2017年12月05日

1999年10月以降のロードレースニュースを旧HPからLivedoorの方に移行中。

2002年の4月分はすべてインプット完了(最終作業日:2017年12月5日)




2002年04月30日

ツールの選出を51日に控え、まだ現段階で選出されていないチームにとっては、そわそわの状況だろう。現在選出されているのは、ファッサボルトロ、テレコム、ラボバンク、マペイ、ロット、バネスト、オンセ、コフィディス、USP、ドモ、アレッシオ、ケルメ、ランプレ、CSC、エウスカルテル、タッコーニの16チーム。

あと残りの枠は、大体フランスチームで占められることは必至。中でも、去年イエロージャージを前半着て活躍した
CAは当確と見られ、他に、ビッグマットとAG2Rは、ソシエテの主催のレースで活躍してきているのでポイントが高い。また、FDJ、ボンジュールも昨年ツールの実績やフランス国内でのレースでの実績で、可能性が高い。もう、これだけで5枠が埋められてしまう。(注:昨年出場したJドゥラトゥールは落選ではないか、という見方が強い。昨年、ローラン ルーが活躍して、湧かせてくれたのだが。

cyclingnews
の予想では、残る1枠はサエコだろうと。コーストは、カセロが数日前、膝の故障を再発させ、ジロ絶望的と見られるのが、ツール選出にあたり不吉な要素だとのこと。とにかく、サエコが出てくれないとシモーニVSランスが見られないから、是非出てほしい、という声がある。一方で、メルカトーネ、アックアが漏れると、パンターニ、チッポリーニが見られず、それはそれで寂しいものだ。しかし、アックアはソシエテ主催のパリ~ルーベを蹴ったあの騒動もあったので、まず出場は無理ではないか?さて、cyclingnewsの予想は当たるかどうか?



2002年04月29日

ベルギーのTVインタビューでにチミルが登場した。実は、ロットの以前の監督、ジャン リュック・ヴァンデンブルックがチームを去ってから、かつての寡黙なチミルが変身した、ともっぱらの評判らしい。ジャンリュックの封建的な体制では、誰も監督に意見することができず、みな小さくなっていた。ジャンルック時代は、チミルも自分を抑圧してやってきた。チームの雰囲気も、険悪だったと。しかし、彼が去って、チミルも180度変わった、そんな風に周囲は述べる。


今やベルギー自転車ファンの間でも人気者のチミル。インタビューで、こんな風に語った。「1994年、ベルギーファンは、僕のことを東から来たベルギーチームにいる よそ者という目で見ていた。それが、徐々に、結果を出したことで、みんなの意識も変わっていった(そして、今やベルギーでも人気者に)。僕が一番感激したのは2000年のツールデフランドルで優勝した時だ。6,7年間、ずっとツールデフランドルでの優勝に拘ってきた。でもワールドカップの中でもツールデフランドルは 自分には向いていないのではないか、それが果たせずに引退するのだろうか、と脅威を感じたこともあった。優勝できたことで、自分の能力が再確認できた。」



2002年04月27日

◆ ツール残り5組の発表は。。

ツールドフランス、現在発表されている16組に加え、残り5組のアナウンスがあるのは51日です。個人的に気になるのは、コーストが入るかどうか。

 

◆ ドモ、ジロディタリア不出場!,

先にスペイン2 チームがジロ出場を見送ったのに続き、ドモがジロ出場を辞退した。理由は故障者の続出だとか。代わりに出場するのはコルパックとなった。フランス組からの出場はゼロ。最新組リストは下記。

イタリア 12 : Acqua&Sapone-Cantina Tollo; Alessio; Ceramiche Panaria-Fiordo; Colpack; Fassa Bortolo; Index Alexia; Lampre-Daikin; Mapei-Quick Step; Mercatone Uno; Mobilvetta-Formaggi Trentini; Saeco Macchine per Caffe-Longoni Sport; Tacconi Sport;

コロンビア  1 :Colombia Selle Italia;

ドイツ3: Gerolsteiner; Team Coast; Team Telekom

スペイン 1: Kelme-Costa Blanca

ベルギー 2組: Landbouwkrediet-Colnago; Lotto-Adecco

スイス 1: Phonak Hearing Systems

オランダ 1組 :Rabobank

デンマーク 1組: Team CSC Tiscali

 



2002年04月26日

去年行われたジロ、ツール、ヴエルタ全て完走した選手は誰か、以前このHPでクイズに出題した。正解者がいてびっくり:バネストのオドリオソラでした。

ところで、同年開催の3大ツールを完走した選手の数は、過去せいぜい22人程度で、複数年にわたって完走した人を含めると、回数的には28回。複数年にわたって完走したのは、全てスペイン人というデータがあります。では、そのスペイン選手の3大ツールの記録を見てみましょう。

最多完走者は、マリオ レハレタで4回(1987899091)。その次はルイソの3回(19555657)、次はチョサスで2回(199091)、あとはバハモンテス(1958)、ウリベスビア(1958)、フエンテ(1971)、レアニスバルティア(1971)、ガストン(1991)、オドリオソラ(2001)と続く。

ところで、この話を出したのには訳がある。実は、今年、3大ツール全てに出場する予定でいる選手がここにいる。といっても、彼のチームはまだツールに選出されていないので、これが果たせるかどうかは、5月初旬の残りチームの選出発表を待つしかないのだが。その選手とは、コーストのカセロだ。コーストのツール選出は、年初から、相当難しいという見方があったため、カセロは、当初、ジロとヴエルタに出るためにスケジュールを組んできた。ところがここへ来て、コーストのツール出場も、夢じゃない、そんな噂が聞こえてきた。まあ、その辺は、ソシエテがどんな最終判断をするかで、混沌としているのだが、実際チームの成績は今のところ悪くはない。(コーストがフランスチームだったら100%ワイルドカードで選出になっているはず。今年もビッグマットは出るのか?去年はツールで成績を残せず、かなり酷評されてたけど。)

 

もしも、ツールにチームが選出された場合、カセロは次のように決めている。

1.    ジロとツールを走ってみて、相当いい成績で完走した場合は、ヴエルタ出場は辞退する。

2.    ジロとツールのどちらか途中棄権した場合は、ヴエルタで再優勝を目指す。

 

つまり、カセロの場合、オドリオソラのように、全て完走することは考えていないのだが、少なくとも、今年ジロで彼の姿が見られる可能性が強い。但し、痛めた膝の状態が100%ではないので、今からジロに急ピッチで調整を進めているところ。現在、ドイツのニーダーザクセン ルントファート(下ザクセン ツアー)に出場しているカセロ。このレースは、山岳が少ないので、調整には丁度いいと語る。レース スタート直前まで、膝に違和感があったので、このレースで、一体どこまでリズムがつかめるか、彼にとっては、この先のジロを占う上でも重要なレースとなる。しかし、ジロでも好成績を収めたいと、カセロは意欲的だ。

