マヒドン大学熱帯医学教室2012

このブログは、マヒドン大学熱帯医学教室2012年度に留学中の日本人10名の体験記です。

2012年09月

マヒドン大学院熱帯医学教室 卒業式

DSC03203卒業式を終えた学生たち

 よっしーです。ついに学生生活最後の日になってしまいました。DTM&Hの学生は半年で終了します。今年は引き続きマスターコースに残る学生が10名もいます。昨日、卒業式を終え、学校の校舎の屋上でパーティーをしました。これから、色々な方面に向かっていく医師たちです。医学の中でも、あまり多くの人が好まない熱帯医学ですが、世界の人口の半分は熱帯地方に住んでいます。そして、貧困と密接に関連しており、最も多くの人が病気や災害で命を落としていく地域です。この若い医師たちが、世界を変えるきっかけの36名になってくれることを信じて、明日の地球がお互いに愛し合うことの出来る良い世界になることを祈ります。
 
 DSC03211300 Churchの家族
 今晩は、教会の家族とのお別れもしてきました。主がこの家族との出会いを導いてくれました。つらいことも楽しいことも共有してきた方々です。大いなる祝福が、みんなの未来に降り注がれますように。

チョージャリ病院4

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翌日ネパールガンジからやっと到着された、楢戸先生一行(看護大学学生さん7名を連れて)

よっしーです。チョージャリも8日目になり、帰る日になりました。朝着くはずの飛行機は、昼過ぎにようやく到着し、再び患者さんを乗せて、ネパールガンジへ向けて飛び立ってしまいました。我々は、引き返してきてくれる飛行機を待って、乗るつもりでしたが、天候不良で、この日は結局キャンセルされてしまい、宿舎に戻ることになりました。

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飛行機が飛び立つごとに、患者さんが運ばれていきます。

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カトマンズに戻り、楢戸先生宅に泊めてもらい、日本食のごちそうをいただきました。楢戸先生はまだチョージャリです。
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カトマンズでお土産を買いに行きました。
DSC03165葉っぱのお皿

カトマンズ空港では、赤シャツ政党の一行を見かけました。まだまだ政治が安定していません。暫定憲法があるのみで、今憲法を作っている最中です。
bannkokk
バンコックの空港に降り立つと、いきなり先進国に戻ります。動く歩道にぴかぴかの照明
しばらく離れると、その清潔ぶりが歴然とします。
 明日は、マヒドン大学の卒業式です。このブログも私の記録は最終に近づきました。でも、マスターコースに残る日本人学生が3名います。続きもよろしくお願いします。





チョージャリ病院3

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虹を見つけました。
stars
周囲に明かりが無いので、空が晴れると星空がきれいです。写真には撮れませんが、天の川を40年ぶりに見たように思います。真ん中には流れ星が有ります。意外と多くて、シャッターを30秒ほど開けると、二回に一回は流れ星が写っていました。そのうち肉眼でも流れ星を見つける事ができる様になりました。

よっしーです。
 チョージャリ病院を訪れ一週間が過ぎ、トレッキングに行きたくてしょうが無いノブ先生と一緒に、この地方で一番の大きな町、ジャジャルコットへ行くことにしました。大学の研究で、村のシャーマンを研究しに来た中村ユカちゃんも一緒に、病院の職員さんに道案内をしてもらいました。

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病院から20分ほど歩いた近くのバザール(商店街)を抜けて、山道に入ります。
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石造りの立派なお家も有りました。

HOtelレストランと現地のホテル

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つり橋を渡って、山の中へ
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山道を登ります。とてもびっくりしたのは、現地の人がビーチサンダルで歩いている事です。足の裏も厚く、滑ったりせずに、私たちよりもよほど速く歩きます。濡れたところも滑らず、水跳ねも見られません。私たちの言うトレッキングは彼らにとっては日常の近所歩きみたいなものなのでしょう。もちろん靴は高いので、すぐにどろどろになってしまう環境では,なかなか履けないものだと思います。学校に行っている生徒たちの中には、革靴を履いている子供たちもいましたが、運動靴の方が良いのにと思いますが、正装しているのだと思います。子供たちは、こんな道でもサンダルで駆け下りていきます。すごいの一言でした。
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ジャジルコット頂上の、王宮跡地、すぐ横に学校が有り、今日は「こどもの日」だったそうです。この村は、マオイストという政党の幹部が住んでいたそうで、その人は現在のネパール政府の高官をしています。

