町田まごころクリニック 院長日記

  町田市の心療内科・神経科・精神科・メンタルクリニック 町田まごころクリニック院長 鹿島直之のブログです

町田まごころクリニックは小田急線、JR線町田駅より徒歩8分、町田市民ホールの斜め向かいにある心療内科・精神科です。
うつ病、パニック障害、不安障害、統合失調症、認知症などのこころの病気や問題に対する治療と相談を行います。

ご予約・お問合せはお電話で 042-851-7824  http://magokoro-clinic.info/

今年のワールドカップについて

 4年前にサッカー・ワールドカップについてのブログを書いてから、もう4年が経つのかと感慨を覚えてしまいました。今年の日本代表は普段サッカーにそれ程興味がない私でも、とても感動させてくれる戦いぶりであったように思います。

 

皆さんも見ておられますね。

診療中にも多くの患者さんから今年のワールドカップについての感想を聴かせていただき、私より遥かにサッカー通の方々の奥深い意見に感銘を受けることも少なくありませんでした。今回のブログでは私なりの感想をお伝えさせて頂きます。

 

すごく悔しかったです。

 まずは、夜中3時からやっていたおとといのベルギー戦です。結果はご存知の通り、32でロスタイムでの逆転負けでした。予選リーグは午前1時過ぎまで観戦を欠かさなかった私も、さすがに翌日の診療があるので、夜中3時からはお付き合いが出来ませんでした。

 

試合後の朝は私もダッシュ

しかし、試合後朝の起き抜け、テレビのニュースによるダイジェスト速報から逆転負けを知り、いつも忙しい朝に食べることにしているバナナを、のどに詰まらせそうになりながら、絶句してしまいました。悔しくて悔しくて、家から駅まで走って行くいつもの朝の道のりも、日本代表ばりの猛ダッシュになってしまいました。

 

DF長友選手の述懐

後半に20までリードしていた時もあったと聞き、スコア的には勝てた試合ではなかったかと翌日も思い出すたびに悔しさが続いていました。しかし、長友選手の「全てにレベルが違いました。完敗です」という言葉を耳にし、最後のベルギーの得点は日本がゴール前まで攻め込んだ上でのCKをしのがれてのカウンター攻撃によるもので、日本選手が追い付けないほどの速さのドリブルで入れられたということを知り、私も何とか日本代表の敗北を受け入れたものでした。

 

観戦しているだけではわからない

 実際にピッチ上で試合をした選手にしかわからないどうしようもない力量の差というものがあったのでしょう。しかし、その上で怯まずに全力を尽くし、一時はベルギーの選手も敗戦を覚悟するほど、力量差のある相手を追い詰めた日本代表に私は賛辞を惜しみません。多少の力の差なら、その場の精神力や気迫が凌いでしまうことがある、それが勝負の世界というものでしょう。恐れ入ることですが、日本選手は持っている力以上のものを出してくれたように感じられました。

 

侍・ジャパン

 命より名誉を貴ぶことをその身上とする日本の侍魂は、日本のマスコミがいくら騒ごうとも、命が何よりも大事だと考える風潮が強い現代日本にあってはとっくに死に絶えたものだと私は感じていました。しかし、今回のワールドカップの日本代表に対しては、チームの勝利に自らの全身全霊を捧げたかのような選手たちの献身的な戦いぶりに、私もかつての侍の面影を重ね合わせてしまったものでした。

 

選手たちの感想

 さて、全試合が血沸き肉踊る興奮の連続であり、最後はとびっきりの悔しさすら味あわせてくれた日本代表ですが、私に印象深く感じられたのは、各試合後の各選手のインタビューでした。誰もが引き締まった表情で、共通のことを口にしていたからです。

 

選手たちは誰もが同じでした。

試合を振り返り、自分を責めるでもなく、他人を責めるでもなく、悔やみすぎるでもなく、次に控える世界的な選りすぐりの強豪との試合を不安がるでもなく、あるがままに現実を直視し、さらにはそれを踏まえつつ、「自分の出来ること」のみを考え、淡々と話していたからです。さすがに最後の試合となってしまったベルギー戦では選手のほとんどが涙されていたようですが。

 

人も自分も責めず、常に出来ることだけを考える

試合後のインタビューを拝見する限りでは、「次のポーランド戦では」「次のセネガル戦では」と、必ず次の試合に向かって、自分の出来ることに気持ちを向けておられました。その表情は疲労感を感じさせず、毅然とし、決意に溢れていました。彼らの研ぎ澄まされた態度に、日常で誰もが良好なメンタルヘルスを保つための見本があるような気がしたのは、私だけしょうか。

 

心配事は尽きません

 とため息をついておっしゃったの60代位の女性患者さんのことを時に思い出すことがあります。もうその方は、長い間様々な心配事に弄ばれ、苦しめられることを甘受しているようだったし、今後もそれを覚悟しておられるようでした。諦めきったその痛々しいご様子を拝見した後で、その方には、心配事からは心の習慣を変える積み重ねの努力次第で解放されることをご説明し、「不安のリハーサルは置いておけばいい」という言葉をお渡ししたものです。