 

ちなみに上記のニーダーザクセン ルントファート(Niedersachsen-Rundfahrt)というのは、直訳すると「下ザクセン ツアー」。Niederは「下」を表す。ちなみに、「オランダ」のことをドイツ語でいうと、「Niederlande(英語のNetherland)」となる。つまりオランダ=「低い土地」という意味。フランス語でもオランダのことを「Pays-Bas(低い国)」というのと全く同じことだ。



2002年04月25日

1)今日は、COFIDISHPから:

 

<ヨー・プランカールトの履歴書>

・お守り:ミラノサンレモのスタート地点で牧師さんからもらったコインを、いつもヘルメットに挟んでいる。・

・会ってみたいスポーツ界のヒーロー:ステファン・シューマッハ。

・もしも、自転車選手じゃなかったらなにになっていた?:わからないけど、自転車をやってなかったら、今ごろ工場で働いているだろうな。

・会ってみたい人:ベルギーの王子フィリップ。

・好きな映画:タイタニック

・君にとって自転車とは?:情熱。でも、しょせん仕事だな。

・長所は?:社交的なこと

・欠点は?:決断力が足りないと言われる

 

 

2)ウルリッヒ、例の問題は?

テレコムのウルリッヒ。昨年のジロの一斉捜査で、部屋から薬物が発見され、これが正当な治療用薬物であることを一貫して主張してきた。発見されたコーティコステロイドとカフェインの錠剤は、通常はUCIによって制限薬物リストに掲載されている。しかし、ウルリッヒの場合、喘息治療用に、認可を取った上で所持していたことを主張。一部では、以前としてドーピング嫌疑をかけられていたが、このたび晴れてUCI及びドイツ自転車連盟より、正式にウルリッヒの主張を支持し、これはドーピングにあたらない、という発言を取り付けた。また、ウルリッヒのほかにも、彼と同様なケースで、ジロの捜査に引っかかったものの嫌疑が晴れたイタリアの選手もほかに何人かいる。捜査で灰色リストにのぼった選手数は多いものの、今回の様子を見ると、この数は激減するはずだ。

 



2002年04月24日

冬場の集中トレーニングがもとで膝を痛め、出遅れているウルリッヒ。3週間トレーニングを中止した後、今週トレーニングを開始した。といっても、再度ぶり返すことがないように、2-3時間のローラーでのトレーニング、プラス ロードでのトレーニングを用心しながら行っている。ロードでは、ツーリストのようなゆっくりしたペースで走っているという。ここであせって、更に回復が妨げられるようになると、ツールまで間に合わなくなる。ここは慎重に、というわけだ。

おとといは、漸く100キロまで走ることができ、全く痛みはなかったという。4週間前には、同程度の距離で膝に不具合を感じていたので、確実に回復している手ごたえを掴んだ。ウルリッヒとしては、511日から62日までのジロ出場が当座の目標だが、無理のようであれば、ドイツツアー(63-9日)、スイスツアー(61827日)に切り替えて、ツールを目指す。しかし、ツールまでの走りこみとしては、あと5000から6000キロほど走り足りない。今後怪我に注意を払いながら今までの遅れを取り戻す。これから2ヶ月、ウルリッヒの正念場だ。

 



2002年04月23日

ツアーオブジャパンの公式HPが稼動している。(2017年追記:URLはすでに失効しているので削除)

それによると、参加チームは下記のとおり。

トレードチーム(5チーム):ムロズ (ポーランド)、RDM フランダース(ベルギー)、アクサ VVZ(オランダ)、チーム コムネット ゼンゲス(ドイツ)、チーム ジュラスイス(スイス)

ナショナルチーム(4チーム) :・カザフスタン、オーストラリア、マレーシア、香港国内チーム(7チーム):シマノレーシング、愛三工業レーシング、日本鋪道レーシングチーム、チーム ブリヂストン アンカー、スミタ ラバネロ パールイズミ、ミヤタ スバルレーシングチーム、Team ORBEA エチェオンド 



2002年04月22日

欝の症状が所見され心配されていたホセマリア・ヒメネスことチャバが、19日、バネストのジャージを着て70キロをロードで走った。トレーニング再開は、最初の関門であり、これが一番難しい段階とされていた。21週目以来、約2ヶ月半ぶりのトレーニングとバネストのジャージだ。ラ コバティヤを含め、ベハールとピエドライタの間を走った後、チャバはこう語った。

「いい感じで走れた。今もまだ長距離は無理だけど、フィーリングがつかめたと思う。鍵は、モチベーションと意欲だ。」

現在、チャバは、ラ コバティヤの麓にあるホテルに滞在している。ここは、2002年ヴエルタのゴールの町。チャバは、数日前から、ここに来たいというセンセーションを感じていたという。「完全に病気を克服して、9月ヴエルタで、またこの地に戻ってこよう、そして、区間優勝を遂げてやろう」、そう心に誓ったそうだ。実は、チャバは、1617日に、ラ コバティヤに上ったものの、ロードバイクではなくMBTを使用したという。感触を掴んだ後、ロードバイクでの挑戦を果たせたのは、その2日後の19日だった。



2002年04月20日

先に述べたミディリーブルに加え、522日から開催予定のツアーオブベルギーについて:

10年ぶりで復活することとなった本レース。昨年12月にコース発表があり、それによると521日には、オステンドでチーム プレゼンテーションがある予定。22日にプロローグがオステンドで開催。23日のスタートもオステンド。このビッグなレースを招致し、この一役かっているオステンドの街。契約金額は公開されていないが、町が運営者に支払った額は相当な額ではないかと推測される。ちなみに、ツールドフランスでも、招致した自治体は、開催にあたり 結構な金額を持ち出しすることになる。

ツールに頻繁に登場するスタート、ゴール地点の町は、

1.よっぽど裕福か、

2.意地でやっている、

3.市長がツール好き、

など理由が考えられるだろうが、例えば、グルノーブルの場合、町の人に聞くと、財政状況は決して良くないらしい。それでも、冬季オリンピック開催地でもあり、町がスポーツに熱心であることを示すために、コンスタントにツールを招致するのだと聞いた。

 

