November 07, 2007

セクシー、一丁あがり!

f3bed2f5.jpg【グラマラス流、セクシー演出】 グラマラス 2007年12月号

ハーフというか、クオーターモデル流行りですが、その流行をしっかりおさえているのが、20代後半女性ターゲットの「グラマラス」。ちょっと前の10月号は、クオーターモデルの大御所、佐田真由美と岩堀せりのツーショットです。 カラートーンも、ブラックアンドゴールドで、赤系雑誌と確実に一線を画しています。
2,3年前に、大人になったギャル、大人になってからギャルデビューしたギャルをターゲットに、グラマラス、グリッター、ジゼルとバタバタと創刊されましたが、一応グラマラスが商業的には成功しているらしいです。
成功のポイントは、セレブのゴージャスな世界観をメイン特集で打ち出しながら、でも、真ん中には、その世界観を真似した日本のファッションブランドカタログになっているという、「夢と実益」の絶妙なコンビネーションだと思います。 ファッション雑誌の原則を忠実に展開しています。

佐田真由美そんなグラマラスの12月号のプチ特集に、グラマラスの大事な世界観「セクシー」の演出の仕方について、お寿司のネタにかけあわせたダジャレで紹介しています。なんで、寿司なんだという、このおバカな感じが、個人的に大受けしてしまいました。
1.小肌見せ(コハダとのかけあわせ) 同じ肌の露出でも、サプライズで背中の肌見せ。 しかも、大きく大胆に。 ギャップのために、胸元は露出なしで、シンプルデザイン。
2.ぶりミニ(ぶりと、ぶりっ子をかけあわせ?) ひざ上10センチのミニに、カラータイツ。 トップスはエレガントで、大人っぽさは維持。
3.エロサバ(コンサバに対抗するエロサバですが、鯖にかけています) 白シャツ×黒系ハイウエストタイトのコンサバシルエットだけど、シャツは、シースルー、あるいは胸元ザックリ。

個人的に、こういうの大好きです、爆。 そういったセクシーファッションでなく、ダジャレですよ、笑。

このグラマラスですが、20代後半雑誌としては、異例のファッション&メーク記事オンリーです。 同じ年代がターゲットのオッジ、スタイルなどは、必ずライフスタイル系の記事が入るのですが、まったくありません。 私の知らない世界ゆえに、すごい関心がありますが、理屈でファッションを語る私には、きっと、ついていけないと思う、笑。

maigc_logic at 09:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

November 01, 2007

ポールハギス

fd73def6.jpg【クラッシュ】 2004 アメリカ映画

ポールハギスという監督による作品です。 脚本家としてキャリアの長い方で、「ミリオンダラーベイビー」、「硫黄島からの手紙」と、評判の良い脚本を作っている方です。  ミリオンダラーは、個人的には、地味過ぎて、いまいちです。 硫黄島は、良いです。

映画を評する視点はいろいろあると思いますが、どんなメッセージ性を持っていて、それがエンターテイメント的に、どれくらい上手に表現されているか、という視点で、私は評します、というか、感想を持ちます。 もちろん、見る側がどんなメッセージを感じるかは、実は結構、個別的だし、個別的にゆえに、そのメッセージの内容によって、映画の好き嫌いも決まってしまいがちなので、かなり恣意的な視点です。 しかし、その恣意と向き合わないといけないのが、映画だと思います。

今回の映画で、私が感じたメッセージは、
・人種偏見という、どうしようもない先入観があって、
・そんな先入観が、ちょっとした事実でより強固になり、
・強固になった先入観が、相手への不信を生み、不信と不信の関係が、軋轢を生むという悪循環
・軋轢にぶつかって、つぶされるヒト、軋轢を回避して、ストレスを抱えるヒト
・軋轢だらけの世の中だけれども、ギリギリのところでは、ヒトとしての「善意」が軋轢を覆す
・でも、日常に戻ると、軋轢だらけ
・その善意に遭遇したヒトたちは、少しずつ、その先入観を溶かすことができるのか?

そんな感じです。 悪意(今回は人種偏見という先入観)と善意の併存という、古典的モチーフです。

そんなメッセージを、マルチスレッド方式で展開しています。 複数のシナリオが、テンポよく進んでいき、最後はすべてが重なるという、エンターテイメント的にも、十分楽しいシナリオになっています。

日本では、異なる文化、習慣をもつ人種が隣同士で暮らすという状況がほぼないので、人種差別の問題はあまりありません。 私にもありません。 したがって、人種偏見については、ちょっと概念的になってしまうのですが、アメリカだと、かなり身近なテーマなんだと思います。

maigc_logic at 01:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 徒然なるままに 

July 01, 2007

資本主義の厳しさ、ファンドの強さ

0b98c2bf.jpgカネボウは7月1日にクラシエに変わります。 

カネボウはいろいろありまして、粉飾決算が判明して、倒産状態になって、国の機関である産業再生機構が入って、1000億円の債務免除をやって、さらに化粧品部門を花王に売却して、残った食品、薬品、トイレタリー部門が新生カネボウということになったところで、再生機構が株式をファンドに売却。 そんな歴史です。

で、ややこしいのですが、その残った3部門が、ファンドが100%出資する会社に営業譲渡され、その受け皿になった会社が、カネボウトリニティホールディングという会社で、それがクラシエに変わります。

よくわかりませんよね? 複雑すぎて、おそらく、ほとんどのヒトがわからない話です。 社員だって、よくわからないでしょう、きっと。 「保険証の会社名がよくかわるなぁ」くらいでしょう。 

そんな難しさに隠れて、実は、結構インパクトのある話というか、事例がまかりとおっています。
インパクトあるんですが、なぜか、会社を売買するM&A業界、マスコミでも、ほとんど話題にならない。 たぶん、この話の中心である、ファンド3社が、日本の国産ファンドのトップスリーで、ここに睨まれると、いろいろ面倒だからだと思います。
私も、実名では、堂々と言えません。 だから、ミクシィでこっそり、笑。

どんなインパクトかと言えば、株式の3分の2以上おさえちゃえば、基本的には何やってもOKということが、カネボウという舞台で、堂々と行われたことです。

商法上は、基本的には株式の3分の2以上おさえていれば、会社の方針を好きなように決められます。特別決議という決議で、会社の需要決定事項は何でも決まるのですが、これは株式の3分の2以上で決まるからです。 

今回は、ファンドは何を好きなようにやったかというと、カネボウに残った3部門を、自分たちが管理する会社に営業譲渡させ、その値段を勝手に決めて、しかも、お金を払わずに、貸付金処理しちゃいました。 (よくわからない? 説明が下手ですみません、、、、)

で、結局、何が問題かというと、
・カネボウはもともと上場会社だったので、個人株主がたくさんいた
・大株主が再生機構、そしてファンドへ移るに従い、株式が大株主のファンドに集中し、個人株主は約17%ほどで、83%をもつファンドは、好き勝手できる状態になった
・ファンドは、将来の利益を独り占めするために、カネボウを自分たちの管理する会社に移すことで、カネボウの3事業を100%所有することにし、
・また、自分たちの会社に事業を譲り受ける対価も、極めて安い値段に、勝手に設定してしまった
・要は、ファンドが勝手に自分たちの会社にカネボウの事業を、(自分が勝手に計算して)安く移したので、残ったカネボウの個人株主は、分け前が極めて小さく怒っている
ということです。 今、ファンドと個人株主の間で、裁判やっています。