 

本当は、心配事とは自分からまとっている鎖のようなものです。

その方は全く予想外のことを突然私から告げられ、戸惑われていましたが、診察の最後にはわかって頂けたようでした。しかし、お気の毒ですが、この社会では、「心配事」からは逃れえないものと決めこまれて、自分がコントロールできないことに思いを馳せ、自ら疲れ、消耗されている方は決して少なくありません。以前にもブログでお伝えしましたが、自分がコントロールできないことは、祈るほかはないし、祈るなら正しく祈った方がいい、自分が真に望むような想像やイメージをした方がいいのです。

 

やるべきことに集中すれば、不安は消え失せる

しかし、世界的な重圧の最中にあるはずの、ワールドカップの日本選手たちは、何も心配していないように見えました。常に次の試合の勝利に向かって、やるべきことをどこまでも見つめようとする彼らの意欲と情熱に、あらゆる心配も圧倒され、出る間がないかのようでした。

プロの落ち着きは不断の修練の賜物
 かりにもプロの選手なら当たり前のことと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あらゆるスポーツで、そんな選手の当然ともいえる姿に、私はいつも感銘を受けているのでした。そういった精神のあり方は、例外なく日々のたゆまぬ修練によってこそ得られるものだからです。

 

誠にさわやかな二人

 私はネット上のニュース記事で、開催国ロシアから日本帰国の機上にて、長友選手と長谷部選手が揃って笑顔を見せてくれている写真を拝見しました。長友選手は今回でワールドカップの引退を決めた長谷部選手に向けて、「・・・言葉にするのが難しいけど、とにかく偉大だった。そんなキャプテンの元で一緒に戦えたことを誇りに思います。ありがとう!」とツイートしていたのですが、二人とも、何というさわやかな笑顔でしょう。結果はどうあれ、やるべきことはやり尽くしたという充実感を湛えた男の顔のように感じました。全くもってあっぱれです。

 

人生を終える時に

 世界的なご活躍をしているお二人に比べると、いささかお恥ずかしいのですが、私のような者でも、悔いを残さないように、すべてが終わった後にこの二人が見せてくれたような笑顔を持って死ねるようにこの人生を生き抜きたいものです。結果はともかく、目標のためにやれることは全てやったという満足感を抱いてあの世に旅立ちたいと今から私は念願しています。

 

家族会ご出席ありがとうございます。

意欲溢れる当院スタッフの協力を頂き、6月からは当院患者さんご家族の集いである家族会を立ち上げました。毎月最終週の木曜日、夕方5時から7時まで私も出席の上で開催させて頂いております。まだ2回目が終わったばかりですが、患者さんのために骨身を惜しまない献身的で熱意のあるご家族の方々とのお付き合いは私にとっても、とても喜ばしく、ありがたいものと感じております。ご興味のある方は、ご出席のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

まごころの精神医療をもっと多くの皆様に
 8
月からは水曜日、木曜日に人生経験豊かな人格者で、頭脳明晰でもある素晴らしい先生にもう一人来て頂けることになりました。これで月曜日から金曜日まで当院の医師は3人体制となり、「まごころ水準」の精神医療をさらに多くの皆様にお届けできると喜んでおります。

 
「まごころ水準」の精神科医
 私の考える「まごころ水準」に達した精神医療の条件とは、精神科医については、①患者さんが楽になれ,元気づけられるように話を聞き、時にはアドバイスをする経験と技術をもっている。なお、患者さんのあらゆる感情を受容し、その孤独な努力を見抜き、尊重できる人間性を兼ね備えている。②冷静な判断力と幅広い知識を持ち、可能な限り確実に患者さんの診断ができる。また、診断とそれに基づいた治療方針を患者さんに分かりやすく説明でき、治療に患者さんの十分なご同意とご協力が得られる。③治療にあたり、有効かつ最新の薬物療法を会得しており、最低限の安全な薬物使用を心がけている。さらに、薬物減量の経験と技術を持ち、患者さんが改善している度合いを踏まえ、常に薬物減量を意識している。④あらゆる精神医学的治療や検査、医療資源に通じ、必要に応じて、患者さんにそれらを柔軟に紹介できる。⑤クリニックのスタッフや他施設の職員に対しても、独りよがりにならず、患者さんの利益のために謙虚な態度で望ましく快いチームワークをとれる。といったことを指します。

「まごころ水準」のクリニック
 医師以外のクリニック全体に求められる条件としては、①患者さんの癒し手になれる情熱に満ちた有能なカウンセラーによるカウンセリングを必要に応じ、リーズナブルに受けられる。②笑顔と気遣いに富む優秀な受付事務員が、受診された患者さんのご要望にスムーズかつ的確に応じられる。③社会復帰を目指すリハビリテーションのために、心安らぐ集いの場であるデイケアが利用できる。④愛情深く、かつ冷静な判断力を持つ看護師が血液検査、心電図検査や注射に加え、患者さんのご容態の急変時にも対応できる。⑤熱意溢れる献身的な精神保健福祉士による精神医療や医療資源についての相談が可能である。⑥家族会があり、患者さんのご家族の悩みやご質問、ご要望にクリニックとして対応できる。⑦訪問看護によって、病院に受診が難しい患者さんにも対応できる。といったところでしょうか。とてもありがたいことに、当クリニックもスタッフの尽力と通院して頂いている大変多くの患者さんのおかげで、徐々に理想に近づいているようです。本当にありがとうございます!