しかし、自転車スポーツのイメージが低落すると、スポンサーつきにくくなり、「自転車レース財政難」ということになる。スペインでは、自転車レースはサッカーの次に視聴率を稼げるためか、余りレースの財政難といった話は取りざたされていないが(少なくとも表面上は)、フランスでは、パリ~ニースの例でもわかるとおり、財政上レース開催が危ぶまれる話がちらほら耳に入る。数年前のフェスティナ裁判は、フランス人の自転車レース観戦離れを一部引き起こしている。「それまでツールの大ファンだったが、あの事件以来、ツールはTVでも、一切見なくなったし、多くの国民がしらけている」、そんなフランス人の声も耳にした。そして、更に、フランス人選手のヒーロー不足も一因だろう。ローラン・ジャラベールの人気は今もすごいが、裏返って言うと、新しいフランス人ヒーローが暫く出現していない、という悲しい現実がある。

2002年04月19日

522日から26日の間、フランスのラングドック地方を中心に繰り広げられるミディリーブル。丁度ジロ(511日―62日)、TOJ51926日)、ツアー オブ ベルギー(52226日)とレースが目白押しになるこの時期は、レース チェックが随分忙しくなる。

実は、今年、個人的にミディ リーブルに少々注目しており、主催者に このレースに関する資料提供を依頼した。すると、丁度コース内容が新聞発表された時期だったらしく、その新聞記事をスキャナーで読み取ったものを
Emailの添付ファイルで送ってくれた。最近は、フランス人も随分親切になったし、またスキャナーだとかEmailだとか、媒体的にも随分便利になった。

そして、この新聞記事によると、今年のミディリーブルには、ランス・アームストロング、ローラン ジャラベールがエントリーされている。チームは現在
14チーム。AG2R、ビッグマット、コフィディス、ボンジュール、CA(モロー、ベッシー)、CSCティスカリ、エウスカルテル(エチェバリアx2、昨年の覇者マヨ)、ファッサボルトロ(ジロに出ないメンバーがエントリーされているのだろう。今日時点で名前があがっているのは、バルダート、ギュストフ、ゴンチャール、イワノフ、ローダ、モントゴメリー)、FDJiBANESTO(マンセボ、オサ兄弟)、Jドゥラトゥール、オンセ(イゴールG、ヤクシェ)、サンカンタン(移籍したリネロ)、USPで、あともう1チームが後からセレクトされる。特に、オンセとバネストは、ジロ出場を最近になって取りやめたため、ジロに向けて調整していた選手が、こちらのレースに流れる模様。また、76日のツール開始の1ヶ月強前に行われるレースとして、ランスの調整ぶりも見ものだろう。

ミディリーブルの今年の特色は、ラスト
2ステージが山岳コースとなっている点。最後の最後まで期待感が続く。このラスト2つの山岳コースを、ランスがどう料理するかが実に見所だ。

ところで、このミディ リーブル、実は存亡の危機に面している。昨年、ツールドフランス、ミディ リーブル、ドルフィネといったフランスのレース主催者は、ドーピング撲滅のためのプロトコルにサインをかわした。しかし、今年のパリ~ルーベで、ドーピングコントロールがないがしろにされた。ミディ リーブル主催者は、アンチ ドーピングの倫理に反する今後の事態を懸念し、倫理規範に則ったレース運営が困難とされるようになった場合は、来年からレースの開催を中止すると表明した。

無理もない。このレースの主催者は、ラングドック地方のローカル新聞ミディ リーブル紙なのだ。こうした独立系のローカル紙主催のレースとなると、いろいろとデリケートな問題も出てくる。スキャンダルでも起これば、一気に新聞の購読にも響きかねないし、ドーピングとの戦いを取り上げるジャーナリズムの立場からもまずいこと。同時に、予算の問題もある。ここ数年の自転車レースに対するイメージ ダウンで、スポンサー離れがあり、予算確保が難しい。とはいえ、目下ジャジャ、ランスといった一流の選手がエントリーしている。選手からも、監督からも、一流のレースと見なされていることには間違いない。主催者の長である、
NJ ベルジュルー氏は、強い口調で、きっぱりと語った。「ミディ リーブルでは、注射器の氾濫は許さない」と。



2002年04月18日

Procycling誌の記憶に残る落車記事から:

ケース1:ファンの応援が仇?)
2000年のプルエでの世界選手権。ステファン・ベルジュがスリップして落車。右肩を骨折した。何故、雨でもないのに道が滑りやすかったのか?実は、路上のペイント(ファンが路面に選手名などを書くあれ)が原因だった。そこでベルジュがスリップしたというペイントを見てみると。。。なんとそこには、「Berges」(ベルジュ)と描かれていた。そう、彼は自分を応援するペイントの上で落車し、リタイヤしたのだった。


ケース2:原因は落車ではなく)
「クラッシュで最初に亡くなったとされるライダーは、スペインのフランシスコ・セペダである」、という記録がある。落車地点は、ラルプデュエズの麓の町、ブールグドワザンだった。頭蓋骨折で、グルノーブルの病院に運ばれ、3日後に亡くなった。この記録、実は 年代が明確になっていないのだが、年代が判明しているケースとしては、1910年ツール・ド・フランスの最中に亡くなったアドルフ エリエールがあげられる。

但し、アドルフの場合、死因が 他のケースとはちょっと違う。なんと溺死だった。ツールはニースのステージに差し掛かり、アドフルは快調な走りを見せてきた。そして、休息日。休養を兼ねて泳ぎにいった。そして、、、溺れて二度と帰らぬ人となってしまった。



英国の自転車雑誌Procycling誌が過去記憶に残る落車、事故特集を掲載している。タイトルは 「強者はどのように落車するのか?」

内容は、シリアスなもの、何とも言えぬ因果を感じるもの、様々だ。
そんな中、元USP監督ヨハン・ブリュイネールが選手時代に遭遇した落車も含まれていた。
以下引用:


● 谷底へまっしぐら、ブリュイネールの記憶に残る落車

1996年ツールドフランス。なぜかいつもと空気が違っていた。ミゲル・インドゥラインがクラックし、ツーレはロードにいる時間よりも、(落車で)排水溝に落ちていた時間の方が長かったのでは?とまで書かれたほどクラッシュの犠牲になり、やがて去っていった。そして、現USP監督のヨハン ブリュイネール(1996年 選手当時はラボバンク)は、谷底へとまっさかさまに転落した。レザルクの濡れた路面を先頭集団で下っていくブリュイネール。その彼の後輪が突然ロックし、彼の姿はTV画面から忽然と消えた。

ブリュイネールはこの時のことを振り返る。「覚えているのは、道路の低い壁に向かってスライドしていったこと。塀の向こうは断崖絶壁だ。塀にぶつかる瞬間に僕が思ったことは、スリップは止まり、塀にぶつかった後、また道路の方にバウンドして、倒れるだろうということだった。しかし、気づいた時には、僕のからだは、その低い塀を越えて 谷の方に向かって落ちていた。」
「それは、奇妙な感覚だった。空中にぶら下がっているようで、僕の心臓は口の中にあるような、そのくらいの恐怖感だった。そして、次の瞬間、突然木々の茂みの中に僕はいて、それ以上転落することを免れた。とにかく先頭集団に戻ろう、そう思って斜面を登り始めた。チームカーが止まっていて、助けを借りながらなんとかレースを続行することができた。」