カネボウに残った3事業が、どれくらいの価値があるのか? ということで、ファンドは自分たちに都合の良い計算方法で、安く見積もりました。 
この計算方法が、今回、あまりに露骨に酷いので、マスコミがもっと騒いでいいし、業界も騒いでいいと思うのですが、東洋経済を除いて、全然話題になりませんね。
司法がどんな結論を出すかは別として、もっと話題になってもいいはずと思います。 (ライブドアでは、あれだけ名コメントを発した、磯崎哲也先生もすっかり沈黙を保っています。)

ユニゾン、MKS、アドバンテッジという国産ファンドのトップスリーのタッグですから、誰も文句言えません。 国内の大型買収案件のほとんどは、この3つのどれかが関与していますし、関与していなくても、その前のビットでは関与しているでしょう。 それくらい存在感の大きいファンドに、文句言ったら、業界から抹殺、、、、、、、、。

ま、マイナーシェアで株式を所有することのリスクは、こういうことだという典型的な話かもしれません。株式の教科書には、載っていませんが、笑。


maigc_logic at 00:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 時事感想 

March 14, 2007

老人が尊敬される時代は終わった

【老人が尊敬される時代は終わった】 

リンクからなんとなく見つけたブログからです。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070310/p1

彼(彼女)は、アジアに限らず、ヨーロッパやその他の文化圏でも、老人は尊敬されていた事実に注目し、それはきっと具体的な貢献があったからだと言う。 その貢献とは、「経験による知恵、知識」であり、その知恵、知識が社会(共同体)で有用だったからこそ、老人を尊敬するという前提が生まれたはずだと言う。

しかし、現在社会では「老人特有の知恵、知識」は、ほんの一部を除いて既に存在しない状態である。 ゆえに、合理的に考えてしまえば、老人を尊敬する理由は見当たらない。

逆に、ヒトのココロの本質は変わらなくても、それでも生活上の変化は早く、適応の遅い老人は、ある意味社会から取り残されている。 これでは、尊敬されるはずもない。

医療の劇的な進化のおかげで、「長生き」という、まさに老人の知恵も、よくわからなくなってしまった。 

昔から「老人は尊敬すべき存在」と言われ続けているから、その惰性で、辛うじて老人は世間から暖かく見守られているが、実は風前の灯で、税金を食いまくる老人への、経済的な非難はもう目の前までやってきていると。

思い切った物言いだと思います。匿名だからこそ、言える話です。町会の飲み会で、こんなことを言ったら、私は村八分です、笑。 (私以外は、皆さん60以上ですから)

でも、敢えて言ってしまえば、一般論としての老人は、経験的にもはや尊敬できない。
歳とっても威張って若手に機会を与えないし、公共意識も弱く、時間がある割りに社会活動しないし、勉強しないで、保守的な対応ばっかり取るし、頭は固くて、新しいことに対して条件反射的な拒絶感を示すし、疲れることが多い。 経験的には、あー立派だなぁと思ったご老人は、約1〜2割くらいでしょうか。

でも、尊敬できなくても、ありのままの、頑固な老人を、若手は社会的に支えないといけないと思う。(要は、信じられないくらいの税金を払うということ)
一般論としての老人は尊敬できないが、自分の両親を含めた、若い私を育て、見守った、身近な老人には、やっぱり尊敬の対象だ。 実際のところ、尊敬というより、感謝かな。 とてつもない感謝だ。

若いヒトは、誰しも、感謝すべき老人がいて、その老人を支えることに文句はないはずだ。 結局、この思いを全体に拡大適用すると、「老人は尊敬すべき存在 → 社会的に支えるべき」という、全体論になるのでしょうか?

でも、でも、利己的なご老人が多いぞ、私の町会、、、、。

maigc_logic at 16:25|PermalinkComments(1)TrackBack(0) ヒント、ひらめき 

February 07, 2007

不都合な真実

32af6b3e.jpg仕事が山のようにあるのに、現実逃避の映画鑑賞です。 六本木ヒルズにシネコンができたので、映画がいきなり身近になった。 いいのか、悪いのか。

元米国副大統領のゴア氏による、「不都合な真実」です。
こういう映画もありか、と良い意味で驚きの映画でした。 完全なドキュメンタリーです。 ゴア氏の地球温暖化に対する政治活動の歴史と、地球温暖化に対する彼のロジックとメッセージをパッケージにしたドキュメンタリーです。 口の悪い方は、ゴア氏の活動報告型のPRフィルムと言うかもしれません。 また悪者を特定していますが、もちろん環境問題は我々自身の生活方法の問題でもあって、その部分の複雑な構造を、単純に悪玉論にしてしまう、安易さも問題と言うかもしれません。
それでも、良いドキュメンタリーだと思います。

いろいろな見方があると思いますが、地球温暖化に対する認識は増したし、かつ興味も深まりました。 そういう意味では、良い映画だとと思います。

ネタバレになりますが、彼のメッセージは、
・地球温暖化という事実は、学者の間では100%認識されていることだが、
・マスコミ上の記事では、「結論が出ていない論争事項」という傾向が強く、
・それは、石油業界や省エネ技術開発が遅れている業界の政治活動の賜物
・地球温暖化によって、どういうことが起こるかは具体的には推測不能だが、南極の氷の溶解、それに伴う海流の変化、海水面の上昇、大量の水分蒸発、蒸発に伴う大量降雨などは間違いない
・この流れの最大の問題児は、米国。 大量のCO2を吐き出す生活を行い、かつCO2削減を目指した京都議定書を批准していない
・日々の生活を少し変えれば、上昇を続けているCO2量は、70年代のレベルになりうる
・身近なヒトにこの事実を伝え、かつ自らの生活を少し省エネに変えてみよう!
という感じです。

地球温暖化(CO2濃度の上昇と、平均気温の上昇)は、統計的なボラティリティーを超えて確実に進んでいるという事実は、実はかなり驚きました。 温暖化の情報ソースはほとんど週刊誌、月刊誌なので、「学者の中で論争がある」という認識でした。 これが覆りました。
そして、最近の暖かい冬を過ごしていると、必然的に「やっぱり暖かくなっている」と感じます。(去年の厳冬が例外中の例外です)

政治家が語る内容なので、先入観として「直接受け取りにくい」という印象がありますが、かれこれ20年以上も、実直に追っかけている、ライフワークとしての、地球温暖化対策のようです。
環境対策について、強烈な政治的信念を持っている感じで、論理的にも説得されたし、感情的にも突き動かされました。

もちろん、暖房がガンガン効いたシネコンで、温暖化を嘆くという矛盾があるのは事実ですが、ストイックな環境対策というより、できることだけ、取りあえずやっておこうというくらいのスタンスでOKだと思います。
簡単にできて、インパクトのある事例が、サイトに載っています。
http://www.futsugou.jp/main.html
温暖化→異常気象→農産物の収穫量が劇的に低下→食料の不足傾向という事態を、子供達には経験させたくないので、できることろから省エネ生活を始めようと、すっかり啓蒙されました。

maigc_logic at 00:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

February 01, 2007

ユナイテッドアローズらしさとは

766a3bc7.jpg【商品や店舗空間では差がつかない UA社長】 日経MJ 2007.1.22

岩城哲哉ユナイテッドアローズ社長への短いインタビュー記事です。 オシャレと、哲学と、経営を束ねたような、学者のような社長です。 露出は少ないですが、注目の経営者です。

そんな岩城社長ですが、現状のユナイテッドアローズ(以下、UA)に危機感たっぷりです。 今やセレクトショップの商品構成力、店舗空間構成力は、大手アパレルに完全にキャッチアップされており、かつての差別性の源泉だった商品、店舗空間では差がつかないと言い切ります。

