マヒドン大学熱帯医学教室2012

このブログは、マヒドン大学熱帯医学教室2012年度に留学中の日本人10名の体験記です。

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チョージャリ病院2

DSC03189生き神さま「クマリ」ちゃん
よっしーです。
 今日は引っ越しでした。6ッケ月間住んだ大学の寮を出て、町中のホテルに移ってきました。荷物全部を整理して、ようやく帰り支度です。撮影禁止だったクマリちゃんも絵はがきを買ってきていました。
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チョージャリ病院のナースステーション

  Chourajahari hospitalは39ベッド、入院件数1900/外来患者数15886/年、

救急患者1490,分娩数 192,帝王切開13,検査件数19910, X-ray 2692,超音波検査1578件の小さな病院ですが、人口80万人以上の周辺から、色々な患者さんが集まります。多い疾患は、呼吸器感染症、下痢、COPD(呼吸障害)、結核、外傷、骨折、イヌに咬まれた後など。

 訪れたときには、ネパール人研修医2名、日本人整形外科医1名、日本人看護師2名がおられ、そのほかは現地スタッフが50名ほどいました。我々は呼吸器科医師、産科医、アメリカ人の外科医師3名が飛行機で乗り込みました。この病院始まって依頼初めての6名の医師が一度に集まった瞬間でした。

 
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スタッフ一同が、森先生、研修医の先生の送別会で、山羊を一匹ごちそうしてくれました。

 通常は、若いネパール医師2名、これに外国の医師1名がいて、外科から、整形、内科、小児科、産科をこなします。ドイツ人の外科チームが2週間ほど来たり、アメリカ人の産婦人科医が1っか月ほど毎年訪れていますが、すでに高齢の医師たちです。今回一緒になったサイモン医師も84才でした。
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我々が帰る前に、日本の看護大学の学生さんを引き連れて、楢戸先生がやってこられました。すれ違いのはずでしたが、我々の飛行機は雲が多いため、キャンセルになり、その晩は宿舎で大パーティーとなりました。この村に、日本人が10人以上同時にいたのは、今世紀初めてだったに違いありません。楢戸先生は、私たちを含め、多くの若者に自分を見直す機会を提供して下さって居ます。そのはつらつとした生き方には、クマリにも負けない神の道を歩むお姿が感じられました。
 
 
 外人用の宿舎は、病院の奥に有り、ブロック造りの2階建て、水は高い山からホースでひいいてきており、乾期には断水気味ですが、病院の地下に大きな水タンクがあるそうです。宿舎は優遇されて今は不自由しないくらいに水が手に入り(もちろん節水)、屋上のソーラー湯沸かし器で、水を温め、ホットシャワーが浴びれ、水洗便所も付いています。クリスチャン教会のNGOが運営する病院だけに、毎朝礼拝をもち、病棟の回診から始まり、外来、手術と進んで、忙しい一日が幕を閉じます。食事は、現地の女性を雇って、掃除、洗濯とともにしてもらいますが、お米を炊いて、まめや野菜の炊いたものが主におかずになりますし、お肉屋さんもあってその日につぶした、バッファローや鶏を飼ってきて調理します。

 整形の森先生が3ヶ月来ておられた関係で、整形の術後患者さんが多く、沢山の骨折、先天奇形などの手術をしてこられました。妊婦検診と分娩はほとんど、ナースの仕事で、手なれた様子で検診をこなし、体位異常などを超音波検査に回してきます。私も子宮脱の症例を見たり、職員の病気の相談などを受けました。

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現地の先生のお手伝いをして、緊急帝王切開術をする事が出来ました。

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2000gの男の子、将来のネパールを動かす人になってくれるでしょう

 
偶然に、非常にまれな前置胎盤の分娩が有り、夜間に大出血を来たし、朝から緊急帝王切開を行いました。一緒に来ていたノブ先生は血液ドナーになり、おかげで親子2名の命が救えました。術後、輸血後でもHb=5.7手術前はもっとひどかったものです。帰る日になって、この話が、ネパールの全国版新聞に載っていました。再びびっくり。
IMG_6394栄養失調から回復してきた子供