しかし、この後は、やはり下りに対する恐怖感が拭えなかった。これがクラッシュの一番の痛手だったかもしれない。ゴール付近のレザルクでは、下りで15分はロスしただろう、と彼は思っている。その後ホテルに戻り、TVでリプレイを見た時、再び恐怖感が蘇った。でも、じきにその感覚も克服できるようになり、以後、なるべくこのことは、思い出さないようにしたという。

ただ、TVで世界中に配信されたから、その後も多くの人々の記憶に今もとどまることになる。

(ちなみに、私の手元にもブリュイネールが崖を上る写真入りの黄ばんだ新聞記事がある。)



2002年04月17日

マペイのオスカー・フレイレとチームマペイの溝は広がるばかり。チームは、フレイレとの契約交渉の時期をどんどん後延ばしにしただけでなく、現在フレイレに確約されているのは、今シーズン限りの契約だけ。また、ミラノ~サンレモの一番肝心な場面で、フレイレのアシストがきちんと機能しなかったというのも彼の不満を誘っている。そうこう しているうちに、フレイレ獲得を狙うスペインのトップ2チームが、すごい計画を打ち出した。

まず、
iBANEST。なんと徹底的に「フレイレのための、フレイレによる」チーム作りを本格的に打ち上げる構えでいる。マネージャーのエチャバリは、既に、スポンサー探しを開始した。フレイレの契約金確保のためだ。更に、クラシックにあくまでも拘るフレイレを惹きつけるため、クラシックに強いスペイン選手(ビシオソ、オリヨ、アスタルロアら)や外国人選手の獲得も考えている。スペインは、昔からクラシックに対する評価が低く、ステージレース志向がとても強い。こういった伝統的背景を考えると、チームのクラシックの強化などということは、スペインの自転車界にとっては、すごいことなのだ。フレイレひとりのために、チームが方針転換することになれば、バネストの歴史においても特異なこと。

次に名乗りを挙げているのはオンセ。現在第
2スポンサーであるエロスキは、増資を行って、第1スポンサーとなり、フレイレのバックアップをする用意もあるという。既にチームには、ヨレバ・ベロキとイゴール・デ・ゴンザレス・デ・ガルデアノというリーダーがいるが、オラーノの引退をにらんで、フレイレ中心にクラシックにも重点を置くようにシフトする構えだ。

更に、フレイレの代理人である兄のアントニオのもとに、フレイレ獲得の打診をしてきたのは
USPUSPはヒンカピーを筆頭に、クラシックにも食指を動かしている。ヒンカピーは、フレイレが苦手とするフランドルやパリ~ルーべに強い。従って、ここでフレイレが加わっても、それぞれ本当に得意とするクラシックの内容が微妙に違い、クラシックのリーダーとして両者が補完しあえるという公算だ。但し、「全ては、アームストロングの天の一声 次第だ」、とスペインの新聞記事はコメントを添えている。

フレイレは、クラシックに拘ってマペイに加入したわけで、また、怪我のサポートをしてくれたマペイには感謝している。そのため、今すぐに、マペイを飛び出すというアナウンスをしたわけではない。しかし、少なくとも来季、フレイレがマペイにとどまる可能性はないだろう、そう記事は書きたてている。今週水曜のフレッシュワロヌ、そして、その後のリエージュ~バスト~ニュ-リエージュ(
L-B-L)に出るため、フレイレは現在ベルギーに滞在中。帰国後、新聞記者たちは、フレイレの真意を探るべく、取材を敢行する予定。

 



2002年04月16日

フランク・ヴァンデンブルック(VDB)、ニコ・マッタンの検査の結果が出た。振り返ってみると、マッサー兼 馬のブリーダーであるサインツ氏の車から薬物が発見されたのが、スタートだった。サインツ氏は、VDBの自宅に宿泊した帰りだったことから、まずVDBの自宅が家宅捜査を受けた。そして、自宅から発見されたのは、クレンビュテロール、モルヒネ、EPO。(VDBいわく自宅の犬用の薬物だったとか。)更に、サインツ氏が、その後 マッタンの自宅に向かう途中だったことが発覚。マッタン、VDBともに薬物検査を受けることになった。このたび検察庁のクリスチャンデュフール氏が公表したところによると、VDB、マッタンともに、先日の尿検査の結果はクリーンであったことが判明した。また、サインツ氏の所持していた薬物自体は、禁止薬物ではなかった模様。しかし、捜査はまだ暫く続行する予定。既にVDBはドモを解雇されている。



2002年04月15日

 ジャラベール 424日にカムバック予定

ミラノサンレモ以来、ヴィールス性の病気で調子を崩していたジャラベール。424日からスタートするドイツのニーダーザハゼンツアーでカムバックを果たす予定となった。春のクラシックを棒に振ったジャラベール。スケジュールは、その後51日のGPフランクフルト、58日からのダンケルク4日レースの予定。

● 
パンターニのジロは続く

1年前のジロ2001がまだ終わっていない。先週木曜、フィレンツェの検察庁から召還を受け、1時間半にわたって尋問されたパンターニ。ジロ2001 17ステージの後で、ホテルの彼の部屋からみつかった注射器(中にはインシュリンの残留物が検出された)の弁明を行った。「この注射器は僕のものではない。しかも、注射器が見つかった部屋が僕の部屋だったと どうして決めつけるのか。プライバシー保護のため、僕らのチームでは、選手の部屋割を公表していないのだから。僕には何も隠すことなどない。」と述べたという。

● 
ワールドカップ ランキング

ムセウがパリ~ルーべで優勝し、チポッリーニを抜いて、ワールドカップランキングでトップにたった。もしも彼がワールドカップ総合優勝を果たした場合は、ワールドカップ総合優勝3回目という輝かしい新記録樹立となる。

現在のランキング:1位:Jムセウ 170 pts2位:Mチッポリーニ 120 pts3位:Aタフィ 109 pts4位:Gヒンカピー 82 pts5位:Fロドリゲス 79 pts



2002年04月14日

32630日のセッティマーナ インテルナツィオナーレ コッピ-バルタリ出場の時の日記)