お客様に、この服を通して、どのような直接的、心理的利点があるのかを店頭で説明できないと、UAのブランドイメージをサポートしてくれる先端層からの支持は得られないと断言。
つまり、今までは「世界のトレンドを持ってきましたよ」でOKだったが、これからは、顧客の好みにあわせて、顧客の視点での商品の良さを、今まで以上に説明する必要があると。  結局、接客力勝負になってきたと、結論付けています。

そんな感じです。 商品や空間ではもう差別化できないと言い切っちゃうあたりが、岩城社長らしいです。 かつてのUAは、高い品質と、高いデザイン性をもった商品をならべ、その商品の「良さ」が十分映える店舗空間を作って、それで、高い価格を顧客に納得させるというやり方でした。

2年前くらいに、Thinkという経営誌に、極めて象徴的なことを書いています。

・「ユニクロの2900円ジーンズと、UAの9800円ジーンズで、素材や縫製の品質の差が3倍以上あるかと言えば、絶対にない
・ならば、何の差かと言えば、店から得る情報の良さと、そこで過ごす時間の快適さ、そして、そういった店で服を買うことの楽しさという、極めて情緒的なものの差である
・情報は、先駆性(提案商品、エッジが効いている)、時代性(流行反映)、独自性(UA的な定番品)の軸での品揃えということ
・時間の快適さは、店舗空間。 本質は天井高。 路面店は原則3メートル以上
・UAらしさを独善的に追求しても、商売は大きくならない。 セレクトショップゆえ、自分たちの感性を顧客に提案し続けることが基本だとしても、顧客の声にも耳を傾け、自分たちの感性と、顧客の声を組み合わせないと、セレクトショップは存続できない

確かに業態としての、セレクトショップはもう陳腐化してしまっていると思う。 新鮮さがなくなった。
そうは言っても、シーズン始まりの提案性、シーズン通しての鮮度など、よく見れば結構違うのですが、セレクトの市場は既に1500億円を軽く越え、「寝ても起きてもファッション」層だけでなく、「ちょっとファッション好き」層に大きく依存しており、となると、パッと見の印象が大事だったりするわけで、となると、業態としての印象は完全に陳腐化していると思います。
岩城社長の言うとおりです。

で、最後は接客と。 突き詰めるとそうなるんですが、これが究極のチャレンジで、差別性のある接客を、数十店舗で展開できるのか? 確かに、UAは独特の社風というか、商売上の宗教観で、普通の会社とは全然違うし、経営陣も意識的にその宗教観を大事にしている。

このアパレルの接客というのが、奥深い。
長くなるので、次にエントリーします。

maigc_logic at 09:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マーケティング 

November 29, 2006

「愛」「モテ」と煽り過ぎ

6ef7651a.JPG【愛され力アップ大作戦】 anan 2006.12.6

今週のアンアンは「愛され力アップ作戦」が第1特集です。
確かに、愛されると心は満たされますが、毎週毎週「愛」「モテ」と、そんなに他者からの愛情、注目が不足傾向にあるんでしょうか? それとも、お金と同じで、いくらでも必要なものが「愛」「モテ」なんでしょうか?

自分の評価の証拠として、「愛」「モテ」をとらえることは理解できますが、少し煽り過ぎだと思います。枯れた(笑)私なんか、ネタとして飛ばせますが、枯れていなかった、昔の私は、無意識に煽られて、「愛」「モテ」競争に突入して、終わりなき演出合戦に戯れていたと思います。
何気に、若いヒトへの影響が心配です。

で、内容です。
愛され要素を10個。 
1.美意識
自分にとっての美しさを持って、それを表現できていること
2.気配り
相手へのスマートな心配りは、相手の気持ちを穏やかにします
3.フェミニン
自分にとっての女性さしさを持って、それを表現できること
4.ほどほど
突き詰めすぎは、相手に緊張を与えてしまう
5.オープンマインド
気取らない、飾らない、素直、誠実なコミュニケーションは相手をひきつける
6.懐が深い
懐が深い=精神的な安定ということで、相手に安心感を与える
7.スパイス
エッジが利いて、それが個性になっている側面があること
8.喜び上手
相手への感謝をしっかり表現、特に喜んで感謝できることは、相手への最大のお礼
9.活気
元気、明るい雰囲気は、相手も元気にする
10.自分好き
自分への自信、肯定感こそが、相手への配慮の大前提。 優しさは、しっかりした自分から生まれるもの。

なるほど。 コンサル的には、もう少しまとめてもいい気がしますが、納得できる要素です。
その後、そのための小手先テクニックのオンパレードです。

そして、極めつけテクニックは、「愛される」ためには、自分から「愛する」ことで、それが結果的に「愛される」ことに跳ね返ってくると。 見返りを期待しない、無償の愛こそ、実は「愛され」るために必要なことと、すっかりキリスト教観の教えもあったりします。


maigc_logic at 11:27|PermalinkComments(2)TrackBack(0) ヒント、ひらめき 

October 18, 2006

自治体破綻と自己責任

6d7e8167.jpg最近、すっかり朝は「みのもんたの朝ズバッ」にスイッチをあわせています。

みのもんたが、公務員、警察、教師が不祥事を起こすたびに、「いい加減にしろ!、許さん」と、黄門様のように怒りの演出を見せています。 視聴者は「スカッ」とするし、当事者には、一層プレッシャーがかかるので、意義あることですが、「情緒的な評論」は、楽でいいなぁと、一方で思ったりして。

さて、そのみのもんたが、財政破綻した夕張市の公立病院について、「ツケは弱い者にいく!」と、嘆きの演出をしておりました。
この問題は、実は夕張市特有というより、高齢者比率が30%以上のような過疎で、予算規模が年々小さくなっているところでは、どこでも起こっている問題なので、取り上げ方が、少しワイドショー的ですが、これはこれで良いとして、要は、財政破綻すると、とにかく様々な行政サービスが縮小されるわけです。

みのもんた風に言えば、「雑な行政運営のつけが、弱い者を苦しめる。 そもそもは、国の石炭政策に振り回されたに過ぎない。 国や市のいい加減さが、住民の生活を混乱させている」という感じでしょうか。

でも、よくよく考えてみれば、そのいい加減な市の運営者(市長)を選んだのも、その運営者をチェック者(市議会議員)を選んだのも、市民なので、選んだ皆さんが悪いとも言えるわけで。

いや、そんなこと言っても、選挙なんて、よくわからないまま、お付き合いと雰囲気でやってきたわけだし、そもそも、市の運営のやり方が争点になった選挙なんて、経験したことないので、選んだ自分たちが悪いと言われても、納得いかない。 
任せたんだから、しっかりやらない行政と国が悪いはず。

という反論も聞こえてきそうですが、確かにそれが本音だと思いますが、それを通してしまったら、現状の行政と議会制度の根本を覆す話になってしまうと思います。
何のために選挙をやっているのか? 行政運営の是非を問うことが選挙なんですが、結局、誰も問わないままでの、人気選挙になっている。 小学校の生徒会選挙と一緒じゃん。

現実的には、最後は国が救うことは間違いない(憲法で、生活権が保障されている)ので、行政のヘッドとしては、無理しなくても、ギリギリまで借金しまくって、バンバン予算使って、とりあえず自分の任期中はこらえるように運営すればいいと、思ってしまうのが事実だと思います。
(長野県の知事なんか、それを自覚しているし、賢いトップは当たり前の事実だと思います)

「バンバン使う市長 ⇒ よくわからないけれど、OKと言う市民」というループを繰り返しながら、破綻に向かっているわけですが、国が破綻しない限り、(少々不便になりますが)実質的には破綻しないので、ギリギリまでやっちゃう誘惑に駆られるわけです。

破綻した時に、5年以上在住した市民は、今後どこに移っても住民税率30%(現行の倍以上)が5年間、みたいなペナルティを作って、真剣に行政運営をチェックさせないと、イカンと思います。

