2008年12月01日

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cc9a8251.JPG2008.11.29 
知的探訪サークルの方々7名 
大森駅13:30〜大森駅16:30
気持ちよい青空の午後、T.TさんとSでガイドをした。社内でサークル(近郊の歴史とか文学とかをめぐる同好会)を同僚と作り、時々歩いているとの教育関係の出版社社員グループ。女性は30歳前後、男性は50歳前後、みなさんとても静かで感じのよい方々だ。ガイドの話をよく聞いてくださる。女性方はやはり文士村の作家名はあまりご存じない。でも地域の風景には楽しそうであった。
大森駅案内板でざっとコースを説明し、レリーフへ。文士たちの顔版にはびっくりした様子。他ではなかなかお目にかかれないレリーフのようだ。天祖神社であらためてご挨拶。八幡太郎義家の奥州征伐には男性側からホーっと予期せぬ話と思ったようだ。射的場碑・テニスコート。暗闇坂の解説ポールと女性方がうれしそうにそれぞれカメラショット。山王公園で皇后陛下行啓記念碑・望翠楼・大森ホテルと明治大正時代の話を、Tさん写真をいろいろ取り出し説明、皆さん静かに聞いていた。弁天池・室伏高信・チップトップから今回は梅の木通りを行き、室生犀星へ。谷中の犀星借家は日当たり悪く、土地は泥田圃と大きな地声で言ってしまったら、後ろで建売販売のお兄さんたちが机を出していた。さらに、だから家賃が安かった!トラック一台、本を売って犀星は高台に引越したと声を少々?落としてガイド、背中に視線を感じたらお兄さんたちとバッチリ目があい、やはり睨まれた。
藤浦洸・榊山潤で女性方はブルースも知らないようでガイドもやりにくそう。
突然助太刀あらわれる!買い物かごを引いたおばあ様が「藤浦洸はそこの2階屋にいたんだよ、うちは大家だったよ、家賃を払わないでこまったよ!」と。みなさん生の話に関心度ピーク!
ものさみしい馬込銀座を通って山王草堂。先に駆け込んで職員のIさんにガイドお願い、こころよく始めてくださった。たぶん皆さん大昔の偉大なジャーナリストに言葉が出なかったようで、さらに勝海舟だの新島譲だので、タイムスリップしたかのようだった。一歩外に出て紅葉真っ盛りの庭園を散策。Tさんの笛の演奏に皆さんびっくり、そしてにっこり。女性群はしきりにTさんの吹きながらの姿にシャッターを押し、彼女を取り囲み質問攻め、楽しんだ様子。木々たちも上からハラハラと手をたたいた。吹きながらみなさんと庭園散策、最高のガイドになった。
尾崎記念館では文学碑の自然石や、てっぽうのケヤキに触ったりで、すっかり文士村に溶け込んだよう。
大森貝塚庭園にてちょうど16:00。門をちょうど閉めかけていた。「えっ!4時で終わり?4時半ではないの?」門番のおじさんの「10分間待っててあげるよ」にありがたく急ぎ、霧の向こうの古代へ小走り。発見者モース像に挨拶し、Tさんの演奏に鉄道唱歌の4番を歌いながら貝塚層・貝塚碑・コードロープ解説版とぐるっとまわってちょうど16:10、門番おじさんに最敬礼。児島惟謙で最後のガイドをTさん、ニコライ皇帝の骨体鑑定の話も出て、皆さんびっくり、さすがよく調べているのに私も勉強した。大森駅北口でジャーマン通りのチャンコ屋に行くという皆さんとお別れした。本日のお客様は穏やかな紳士・淑女の方々でした。Tさんの笛は皆さんももちろん、木々たちが一番喜んだかも。
 T.T・Y.S 報告


(22:51)