「イタリアに戻ってきた。イタリア選手たちが、なぜ自国でのレースを好むかがよくわかる。家族や友人らが、彼らを激励に訪れ、チームのためにおいしいデザートの差し入れをしてくれる。(食事の後、タフィの奥さんからデザートの差し入れもあった!)また、ここでは、レース主催者から選手に対する待遇が手厚い。ホテルにしても、食事にしても。ハイウェーのモーテルに宿泊する代わりに、トスカーナ地方の豪華のホテルで、こうしてトスカーナの上流階級たちと一緒にステイするのさ。

(レース初日)まずしょっぱなに、海沿いのリゾートに沿って8キロのチーム タイムトライアルある。この程度の距離はちょっと微妙なんだ。まず朝食を食べてから走るか、それとも走った後に食べるか?或いはゴールの前後に2回食べるか?最初の1キロは、そこそこ問題ない石畳なんだけど、路面にぼこぼこ穴があいていたり、海風が強かったり。ちょっと面白そうな展開になりそうだ。他のチームメートについていくだけじゃなく、他にも気をつけなくてはいけないことがいっぱいある。石畳に取られておもいっきりディスク ホイールが上下する中、海風と穴ぼこだらけの路面をよけながら、時速50キロ少々出しつつも、フロント ホイールはしっかりとキープしていく、なんて、ちょっとワクワク体験じゃないか。

(さて、その
TTTの当日)僕らは バラバラにならないように、必至でつながって走った。平均時速は53キロといったところ。他のチームでは、ちぎれる選手が数人いたりしたから、僕らはいい出来だった。僅か1秒の差でステージ優勝し、リーダージャージを獲得するってのはいい気分だ。チームには、これがプロ初勝利となった者もいて、これで士気が高まった。(注:マペイは01.79差でFASを倒してTTTでステージ優勝した。)開始早々縁起がいい。

(長いので、飛ばして 最終日)今日、僕は総合首位のカーザグランデの動きに集中する。僕とフィグエラスの
2人が最後から2番目の山でエスケープできて、チャンスがきた、という感じになった。あと残り25キロだ。2人で快調に飛ばしていた。ところが、きついカーブでフィグエラスが転倒した。ブレーキに飛びついた僕は、バイクから放り出された。もっともいわゆる、ソフト ランディングってやつで、助かったがね。そう、ブラックベリーの柔らかい茂みに突っ込んだんだ。ソフトとはいっても、トゲでちくちく引っかき傷ができたけど。どうしようもなく、茂みに仰向けになっていたら、一人のカメラマンがレンズを構えてこっちめがけてくるじゃないか!僕は最初に口をついて出てきた汚い罵り言葉で、怒鳴ったぜ。でも、こんなことは2度と繰り返さないようにしなくちゃいけない。TV放映されていなかったことを祈る。

ひっかっき傷をこさえながら、しっちゃかめっちゃかになりながらも、なんとかカーザグランデのグループに追いつくことができた。最後の山岳を利用してカーザグランデたちを引き離したんだが、下りで追いつかれた。
1日に2回ものクラッシュで自信がぐらついたのか、下りで大胆に走れなかったんだ。最後のゴール スプリントに向けて、力を出したかったところだが、ポジショニングが悪かった。(注:結局、カーザグランデより先行できず、この日9位に終わる。)でもまあ、総合3位だからよしとしよう。それに、山岳賞とヤングライダー賞も手に入れたから、これで傷も癒えるだろう。次回はバスクで また気を引き締めるとしよう。

コッピバルタリ
2002の総合順位は:

FASのフランチェスコ・カーアグランデ、2位、タッコーニのペテル・ルッテンベルガー、3位がマペイのエヴァンス。
(Cyclingnewsより)



オンセがジロを辞退することを決定し、代わりに、シーズン前半なかなか活躍を見せているモビルヴェッタがジロに出場することになった。出場選手としては、ツールで区間優勝を経験しているマリオ トラヴェルゾーニらが有力。



2002年04月13日


先日のパリルーベ騒動で、「アックア・ネ・サポーネは、パリ~ルーベのオーガナイザーであるASOに対し、法的手段も辞さない構えを見せている」、そんな記事がcyclingnewsに掲載されている。

マリオ・チポッリーニが、「パリ~ルーベに出ない」、と表明してから、アックアのレース出場が取り消された。チームとしては、このような不当な形でレースから締め出されたのは心外である、として、
UCIにクレーム。偏見に満ちたチーム選出がなされたことにつき、断固とした抗議文を送った。

一方で、当のチポッリーニのほうは、
10日のヘント~ウェヴェルヘムでの優勝に気をよくしており、「いっそうのこと、14日はコンピエーニュのスタート地点に行くべきだったかな」、などというコメントも漏らしている。コンピエーニュは、もちろん、今度の14日のパリ~ルーベのスタート地点だ。チポッリーニは好調で、もしもこのレースに出ていたら、勝てそうな気がしてきた、ということらしい。最も、ジロを優先し、落車の危険をさけるためには、パリッルーベ欠場の決断は彼にとって仕方なかった。



2002年04月12日

● レラックスチームのセサル・ガルシアのちょっと風変わりな経歴とは?


去年のヴエルタで、ワイルドな風貌と総合メタボランテ・ジャージ獲得で一躍脚光を浴びたセサル・ガルシア。イノシシというあだ名の彼は、実は、自転車選手になる前は、ある別のスポーツで脚光を浴びたアスリートだった。そのスポーツとは?今までスキーやサッカーが得意だった選手なんていうのはよく耳にしてきたが、このパターンは初耳だった。彼は砲丸投げと槍投げの名手だったのだ。

ガルシアは、室内砲丸投げのヨーロッパチャンピオンであるマヌエル・マルティネスと互角に張り合った名選手だった。しかし、マルティネスにかなわないことが多く、いつも2位が定位置という状況になる。地元レオンでは、数々の輝かしい優勝経験をもち、19歳まで競技を続けたが、20歳で自転車に転向。アマで4シーズン走り、40勝ほど収める。99年プロに転向し、今回のバスク レースの区間優勝は、彼にとっても嬉しいプロの成果だった。

特にゴールでエウスカルテルの半分バスク&半分ベネズエラ人であるウナイ・エチェバリアとのゴールでのデッドヒートは素晴らしかった。ゴール スプリントを避けたいエチェバリアがゴール250m手前で飛び出して、一気にゴールめがけたものの、エネルギー消耗したところで、きわどくガルシアが捕らえて優勝。その爆発力は、さすが元砲丸投げの名手。更に驚くのは、彼はそれまで157キロを逃げ切った後のスパートだった。157キロ逃げる間には、一緒に逃げる仲間は次々に入れ替わったものの、ガルシアは常に前に前に出る走りを見せた。一度 途中でトップグループから脱落したものの、ゴール手前10キロ地点でエチェバリアらに追いついたのだった。まさに気迫のレースを見せてくれた。彼はステージレースよりもクラシックが好き。レラックスではクラシックに出る機会がないが、そのうちチームを変わってクラシックに出るようになると、ますます面白い選手になるかもしれない。