また、破綻した時に2期以上やっている議員は、2期(最大で8年)にもらった議員報酬の50%を返上する、みたいなペナルティをつければ、議員も必死に監査するかなぁ?

maigc_logic at 17:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 時事感想 

October 17, 2006

組織の士気は5%の社員が決める

fe6214a5.jpg【吉野家 逆境の経営学】 日経ビジネス 2006.10.16

個人的に非常に思い込みの強い、吉野家安部社長の逆境時の経営哲学談話です。

11年前に、幸運にも、吉野家の経営哲学について、わずか1時間ほどでしたが、マンツーマンで、教えを頂戴しました。 当時の印象は、「なんで、そんなに地味な経営戦略なんだ」、「牛丼の盛りで、どうしてそんなに語ることができるのか?」と、真髄は全く理解できずに、ただ、ただ、「なんて地味な会社なんだ」と思って帰りました。 

今、思えば、私が若かった。 絶対にブレナイ一貫性、そして地味ながらも、前向きな姿勢こそが、安部社長のリーダーシップなのです。 
ちなみに、当時の安部社長の腕時計は、ALBA(セイコーのマス向けブランド)。 こだわりのなさなのか、逆にこだわりなのか、未だによくわかりませんが、今も印象が残っています。
偉ぶらず、そして実直にお話を頂戴して、内容は理解できずとも、その人間性には、非常にひかれるものがありました。

そんな安部社長の、逆境時のリーダーシップに関する談話です。
安部社長は、吉野家の倒産(当時は営業部長)と、今回の輸入ストップという2つの「大逆境」を経験しています。

逆境時には、失敗した理由をキレイに並べて解説する否定論者の意見が、強い説得力を持つ場合が多い。 そういった否定論者は、感覚的に5%はいる。 正確な失敗分析は必要だが、単なる、解説のための否定論では、会社は良くならないし、そういった否定論の意見は、大概間違っている。

しかし、環境が悪いときは、そういった否定論の勢いは強く、様子見をしている90%に強い影響を与える。 この90%のうちの半分が、否定論者5%に染まっていくと、会社はダメな方向に一気に流れてしまう。 
トップマネジメントは、この否定のための否定論の真偽を確かめ、90%を誤った方向に導かない健全性が必要。 そのためには、自分自身がポジティブにモノを見る必要がある。 そして、逆に、ポジティブにモノを考えられる、いつでも士気が高い社員が5%いるので、彼らを巻き込んで、彼らのパワーを、組織に伝染させることに、大きな力を注がなければならない

どんな環境であっても、働く意義や楽しみは見つけれらるし、それが自然とできる、ポジティブな5%の社員。 彼らの影響が広がっていけば、ある時点で、全体の雰囲気が変わる。 ポジティブな空気になれば、チャレンジ、真剣、率先、責任といったことが、当たり前になり、組織の雰囲気はよくなり、組織の力、つまり社員と社員の掛け算が動き始める。 

倒産会社の再建時は、テクニカルに財務リストラやヒトのリストラが必要で、これはやらざるを得ないのですが、これをやると、ただでさえ不安な社員に、さらなる不安を与えて、組織的には疑心難儀になって、不安を抱えつつ様子見で、意識的に動かない社員だらけになります。
この社員の雰囲気は、取引先にも伝わって、初期の段階で、結構いろいろな問題を起こしたりするので、この社員の気持ちを切り替えるというのは、再建の極めて大事な仕事です。

ここから脱するには、キーパーソンと、1対1で向き合って、理屈よりも、情熱と人格で、「何となく大丈夫かも?」という安心感と信頼感を提供するしかありません。
ただ、大きい会社だと、それも現実的でないので、安部社長のように、逆境時の法則、つまり「5%のポジティブ論者」を前に立て、「5%の否定論者」の勢いをつぶすということをやる必要があるのだと思います。

200人くらいの会社だと、5%で10人。 何となくですが、いい線だと思います。
さすが、安部社長です。

maigc_logic at 15:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

October 06, 2006

社会の歪みが、子供に反映している

ca50632b.jpg【優しさのない時代に未来はない JC意見広告】 週刊ダイヤモンド 2006.9.2

JCの会頭(要は会長)と、夜回り先生の水谷先生の対談です。JCの意見広告ですが、結構シビアな議論をしています。

水谷先生の持論が展開されます。 

結果不平等を許容する社会だけれども、結果的に底辺になってしまった人達を、政治的に救うというのが基本なのに、その「救う」こと自体が、どんどんおざなりになってきている。 救うことと経済合理性の追求は相容れない部分もあるけれど、そのバランスが崩れ、「稼いだ者が勝ち」という価値観社会になってきている。 助け合いの精神が非常に弱くなっている。

それが子供にも影響を与えていて、暴走族は減ったが、拝金主義のドライで薄っぺらな社会の前に、心を病んでいる若者は増えている。 

金儲けは悪くないが、成功するのは一握りで、多くは成功しないし、かといって破綻するわけでもない。でも、金儲けの夢しか持っていないと、夢も持ち続けられずに、無気力になる。 しかも、成果主義や自己責任という、心理的プレッシャーが強くなってきていて、イライラしているヒトが多い。
そんなオトナが多い社会では、もともと弱い立場の子供を追い詰めてしまう。 その部分に敏感であって欲しい。 訳もなく、子供は無気力でないし、自己否定しているわけでないし、ストリートに出ているのではない。

社会の歪みが子供に反映しているだけで、教育現場や教育制度の問題だけで、子供の問題が起きているわけではない。

話も戻すと、所得格差で底辺に位置するヒトたちを「救う」ことについて、もっと議論してもらいたいし、その中での子供たちの未来をどう社会が提供してあげるかという、理念を政治家には提示してもらいたい。 フリーターの問題も、一部は労働構造の問題で、非正規雇用要員として、若いヒトを都合よく企業側が使う風潮はよくない。 経済一辺倒だと、弱いヒトにシワ寄せがいくのは当然。 これをどう守っていくのか? 自己責任で片付ける、政治のあり方はおかしいと。 自己責任をもてるほど成熟していないのが、今の若者なのだから、やはり救うべきではないのか? 

総論としては、全くその通りで、社会全体が弱者を救うというのは大事なことだと思う。
弱者が誰であるのか、どのように助けるのか、どれくらい助けるのか、こういった個別論になってくると、いきなり難易度は増して、具体的な内容に落とせなくなる。

それから、本当に一部のエセ弱者が、弱者のフリして、社会の助けを得たりするので、弱者を助けている側が心理的に過剰反発することも、内容を決めるのに、非常に難しくする。 (生活保護だったり、公営住宅入居だったり、医療福祉の特別待遇だったり)

でも、これにチャレンジしないと、今、現実苦しんでいる弱者は埋没し、既得権を持った弱者だけが助けられるだけになってしまう。
地方議員の仕事って、個人的には、このことを徹底的にやることだと思う。

弱者を救うというのは、本当に個別性が高くて、現場が見えないと、総論だけで終わって、結局前に進まない。 地方議員よ、社会の底辺10%への、地元における個別対応を語れ!

maigc_logic at 15:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

October 05, 2006

3億円当たったら、幸せか?