9月からは訪問看護

9月からは訪問看護を開始させて頂く所存です。通院や外出が難しい患者さんに、多少ともお役に立てると思うからです。当院の看護師さんも訪問に大変なやる気を見せてくれていて、とても頼もしく、うれしく思っています。院長としてもちろん責任は重いですが、私も心配している暇はありません。ありがたいことに、皆様のために、やるべきことが山のようにあるからです。

 

むすび

 今回、ワールドカップで日本代表選手たちが教えてくれたことは数知れずあります。短い間でしたが、彼らが放っていたすさまじくも輝かしい命の光芒を忘れずにいたいものです。人間は誰であっても、いつでも、彼らのように輝ける可能性があるのですから。それを教えてくれた彼らに深く感謝せずにはおれません。


一期一会

 またしてもブログが遅れてしまいました。7週間連続で頼まれていた横浜の看護学校の授業が先週ようやく終わり、今日はアルファ医療福祉専門学校の6時間の講義を終え、夕方には15㎞のエアロバイクを漕ぎ、今日の日課を果たしました。今はカフェインレスコーヒーを私のお気に入りのアイスカフェオレにして飲みながら、多少くつろいだ心境でこれを書いています。今日は「一期一会」という言葉について思うことをお伝えさせていただきます。


私は誤解していました

 去年6月の講演会で触れたことですが、私は「一期一会」を大切なことだと思っています。「一期一会」の意味をこの前私が講義をしている成城大学の学生に尋ねたところ、「人との出会いを大切にすること」と言っていました。私も以前はそう考えていましたが、実はもっと深い意味があったのでした。

 

新明解国語辞典

 辞典によれは、「一期一会」とは「(茶の湯で)すべての客を、一生に一度しか出会いのないものとして、悔いの無いようにもてなせ、との教え。」とのことです。もとは茶の湯を由来とする言葉で、「一期」とは、今はあまり使われない仏教由来の言葉ですが、人間の「一生」を意味しているのです。

 

その真の意味

 つまり、「一期一会」の真の意味とは、人との出会いを、人生で一回きりのもの、これで最後のものとして大事なものとして考え、そのように人と向き合うことを勧めているのでした。まことに厳しい考えですが、とても有意義な考えのように私は思っています。実は精神医療の仕事とは、まさに「一期一会」の実践に尽きるのです。

 

次に会えるかどうか

 特に慢性で重いうつ病の患者さんになると、長く続く苦しみからすぐにでも自由になりたい、すなわち死にたいという気持ちを強く持たれていることも珍しくありません。そういった方たちに生きる希望を持ってもらうための診療時間とは、極めて貴重で、こちらも命がけで診察に取り組まねばならないのです。

 

その実践

次回の診察まで果たしてこの患者さんは無事でいてくれるだろうかという気がかりの中で、無事でいてもらうために、何をしなければならないか、全力で考え抜かねばならない状況、これこそまさに一期一会を実践する機会なのではないかと私は考えています。

精神医療者の覚悟
 患者さんを向き合ったときに、目の前の患者さんとはこれで最後になってしまうかもしれないという覚悟とそれに基づいた患者さんへの思いやりを持ち、最善の対応を心がけていることが、精神医療者には求められているように思います。

 

一期一会は出会いの全てに

 私は厳しい仕事ですが、精神医療に携われていることを幸福にも思っています。なぜならいろいろな患者さんとお付き合いさせて頂く中で、人生、ひいては人間性というものについてのさまざまで有意義な気づきが得られるからです。私は「一期一会」の精神に気づいてから、大学の授業でも、講演会でも、人を目の前にするあらゆる機会でそれを心がけるようになったのです。その収穫は決して小さくありませんでした。

 

大きな収穫

 数日前に私宛にクリニックに届いた成城大学卒業生のメールの概略をご紹介させていただきます。

「お忙しいところ恐れいります。X年前に成城大学を卒業したAと申します。・・・今回メールをしましたのは、私が成城大学に在学していた頃に鹿島先生の授業を受けて医師になりたいと思い、今年から実際に医学部に入学できたからです。・・・先生の授業は私に未知の世界を広げてくれるとともに、世の中には程度の差はあれ、悩んで苦しむ人が沢山いる、ことに気づき、鹿島先生が行っている医師という仕事自体にも興味が湧きました。大学卒業後は、小中学校の教育相談室でバイトをしたりと仕事をしながら受験勉強を寝る間を惜しんで頑張りました。受験には何度も失敗しましたが、諦めずに頑張ったおかげで何とか拾ってくれる大学があり、今は基礎科目から学んでおります。今後はもっと専門的な勉強に励んで、鹿島先生のような精神科医になりたいと思います。この場を借りてお礼を申し上げます。先生のおかげで将来への道が開けました。ありがとうございました!!!」