2002年04月11日

チームができてから23年目。現在最古参チームとなるケルメのビセンテ・ベルダ監督が、今回のオンセとバネストのジロ出場とりやめ(2002410日のニュース参照)を非難した。

「もしもジロをキャンセルして、ツール・ド・スイスやドーフィネなど他のレースに変更して調整したとしても、それらのレースがスペイン国内で放映されるわけではない。地上波でのTV放送がないから、という理由でジロをギブアップするのは、理由にならない。」と。確かに、チームがジロ出場を見合わせたことによって、オンセのオラーノのように、シーズンのカレンダーが狂って、調整の梯子をはずされたように感じている選手がいることは事実だ。現在行われているバスクレースは、ケルメにとっては、丁度ジロに向けたいい調整になっている。総合は無理でもステージを狙っていくと監督は語った。(ところで、バスクツアーといえば、第2ステージでフランチェスコ ・カーザグランデが落車で怪我を負ったという心配なニュースも入っている。)

 

ケルメのグランツール予定だが、今の時点では、
ジロのメンバーはゴンザレス、ビシオソ、ガルベス、
ツールはもちろんセビーヤ、ボテロ、2人のグティエレス(片方は今年オンセから移籍してきた)、カベヨ、
ブエルタはセビーヤ、ボテロ、ビシオソ、ゴンザレス、タウレルなどの予定。
目下ケルメは今季3勝している。マヨルカ区間でゴンザレス、マヨルカ総合でカベヨ、先日のGPインデュラインでビシオソがそれぞれ優勝を飾っている。



2002年04月10日

スペインの主要TVチャネルのTVEがジロを放映しないため、バネストとオンセがジロをボイコットするという記事が、数日前から多く見られていた。ところが、ジロの公式HPを昨日見た段階では、バネストの名前はないものの、オンセはしっかりと出場チームに入っていたので、このニュースを掲載すべきかどうか迷っていた。しかし、昨年ジロ3位だったオンセのアブラハム・オラーノや、準リーダーのオサ兄弟らは、既に2日前から、「折角ジロに向けて調整してきたのに、トレーニングメニューを今更変更するはめになった。ジロに出られないのはとても残念」、などとコメントしており、これを聞く限りでは、オンセのジロ出場キャンセルは 確定した模様。


こうなると、スペインでジロに出場するのは、ケルメだけになる。バネストは、昨年ジロでいい走りを見せたのに、国内TV放送がなかったために、スペイン国民がジロでのバネストの成果を認知していなかった。だから、今年も放送がないなら、走っても無駄だと主張。ジロのTV放送については、ガゼッタの要求額の高さなど、いろいろと問題が指摘されている。放映権をつりあげて、TV放送が減り、それが自転車ファンを減らす結果になってしまうとすると、ちょっと忌々しきこと、と言わざるをえない。

 

 

         ヴエルタ ア パイス バスコ(48-12日:スペイン)
1ステージは、RABのベアト ツベルグ、第2ステージはレラックスのセサル ガルシア(昨年ヴエルタで目立っており、メタ ボランテを制覇した)がそれぞれ区間優勝した。ところで、このセサル・ガルシアなる人物、おもしろい経歴の持ち主。後日ニュースにしたいと思っている。



2002年04月09日

チポッリーニの批判(先の4/8付けエントリー)がリリースされた後、ソシエテがアックア・ネ・サポーネを今度の日曜日のパリ ルーベ出場チームから除外した。実は、ソシエテは、レース出場チーム枠を特別申請して、26チームに増やすことを計画し、この26チーム目の枠にアックアを入れようとしていた。

しかし、チポッリーニが出場しないことが判明し、アックアを出場枠に入れるのを中止したということらしい。
チポッリーニは1992年に一度パリルーベに出場しただけ。その際は、92位に終わった。最も過酷なワンデーレースとも言われるこのレースには、果敢なライダーたちが挑むものの、一方で、ミケル・インドゥラインなど、その危険ゆえ、出場を見合わせるライダーが多数いるのも事実。しかしながら、今回のチポッリーニVSソシエテのからみは、“52日”にどう影響を及ぼすのかが、注目されている。“52日”とはなにか?ツール・ド・フランスの残りの出場枠がワイルドカード方式で最終決定される日だ。今回の一件により、アックアネサポーネのツール出場はどうなるだろう。



2002年04月08日

フランドルで9位とタフなところを見せたマリオ・チポリーニだが、今度の日曜のパリ~ルーベには出場しないことがわかった。ワールドカップシリーズ第1戦のサンレモで優勝し、第2戦のルーべで9位だったチッポリーニは、当然現在ワールドカップシリーズで現在リーダーだ。


ワールドカップ優勝者には
100ポイント、2位以下に、
7050 40 36 32 28 24 20 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 21ポイントずつ
付与されるので、チポ
リーニは、現在120ポイント獲得しているはずだ。

しかし、パリ~ルーベは「余りに危険、自分には向いていない」、といった理由で出場を見合わせるという。今年、体調優先でシーズンを乗り切りたい、という意向らしい。

また、もう1つ辞退の理由として、伝えられているのが、パリ~ルーベの主催者がらみの話。パリルーベはご存知のとおり、ツールの主催者ソシエテが主催するレース。同じくソシエテ主催のツール ド フランス
2001に、彼の元チームであるサエコが選出されなかった。
「昨年、自分を切り捨てた主催者のレースに、なんで今更出る必要があるの?」そんなところらしい。(
cyclingnewsによると実際に彼の口からそのように語られたことになっているが、イタリアのサイトで実際そんなインタビューは未確認。)
とにもかくにも、彼としては、ワールドカップのリーダージャージは主要な目標ではなく、それよりもジロなどを優先するとのこと。



2002年04月07日

その3:クワランタはワンワン落車で中手骨骨折

インデックス アレクシアのイヴァン・クワランタ(あるジャーナリストに言わせると、自転車選手の中で最もハンサムないい男、ディルーカなんて目じゃないと。モデル系の顔立ちか)が、右手中手骨の骨折で デパン出場を断念した。月曜にベルギーでトレーニング中、飛び出してきた犬をよけようとして落車。X線の結果、骨折が判明し、ベルガモに戻って専門医に治療を受けている。

ところで犬といえば、UCIでは、UCIの自転車選手資格を持つ者が犬を飼うことを、禁止する動きが出ている。これは、VDBの自宅で禁止薬物が発見された際、「犬用の薬物だ」と彼が言ったことに起因する。犬を禁止薬物所持の避難場所に使われてはたまらない、との理由だそうだが、犬によって怪我を負うことになったクワランタも、犬を飼うことを制限するこの案に賛成したとかしないとか。