87f3b80d.jpg【丹羽宇一郎 お金に目がくらむな】 日経ビジネス 2006.9.4

伊藤忠商事の大リストラをやった、丹羽宇一郎氏のエッセイです。 以下、まとめていますが、内容が短く、散文的なので、私なりに彼の意をくんだ形でまとめています。

世の中の価値観が、「経済性=お金=儲かるか」(彼はこれを唯金論と呼んでいる)に振れすぎていると言う。 確かに、「お金=自由のツール」獲得をエンジンの一つとして、切磋琢磨が行われて、社会が豊かになるという側面は確かだ。 
しかし、それだけでは社会が回らないことも事実だ。 「儲かるためには何でもOK」ということではない。あるルールの枠内でやらなければ、信頼をベースにした商売は成立しないし、それは法律のルールもあるし、倫理的な了解のようなルールもある。

そのルールに対する意識と、お金に対する意識のバランスが悪くなりすぎている。
全体として不正、欠陥隠蔽など、法を遵守することに対する感度が弱いし、一方で、経営者は、短期的な視点でモノをとらえすぎて、従業員を疲弊させている傾向があるし、仕事の意味合いを、利益以外で語れなくなっている。 とにかく、従業員も、経営者も、お金、お金、お金の意識が強くなっている。

経営者のバランスが悪いと、権限が大きいだけに、弊害も非常に大きい。

経営者は、事業で収益を出すという短期的な側面だけでなく、その事業に携わるヒトはどんな思考・行動傾向があって、どういうことが幸せに繋がるのか、また事業が社会的にどうあるべきか、といったことまでを、自分なりの経営観=経営哲学で、考える必要があると。 後者がない経営者は、中期的には事業を破綻させるし、従業員にも社会にも迷惑をかける。

もちろん、この振れは、今まで「お金に卑しくないのが美」という道徳があったけれど、バブル崩壊と、アメリカの躍進で、「そんなこと言っていたら、グローバリズムに乗り遅れる。 資本主義である以上、収益第一」というテーゼが強くなったゆえの、反動の側面も強い。

しかし、このバランスの悪い世の中で成長してくる若いヒトたちは、どんな考えで仕事をして、社会と関わっていくのだろうか? 学校教育で、このバランスの悪い価値観を修正するしかないが、そのための人材が小中学校にいるだろうか? 政治は、この部分について、もっと問題意識を持つべきと、まとめています。

「んじゃ、お前はどうよ」という2チャンネル的な、突っ込みはやめて、ピュアに、丹羽氏の内容はその通りだと思います。
確かに、お金によって、自由度は拡大し、「できることが制限される」ことから、「何でもできる」状態になれることは、自由を幸せとするなら、最高の状態です。 自由のために、お金を追い求めることは正しい話です。

ただ、やっぱり一定のルールの中で追い求めることをしないと、社会は疑心難儀で機能不全に陥るし、明文化された法だけでルールが成立するわけでなく、明文化されない倫理みたいなものも、社会がまわるためには必要なわけです。 当たり前のようで、当たり前でないから、こういったことを教育するということは、大変大事だと思います。 (特に、中学生、高校生)

それから、自由が幸せというのも、不自由から開放されたゆえの幸せで、自由の状態が幸せでなかったりもします。 その自由の状態で、「何をすると幸せなのか」、この部分が肝だったりして、これはお金を追っているだけでは、得られないものかもしれません。

宝くじが3億円当たったヒトは、瞬間幸せになりますが、その後幸せかどうかは、結局自分次第だったりするわけです。

でも、当たらないかなぁ? (まず、買わないと、)

maigc_logic at 12:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

October 03, 2006

細さより、クビレこそが美の指標!

d7720520.jpg少し古いニュースですが、マドリードのコレクションでBMIが18以下のモデルは参加禁止という自治体のお達しを出したとのこと。 BMIは身長と体重のバランスからの健康状態を判断する、疫学をベースにした考え方らしい。 体重÷身長の二乗です。 
私の場合は、65キロ÷1.75メートルの二乗で、21.2です。 22が健康優良値らしく、この数字だけ見ると、健康優良児。 

あくまでも疫学をベースとした傾向値なので、細かい信憑性は微妙ですが、痩せすぎや太りすぎの傾向をあぶりだす指標の役割は可能だと思います。

で、そんなニュースのリンクをガンガンたどっていくと、日本人の女性の年代別BMIの推移のグラフがありました。
見事なまでに、女性は痩せるというか、細くなっています。一方で男性は着実に太っています。
(結構インパクトのあるグラフです)
やっぱり、女性の方が、体型と自己イメージ(美しさ)の結びつきが強いんでしょうか? 美しさ=細さというのは、やはり根強いものがありますし。 流行のブランドのサイズは、恐ろしいほど細めですし。 (2年くらい前に流行った、Mプルミエなんて、本当に細かった!)

そして、その傾向は先進国中で、日本が極端に強いらしいです。 BMI18.5以下=かなり痩せている女性の比率が、欧米の2.5倍!
日本人女性の美意識が、少し極端になっているんでしょうか?

確かに細めのラインのデニム姿は格好良いですが、お尻も小さく、ウエストも細く、結果としてクビレが弱い女性も多いのが、最近の傾向だと思います。 (電車で、いったい何を見ているんだか、笑)
クビレこそが美だと思っている「クビレニスト」にとっては、絶対的な細さよりも、ヒップとウエストの差こそが、美の指標だと思っております。

maigc_logic at 00:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ヒント、ひらめき 

October 02, 2006

アンアンよ、そんなに振り回すな!

7c3cb144.JPG【女の成績表】anan 2006.10.4

今週のananの特集は、「女の成績表」で、要は、どうやってオンナの魅力を上げるか?ということです。 ananの場合、異性から見ての魅力と、人間性一般からの女性としての魅力の、2つの魅力を語りますが、今回はどちらかというと、後者に寄った特集です。

確かに、自我が安定しない20代は、どうやって魅力をあげて、他者から「格好良い自分」を認めてもらうかということに、かなり苦心していました。 だから、ananみたいなテーマには、とりあえず飛びついてしまう気持ちもわかります。 でも、逆に振り回されてしまうんですわ、笑。

10年前が懐かしい、(遠い目)、って、実は、今もあんまり変わりないって?、笑。

さて、anan流の科目は以下の7つ。

1.ビジュアル力
第一印象の好感度作りが、魅力の基本。 好感度は、まずは清潔感から。 清潔感は髪と歯からの印象が強いと。 それから笑顔と姿勢、これらが、清潔感のベーシック。

2.プレゼン力
相手を尊重した上で、自分の意見が述べられること。 まずは自分でなく、相手の良さをしっかり見極めて、その上で、自分の意見を伝える、対話のコミュニケーションができるか?

3.母性力
弱いもの、未熟なものを慈しむ感受性を持っているか? これこそが、他人への許容力、つまり愛する力の源泉。

4.恋愛力
男子の恋愛温度が低い以上は、自らがフットワーク軽く、恋愛のきっかけを作るしかない。新しい出会いを自らが作れることこそが、新しい魅力。

5.ひとり力
自分で決められる力、自分で決めることを楽しむ感性、そういったものを持つ女性が魅力的。 依存的な側面と、主導的な側面を両方持つ。 主導的な力が弱い女性が多いから、少しトレーニングを。

6.ポジティブ力

とにかく前向きな姿勢を持っていること。

7.人間関係力まずは身近な環境における人間関係をスムーズに。 

今までのananの各特集を総まとめしたような内容ですが、エライ薄い内容のテキストになっています。 都度、適当に項目を挙げて、その項目について、いろんなコメントを集めて、適当に編集するという感じだとは思いますが、今回は編集力低めです。
若いオンナの子には、詰まらない内容では? しかも、そもそも「成績表」というフレーズ自体が、いまいちだと思いますが、いかがでしょうか?