jyajirukottobyouinnジャジルコット病院の待合室
病棟病棟は昔のハンセン氏病病棟を思わせる作りでした。
Doctor
現地の医師としばらく雑談 検死解剖をしてこられた後だったそうです。あまり忙しくなさそうでした。
momo
お昼ご飯は、こんな山の上にあるレストランで、ネパール名物のモモを食べ、一緒に焼きそばまで食べてしましました。
DSC03019山道で遊ぶ子供たち
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ジャジルコット頂上付近から、チョージャリを望む。先の方に見える平たい部分が飛行場。ここまで3時間の山道でした。ワイシャツにビーチサンダルが分かりますか?
trailarこの町には、天気が良ければバスが来ます。トレーラーでも大変な道です。物資輸送はこのトレーラーとロバ。
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この村は美男美女が多いと思われました。しかも働き者です。
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4回もお茶休憩をしました。お茶目な子供たちにもビスケットをたべてもらいました。
濁流
前日の雨で増水した川は、バスの道を遮っていました。今日はバスが来ないわけです。
場所を選んで川を渡りましたが、太ももまで浸かって強い流れを渡るのは、現地の人の支えが無いと出来ません。すごい。川で靴も洗ってしまいました。
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最後は、私たちもシャワーに降られて、びっしょり濡れて帰りました。すれ違う人たちもびっしょぬれです。この日、楢戸先生一行は、カトマンズから飛行機でここへ向かっていましたが、天候不良のため、飛行機が降りられず、飛行機はネパールガンジへ行ってしまいました。














チョージャリ病院2

DSC03189生き神さま「クマリ」ちゃん
よっしーです。
 今日は引っ越しでした。6ッケ月間住んだ大学の寮を出て、町中のホテルに移ってきました。荷物全部を整理して、ようやく帰り支度です。撮影禁止だったクマリちゃんも絵はがきを買ってきていました。
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チョージャリ病院のナースステーション

  Chourajahari hospitalは39ベッド、入院件数1900/外来患者数15886/年、

救急患者1490,分娩数 192,帝王切開13,検査件数19910, X-ray 2692,超音波検査1578件の小さな病院ですが、人口80万人以上の周辺から、色々な患者さんが集まります。多い疾患は、呼吸器感染症、下痢、COPD(呼吸障害)、結核、外傷、骨折、イヌに咬まれた後など。

 訪れたときには、ネパール人研修医2名、日本人整形外科医1名、日本人看護師2名がおられ、そのほかは現地スタッフが50名ほどいました。我々は呼吸器科医師、産科医、アメリカ人の外科医師3名が飛行機で乗り込みました。この病院始まって依頼初めての6名の医師が一度に集まった瞬間でした。

 
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スタッフ一同が、森先生、研修医の先生の送別会で、山羊を一匹ごちそうしてくれました。

 通常は、若いネパール医師2名、これに外国の医師1名がいて、外科から、整形、内科、小児科、産科をこなします。ドイツ人の外科チームが2週間ほど来たり、アメリカ人の産婦人科医が1っか月ほど毎年訪れていますが、すでに高齢の医師たちです。今回一緒になったサイモン医師も84才でした。
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我々が帰る前に、日本の看護大学の学生さんを引き連れて、楢戸先生がやってこられました。すれ違いのはずでしたが、我々の飛行機は雲が多いため、キャンセルになり、その晩は宿舎で大パーティーとなりました。この村に、日本人が10人以上同時にいたのは、今世紀初めてだったに違いありません。楢戸先生は、私たちを含め、多くの若者に自分を見直す機会を提供して下さって居ます。そのはつらつとした生き方には、クマリにも負けない神の道を歩むお姿が感じられました。
 
 
 外人用の宿舎は、病院の奥に有り、ブロック造りの2階建て、水は高い山からホースでひいいてきており、乾期には断水気味ですが、病院の地下に大きな水タンクがあるそうです。宿舎は優遇されて今は不自由しないくらいに水が手に入り(もちろん節水)、屋上のソーラー湯沸かし器で、水を温め、ホットシャワーが浴びれ、水洗便所も付いています。クリスチャン教会のNGOが運営する病院だけに、毎朝礼拝をもち、病棟の回診から始まり、外来、手術と進んで、忙しい一日が幕を閉じます。食事は、現地の女性を雇って、掃除、洗濯とともにしてもらいますが、お米を炊いて、まめや野菜の炊いたものが主におかずになりますし、お肉屋さんもあってその日につぶした、バッファローや鶏を飼ってきて調理します。