 

ありがたいこと

 多忙な診療の傍らで行っている大学の授業ですが、私なりの思いと情熱が伝わったようでした。前途有為な青年が将来を選択するにあたり、少なからぬ影響を与えることができ、感謝されたことに、私も飛び上がらんばかりに嬉しく感じました。私なりの「一期一会」の心がけがあってのことと、その言葉にも感謝せずにはおれませんでした。手前味噌のようですが、まこと、思わぬ出会いによって、人とは驚くほどに変われるものなのでした。

 
教師の醍醐味
 また大きな自分の夢に向かって、数年間働きながら諦めずに勉強し続けたというその情熱と努力に、私こそが強い感銘と刺激を受けました。私は医師仕事の片手間における教師に過ぎませんが、教師が学生を教え、教えられた学生がまた教師を教える、それこそが教育の醍醐味なのでしょう。また、その醍醐味を常に探し求めようとする教師こそ、お互いを尊重し合う喜ばしい関係に基づいた教育を学生に提供できるものではないでしょうか。
 
教育と精神医療
 思えば、私の本職である精神医療も教育とその本質は近いのでありました。およそ、精神医療に携わり、患者さんの癒し手であろうとする者であれば、悩める患者さんのあらゆる努力や長所を理解するように努め、その理解を共有させて頂くことを通し、深い信頼関係を築くように尽力しなければなりません。

信頼関係がなければ、何も始まらない
 
患者さんへの真の理解といたわりに基づく深い信頼関係が確立出来たならば、医療者は患者さんに人生の希望を再び取り戻してもらい、ご自分で気がつかれていない己の計り知れない力に気づかれるように援助しなければなりません。さらに、必要に応じ、療養上役に立つ医学的知識をわかりやすくお伝え出来る能力が不可欠なのです。

患者さんは医療者にとって、最高の教師である
 実は、それらは全て教育においても重要な要素なのではないでしょうか。さらに、本物の教師が生徒から学び続けるように、医療者は常にあらゆる患者さんとの一期一会の交わりから何かを学ぶように努め、それを喜びとすべきでしょう。そういった医療者こそが、人生の試練と向き合っておられる患者さんに、お互いに尊敬し合え、豊かな実りをもたらしてくれる望ましい関係に基づいた医療を提供できるのだと思います。

むすび

 我々はともすれば日々変わらないように見える生活や対人関係のあり方に慣れっこになってしまいがちです。しかし、本当は毎日が新たな、唯一無二の出会いの機会を与えてくれており、それらはすべて「一期一会」に高めることができるのです。そして、「一期一会」の出会いとは、それを心がける者に、何かの学びをもたらさずにおかないものです。今後も「一期一会」の精神で、皆さまから不断に学び続け、共に向上し、歩み続けられれば幸いです。


私のマイブーム

 20180527_144751
  ブ
ログの更新が遅くなってしまい申し訳ありません。上はソファで丸くなるひろりんの雄姿です。木曜日の午後に毎週3時間ずつある成城大学の授業に加え、水曜日の午前中には3時間の授業を7回ほどですが、新横浜にある看護学校の精神医学についての授業も頼まれ、その準備もあり、なかなか時間が割けませんでした。今回は最近の私が夢中になっている気分転換についてお伝えします。

 

小説というもの

 私は最近、読むものと言えば経営に関する本や、医学系の本や文献ばかりで、もう小説というものからしばらく遠ざかっていました。しかし、もともと本好きな私は小説も大好きで、ごくたまには話題になっている小説に目を通したりしていたものでした。そんな私ですが、最近小説を毎日のように、再び楽しむようになったのです。それが出来るようになった理由ですが、まずは私が日々の運動習慣を変えたことからお伝えしなければなりません。

 

日々の運動はエアロバイクで

 一日1時間程度の運動は、私は望ましい健康維持のために行う必要があると思っています。以前のブログでお伝えしたように、1.5㎏の重量がある縄跳びを、平日600回、休みの日は1000回程度やることを自分に課していました。しかし、最近、愛用の縄跳びはお蔵入りとなってしまいました。私はもっぱらエアロバイクを使った運動をすることにしたのでした。

 

15㎞、最強の負荷をかけて

 エアロバイクはもう3か月ほど前に4万円のものを通信販売で購入しました。アルインコというメーカーのものですが、なかなかの優れモノでした。ペダルの重みによる負荷を段階的に調節でき、消費カロリーや走った距離が分かるようになっています。この4か月間私は徐々に負荷と時間を増やし、今では1時間で15㎞、最強の負荷で走れるようになったのでした。これは400キロカロリーを十分に超える運動量になります。同じ時間で行える水泳ほどの消費カロリーではありませんが、この位で満足しなければならないでしょう。

 