ちなみに、3を父性力に変えれば、「男の成績表」になります、笑。

maigc_logic at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ヒント、ひらめき 

September 26, 2006

自由になったけれど、その宙ぶらりんに耐えられないヒト

83809554.jpg【空洞化した生活世界】 宮台真司blog 2006.9.6

宮台氏によると、「生活世界」の空洞化があって、心理的に宙ぶらりん状態が起きており、それが深い意識レベルで、スカスカ感を生じさせていたり、不安状態を作ったりしていると。だから、そのスカスカ感や不安を回避するために、ヒトは場のノリに過剰対応して表面的な一体感を維持しようとしたり、何かに対して盲目的に依存したりする。

かつては、生活世界があって、包括的承認がされ、そんなスカスカ感や不安の要素は小さかった。生活世界とは、地縁や血縁といった、個人ではどうしようもない関係性で規定された人間関係の中で生きざるを得ない世界のことで、場や時間の長時間共有という慣れ親しみ・最終的には何でも受け入れる懐の深さという点から、半強制的に人格が開示させられ、そして受け入れられる世界(包括的承認)のことらしい

そんな世界では、スカスカ感も不安もない。 良い意味でも悪い意味でも、強い人間関係で自分が規定され(位置づけられ)、そこから抜け出すことは事実上あり得なかったから、心理的な宙ぶらりん感は極めて小さかった。

もちろん、その反面、狭い世界ゆえの束縛感、共同体優先ゆえの個人的な意向に対する抑圧感など、ツライ面が並存する。 包括的承認は、束縛・抑圧と一体であった。

しかし、近代化とは、そういった狭い世界から、広い世界への移行のことで、近代化とは、そういった束縛、抑圧からの、個人的な解放でもあった。 広い世界とは、原則「何でもあり」の世界であり、その世界の原理は、「役割・マニュアル」となる。

だが、合わせて、包括的承認の場を失い、部分的承認の継ぎ接ぎとなった。
しかも、包括的承認は、その場に長くいれば、ほぼ自動的に得られた承認であったが、部分的承認は、自らが主体的に動かないと、つまり相手とコミュニケーションを行ってそこから実りを獲得しなければならない側面を持っており、意識的にその承認を得るべく、動き回らなくてはならない。 それができるヒトは部分的承認の組み合わせで包括承認のような安心感、心理的な居場所を確保しているが、それができないヒトは、漠然としたスカスカ感と不安と戦って、ちょっとした一体感の繰り返しに激しく関与したり(メル友の数、ミクシィなど)、特定の人物に徹底的に依存したりする、代替行動を取っている。 失敗したりすると、鬱になったり、引きこもったり。

宮台氏は、それは自然な流れで、過去には戻れないゆえに、敢えて過去のような効用を得られるように自分をもっていくしかないと言う。 そういったことができるヒトもいると言う。 でも、それができないヒトの方が多い。 だから、エリートは、それを仕組みで対応できるよう、社会システムを設計すべきだと言う。 

話はわかるが、途方もない話だ。 そんなもん、設計できるエリートっているのか?

maigc_logic at 20:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

September 21, 2006

殺気ある経営者、ユニクロ柳井社長

f961ed41.jpg【経営者は育成できない 柳井社長インタビュー】日経ビジネス 2006.9.18

ユニクロの社長の柳井さんには、6年前くらいに、山口の本社でお会いしました。 彼のインタビュー記事を読んで、「理屈ははっきりしているし、アグレッシブ。 目標は壮大だけど、大真面目」という印象があって、「一度はお会いしたいなぁ」と思っていたところ、偶然にもその機会があって、宇部空港まで行きました。

お会いしても、印象は変わらずで、逆に物腰は低いし、しゃべり方が朴訥としていて、びっくりした記憶があります。 でも、その時から、「売上1兆円」と言っていました。 どこまで本気なんだろうと思っていましたが、やっぱり本気です。 というか、自分に言い聞かせているようです。

今週の日経ビジネスに、その柳井さんのインタビューがあります。
やっぱり、柳井さん、「殺気ある経営者」で、我々が到達し得ない領域にいます。 想像を絶する執着、独善と謙虚の混在、他人からは見えない焦燥感。

提示される給与が高いということもありますが、ユニクロには良い人材が集まっています。(そして、散っています、笑) リクルーティングでの柳井さんは、丁寧に、素直に、そして静かに熱く、自分の目標を語り、その姿勢に皆やられてしまうらしいです。
しかし、実際の仕事では、理屈を越えたところの洞察による意思決定と、恐ろしいスピード感の塊の、柳井社長となります。 飛躍した考え方(ま、これがマーケット創造なんですが。 柳井社長いわく、1勝9敗、笑)と、ジェットコースターのようなスピード。 それで、ゴリゴリやってきますから、摩擦は頻繁に起こります。 柳井さんは聞く耳を持ちますが、最後は自分の考えを通すので、ヒトによっては、「やっぱり、ついていけない」となるみたいです。

急拡大時に現場を作り上げた澤田元副社長、ブームの反動で落ち込んだ会社を何とか立て直した玉塚前社長に逃げられ、数名を除いて、ユニクロ2期(急成長の手前に組成された体制)の経営幹部がいなくなった経験をもとに、柳井さんはひとつの仮説に達します。

・(自分のような、殺気ある)経営者は育成できない
・(自分のミニチュアくらいのレベルならば)経営の場を与えて、育成可能
・(自分のような)経営者は、M&Aで買収する
・これからのユニクロは、全体として、ミニ経営者の集団にして、拡大を目指す

ま、まっとうな仮説だと思います。

柳井さんと同じ気持ちで、経営を考えることは、誰一人としてできません。 だから、自分が社長を降りる時には、自分の経営観を封印する覚悟で降りないといけないのですが、そういったことを考えずに、何となく次の世代に譲るという感覚で社長の席を譲っても、譲られた社長が気の毒です。(玉塚さんですね、この場合) 譲られた社長に、柳井さんが持つ執着、焦燥感はありません。

それを理解して、「結局、自分しかいないのだ」と、堂々の登場で、OKだと思います。
ただ、ユニクロで働く幹部は辛いだろうなぁ。 彼の経営観という目線に合わせる事が、まず大変。 彼は大局で経営を語るけど、幹部は現場抱えているし、大局と現場のズレに悩んでも、結局押し切られるし。

柳井さんのような殺気ある経営者、あとはソフトバンクの孫さんとか、ワタミの渡邊さんとか。
一緒に働きたい気もするが、この歳になると、もっと楽したいという、邪念がよぎる、笑。

maigc_logic at 11:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 時事感想 

September 19, 2006

14%の貧困層の捉え方

05f54c1b.jpg【吉田繁治 】メルマガ ビジネス知識源2006.9.6

吉田氏の有料メルマガです。 週1回の発行で、月630円ですが、その価値はあると思います。 マクロ的な内容を、非常にわかりやすく説明してくれます。 その分、展開が極端なこともありますが、本質は外していないと思います。

9月6日号は、最近の景気回復の特徴が、以前のものと大きく違う点を挙げています。
・企業の経常利益合計が劇的に増えた(2001年28兆円 ⇒ 2005年52兆円)
・しかし、平均賃金は増えていない(名目賃金指数 2001年を100 ⇒ 2005年95.5)
・雇用形態において正社員数が減っている(2001年3640万人 ⇒ 2006年直近3440万人)
・全製造業の海外生産比率が上昇(2000年13.4% ⇒ 2005年20%を越える、推定)

・景気回復の牽引だった輸出産業は、海外生産比率を上げ、業績を伸ばすが、国内正社員はほとんど増やしていない
・他産業でも業績が拡大しても、正社員を拡大せず、パートアルバイトで対応する傾向 (2001年1360万人 ⇒ 2006年直近1663万人)
・ゆえに、全体として賃金が増えない

・マクロ数字は拡大しても、個人世帯の所得環境は良くなっていない景気回復

と結論付けています。

また、上記の影響がどこまでかわからないが、数字として低所得者の割合が増え、貧困層の相対的な割合の高さが問題になるようになったと述べています。 総務省調査によると、総世帯数4800万のうち、
・500万世帯が年収200万未満
・1900万世帯が年収500万未満
となり、合計2400万、つまり総世帯数の半分は500万以下で、準貧困層以下だと。

(夫婦二人で年収400万でも地方では充分という考え方もありますし、子供二人いて都市で年収600万では大変という考え方もありますが、統計的にはバサッと、500万以下で切るみたいです)

この準貧困層は、
・その半分強が、60歳以上のいわゆる無職&年金層
・そして、残りの半分が有職の、低所得層
に分けられ、社会的な問題は、この後者の低所得層。 特に世帯主40歳以上60歳未満の12%(総世帯数の12%=580万世帯)は、無視できない。
また、若い世帯主の場合も、年齢が上がるにつれ、所得も上がるので一般的には問題ないが、正社員でない場合、この層から抜け出せず、潜在問題層が百万の単位でいるか?

