よっしーです。
今日は引っ越しでした。6ッケ月間住んだ大学の寮を出て、町中のホテルに移ってきました。荷物全部を整理して、ようやく帰り支度です。撮影禁止だったクマリちゃんも絵はがきを買ってきていました。
チョージャリ病院のナースステーション
Chourajahari hospitalは39ベッド、入院件数1900件/年, 外来患者数15886件/年、
救急患者1490,分娩数 192,帝王切開13,検査件数19910, X-ray 2692,超音波検査1578件の小さな病院ですが、人口80万人以上の周辺から、色々な患者さんが集まります。多い疾患は、呼吸器感染症、下痢、COPD(呼吸障害)、結核、外傷、骨折、イヌに咬まれた後など。
訪れたときには、ネパール人研修医2名、日本人整形外科医1名、日本人看護師2名がおられ、そのほかは現地スタッフが50名ほどいました。我々は呼吸器科医師、産科医、アメリカ人の外科医師3名が飛行機で乗り込みました。この病院始まって依頼初めての6名の医師が一度に集まった瞬間でした。
スタッフ一同が、森先生、研修医の先生の送別会で、山羊を一匹ごちそうしてくれました。
通常は、若いネパール医師2名、これに外国の医師1名がいて、外科から、整形、内科、小児科、産科をこなします。ドイツ人の外科チームが2週間ほど来たり、アメリカ人の産婦人科医が1っか月ほど毎年訪れていますが、すでに高齢の医師たちです。今回一緒になったサイモン医師も84才でした。
我々が帰る前に、日本の看護大学の学生さんを引き連れて、楢戸先生がやってこられました。すれ違いのはずでしたが、我々の飛行機は雲が多いため、キャンセルになり、その晩は宿舎で大パーティーとなりました。この村に、日本人が10人以上同時にいたのは、今世紀初めてだったに違いありません。楢戸先生は、私たちを含め、多くの若者に自分を見直す機会を提供して下さって居ます。そのはつらつとした生き方には、クマリにも負けない神の道を歩むお姿が感じられました。
外人用の宿舎は、病院の奥に有り、ブロック造りの2階建て、水は高い山からホースでひいいてきており、乾期には断水気味ですが、病院の地下に大きな水タンクがあるそうです。宿舎は優遇されて今は不自由しないくらいに水が手に入り(もちろん節水)、屋上のソーラー湯沸かし器で、水を温め、ホットシャワーが浴びれ、水洗便所も付いています。クリスチャン教会のNGOが運営する病院だけに、毎朝礼拝をもち、病棟の回診から始まり、外来、手術と進んで、忙しい一日が幕を閉じます。食事は、現地の女性を雇って、掃除、洗濯とともにしてもらいますが、お米を炊いて、まめや野菜の炊いたものが主におかずになりますし、お肉屋さんもあってその日につぶした、バッファローや鶏を飼ってきて調理します。
整形の森先生が3ヶ月来ておられた関係で、整形の術後患者さんが多く、沢山の骨折、先天奇形などの手術をしてこられました。妊婦検診と分娩はほとんど、ナースの仕事で、手なれた様子で検診をこなし、体位異常などを超音波検査に回してきます。私も子宮脱の症例を見たり、職員の病気の相談などを受けました。
現地の先生のお手伝いをして、緊急帝王切開術をする事が出来ました。
2000gの男の子、将来のネパールを動かす人になってくれるでしょう
栄養失調から回復してきた子供
栄養失調は熱帯地方では子供の死亡原因の最たるものです。栄養が無いために、免疫力が低下し、下痢などの病気で簡単に死んでしまします。この子は、呼吸不全を合併して運ばれた栄養失調の子供でしたが、点滴とともに自らが口から食事を取ることが出来、回復してきました。他にも慢性の下痢の乳幼児がいましたが、強度の栄養失調も見られ2日目に亡くなりました。現実の厳しさを見せつけられます。
患者さんを運んできた担架
大腿骨の骨折で運ばれてきた少女
患者さんは近くの村からやってきます。ネパールの人の感覚では、近くの村というのは険しい山道を歩いて3時間(片道)。遠くから来る人は、寝泊まりしながら3日も歩いてきます。重傷や骨折の人は、担架などに乗せて、みんなで運んできます。毎日骨折の人が担がれてきましたが、この日はかわいい少女が運ばれてきました。この後、ギブスを巻いて、家に帰って行きました。
またまた続く。