2017年03月03日

1999年10月以降のロードレースニュースを以下に移行中:

2002年03月22日

腰の持病で、昨年、何人もの医者を変えて治療に専念。レースにも余り出場できなかったマペイのオスカーフレイレ。彼が、昨年の世界選手権で見事復活を果たすことができたわけ、それは意外にも著名な医師でも、特殊治療でもなかった。ずばり、ストレッチ。

彼の治療の転機となったのは、フィンランド出身でセビリヤ在住の整体師ヴィヴィとの出会いだった。最初こそ、試行錯誤の治療だったが、二人三脚で取り組み、行き着いた治療法が入念なストレッチを含む一連のエクセサイズ。フレイレの場合、腰の筋肉繊維が萎縮を起こし、神経系統に触れていた。そのために、背中、左脚に痛みが発生していた。これを改善するために、自転車に乗る前後に、故障部分を意識した十分なストレッチを行い、更にあわせて、故障部分をかばうための筋トレを行うことにした。そして、日常生活においても、足に枕を挟んで寝る、固いベッドで寝る、睡眠時間は6時間半以内とする、水分補給を十分行う、など、生活慣習も変えた。これとあわせて、更に特殊なマッサージも、週2,3回行っている。

今まで、数分座ることすら辛い時期もあったフレイレが、自転車に乗り、レース出場ができるまでに回復したのだ。まだ100%の完治ではないというが、日に日に状況は改善しているという。

僅か15から20分のストレッチで改善した、というのは意外にも感じる。しかし、フレイレの場合、怪我の治療に専念しがちで、ストレッチで治療する、という発想はヴィヴィに出会うまでなかったという。



2002年03月20日

膝の故障で、調整が遅れているウルリッヒ。36日のムルシアに引き続き、49日のサルトのレースも欠場となる見込みが濃厚となった。テレコムのチームドクターによると、「ウルリッヒの膝の怪我は、今年の冬の集中的なトレーニングによる膝の疲労が原因。但し、現在、膝の靭帯と筋肉の状態は完治した。」と。

現在のところ、ウルリッヒは、年初のカタールレースにしか出場していない状況だ。チーム監督によると、「ウルリッヒの膝が100%もとに戻らなけれヴァスールルトのレースには出場させない。ジロまでには完全に復調するだろう。」と。



ヴィノクロフの総合優勝で幕を閉じたパリ~ニースの場で、主催者のJMルブラン氏が、ツールのワイルドカードについてコメントした。

「全体的に見て、フランスのチームは活躍をしている。パリ~ニースのモンファロンでは、ボンジュールがビッグマットやFDJとともに若い力を発揮した。そして、彼らは、チーム一致団結して力を出せば、頭を使って いい走りができるということを証明した。レースの朝、その日のコース地図を見て、風向きをチェックして、という風に、頭を使ってね。自転車競技は、力だけじゃないんだ。頭脳プレーなのさ。」

特に今回のパリ~ニース、総合2位に入ったサンディ カサールの活躍などで、フランス チームはいいところを見せられた。そんなこんなで、どうやらルブラン氏は、今年もワイルドカードにフランスチームをたんまり入れることをもくろんでいるようだ。とは言っても、ワイルドカード残り全部をフランスチームにする、ということには反対しているという。また、出場チームを昨年のように21から22チームに今年もするかどうかについては、宿の確保などの状況を見ながら慎重に進める。

「ワイルドカード選出にあたっては、パリ~ニースは、数ある判断基準のうちのたった1つに過ぎない。今から、選出についてやきもきせず、選手達には、自分達のレースをやってほしい。そうすれば、結果はおのずとついて来る。」と結んだ。



2002年03月19日

開催中のティレーノ~アドリアティコ、第4ステージスタート前に、警察当局の一斉捜査が行われた模様。ジロの調査の関連で、依頼を受けた警察が、現地時間朝の6時に数名の選手のホテルの部屋に入って捜査を行った。調べられた選手は、レベッリン、サッキ、スタンゲリ、カサロット、Sカサグランダ、レオーニ。カサロット(アレッシオ)の部屋から警察が見つけた軟膏2つは、しかるべき届け出がされていたもので、また、レベッリンは吸入器を所持していたが、警察署に連れていかれた後、申告書にサインをしてから手もとに戻された。この日は12.7キロのタイムトライアルで、選手全員が出走することはできた。(TT勝者はEデッケル)。ジロの時のような、大捜査ではなかったため、選手、スタッフ何人か対象となっただけにとどまった。