高齢者の無職&年金層も、約200万世帯は年金が200万以下で、フロー的には厳しい状態。

このように見ると、単純に、4800万世帯のうち、680万世帯(=14%、今後拡大の可能性大)は、フロー的に苦しいわけで、この数字を社会的にどう捉えるかが、政治の大事なところだと思う。

maigc_logic at 01:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

September 12, 2006

人生を、直球で問う

e8b2d9f6.jpg【山田ズーニー おとなの小論文教室。】 河出書房新社

帯に「まるで鉛筆のように、その身を削って教える先生がいる」と、これまた大袈裟なと、思いつつ、本を読んでみると、「本当にそうだ」。 直球勝負で、「私はこうやって生きている。 あなたは、どう?」と迫ってきます。 文章は丁寧ですが、すごい迫力です。
電車で読んでいますが、とても電車で読める内容ではありません。 「自分はどうなんだ?」と考え始めると、いつの間にか、降りる駅に到着して、思考が中断して、開放される。 疲れる本です。

でも、すごく良い。 自分の足元を見る、きっかけを充分に与えてくれる。

全部で25章からなる本です。
第1章は、「自分を表現する」。 他人と繋がってこそ、「生きる実感を得る」とするならば、他人と繋がるために、自分を表現する必要があると。 表現できていますか?と、いきなり直球の質問です。 そして、表現できていなのでは?と迫ります。
表現できていない理由は何?と問いかけ、 
・何を表現したいか、志はありますか?
・どんな方法で伝えたいですか?
・誰に伝えたいですか?
・納得して、伝えることができましたか?
・相手に、きちんと伝わりましたか?
と、グイグイと、インコース攻めです。

第2章は、あなたの志は、きっとあなたの「好き」からやってくる。 あなたの「好き」は何ですか?と聞いてきます。  「好き」なことをいつの間にかあきらめ、「好き」なことが見えなくなって、そして「好き」なことがなくても違和感なく生きていく、「好き」を堕胎してしまった生き方に、何があるのだ?と、これまた、ど真ん中ストレートの命題を突きつけてきます。
ココロの火種をどうやって守るか、あるいは、見えにくくなった火種をどうやって再発見するのか?、これが人生だ、という仮説を提示します。

これから、このズーニーさんの本を、私なりにまとめてみたいと思います。 まとめていますが、私自身に語りかけているようなものです。

maigc_logic at 09:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍、論文批評 

September 05, 2006

ゴーン氏が語る、働くことの本質

ad83b3cc.jpg【カルロス・ゴーン 働くことの本質とは】 日経ビジネス 206.8.7

激しい情熱さえあれば、ヒトは猛烈に働く。 でも、そんな情熱を持てるヒトは、稀にしかいない。 
普通のヒトが、働くことに夢中になって、より大きな結果を導き出すようなことになるには、仕事を通した「貢献」について、自分の中で、高次元な精神性を持つことだと、ゴーン氏は言います。

しかし、ゴーン氏は、貢献に関する部分の、自分の事例をあまり語らず、いまいち、ピンとこないのが現実です。
その中で、敢えて、ひねり出してみると、彼の場合「自分の所属する組織に対する貢献」の考え方こそが肝で、「組織の中でこそ、活躍できる」という自分を認めれば、自ずとのその組織に対する貢献こそが、自分の生き様ということになり、だからこそ、自分がどれだけ貢献できるかが、自分にとって守るべき価値であり、ゆえに情熱をもって働くことができるはずだと。

宗教の教義に近いです。 「自分が生きている」のでなく、「自分は、周りから生かされているのだ」と。 だから、周りに対する感謝を忘れるな、そして、周りに貢献せよと。 そうやって、世界は成立していると。

後半は、成長論で、成長のためには、「ちょっと厳しい」くらいな目標を明確において、それにチャレンジして、成功するということが大事で、その経験が次のステップのエネルギーを生み、この繰り返しで、ヒトは成長するという。 安易な目標達成では、ヒトは成長しないと。

最後は、リーダー論。 リーダーの資質は教育で育まれると。 成長論で述べたことが、子供なりに行えるような環境を、親が作ってあげることが大事と語っています。 そして、あとは、リーダーの経験だと。

締めは、若いヒトへのメッセージ。
 「遠い将来を考えても、それに固執するな。 目先の機会を大切にせよ。 それを活用できれば、将来の可能性が広がる」
 「何をしたいか、わからないことは当然。 まず、学生時代にたくさんの仕事をせよ。 そこで自分自身を発見せよ。 そうすれば、自ずと、やりたい仕事は絞られてくるはず」

わずか1ページで、テーマが大き過ぎ。 正直、よくわからないです、ゴーンさん。

maigc_logic at 17:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ヒント、ひらめき 

September 03, 2006

身の丈に合わせた、役所の転換

8b2b504c.jpg【破綻した夕張市の、現役市長による、破綻に関するコメント】 日経ビジネス 2006.9.4

632億円の負債を抱えて、破綻申請した夕張市の現役市長の4ページに渡る、コメントがありました。 これはこれで、突っ込みどころ満載です。 が、もっと大事なことが背景にあります。
マスコミが少し煽っていますが、この夕張破綻は、日本の本質的な問題が、三つ隠れていると思っています。

ひとつは、リタイヤしたじいさん、ばあさんが人口の30%以上占め、その割合が確実に増えていくような自治体は、どう将来像を描くべきなのか? (ちなみに、日本全体では約20%)

二つ目は、最後はなんとなかなるだろうと、甘い期待で、借金を増やせるだけ増やして、単年度予算をしのぐ、当事者意識ゼロの、自治体職員メンタリティこそが、実は財政問題の最大の問題ではないか?


三つ目は、個人と自治体(国家)の関係に関する考え方が、日本の場合緩すぎて、自治体にぶら下がれるだけぶら下がるという、「甘え」と「権利」の意識が、自治体職員のメンタリティと相まって、問題を構造化しているのではないか?