  栄養失調は熱帯地方では子供の死亡原因の最たるものです。栄養が無いために、免疫力が低下し、下痢などの病気で簡単に死んでしまします。この子は、呼吸不全を合併して運ばれた栄養失調の子供でしたが、点滴とともに自らが口から食事を取ることが出来、回復してきました。他にも慢性の下痢の乳幼児がいましたが、強度の栄養失調も見られ2日目に亡くなりました。現実の厳しさを見せつけられます。


IMG_6364患者さんを運んできた担架
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大腿骨の骨折で運ばれてきた少女

 患者さんは近くの村からやってきます。ネパールの人の感覚では、近くの村というのは険しい山道を歩いて3時間(片道)。遠くから来る人は、寝泊まりしながら3日も歩いてきます。重傷や骨折の人は、担架などに乗せて、みんなで運んできます。毎日骨折の人が担がれてきましたが、この日はかわいい少女が運ばれてきました。この後、ギブスを巻いて、家に帰って行きました。
 またまた続く。 

人との出会いがたくさんありました。

よっしーです。トモ先生、投稿ありがとうございました。学校の仕組みが良く分かります。
私は個人的なことばかりかいていますね。

 バンコックは東南アジアの中でも新興国タイの首都として経済発展がめざましく、飛行場は特に便利で、買い物や、宿泊施設も充実しており、ネパール、インド、パキスタン、カンボジア、ミヤンマー、マレーシアなどへの旅行、仕事の移動での交差点になっています。学んでいるのが熱帯医学なので、途上国への海外からの支援などをしている方に、多く巡り会うことが出来ました。
 最初にお会いしたのは、ネパールで支援活動をされている楢戸先生。北海道で「家庭医」という名の専門分野を開拓し現在も日本中にその専門性(家族のような医師という専門性)を広げ、いまではネパールまで行って医療の原点を伝えようとされている尊敬すべき先生です。お話を伺うだけでその聡明さが伝わり、クリスチャンとしても神の心を伝えようとされている方でした。 写真は控えさせてもらいますが、興味のある方は、以下のPDFをご参考にして下さい。
  http://www.jadecom.or.jp/pdf/gekkanchiikiigaku/22_8.pdf  
 その次には、Mattというアメリカ人。17才の時に神の導きを受け、現在27才くらいですが、2年間の中国北部砂漠地帯での伝道活動中です。VISA更新とリフレッシュをかねてバンコックへよっているようです。「異国の見知らぬ土地へ移り住むと半年は苦労するが、その後は慣れて生活も楽になる」と教えてくれました。私たちの教会の牧師が彼に、「どんな奥さんがほしいか」と訪ねると、「砂漠にも一緒に付いてきてくれる、田舎育ちの子が良い」と言っていました。いつも宣教師にお話を聞くと、何年も不便な土地に住むことをあまり苦と思ってられず、喜びを持って主に仕えられている姿を見て、自分とは一回り大きく違うと感じて、頭がさがります。
MrSeki 4年ぶりの再会。
 先週は、ネパールで教育問題の調査を行っている関先生に会いました(写真)。彼は、東京のある大学で先生をしていますが、4年前にインドのコルコタでマザーテレサの施設へ訪れたときに会いました。彼は14回以上、教え子の大学生を引き連れ、インドやネパールで、学校などを周り、途上国の教育事情を教え子たちに実地体験させています。多くの若者たちがカルチャーショックを受け、その後の人生の転換点になったと思っているようです。今は家族ずれでネパールに1年以上住んでおられ、子供さんは現地の小学校でネパール語の授業を受けているそうです。私が、タイに来るかどうか迷っていたときに、たまたまfacebookのチャットでお話をする機会があり、私がタイの大学へ行くことを進めてくれた人で、おかげで今の自分が有ります。今回もfacebookのおかげで前の日にバンコックへ来ていることを知り、会うことが出来、お礼を述べる機会が出来ました。また、乳製品や生野菜さえ食べられない所に長く住んでおられ、バンコクでお刺身を食べてもらうことが出来ました。
 そのほかにも、学校の先生たちや、先輩たち、NGOから説明に来てくれる人たちもいますし、地元のタイ人で、教会で知り合った友達も色々な仕事をし、福音活動をしています。
 多くのすばらしい人たちに出会うたび、彼らの中の神様に出会うことが出来、主の祝福を感謝します。私も彼らのように、誰かを良い方向へ動かす手伝いが出来ればと思います。どんどんこの様な愛の友達が増えて行きますように、イエス様の御名を通してお祈ります。
プロフィール

mahidol

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