2002年03月18日

すでにインプット済の通り、昨年UCPのツールメンバーからはずされたセドリック・ヴァスールは、ツール開始前に、USPは自分をないがしろにした、ツールに選出されなかったのは不当、と弾劾する記者会見を勝手に開いた。批判の矛先は、ランスが以前賞金を分けなかったことや、ランスが雇ったボディガードにも及び、ファンとの接触という伝統をないがしろにしている、とまで述べた。

いざツールが始まると、グランデパールのダンケルクがヴァスールの故郷に近かったせいもあり、アンチ・ランスが一気に噴出。どうやら先の弾劾が一気にフランス人ファンのUSPに対する敵対心をあおったようだ。ツール初日プロローグの会場は一時騒然となったほど。

ヴァスールが行ったこのランス批判、ランス自身は、あっさりと受け流すかとも思われたが、
Cyclingnewsの電話インタビューで、反論を行った。ヴァスールの言ったことは、随分腹に据えかねたと思われる。特に、下記の点は興味深い。もしそれが本当なら、ランスが黙っていられなかったのがよくわかる。


ランス「ヴァスールが、僕が雇ったボディーガードの件で、
USPや僕を批判をしたのは、実に皮肉なことだ。(注:ボディガードなんかつけて、ファンと距離をおくのは、ヨーロッパのレース精神では考えられない、といったヴァスールの批判を指す。)というのも、ヴァスールこそが、ボディガードをつけなくてはならなかった要因なんだよ。彼がフランスのファンに、USPのことを弾劾したばかりに、我々は、電話、ファックス、Emailでフランス人のファンから様々な脅しを受けるはめになった。「アームストロングにはプロローグを完走させない」とかいった脅しをね。だから、家族や自分らを守るためにボディガードの措置を考えたんだ。あれしか手立てはなかった」と。


ジローナ(スペイン)に住むランスとの電話インタビューの抜粋は下記。(注:彼はフランスのマスコミがドーピング疑惑などで騒ぐため、ニースの自宅を引き払い、スペインに移住した。):

 

ランスが強調したのは、「(ヴァスールが指摘していた)ツール2000での賞金の分け前については、実際はヴァスールにもシェアが払われている。ツールの慣習からいうと、例えば、インデュラインやレモンの場合は、ツールで勝っても 自分で賞金はとらなかった。この慣習に僕も敬意を表しているから、賞金を選手たちに分け、スタッフにも多少分け前が行くようにした。更に、僕はポケットマネーから、選手たちのために追加で支払ったんだ。これは前例がないことだと思う。だから、ヴァスールが僕のことをケチと呼んだこと、これは許しがたいし、僕は傷ついた。」

また、ツール2001に選出されなかったことについて、ヴァスールに対し 理由が明らかにされなかったことについては、「ツールを勝つために、一番強い布陣を引いたらこうなったということだ。22人選手がいて、うち13人は出られなかったんだよ。セドリックはフランス人だから、ひどくがっかりした。しかも、スタートのダンケルクは彼の故郷のそばで、もう二度とそんな近くでスタートするなんていうチャンスがないだろうからね。でも、誰でも連れて行くというわけには行かない。」

「ツール出場選手の選出は僕がやっていると思っているらしいが、僕はライダーで、ボスではない。無論、僕はアドバイスはするけど、最終判断は僕の仕事ではない。ヴァスールは、僕の個人的な悪意のようにとっているが、そうではない。彼はチームにとっては重要な人物として迎え入れられたし、給料も十分に支払われていた。彼には期待にこたえてくれるよう、みんな望んでいた。但し、彼の出身地がダンケルクに近いからという理由だけで、ツールメンバーに入れるわけにはいかないんだ。」