エアロバイク

 2年くらい続け、日々の習慣となっていた縄跳びを控え、ここまでエアロバイクに夢中になってしまったことには大きな理由があります。エアロバイクに乗っている時には、スマホやタブレットがハンドルの真ん中に置けるようになっているため、それを使って動画や音楽を楽しむことができるのでした。日常的に自分のための時間をあまり割けない私には、ある程度の時間をとられる日々の運動をしながら、同時に何かを楽しめるということが、非常に大きな魅力だったのです。

 

動画を楽しむ方も多いでしょう

 日々空いた時間をお気に入りの動画を見て過ごすことが多い人も多いでしょうし、その楽しさもわかる気がします。私も時折気になる歌やバンド演奏を動画でのぞいたりするからです。しかし、今回私は目を閉じていても出来る楽しみを選んでいます。その楽しみとは、スマホで読みたいと思っていた小説の朗読を聞くことなのでした。

 

アマゾン・オーディブル

 月々1500円で好きな本を選んで聞けるアマゾンのコンテンツがあるのですが、それにエアロバイクの購入とほぼ同時期に加入しました。まずは、遥か昔の中学生の頃に夢中になって繰り返し読んでいた、歴史小説の巨匠、吉川英治の名作、「三国志」を聴きました。高校時代には三国志を題材としたパソコンゲームにも私は夢中になっていたものでした。

 

朗読は至高の文化である

プロによる朗読は素晴らしいもので、自分で読む時とはまた違った臨場感を味合わせてくれました。そして、次は同じく吉川英治の「私本太平記」を聴きました。これも感動的で、エアロバイクで激しく運動していることを忘れる程、本は全13巻の長編ですが、夢中で聞き終わってしまったものでした。ちなみにアマゾン・オーディブルによる朗読はその速度を調節できますが、私には1.35倍ほどの速さがちょうどいいようでした。

 

直木賞

 次は白石一郎さんの直木賞受賞作である「海狼伝」を聞きました。戦国時代に暴れまわった対馬や瀬戸内海の海賊の生きざまを描いたものでした。そのテーマと時代柄でしょうが、残酷なシーンも数多く出てきました。しかし、まことに興味深く、楽しく読ませて頂きました。良質な時代小説は、その時代の在り方や人々の暮らしぶり、その価値観について、自然に学ばせてもらえるものです。

 

海賊船の漕ぎ手のように

「海狼伝」の上下巻、その続編である「海王伝」の上下巻もあっという間に聴き終わり、その続編がないことが残念なくらいの名作に思えました。特に海賊同士の海戦シーンの迫力と言ったら、もう気分は自転車の上というよりは、敵の海賊船に向かって全力で疾走する海賊船の上にあるようで、海賊船の漕ぎ手よろしく、いつのまにか夢中でエアロバイクのペダルを漕いでいるのでした。

 

上田秀人さん

 今、私は現代の時代小説における、屈指の書き手である上田秀人さんの小説に夢中なのです。「奥右筆秘帳」という彼の代表作の一つとされる全12巻の長編小説ですが、1800年代初めの、政治や社会体制の矛盾が際立ち、その歴史的役割を終えつつある徳川幕府内部の権力抗争を背景とするものです。典型的な忍者が暗躍し、定番のチャンバラも盛りだくさんで、大汗をかいてエアロバイクを漕ぎながらも、手に汗を握ってしまうように感じることが珍しくないのです。

 

優れた小説家の贈り物

小説は読者の口コミから選んで聴かせてもらっているのですが、口コミ通りどれも面白く、引き込まれています。「奥右筆秘帳」はもう9巻まで聴き進めていますが、全く倦ませることなく、江戸時代の登場人物に読者の興味を引き続けられる上田さんの作家としての力量には驚かされるばかりです。日常から離れ、全く自分の想像もつかないような世界に浸り、心遊ばせられる稀有な機会を与えてくれる、優れた小説家の方々、およびその小説を朗読される方の技術と絶品の声にはまことに脱帽です。

 

一日の終わりの愉しみ

 私が一日の診療を終えて帰宅するのは、9時過ぎから10時過ぎの間になります。その後にすぐに夕飯をすまし、すぐにエアロバイクに乗ります。そのあと1時間は運動でたっぷりと汗を流しながら、お楽しみの朗読を聞くことが、最近の健康維持と愉しみを兼ねた習慣なのです。終わった後は待っている愛猫のひろりんとおもちゃで少し遊んでやり、専用のブラシで毛を梳いてやります。

 
新たな習慣の身につけ方
 有益であっても、毎日続けるためには意志の強い力を必要とする習慣を身に着けるためには、その習慣を何らかの苦にならず、楽しい習慣とセットにすることがお勧めです。特に精神疾患にあっては、日中の運動習慣は夜間の睡眠を改善し、抑うつ気分を予防するために大変重要なことなのです。睡眠薬を服用していたり、うつ状態の養生に取り組んでおられる方は、運動習慣を身につけることが回復への近道です。

むすび

  ひろりんはブラシで毛を梳かれると、とても気持ちいいようで、リラックスして横たわり、目を細めゴロゴロとのどを鳴らします。恍惚となったひろりんと一緒にいる時こそ、私も幸福感で浸されるのです。やはり誰でも、精神衛生を保つために、1人の時間の密かな楽しみというのは大切なのでしょう。私にとっては恍惚のひろりんとの時間と朗読小説が、マイブームなのです。