その4:ウルリッヒの膝の状況は。。

今季、好調ぶりを発揮しているアームストロングと対照的に、膝の故障で少々ブレーキがかかってしまっているウルリッヒ。現在フライブルグ大学のプールでリハビリを行っており、月曜からは、トレーニングが再開できるのではないか、と期待されている。関係者によると、彼のレース復帰は、うまく行けば5月初旬。ツールの調整には間に合うところだ。しかし、あと3週間以内に、本格的な走り込みすらできない状況となると、ツールの参戦にも影響がでるのではないか、と今から心配する声もある。


その5:ベロキ漸く復帰

今シーズン、2月3-7日のチャレンジマヨルカを第1ステージだけ走って、大事をとって リタイヤしたベロキ。アキレス腱故障で、2月9日のエウスカディ6時間レースを最後にレースから遠ざかっていた。治療中、何度も症状が再発し、2週間、全くバイクに乗れない期間もあった。先週、針治療を続けながらトレーニングを再開した。バスク人のベロキとしては、4月8日から12日のバスクツアーには出場したい、という意向を示している。去年もこの時期に落車で怪我を負ったものの、ツールでは2年連続の3位となっているので、周囲も、この時期の怪我についてはあせってはいない。一方、炎症でずっとレースから遠ざかっていたコーストのベルトランも、漸く復帰の目途がついたところ


その6:続報― ヒメネスはあせらずじっくりと

現在心療治療を受けているヒメネス。担当医師によると、「こういった病気の場合、15日で完治することもあれば、15ヶ月のこともある。人によって完治への道はケースバイケースなので、辛抱が大切」、と語っている。チームも、「今から彼のツールやヴエルタ出場について考えるのはナンセンス。チームとしては、今は彼の今年度プログラムは白紙にしている。彼を支援し続けるだけだ。今まで、パンターンニやVDBのケースを見ても判るとおり、余り本人の復帰を急いでプレッシャーを与えるのは良くない。今は静観の時だ。」と述べた。



2002年04月06日

その1:ヴルモート心臓病の 経過待ち

先のヒメネス病状も気になるところだが、更にロットのスティーヴ・ヴルモートにも気になる話が持ち上がっている。心臓病が発覚したのだ。ヴルモートは、ミラノ サンレモ後、胸の痛みを訴え、精密検査を受けた。その結果、生命の危険はないものの、選手生命の危機を迎えている。彼の状態は、頻脈性不整脈と右側の心臓肥大。(cyclingnews原文ではtachyarythmyとなっていたが、yの前のrは本来rrとダブルで書くのが普通。 Tachyarrhythmiaで、頻脈性不整脈を表す。 tachyはギリシャ語のtakhusから来ていて、Swift(速い)という意味。英語の読み方は「タキ」。Tachyphagiaといったら速食症。)

頻脈性不整脈と右側の心臓肥大の問題により、深刻な不整脈を引き起こす恐れがある。26歳のヴルモート。USPやフランドルの数々のチームを経験し、昨年のツールは総合36位で終えた実績を持つ。「選手活動を続ける望みがゼロでない限りこの両手でしっかり希望という手綱を持ち続ける」、彼はそう語っている。

 

その2:フレイレはフランドル断念。腱鞘炎治療中

オスカー フレイレはついていない。折角調子が上向いてきたところへ、集中トレーニングの最中に右足炎症の痛みを訴え、デパン出場を断念。数日休んだものの、経過が上向きにならないため、47日のフランドル参加も中止となった。フランドルでは270キロ走らなくてはいけない。加えてあの石畳。現在40キロ走るだけでも力が出ないという。こんな状況では、とても優勝できる気がしない。ここで調子が悪いままフランドルに出場して、後に尾を引くよりも、きっぱりと諦める決断をしたフレイレだが、年初からフランドルへの意欲を見せていただけに残念な結果となった。



2002年04月05日


iBANのホセ マリア ヒメネスが今シーズンスタートを切れず、家に閉じこもっている。精神的な問題で、レースはおろか、練習さえもままならず、走ることができないということで、とにかく、アーエスの新聞記事を 下記にそのまま訳します。

記事和訳>>

記事No.1 - 見出し:チャバ(ヒメネスの愛称)、引退の瀬戸際

ヒメネスは、今 一番きついステージを走っている。今までの人生で、最も難しいコースだろう。1人の選手として、そして、1個の人間として、どうにかこの局面から脱出しようとしている。今シーズン、まだスタートをきれず、トレーニングもままならないヒメネス。家族によると、原因は個人的な問題で、相当な欝状態にあるという。

ヒメネスは、チームのボスを含め、ごく親しい人たち以外とは、一切接触したくない状況にある。電話にも応答せず、伝言にも応じない。現在エルバラコの街でヒメネスと一緒に暮らしている彼女のアスセナが、インタビューに不承不承応じた。欝の原因が、中毒症状による、という一部の噂には憤慨し、「コカインですって!やめてよ。馬鹿なことは言わないで。彼は欝状態なだけ。でも、もうすぐ治るはず。こうした悪い報道が、彼を更に落ち込ませるんだから。」

「余り、私的なことは話したくないけど、悪い噂を消すために口を開くわ。今年最初は、ホセは元気だったの。でも、最初に口腔炎症(年初、キャンプをそのため途中で離脱した記事が確かにでていた)、そして次に(白血球の一種の)単球増加症に悩まされたの。その間、プライベートでもいろいろあったり、私が病気になったりして、彼はトレーニングもできなくなって。更に31歳という年齢にも多少彼の精神に影を落としたりして、とにかくいろんな要因で彼は落ち込んでるの。でも、今なんとか脱出しようと戦っているのよ。」

丁度このインタビューが終わった頃、ヒメネスの義理の兄弟で
CSCに今年移籍したサストレがトレーニングから帰ってきた。彼は、「最近ホセとは話していない。彼については、そっとしてやってほしい。誰にだって 悪い時はある。今は ただ家に閉じこもって、誰とも話したくない状況なんだ。説明は、監督のウンスエに聞いて欲しい」と語った。


記事
No.2 ― 見出し:ウンスエ監督「彼がこれで終わりだとは信じたくない」

(ウンスエ監督)「チャバ(ヒメネスのあだ名)は少しずつ良くなっている。個人的な問題を抱えているが、乗り越えられるだろう。彼には電話をしたりして、できるだけ力になろうと頑張っている。彼はひとりで戦っているわけじゃないんだ。早く集中できるよう、回復してほしい。自転車選手として、これで彼は終わりじゃない、そう信じたい。」