また、ブリュイネール監督も、スペインのオフィスからこの件についてコメントを寄せた。「実際ツールの候補選手は11人いた。この中から9人が実際に最終メンバーになり、ヴァスールとホワイトは居残り組みになった。難しい決断だったよ。フランスでは、僕がルビエラを選んでヴァスールを落としたことに批判が相次いだ。というのも、ルビエラは怪我で、1ヶ月レースから遠ざかっていた。でもドクター判断で、ツールの前半おとなしくしていれば、後半には上向きになるだろうとわかっていた。実際ルビエラは前半15分ロスしたが、後半頑張ったよ。」

また、ヴァスールが、ツール2001開始前に、ツールプレスセンターでUSPの批判会見を単独で行ったことについては、驚いたと述べた。ツール2000の賞金をもらえなかったという発言に対しては、「彼は、賞金を受け取っている。ランスは、賞金の全てプラス自分のポケットマネーを賞金基金に払った。そして、ヴァスールら選手には、シーズン最後に、この賞金基金からそれぞれ支払いが行われている。」と。

USPチームとしては、ヴァスールがツール2001直前に勝手に開いたUSP弾劾記者会見だけでもヴァスールの「ファール行為」だったのに、更に今、ランス批判まで展開されて、黙ってはいられなかった、そんな印象を受けた今回のインタビューだった。



2002年03月16日

ファッサボルトロは、先日書いたバルダートのシチリア3連勝を始め、現在勝率5割に近い 圧倒的強さで快進撃を続けている。そんなファッサボルトロの選手全員が答えたFAS HPのアンケートの中で、「目標にしている選手」ダントツNo.1は誰でしょう?

以外にもイタリア選手ではなかった。目標にしたい選手トップ5にあがったうち、イタリア選手はひとりだけで!いったいその、トップ5とは?

 

その他、ワンデイレース派か、ステージレース派か聞いた質問では、ワンデイレース派が圧倒的かと思いきや、意外に半々の結果に。例えば:

― ワンデイレース派:バルトリ、バルダート、イワノフ、コニシェフなど

― ステージレース派:フランチェスコ カサグランデ、ベッリ、モントゴメリー、などまた、バッソは、ワンデイもステージも両方好き、と言った上で、とりわけツールが好き、と回答。更に「好きなレース」と「優勝を夢見るレース」の両方にも「ツール」と回答。バッソはツールに燃えているみたいだ。

その他、イワノフは読書のところで、スティーブン・キングが好きと答えたり、好きなアスリートにバルトリがカール ・ルイスをあげたり、ペタッキはサッカーのジダンをあげたり。へー、と思う回答、ちょっと意外な結果もあった、ファッサボルトロ選手HP選手プロフィールの抜粋は、「ファッサボルトロ特集 2002」にて。(かつて本サイトのhttp://www.eurus.dti.ne.jp/~furusawa/j-034.html)にて公開していたが、今ではアップロード中止中。)



2002年03月15日

去年(2002年)ヴエルタで優勝したものの、ケルメとのいざこざでチーム探しが暗礁に乗り上げたアンヘル・カセロ。(バレンシア市長が、地元出身のカセロの加入をケルメに進言。これが気に入らなかったベルダ監督、カセロのチーム入りを拒否。)この交渉が長引いてしまったために、今までのオファーは雲散霧消してしまい、気づいた時には、シーズンも終わりに近くなって各チーム、フォーメーションを ほぼ固めてしまっていた。

結果、その後に受け取ったオファーは、みな条件が揃わず。どうにかコーストに最後の選手枠で加入できたものの、カセロが希望していた、「フェスティナにいた弟のラファエロとアシストのビカリオを一緒に連れて移籍する」という項目は反故にされた。
2人のために、チーム探しをしようと、東奔西走しチームを探し回ったがうまくいかず、カセロは随分心を痛めた。

結局、ラファエルはチームが見つかったものの(ジャステル)、ビカリオは、いまだ金額で折り合いがつかずチームが見つからず。そして、このたび彼が公然とカセロ批判を展開した。チームのリーダーとアシストの関係はときに微妙だ。

 