人間力を養うために

  少しブログの間隔が空いてしまいました。「いしゃまち」という医療サイト、「JIJICO」という専門家サイトから立て続けに原稿を頼まれていたからです。「いしゃまち」は「うつ病と仕事」という題、「JIJICO」は「マライア・キャリーが双極性障害を告白-どのような症状だったのか」という題です。

 

患者さんのお役に立てる記事を心がけました

この二つの記事はもう完成しており、どちらも57日の連休明けにネットのサイト上にお目見えします。関心のある方はご覧頂ければ幸いに存じます。今回は「人間力」について考えることをお伝えします。

 

我が息子の葛藤と私の親友二人

 以前のブログでお伝えしましたが、我が息子は去年の10月頃に至るまで文系か医学部かという進路の選択で悩んでいました。息子は文系の研究者になりたいと熱望していたのでした。そこで、私は悩む息子に、私の素晴らしい友人の、文系の極めて優れた研究者で大学教員でもあるお二人から文系で研究者になるということはどういうことなのか、十分に話を聞いてもらいました。いわば、一番信頼がおける友人といえる二人に、息子の悩みについて、一肌脱いでもらう格好になったのです。


息子には息子の人生がある
  
親でかつ医師である私が医学部を勧めても息子は反発を強めるばかりでした。そのため、中立的かつ正確な情報を踏まえ、息子には自分で満足のいく結論を出してもらいたかったのです。常に仕事のことが頭にあり、いわゆる世の気晴らしを余りしない私の姿を普段から見ていて、医師という職業について、息子はちょっと引いていたようでした。何しろ息子は、ダーツやギターに触れない日はなく、テレビのお笑いが大好きな、私と対象的な嗜好の持ち主なのです。


医学は幅が広い
 高校3年の秋も深まった頃でした。いろいろな方に相談に乗ってもらい、悩みぬいた挙句、息子は、将来的に医師でも、私のような臨床ではなく、医学研究者を目指すことにし、自ら医学部進学を決めました。いわば文系の学問で究めようとしていた道を、医学という学問の枠の中で究めることにしたのでした。

集中したのは最後の数か月だけ
 目的が定まった息子はやっと勉強に集中できるようになり、そして、何とか在京の某大学医学部に現役合格を果たしたのです。合格に至るまでの紆余曲折を考えると、息子は全く予想外の、これ以上はない程の素晴らしい結果を収めてくれました。しかし、親としてはハラハラさせられ通しの息子の受験体験でした。


私のポリシー

 私は息子に対して「頑張れ」、あるいは「勉強をしろ」ということを、この受験の間中も言わなかったし、中学受験の時も、中学高校の6年間を通してもついに言わずに済ませました。その代わりに、余りにも不勉強な様子で、本人が後で困ったことになりそうな場合にのみ、「それで大丈夫か?」と声はかけていました。ちなみに、私は、患者さんに対してはもちろん、息子以外のプライベートな対人関係でもその言葉をほとんど用いません。私が「頑張れ」と言わないことには理由があります。


「頑張れ」の真の意味

 それはその言葉を向けた相手を「頑張っていない人」にしてしまうからです。しかし、およそ生きている限り、誰であろうと、何らかの努力を人知れずしなければならないし、どんな代償を支払っても、それを行っているものです。だから、それを言われた人間は、どこかしら自分を否定された気分になります。

「頑張れ」は言われた側を白けさせる

 「頑張れ」という言葉が、尊敬している、あるいはよほど好感を持っている相手から信頼されて発される例外的な場合を除けば、ほとんど意味をなさないのはそこに理由があるのです。それを言った人間が願っている、相手に対する効果は、実際のところ、大抵の場合で全く出ていないか、逆に疲労感を覚えさせたり、意気阻喪させている場合が多いのです。


「頑張れ」が日常的に使われる理由
 我々の社会では決まり文句のように使われていますが、誰もが疑ってみようともしない習慣の力は恐ろしいものです。「頑張れ」は相手のためというより、それを言う人間の側にある義務感や、自己満足のために主に用いられているのです。本当は気軽に使われるべき言葉ではなく、相手の気持ちを十分に配慮した上、慎重に使われるべき言葉だと私は考えています。


大学寮への入寮

 話を戻します。息子が入学した大学では興味深い教育をしており、1年生のうちだけ医学部の学生は他学部の学生と寮生活を営むのです。4月の始めから入寮していた我が息子は、連休ということもあり、昨日自宅に戻ってきていました。

 

ちょっと安心しました。

私の18歳の頃と異なり、明るく誰にでもフレンドリーで、屈託のない我が息子は二人部屋のルームメイトとすぐに親しくなったそうです。また、寮の仲間も大勢出来ているようで、楽しそうに新しい人間関係についていろいろ話してくれました。同年代とはいえ、学部も家庭背景も全く違う若者たちと、すっかり親しくなり、溶け込んでいる様子で、親としてはまずは一安心でした。もっとも入ったばかりの大学の授業は全く面白くなく、興味も持てないということでしたが。