この記事へのコメント

1. Posted by ケンサク5    2008年12月02日 23:03
はじめまして。
馬込文学マラソンのケンサクと申します。
以前からリンクしてくださり、ありがとうございます。

いつも拝読しております。
皆様の生き生きしたご活躍、うれしく思います。

実は、藤浦洸の故郷の平戸を訪ね、昨日、戻ってきました。
それで今、私一人、藤浦洸で盛り上がっています。
記事にある「藤浦洸のいた2階屋」にとても興味があります。
ご支障なければ、その場所を詳しくご教示いただきたいのです。
藤浦洸の案内板のある辺りの明細地図は所有しております。

はじめからお願いで申し訳ありません。
ご検討、よろしくお願いいたします。
2. Posted by 馬込文士村ガイドの会   2008年12月06日 22:07
ブログを見てくださりありがとうございます。
藤浦洸の大家さんが指さした「あの角だよ」場所は山王4-11または4-12でした。もっとその方に詳しくお尋ねすればよかったのですがガイド中で車の往来が何度も重なり立ち話がままならずそのままお別れしました。お顔はしっかり覚えていますので探し出してみるつもりです。
不手際の知らせで申し訳ありません。貴馬込文学マラソンはガイドの会にとってはバイブルとさせていただいております。今後もよろしくお願いいたします。
3. Posted by ケンサク5    2008年12月07日 09:54
お忙しいところのご返信、すみません。
ありがとうございます。
過分なお言葉、恐縮いたします。

藤浦洸が住んでいたと思しき一角の情報をありがとうございます。
これ以上のお手間をかけましたらほんと申し訳ありませんので、
偶然そのような機会があったらにされてください。
お願いします。

実は皆様にご意見を伺いことは山ほどあります。
三島由紀夫が尊敬してやまなかった稲垣足穂が、かつて南馬込の三島邸の至近距離に住んでいたことを、三島自身知っていたのかとか(偶然にしてはすごい偶然です)、
九州閣と立原道造や石坂洋次郎の関係とか(彼らは本当に九州閣に住んだことがあるのかとか)、
国枝史郎が住んだという闇坂あたりの永楽荘のこととか、
牧野信一は本当に馬込の住人だったのか(南馬込の尾崎邸に顔を出していただけだったのではないのか)とか・・・です。
(先日、藤浦洸の『海風』所収の「新文学準備倶楽部」というエッセイに以下の一文を見つけました。<・・・今までひとりで酒をやたらにのみつづけていた牧野信一が、冷やかに、「僕は、いやだな。僕は第一馬込の住人でないし、いやだな、おりる」)

長々とすみません。
別の記事にまた顔を出させていただくつもりでおります。

この書き込みは、ご返信に対するお礼ですので、
この文章に対するご返信の心配はされませんように。

ありがとうございました。
4. Posted by 馬込文士村ガイドの会   2008年12月09日 00:22
藤浦洸の大家さんの件
おばあ様のご主人が大家さんで、話を聞きたいと電話しましたが、ご主人が電話に出られ、最初は藤浦洸の件といってもよく分からず「80年以上も前だから覚えてないし、話もない」と言われましたのでこれ以上は電話口でお目にかかってお話をが言えず切りました。当時はもっと貸家を持っていた様子なので住所の確定ができません。でも大家さんだったのは間違いないようです。とりあえずお知らせします。
5. Posted by ケンサク5    2008年12月09日 11:34
わざわざお電話してくださったのですね!
ありがとうございます!
その近辺に確かにいたようだということが分かって嬉しいです。

谷中時代の藤浦洸をたどっていくと、
謎の多い「牧野信一の谷中時代」についても明らかになっていく、
ような予感がしています。

もうご覧になっているかもしれませんが、
「作家牧野信一氏の生誕百年(+12年)を祝すページ」の以下のURLに、
藤浦洸と牧野信一が写っている、興味深い写真があります。
撮影年月日は分かりませんが、
小田原の海岸でのスナップであることから、
牧野が昭和5年に小田原から馬込文士村方面に出てくる以前のものと推測されます。
http://www.connec.co.jp/makinos/lifetime/life1928.html
また話がそれました・・・、すみません。

ありがとうございました。

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