 整形の森先生が3ヶ月来ておられた関係で、整形の術後患者さんが多く、沢山の骨折、先天奇形などの手術をしてこられました。妊婦検診と分娩はほとんど、ナースの仕事で、手なれた様子で検診をこなし、体位異常などを超音波検査に回してきます。私も子宮脱の症例を見たり、職員の病気の相談などを受けました。

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現地の先生のお手伝いをして、緊急帝王切開術をする事が出来ました。

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2000gの男の子、将来のネパールを動かす人になってくれるでしょう

 
偶然に、非常にまれな前置胎盤の分娩が有り、夜間に大出血を来たし、朝から緊急帝王切開を行いました。一緒に来ていたノブ先生は血液ドナーになり、おかげで親子2名の命が救えました。術後、輸血後でもHb=5.7手術前はもっとひどかったものです。帰る日になって、この話が、ネパールの全国版新聞に載っていました。再びびっくり。
IMG_6394栄養失調から回復してきた子供


  栄養失調は熱帯地方では子供の死亡原因の最たるものです。栄養が無いために、免疫力が低下し、下痢などの病気で簡単に死んでしまします。この子は、呼吸不全を合併して運ばれた栄養失調の子供でしたが、点滴とともに自らが口から食事を取ることが出来、回復してきました。他にも慢性の下痢の乳幼児がいましたが、強度の栄養失調も見られ2日目に亡くなりました。現実の厳しさを見せつけられます。


IMG_6364患者さんを運んできた担架
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大腿骨の骨折で運ばれてきた少女

 患者さんは近くの村からやってきます。ネパールの人の感覚では、近くの村というのは険しい山道を歩いて3時間(片道)。遠くから来る人は、寝泊まりしながら3日も歩いてきます。重傷や骨折の人は、担架などに乗せて、みんなで運んできます。毎日骨折の人が担がれてきましたが、この日はかわいい少女が運ばれてきました。この後、ギブスを巻いて、家に帰って行きました。
 またまた続く。 

チョージャリ病院1

DSC02754生き神、クマリのお家
よっしーです。ポカラから,再びマイクロバスでカトマンズに戻り、つかの間の時間を生き神様、クマリを見に行ってきました。写真の最上段に窓が三つあり、一日に数回ここから外を見てくれます。クマリは少女で、選ばれた人間ですが、俗世間から離れ、神に仕える祭司が教育なども行うそうで、初潮を迎えると汚れたものとなり、普通の人間に戻ります。翌週はお祭りを控え、丁度私とノブ先生が訪れているときに、顔を見せてくれました。(写真撮影禁止でした
airport小さなプロペラ機のパイロット席から見える、着陸前の滑走路(なんか緑色ですね)

 翌朝再び、Nepal最後の地、チョージャリ村へ航路で出発。ネパール西部、ネパールガンジから北へ100kmほど、更に北へ歩いて行くと3時間ほどの所に、ジジャルゴット(マオイストの古里)があり、ここは比較的大きな町でバスも天候が良ければ通っています。チョージャリには乾期しかバスが来ませんが、芝生の飛行場が有り、途中の道が険しすぎて,雨期には歩行あるいはロバなどしか通れないので陸の孤島みたいなところです。芝生(草の茂った)滑走路に着陸した時は、サッカー場に着陸したかのようでした。
hospital1飛行場の管制塔
DSC02892物資の輸送は、ロバの役目、険しい山を数日歩いてきます。

 
DSC02802病院職員の歓迎

 飛行場から徒歩10分で病院に入ると、6時間遅れの飛行機を、仕事が終了した後も待っていてくれた30名近くの職員の列と花束に歓迎されました。

 DSC02786美しい山々が飛行機から見えましたが、よく見ると小さな畑がびっしりと造られ、平たいところには山の頂上にも家が建てられています。

 飛行機の中で驚嘆したのは、ネパール人の力です。カトマンズから、チョージャリまでの400kmを見てきましたが、低空飛行で飛ぶ飛行機の下には、一面民家、畑、田んぼが続きます。かなり手入れされており、木が生い茂っているのは斜面のみ、段々畑が密集し、民家は特に山の頂上に多く見られます。水源が意外と頂上にあったり、身分の高い人が上の方に住むのだそうです。これだけの土地を常時耕し作物を作っていくパワーをすごいと感じるのは私だけでは無いでしょう。機械が入らず、水牛と人の手で耕しています。しかも、農閑期は男はほとんどインドへ出稼ぎに出て、女たちが世話をしています。ネパール人の忍耐強さは計り知れないと思います。  次回に続く

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