 

私と比べると

思えば、私は息子とは異なり、悩み深き大学時代を送ったものでした。少なくとも入学したての頃は、フレンドリーとはとても言えず、理屈っぽく気難しいところがあり、恥ずかしながら、相手が嫌がることでも時には無遠慮に言ってしまうこともありました。もちろんそういう私が大学での対人関係に十分に馴染めるはずもなく、明らかに浮いた存在でした。

 

社会は最善の教師

今から考えれば、不思議な感じすらします。私は精神科医になってから数年ほど経ち、社会の中で揉まれる中で、改めて自分のことを振り返り、人生には前向きに、周囲には友好的にというように、自分の考え方やあり方を変えるように取り組んだのでした。しかしそれからの道のりは、決して楽なものではありませんでした。

 

我が子ながら

 中学から高校とずっと楽しそうで、親しい友人も多く、入学したばかりの大学生活にもすぐに馴染める我が息子を見ていると、「普通の」若者とはこれほどまでに幸せそうで、悠々としているものかと少し驚いてしまった程でした。また、我が子ながらその逞しさに、ちょっと感動したものでした。おそらく妻の教育がよかったのでしょう。

精神科医という仕事
 また、私のように「悩み多き」大学時代を過ごし、社会人になってから改めて自分を大きく変えるように孤独な努力を積み重ねなければならなかった私が、精神科医として日々悩める患者さんを力づける仕事をしていることも、ちょっと不思議なものです。

 

不思議のように見えても必然なのです

 しかし、以前のブログで触れましたが、対人援助職に就くものとして、およそ深刻な悩みや大病を乗り越えた体験こそ役に立つものはないのです。ちなみに当院に3月から金曜日にご勤務頂いている野口先生、4月から木曜日にご勤務頂いている岸本先生は、お二人とも患者さんにもスタッフにも人望が非常に篤い、どんな時も謙虚で心優しい尊敬すべき方たちです。

 

いい先生においで頂けました。

ただ、詳しくは申せませんが、お二人とも大変な人生の試練と向き合い、それを乗り越えてこられた方たちなのです。だから是非ともという思いで、当院に来て頂いたのです。私が思うところですが、本当の人生の価値とは、目に見えるところにはありません。

 

真の人生の試練は目に見えないもの

それよりも目に見えず、自分にしかわからない内面的な心の試練と、いかに向き合い、それとどのように付き合ってきたかというところにあるように思います。お二人ともご自分の貴重な体験を踏まえ、患者さんの人生の試練を患者さんにとって最大限価値のあるものとするように、患者さんに寄り添っていける先生方であると信じております

 

チーム医療を希望します

 これは4月から女性の常勤医師として当院に勤務して頂いている本田先生のお言葉です。私も気をつけてはおりますが、つい独善的になりがちな医師一般の態度とは異なり、謙虚で礼儀正しく、向上心溢れるそのご様子を拝見し、当院でのご勤務をお願いした先生です。自分が正しいと思いがちで、人に自分の意見を押し付けながらも、それに気づけない方は精神科医には向かないのです。ご勤務したばかりですが、本田先生も患者さんやスタッフを含め、大きな信頼を集めておられる先生なのです。

 

前向きな力、友好的な態度は鍛えられる

 人並みの年頃の青春を謳歌している息子とは異なり、青年期以降、悩み多き人生を歩んできたように感じている私です。しかし、悩みの代価なのかもしれませんが、気づいたことがあります。それは人生の物事への前向きな力や、出会う人々への友好的な態度は筋力と同じで、鍛えられるということです。むしろ予想もしなかった出来事や、さまざまな価値観の人たちと積極的に向き合うことで、その力は鍛え上げられていくのです。

 

もってこいの環境

 院長として、精神科クリニックの運営の全てに責任を負う立場にあるこの環境こそが、そういった力を養うためには最適なのかもしれません。クリニックに起こることは、予想もしない出来事だらけだし、院長として多くの患者さんの診察以外に、日々いろいろな方々とお会いさせて頂かなければならないからです。


むすび

 人間力という偉そうなことを書きましたが、もちろん私もまだまだ至らぬところが数知れずあります。しかし、己の至らぬところを速やかに自覚し、傷が深くならぬうちに修正しようとする態度を養ってきたことで、以前より、最近では多少とも楽に生きていけるようになってきたようです。

最近のカード療法―自己受容と世間との付き合い方について

少しブログが開いてしまいました。先週には息子の大学入学式に出席したり、医療サイト「いしゃまち」の原稿の締め切りに追われていたり、明日から始まる成城大学新年度の授業準備をしていたからです。お待ちになっていた皆様、大変申し訳ありませんでした。今日は最近よく使っているカード療法の言葉についてお伝えします。


どんな時も自分を分かってあげればいい

 これは斎藤一人さんという私が尊敬する有名な経営者のご著書からその着想を得たものです。自分を責めたり、後悔したり、自分が嫌になった時に使う言葉です。この言葉を使い、自分に「わかるよ」と内心でもいいですから、惨めに感じられている自分に声をかけてあげること、これが実に自分を楽にするために効果的なのです。


