょっとした変化を人間以上に敏感に感じられるようなのでした。まことに猫とは、生命とは、神秘的なものです。


むすび

 大変申し訳ありませんが、一人一人の患者さんの診察時間は限られています。しかし、あらゆる患者さんの小宇宙に常に畏敬の念を払い、その輝きを見逃さないようにすることが、私の使命であると信じております。


人生の意味は変わり続ける

少し寒くなってきました。人生の意味について考えるところをお伝えします。

 

ある患者さんからの質問

 少し前のことですが、ある慢性かつ進行性の身体疾患によって、長期に渡り、心身共に大変な苦しみを耐え忍んできた患者Aさんにとても真剣なご質問を投げかけられたことがありました。そのご質問とは、「どうしてもわからないことがあるんです。なぜ私だけがこんなにも苦しまなければならないんでしょうか?」というものだったのでした。

 

私も必死でした。

 命がけの問いには、こちらも命がけで答えなければならないものです。私は追い詰められた心境で、緊張しつつも答えました。「私にも人生の意味はわかりません。ただ、これだけは言えます。人生の意味は変わり続けるということです。」とお伝えしました。さらに、「つらいですが、Aさんが苦しみの中でも生きる努力をし続けて来られたことは、大変意義深いことだと思っています。私はAさんを尊敬しております。」と、私が感じるAさんの人生の意義をお伝えしました。

 

Aさんの苦悩

 詳しくは申せませんが、その身体疾患はAさんに計り知れないほど大変な苦痛をもたらしており、日常生活はもちろん、自宅でリラックスして休んでいることすら困難なことが多いのでした。私はAさんに精神科医として数年前より寄り添わせてもらうようになってから、実は一日としてAさんのことを忘れたことないのです。というより、Aさんのお姿が日々思い出されるのでした。

 

私の人生も変わりました

私より遥かに若いAさんの苦闘を拝見するにつけ、私が健康に恵まれ、日々これといった苦痛がなく生活出来ていることが、実は非常に幸運なことであり、深く感謝すべきことであったと気づかされたのです。いわば、Aさんが大変困難な人生を生き抜く勇気を示してくれたことによって、私の人生のあり方も深くから変えてくれたのでした。

 

私にもわかっていること

さらに、「今は辛いですが、必ず人生の意味は変わってきます。Aさんの苦しみもまた和らいでくると思います。」とお伝えしました。それだけは私にわかっている人生の意味だったからです。Aさんは必死で放たれた私の言葉に、いくぶん頬を緩めてくれたようでした。

 

自殺の不可能性

 生きている人間には、人生の意味は決定できないものです。なぜなら、少しでも長く生きることによって、過去の人生の意味は変わり続けるからです。過去に起こった物事についての事実は変わらないにせよ、その物事に我々が抱く意味付けは、人生が続く限り変わり続けます。限られた視野しか持ちえない人間が、どのような理由があろうと、人生が続く可能性がある状況で、自分の人生に終止符を打とうとすることは、無理があるのです。

 

今考えていることは、未来には必ず変化する

未来のことが分からない人間が作り出す、人生を終わらせようとする理由づけは、決して完璧なものにはならないからです。人間は人生の意味を誰からも与えられてはおらず、我々はどこから来たかわからないし、どこに行くのかもわかりません。

 

人間は生きる意味を作り続ける

生きている限り、意識的にせよ、無意識的にせよ、我々は誰でも固有の人生の意味を作り続けています。人間にとって人生の意味づけは不可欠なものだし、人間である以上、誰でもそうせざるを得ないのです。そしてその意味付けとそれに伴う人生の選択は、常に不完全で、変わり続けるものです。

 

息子の変貌

 今年大学に進学した息子は、4月より大学寮に入寮していました。二日前に数か月ぶりに自宅に戻ってきたのですが、息子の変貌ぶりには驚かされました。入学後、息子は大学のアイスホッケー部に入部していたのですが、上半身には隆々たる筋肉がつき、ぜい肉が目立たなくなっていたからです。

 

息子の鍛錬

そればかりか、帰宅しても日々のトレーニングを怠らないつもりらしく、居間を占領し、専用のマットを敷き、腹筋や鉄アレイを用いたトレーニングを1時間以上かけて行うのです。その迫力に気おされ、診療から帰宅した後、居間でゆっくり新聞を読もうとしていた私は、早々に退却したものでした。

 

最高の大学生活

 また、息子は今の大学生活について問うと、「最高!」といつも言ってのけるのです。音楽好きの息子はアイスホッケー部に加え、ジャズ研究会にも顔を出しており、同年代との寮生活もとても楽しいようです。前期の成績こそ大学から留年の可能性ありと注意を受けているものの、まことに充実したキャンパスライフを送っていると感じます。


自らの大学生活を振り返って

 振り返ってみれば、大学生活に余り馴染めず、友人も少なかったかつての私とは天と地の開きがあり、全く圧倒されてしまいました。思えば、あの時はこれしかないと、自分のあり方を頑なに正当化していたものでした。今から考えれば、そんなかつての自分のあり方というものは、我ながら微笑ましく、かつお気の毒な限りです。

 

息子の変貌

 最近の息子の変貌ぶりを見るにつけ、新たな生活におけるその意義深い充実した日々に目を見張る思いであり、少し羨ましくも思っています。思えば、今年の春までは受験生であった息子より、エアロバイクを愛好する私は日々の運動量で上回っていたものでした。


患者さんの目はごまかせない

 しかし、今の私はつい食べ過ぎてしまうビュッフェの食事が続いた8月のヨーロッパ旅行以来、体重が4kgも増えているのです。一度増えた体重は元に戻る気配すらなく、鋭い患者さんからは「すごい太りましたね。病気じゃないんですか?」と肥満を指摘されることもある体たらくなのです。


結び
 
変貌した息子は頼もしくもあるのですが、私のささやかな日々の努力を霞めてしまう勢いなのでした。運動量ばかりでなく、食事の量や内容を含め、そろそろ私も自分の生活のあり方を見直さなければならないようです。


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