ビカリオとカセロの双方が語った、一致している経緯は下記の点。

― カセロはフェスティナ消滅の後、弟のラファエロとフェスティナでアシストとして働いてくれたビカリオが一緒のチームになるように交渉してくれると約束。(但し、書面契約とかではなく、口約束。)

― しかし、カセロはチーム探しのタイミングが遅くなり、人員数の問題などのせいで、どこのチームも、カセロ以外の2人を伴う移籍を拒否。


― カセロはどうにかビカリオにチームを見つけたものの、ビカリオは400万ペセタでは年俸が下がるから、と拒否。


― 「フェスティナと同じ800万ペセタが払えないないなら、残りの400万ペセタをポケットマネーから出せ」、とビカリオはカセロに強要。


― 結局、ビカリオは800万ペセタに拘り、カセロが差額を払うか、チームが800万ペセタ払うかでなければ走らない、と主張。ビカリオは、「自分が浪人しているのはカセロのせいであることをマスコミに弾劾する」、とカセロを威嚇。カセロはギブアップ。


去年の冬、カセロやカセロの奥さんは、ビカリオのチーム探しに東奔西走していた。カセロは全てのスペインチーム幹部と交渉にもあたり、どうにか弟とビカリオを救済したい、と何度もコメントしていた。そもそもカセロが2人と一緒に移籍できなかったのは、彼自身の移籍が難航したことに一因がある。彼自身、満足いくオファーはもらえなかった。選手は自分を高く売りたいから、前半振るわなかった選手は、ヴエルタに賭ける。しかし、ヴエルタが終わる頃には移籍交渉は、終盤だ。これで乗り遅れたのがカセロには痛かった。スペインチームで走りたい、という夢は叶わず。

もしもフェスティナが継続していれば、チームと契約更新も可能だが、チームが消滅するというのはハンデがある。前の年に、フェスティナと契約破棄してまでオンセに移籍したベロキはいいチョイスだった。フェスティナ消滅の前にスイスイと移籍できたのだ。


カセロは言った。「冬の間、必死になってビカリオら2人のチームを世話するために走り回った。僕ができることは全てやった。それでも、頑なにいい金銭条件でないと走らない、とビカリオは断った。僕は彼に言ったんだ。悪い年もある。僕だってヴエルタで優勝しても、僕自身 チーム探しで相当苦労したし、加えて年俸ダウンだったんだよ、と。でも、ビカリオは聞く耳をもたなかった。」


ビカリオは、非難する時間があったら実力をつけて、「翌年はいい年俸のオファーをもらえるよう頑張ろう」と前向きに考えればいいのに、なんて思うファンもいるだろう。でもビカリオが、そこまでカセロに頼りきり、他力本願でチーム探しをするのにもわけがある。自転車ロードレース独特のリーダーとアシストの構図があるわけで、前者は後者の献身的アシストを必要とし、そのためには彼らになんらかのねぎらいを示さねばならない。主役と脇役の関係は、心情として信頼関係が築かれている場合ばかりでなく、なんらか物質的な確約のもとに築かれる場合もある、ということだ。

ここ最近、アシストによるリーダー批判が噴出するにつけ、こうしたフラジャイルな関係を思い知らされる。



2002年03月14日

ミケーレ・バルトリがチームファッサボルトロのHPで「インターネットで毎日見るのは自分のHP」と書いてあったので、試しに出掛けてみた。イタリア選手としては珍しく、英語とイタリア語のバイリンガルだ。バルトリはイタリア語のほかに話せる言語はフランス語のはずなので、サイトの保守はしっかりしたところが管理しているのだろう。Diaryもバイリンガルとなっている。また、ガジェットのところから、バルトリのスクリーンセーバーがダウンロードできるようになっていて、さっそくPCにダウンロードした。もっとも写真は全てマペイ時代のものだ。日記の内容はたとえば:

 