自分に客観的になること

 自分というものに客観的になることは難しいことです。自分を責めたり、自分を感情的に批判することは、自分に客観的になることにとって、実は逆効果なのです。自分を受け入れることによって、本当に自分に客観的になれるのです。


自分を理解すること

自分に「わかるよ」と声をかけることによって、どのような自分の感情や過去の自分の選択も受け入れられるきっかけが得られます。そして、自分との不毛な闘いは終わり、多少とも落ち着きを取り戻したうえで、真に自分のあり方を見つめる機会が得られるのです。


過去の自分に正直になること

 人間は過去の誤りを見つめることがつらいあまりに、過去の自分を正直に見ようとせず、他人や状況を責めたり、自分を正当化しようとします。私も自分の過去の選択を悔やんでいる時には、この言葉を思い出します。そして自分に声をかけるのです。「わかるよ」と。


過ちを繰り返さないために

そうするとかえって自分が行った選択について正直になれます。自分に正直になれれば、自分がいかにしてその選択に至ったのか、今後その選択をしないためにはどうすればいいかが、かえって見えてくるものです。その上で、これもとてもよく使う言葉ですが「自分の出来ることを考えればいい」と、その反省を今後に生かすようにするのです。


「わかるよ」は人生の合言葉

 ここまで読んで感じられた人もおられるかもしれませんが、「わかるよ」は、実は自分に対しても、他人に対してもとても役に立つ言葉なのです。人生の悩ましい、時には苦しい局面で、他人や自分に対し、まずは「わかるよ」と声をかけてあげること、「わかるよ」を合言葉とすること、それは人間という極めて豊かな感情を持つ生き物である我々が、人生という修業の場を、まっとうに、少しでも楽に生き抜くためにとても有意義な習慣のように思います。


誰でも見えない事情がある

 これも最近よく使う言葉です。我々は、誰でも他の人には見えない、想像もつきようがない事情を抱えています。しかし、その事情は、時には無視され、否定されて、思いやられることなく、お互いに厳しく、ときには残酷に思えるような言葉を投げかけあい、傷つけあっている、これが我々の現実ではないでしょうか。


人間は誰でも孤独である

 実は人間は目に見えるところの部分は、その内面に秘めたるものに比べれば、氷山の一角、と言えるくらいにわずかなものです。あらゆる人間の内面にはその人間がそれまで生きてきた人生の記憶や得た知識のすべてがあり、それに基づいた人格が息づいています。お互いに分かり合えているつもりでいても、我々が理解し、お付き合いしている部分というものは、その人間全体のうちのごく表面的な一部なのです。


精神疾患を持つ患者さんの見えない事情

 特に精神疾患の患者さんにあっては、その「見えない事情」は健康な人からは全く想像がつかないことが多く、外見だけから判断されて、「見えない事情」は無視されがちということがとても多いのです。先ほどの言葉のバリエーションですが、患者さんには「自分には見えない事情がある」という言葉をお渡しすることがあります。その言葉が助けになるほど、精神疾患の患者さんは世にある人々の無遠慮で思い上がった眼差しが背景となっている心ない言葉に人知れず傷つき、苦悩なさっておられることが多いのです。


人は下らないことばかり言っている

 一見穏やかならぬ言葉に思われましょうが、これも最近患者さんによくお渡しする言葉です。精神疾患を持つ方の計り知れない内面の深淵を何ら考えようともせず、想像さえしようとしない方に何を言われようが、何を噂されようが、全く気にする必要はないからです。


自分を真に知る者

 それは自分自身に他なりません。人生のあらゆる艱難辛苦を共にし、それを一緒に乗り越えきたるもの、それは自分自身です。誰もが自分でも気が付いていないすごい力をもっているものです。世の人の言葉に惑わされず、自分を受け入れ、観察し、自分の力を知ろうと努めること、それは精神疾患の改善にも、日常的なメンタルヘルスにも重要なことです。


むすび

 自分自身を本当に受容し、その玄妙といえる精神の働きと途方もない広がりを理解すれば、他人を安易に批判することに惧れを抱かざるを得ないでしょう。我々は誰もが一つの精神という無限の広がりを持つ世界の持ち主であることをわきまえ、お互いに尊重すべきなのです。


当院のご案内
町田まごころクリニック 町田駅徒歩8分 心療内科医 神経科 精神科 メンタルクリニック
町田まごころクリニック
〒194-0022
東京都町田市森野2-8-15
AWA渋谷ビル1F
駐車場12台完備
ご予約・お問合せはお電話で
042-851-7824
小田急線町田駅
JR線町田駅 徒歩8分
バス停「町田市民ホール」
「妙延寺」
「第四小前」徒歩4分

大きな地図で見る
悩んでいる方のために
町田まごころクリニックでは患者さんの養生や精神衛生のために基本的な医学的知識をまとめたプリントをお配りしております。
まごころプリント~悩んでいる方のために~
ブログ内記事検索
プロフィール

町田まごころ院長

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