記事
No.3 ― 見出し:JMヒメネス、「危機的状況だけど、僕は終わっちゃいない」

(ヒメネス独白)「個人的な危機に直面している。でも徐々に良くなっているんだ。脚を骨折して、数ヶ月走れない選手だっているじゃないか。僕に起こったことも、似たようなこと。但し、問題の性質がやや違うだけ。僕はここ数ヶ月、何かにおびえている。練習しようとしても力がでない。どんどん落ち込んでいく。「疲れてるんだろう」、そういう人もいるけど、今回のケースは違うんだ。でも僕は引退しない。新聞が どう書きたてようと、言いたい奴には言わせておけ、そう思う。ただ1つだけはっきり言っておく。僕は必ず戻ってくる。人生はアップダウンさ。こういうこともある。今はエアポケットに入ってしまっただけ。でもチームには感謝している。昨年は対立したが、今はとても良好な関係で、いろいろとサポートしてくれている。(ボスの)エチャバリ、ウンスエ、ドクターたちには非常によくしてもらっている。今世間で言われている噂は一掃したい。勝っている時はちやほやされるが、その後ちょっとすると、酷評されるようになる。ちょっとした妬みってやつさ。」



2002年04月04日

先のコラム、USPのメカニック、ジャンマルクのインタビューは、メカニックの目を通して語られたアームストロングということで、とても興味深かった。

ところで、訳していて、ある重大な事実に気がついた。
2001年の自転車展で飾ってあったランスのイエロージャージには、ランス自筆のメッセージが書かれていた。「ジャンマルクへ。」と。あの時は、ジャージをもらったジャンマルクなる人物が誰なのかわからなかったけど、あれは、メカニックのジャンマルクに、ランスがメッセージを添えて贈ったもののようだ。

そう考えると、残りのメッセージの意味が納得できる。あのジャージにはこう書かれていた:

「ジャンマルクへ、君が僕らにジョインできて本当にハッピーだったよ。最高だった。また(一緒に)やろうぜ。。。」

ランスからジャンマルクへのメッセージは、2001年ジャンマルクがUSPにメカニックとしてジョインできたことに対し、ランスが感謝の念を述べているのだ。そして、2002年も、また一緒にUSPでやっていこう、そういうランスの願いがこのジャージにこめられていたというわけ。



2002年04月03日

先のエントリーの続き。ランスとウルリッヒのメカニックを務めたジャン・マルクのインタビューその2。本日はランスのバイクについて:

― クラシックではどのバイクを使用するの?

「ランスはTrek5500に乗る予定。クラシックの石畳や路面の悪い道路では、安定性が優先される。やや重めのバイクを使用することになるんだ。」

― ホイールについて教えてくれる?

「新しいBontrager ボントレイガー(Race X-lite)のホイールだよ。ランスは今年、ほとんどこれで行く予定。トレーニングキャンプ前からこれをテスト的に使ってみて、いい感触を得たんだ。」

― ペダルは?あのランスの伝説のシマノ7400ペダルはどうなったの

「シマノには感謝しなくちゃいけない。商品開発に尽力してくれた。昨年、ランスは、バイクの軽量化に何をすべきか頭を抱えた。僕は言ったんだ。「あの古くて重たいペダルを変えるべきだね」、と。すると、ランスは「15年も同じタイプのペダルを使ってきたんだ。今更変えたくない」、と言った。そこで僕は提案した。「じゃあ、シマノが全く同じ機能で、重量だけが軽いペダルを作った解決できるね」、と。なんと見事シマノはそれを実践してくれたんだ!前のシマノ7400よりも240gも軽いペダルさ。昨年11月からずっとそれを使っている。今USPチームの半数が、このペダルに変えたんだ。」

USPにとって、2002年のシーズンはどんな感じだろうか

「もちろん、チーム一丸 ツールドフランスに集中する。選手のコンディションやツール向け機材など、万全の準備を行わなくてはいけない。ジョージ ヒンカピーには、クラシックでの活躍ももちろん期待している。」

―クラシックにチームUSPが出場すれば、うまくすれば(フランドル地方の)自宅に帰れるかれ嬉しいのでは?(注:ジャン・マルクはベルギー人。また、当時トップレースへの出場は強制的ではなかったので、USPがフランドル一周などのクラシックをパスすることもあり得た。)

「それでも200日は選手と一緒に自宅を離れて行動する日々が続く。そうして自宅を離れていても、(ホームシックになる暇もなく)あっという間に時間が過ぎていく。僕はこの仕事がめちゃくちゃ大好きさ。」



USPのメカニックであるジャン マルク ヴァンデンベルゲはベルギーのフランドル地方出身。今年でUSPのメカニックになって2年目になる。その前9年間は、なんとテレコムで働いていたという経歴の持ち主だ。つまり、これまでツールやクラシックで、ウルリッヒ、ツァベル、リースらのバイクを扱ってきた。そんなメカニックの彼が見たアームストロングとウルリッヒの違いとは?

「そうだね、ランスのほうがもっと、プロっぽいってことだろう。冬も含めて彼は一年中、プロの顔をキープしている。そりゃあ、ウルリッヒだって、すごい選手だよ。でも、ウルリッヒの場合は、ずーっと1年中バイクだけに集中しているという感じはなかった。ランスは、オフシーズンでさえ、1年、12ヶ月、ずっとバイクポジション改善をしたり、技術面の問題に取り組んだりしていたからね。」

「バイクのセットアップに関する2人の違いというのは、余り感じないな。USPもテレコムも、最高のマテリアルを使って、最高の装備を供給していたからね。でも、ランスの方が、ツール・ド・フランスに関しては、ウルリッヒよりも用意周到だったかもしれない。ツールの5,6週間前から、バイク、TTバイク、スペシャルホイールなんかに関して、要求を出してたよ。こういう風に、随分前から着々と準備するのは、僕は好きだね。そして もしもランスがレース前に、どこか変更をすべきだと考えた場合は、必ず、僕にEmailか電話をよこして、「ジャンマルク、ここをなおしたいんだけど、どう思う?」って聞いてくれるんだ。彼はいつでもオープンに意見してくれる。なんでもじかに彼と話しながら物事を決められる。もちろん、(相当前から準備をしているから)本当の直前で急に何か変更するなんてことは(USPでは)絶対にあり得ないんだ。」

― ランスの2002バイクについて教えてくれる?

Trek5900だ。フレームは昨年彼が山岳用に使用していたのと同じ。今年のミラノ サンレモでは、速いレース展開が予想されるから、軽いバイクを専用に選んだ。1キロくらいレギュラーバイクよりも軽いんだ。」(続く)