今回は、この世界で完璧なことと、そうでないことについてお伝えさせて頂きます。

頼まれた大学の講義

 私は昨年末に知人から頼まれ、今月末より日本大学文理学部の講義を、一科目後期の半期だけ非常勤講師として請け負うことになったのでした。その講義の名前は「人体の構造と機能及び疾病」と言うもので、つまり、人体の構造と機能を教えつつ、同時に疾患や治療についても伝えていく、というとても野心的な講義なのでした。

任務完遂は不可能のよう

野心的と言うより、その内容は医学部で医学生が数年間かかって叩き込まれることであり、その講義の趣旨に忠実に従うことは、ほとんど不可能といっていい講義なのです。もっとも講義の対象者は文理学部心理学科の、公認心理師を志望される学生さんたちですので、あくまでも心理師として患者さん接する時に必要な知識、ということに絞ればいいのでしょうが、どのように教える知識内容を絞るかが、なかなか悩ましいのでした。

その準備

 私は今年の5月頃からその講義の準備をすすめていたのですが、これほどまとまって身体の構造や機能、内科の疾患を学び直すのは、もちろん医大卒業以来のことでした。分厚くわかりやすい内科の成書を改めて購入、授業で指定されたごく簡単なテキストの項目を肉付けしながら、授業で用いるレジメを作成していきました。

頼れる教師たち

 勉強しながら感じるのは、私が学生時代には存在しなかった、頼れる教師の存在です。それはもちろんインターネットなのでした。インターネットではさまざまな専門家が分かりやすくあらゆる身体の機能と構造、内科の知識についてさまざまな角度から解説してくれており、あちこち検索することで、とても効率よく理解を深めてくれるのです。まったく、このような素晴らしい大勢の教師たちに、いつでも無料でアクセスして教えてもらえるとは、とてもいい時代になったものです。

学ぶことは楽しい。

 かつての医学生時代にも感じたことでしたが、やはり体系だった新たな知識を学ぶことは楽しいものです。「学びてときに之を習う、また悦ばしからずや」とかの孔子が論語でおっしゃっているとおりです。当たり前のことですが、私が内科を学んでいた医学生の頃からこの20年ほどで、人体の構造と機能についての理解はさらに深まっており、内科学は遥かに進歩しているのでした。

身体は完璧である。

 今回改めて人の身体の機能と、その異常や疾患の原因の理解を踏まえた治療体系である内科学について学びなおしてみると、人の身体というものは、完璧に出来たメカニズムだな、ということをしみじみと感じます。一人の人間がこの世界に存在し、活動するために、同じDNAを持つ60兆個の細胞が、それぞれがとてつもなく多彩な機能を持つ細胞に分化しながら、完璧に調和して一つの人体を構成している、これは全く奇跡的なことです。

私が完璧に感じること

 人体はため息をつかされるほど、完璧なメカニズムですが、私が普段から同じように完璧に感じることがもう一つあります。それはこの世界における自然のあり方です。私も人並みに、この年まで時折は山や海や川など、さまざまな自然と戯れ、何度となく計り知れないほど癒されてきたし、時には夜空を眺め、星々の輝きに恍惚となることもあります。

物理学も生物学も宇宙と自然の完璧さを教えてくれる

 また、この宇宙や地球上の自然のメカニズムを少しでも学べば、人体と同じように、それらの存在は全体として完璧に調和しており、存在を構成している無限にも思える物質や命のあり方に無駄なものは全くないように見えるのでした。

真の科学者は謙虚である。

 真の科学者は謙虚であると言われます。それは、自らの研究を深めるほど、人間の知識はいつまでいっても不完全で、この世界が孕んだ完璧性に心を打たれる体験を積み重ねるからとされています。私はいわゆる宗教者ではありませんが、スピリチュアルなことは信じています。この宇宙や生物のあり方は、人知を遥かに超えて完璧であり、その背後に宇宙を宇宙、生物を生物たらしめている何らかの意思が存在している、私はそのように感じております。

完ぺきではないものは

 では、振り返って、我々の世界で完璧でないものは何でしょう?それは人間の心と社会のあり方です。人間は少なくとも地球上では、生き物の中で唯一と言っていいほど、いろいろな選択肢を思い付き、それを自由に選ぶことが出来る創造的な生き物です。その自由の中で、我々はこれまで様々な社会を形成してきたし、数知れない個性を持つ心の持ち主を育んできました。

社会も人の心も完ぺきではない

しかし、我が国と現在の世界の国々とを一見し、歴史を振り返ればわかることですが、完璧な社会のあり方は存在しないし、これまでにもありませんでした。また、もちろん価値観によって違うでしょうが、完璧な心のあり方を実現した人間もいないし、これまでにもいなかったしょう。

人間の宿命

 人間は、どのような社会のあり方を選ぶか、どんな心のあり方を選ぶか、その与えられた自由意志によって、自分なりの完全性を目指して、選択し続けなければならない、そういった存在なのです。人間の社会ということでいえば、現生人類が誕生してから15万年程度とのことですが、我々は長年におよぶこれまでの様々な社会実験の試行錯誤を経て今の社会水準まで達したのでした。

現代社会は病んでいますが。

現代社会の問題はもちろん数知れずあるのですが、それでも自由と平等、生命と理性を貴ぶという点で、我々の社会は、江戸や明治、戦前の時代より遥かにましだと私は思っております。人間の社会は長い年月をかけて、数知れない人々の尊い犠牲を通して、少しずつ人間が本当に望む方向に変化してきたのでした。

人間の心を振り返ると

 人間は生まれた時から、自分の心のあり方を自分の日々の数知れない自由な選択によって育み、作り上げていく宿命を誰もが負わされています。意識的にせよ、無意識的にせよ、思考にせよ、感情にせよ、行動にせよ、あらゆる選択がその選択をした人間の心に影響を与え、その人の心のあり方を日々更新しているのでした。

宿命は栄光でもある。
 しかし、もともと個人が持っている独自の気質や、精神発達の質や程度に影響を受けはするものの、
とても多彩な個性を自分の努力によって身につけられる可能性という点で、他の動物とは異なる人間の固有の宿命は栄光でもあるのでした。

脳のメカニズムは身体の一部であり、完璧である。

 生きている限り続く人間の数知れない選択の影響をその人間の性格的変化として反映させる脳のメカニズム自体は、身体の一部として完璧です。思考や感情や行動の積み重ねで自分を変えようとする人間の努力は決して無駄にならないのです。

健やかな心を保つために

 私は精神科医として、まずは自分が普段何を選択しているか、その選択が自分の心にどのような影響を与えているか、はっきりと気づくことが大切だと思っています。それに気づかなければ、誰でもある自分の心の不自然で偏った在り方を変えることは難しいからです。

気づきを深めるために

 瞑想や深呼吸が役に立ちますが、落ち着いた、冷静に自分を振り返る時間を持つことが大切です。また、感じることがつらくても、自分の感情を大事にし、罪悪感で否定せず、その感情が何を教えてくれているか、謙虚に耳を傾けることも重要です。感情を否定したり、無理やり抑え込めば、かえって心の負担になるものです。さらに、何でも話せるような、自分に好意と理解を持ってくれている対人関係やカウンセリングも役に立ちます。

むすび

 日々成長していくためには、成長しよう、変わろうという意欲と、自分の在り方に対する明晰で客観的な気づきが重要です。まったく完ぺきではない私がこのようなことをお伝えするのは、ちょっとお恥ずかしいのですが。