今回は、まず一つ目について、お伝えさせてください。

夕張市の高齢者比率は、直近で40%、つまり10人いれば、4人は65歳以上です。
これの何が問題かというと、行政から見れば、高齢者はカネがかかるからです。 つまり、住民税や固定資産税という税収よりも、圧倒的に支払いの多いのが、高齢者です。
高齢者はほとんどが国民健康保険で、この運営は市町村がやっていますし、介護保険も実質は市町村運営です。 こういった直接的なものだけでなく、高齢者に関する行政サービスは多いです。

高齢者の割合がこれだけ増えると、国からの補助金(地方交付税)で、収入支出のバランスをとります。 こういった地域のアンバランスを是正するために、国が所得を再分配しています。

これだけ、見ると問題ないです。 国全体では問題ありますが、地方自治体で見れば、高齢者比率上昇による、収支バランスの悪化を、国が補填してくれるので、問題ないのです。
あとは、高齢者が増えて、不必要になってきたもの、必要性が小さくなってきたものを、身の丈に合わせて、削って、うまくバランスを取れば良いだけです。

しかし、自治体の職員から見れば、問題なのです。
今までの仕事(開発、産業振興など)を維持したまま、新たに福祉の予算が大きくなるので、これでは大変だ!ということになってしまうのです。
今までの予算規模を維持しようとするから、大変だ!ということになってしまうのです。

高齢者が増え、働き手が減るわけですから、予算規模が減るのは当然ですし、ゆえに、それにあわせて、開発や産業振興といった予算を削れば良いだけなのですが、これを削らないようにするために、悪あがきするから、自治体は問題を抱えてしまうわけです。

もちろん、事は大変だということはわかります。 予算が減ったからという理由だけで、職員をリストラできないとか、今までやってきたことを辞めるとそれを受益していた住民からブーブー言われるとか、わからん訳でもないのですが、それに取り組まないと、夕張市みたいになってしまうのです。

夕張や、もっと前に破綻した赤池もそうですが、炭鉱の町だったので、炭鉱閉鎖によって、人口が急減しました。 30年かけて、人口が7分の1になりました。 (10万から1.5万)
あまりに急激な減少なので、身の丈に合わせて、役所の割合を小さくするというのも、難しかったと思います。 (売上が半分になったので、それに合わせて社員を半分にするという機動力は、普通、民間会社でも、なかなかできません。) 
また、まだ成長という価値観が絶対視されていた時代でもあったので、身の丈に合わせて小さくするというより、その流れに対抗して、成長を試みるというのも、仕方ない部分もあります。

でも、人口が減って、高齢者が増えたら、それに見合った形で、役所も変化しないとダメなんです。流れに逆らうのでなく、受け入れるしかないんです、役所の場合は。
成長のための投資(開発、産業振興)を止め、職員は、高齢者福祉サービスに大胆に配置転換するということさえやれば、地方自治体は、組織として十分機能していくのです。
人口を増やそうという野心を捨て、今まで道路を作ってきた職員に、介護の仕事をに変わるように説得することが、地方の市長さんの仕事です。 これが将来像です。 成長に囚われた価値観だと受け入れがたい将来像ですが、これをやらないと、破綻します。

夕張市は、前市長が、10年以上にわたって、観光、道路つくりへの投資という、悪あがきを行い、それに民間金融機関が、運転資金を提供し続けてしまったために、傷口が大きくなって、現市長でいよいよ破綻です。
職員数も、人口減の割りには減っていません。 いまだに250人近くいるみたいです。 ちなみに人口が37万人の、私の市は、職員数2800人です。 人口あたりの職員数は、単純に3倍前後です。(まあ、単純に数字比較できませんが)

日本の地方の自治体の多くは、この住民の高齢化と、予算規模の縮小という自体に直面しています。 その時に、身の丈に合わせて、役所を転換できるか?、これこそが、現実的な市長のビジョンの中心であるべきです。

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August 30, 2006

HP社長は務まっても、ダイエーは勤まらない。 マネジメントの奥深さ

4ddabfc9.jpg【吉田繁治 ビジネス知識源プレミアム】8月23日号

産業再生機構が、とにかく嫌いです。 生理的にダメです、笑。

そんな再生機構が支援した、ダイエーですが、再生機構の全株売却で、結局丸紅がスポンサーとして再建の舵を取ることになりました。 このディールも言いたいことが山ほどあるのですが、今回は、この一連の流れで、辞任を発表した樋口泰行さんについてです。

実は、日経ビジネスの8月28日号にその記事があり、彼が記者からのインタビューに答えたコメントもいくつかありました。 結構、違和感を感じました。
いろいろ言えないこともあるとは思いますが、愚痴と、言い訳ばっかり。

そうしたら、同じ感覚を、流通システムコンサルタント吉田繁治さんも、有料メルマガ(ビジネス知識源プレミアム 8月23日号)で語っておりました。 こちらの方がもっと分析的で、非常に示唆に富みます。 

彼は、ダイエーの件について、そもそもスキーム自体が完全に誤っていると断定します。
大胆に閉店を行ったとしても、未だに収益力の劣る店舗を多数抱え、その店舗資産も不良債権だと見なせば、5200億円の借金棒引きがあっても、ダイエーは実質債務超過。
その収益性の劣る店舗の改善策が乏しいまま、再建活動をやっても、すぐに身動きができなくなるのは目に見えているといいます。

再生機構と丸紅が中心となって作った再生シナリオは、国の御旗で、債権放棄を含めた、ある規模のバランスシートの整理を行い、残った店舗群の収益性を回復させ、一方で新業態(食品特化)で新しい利益を確保していくという、机上の空論というか、金融屋のエクセルシナリオ。
収益性の低い、残った店舗群をどうやって回復させるのか、具体的なアイデアが弱いし、収益の出る新業態なんてすぐに出来るのかといった、根本的な疑問も残る形で、とにかく、いろんな事情で、緩い再生シナリオで動き出さざるを得なかった。

そごうや、マイカルは店舗のスクラップで蘇った。 ダイエーも同じなのか?
ダイエーはもっとスクラップが必要、そしてそのスクラップには、ゼロベースから組み立てることができる「法的整理」という手段を使うべきといいます。
(そごうは債務の95%カット、マイカルは85%から90%カットと、バッサリ。 ダイエーの5200億円は、計算のやり方にもよりますが、半分くらいでしょうか?)
それをしない、中途半端な再生計画では、経営者として、非常にやりにくい再生案件だと。 

樋口氏は、その再生計画が「与えられた条件」で、この計画から外れたマネジメントが許されず、これがシンドイと述べています。 
「だったら、この仕事を受けるな!」と、吉田氏はばっさり切り捨てます。

また、「小売の再生は難しい。製造業は、新たに商品を開発するという余地があるが、小売はその出店場所で、勝負しないといけない。 競合店が出たら、すぐにアウト」とコメントする樋口氏に対し、それでは、大型店に反対する商店主と同じ理屈。 「少しは、知恵を使って対策を考えよ。 実際、競合店と充分戦っている事例は、山ほどある」と、こちらも、バッサリと切り捨てます。

最後は、こういった当たり前のことを考えず、「再生機構のバックがあるから」という理由だけで、社長を受けたんじゃないのか?、それは酷い判断基準だ、と、グサッと刺し殺しています。

いやー、厳しい意見だが、その通りです。

でも、これは倒産した会社の運営をひとつでも経験しないと、わからない話であったりもします。 だから、私は少し樋口さんに同情的です。 
小売店の倒産は、赤字店舗の割合が増えすぎて、全体の数字が赤字になった場合がほとんどです。 業務改革で黒字に転換する店舗もありますが、実はその割合は少なく、この赤字店舗をかなりバッサリやらないと、再生は失敗するのが普通です。
ダイエーは、国策で、法的倒産をやらなかったので、バッサリできず、中途半端な再生計画になりました。

私が再生機構が嫌いな理由は、この事実を、社長の富山さんはじめ、幹部、スタッフが結構理解しつつも、「本業の回復はいろいろ大変で、すごく苦労すると思うけれど、目先のバランスシートの改善だけは、機構がやっておくから、後はよろしくね」という、当事者感覚ゼロで、「再生」という看板で仕事をしているからです。

金融秩序の安定、つまり不安を沈静化させるために必要な国策じゃ、という趣旨もわかるが、とにかく嫌いじゃ、再生機構。

maigc_logic at 00:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 時事感想