バルトリ、312日の日記より。

「やあみんな、今日も僕らのチームは勝った。当地シチリアで3度目のレースで、なんとバルダートが3つ全て優勝さ。(注:先週終わりから12日にかけてパンタリーカ、アランチャロッサ、トロフェオ デッ レトナと連続でレースに参加し、バルダートがこれら3つで優勝した。)12日のレースは、日曜日のレース(アランチャロッサ)のまさに再現(フォトコピー!)といった感じでの優勝だった。僕らはファビオを全面的にサポートし、彼はゴール スプリントで難なく敵を、ばたばたなぎ倒したのさ。僕もいい仕事をしたし、これで、自分自身のコンディションアップにつながることを期待している。ちょっと今はエネルギー補給をしないとね。かなり疲れたよ。

今回、チームと一緒に移動していて、レースのあと、チームカー、フェリー、車を乗り継いでコセンツァに向かう。慌しいけど、まあそれも、そんなには悪くもないか。なにしろ飛行機での移動は、僕の人生で、本当に恐ろしかったもんな。あんなに上へ下への大揺れは初めてだった。明日はコンパーニアに向かう。ソレントの近くで、そこで軽めのトレーニングをして、バイクでホテルに向かうんだ。じゃあまた。(ミケーレ)」



2002年03月13日

310日に開幕したパリ~ ニース。その直前に、ヴァスールがインタビューを受け、例のランス批判記事について、自ら語った。それによると、ヴァスールのランス批判記事が出た後、驚いたことに、ランスからヴァスールのもとにEmailが届いたそうだ。

 

その中で、ランスは、ヴァスールがブリュイネール監督から1ヶ月前にツール出場を確約されていたにもかかわらず、最終的にツールに選出されなかったのは、「その直前のツール・ド・スイスで成績が残せなかったせいだ」、と語ったそうだ。しかし、実はスイスの結果は、さほど悪いものではなかった。(総合では、ヒンカピーよりは上位だった。しかも、各ステージとも、USPの中の順位的には真中くらいでのゴールだった。)だから、ヴァスールは、この理由では到底納得できない。しかも、更に不信感を募らせたのが、今ごろになって回答がきたことだ。去年、あれほど、理由について問い合わせをしたというのに、ランス自身からもチームからも一切コメントがなかった。

でも、誤解もあったようだ。例えば、例の自家用飛行機発言。あれのことは批判はしていないとヴァスールは言う。自分もお金があれば自家用飛行機が欲しいくらいだと言っただけだ、と。また、USP自体は、プロライダーに必要なものは全て揃っていて、しっかりしていた、文句のつけどころはないチームだ、とも語っていた。但し、ランスのヴァスールに対する扱いに対する不満や、ツール2000で賞金の分け前がもらえなかったことは事実だったと。

更に、ツール2001は、ヴァスールの故郷に近いダンケルクでのスタートだったから、ツールに出られなかったことが、何より悔しくて、この一件が彼にはこたえたという。ツール2001の直前には、選出されなかったことを語った彼のインタビューが出たため、ダンケルクでのスタートでは、USPはフランスのファンのブーイングに遭い、チームとヴァスールの溝は深まってしまった。

そして、最後に1つ、ヴァスールはこう結論した。「結局のところ、ランスと僕らヨーロッパのサイクリストとはヴィジョンが違うということだと思う。僕らは、ファンとの触れ合いはとても大事に考える。だから、ボディーガードを雇うという考えには相容れないんだよ。」



2002年03月12日

どうやら今年はスロー スタートとなりそうなオラーノ。去年はジロ総合2位となったが、現在の状況だと、ジロまでに調整が終わるかどうかちょっとわからない。ジロ出場は一応未定ということになっている。例年のこの時期としては、走り込みが少なめだ。また、オラーノは、以前、断念したアワーレコード挑戦という夢も捨てていないことを表明した。挑戦の日はまだ決定していないが、本人としては、ジロが終わったあとの時期を目指している。

前回のアワーレコード挑戦の際は、サイス監督も、本人もベロドローム入りし、トライアル ランも行った。ところが挑戦の直前で断念するという波乱に見舞われた。ベストコンディションでのぞめないなら、やるだけ無駄という判断だったようだが、アワーレコード挑戦というのは、それほど、周囲を巻き込んで ぴりぴりと気を使う一大イベントのようだ。自分自身のコンディション、会場のコンディション、機材、などなど。オラーノは、アワーレコードについてこんな風に語った。

「アワーレコード挑戦の夢はまだ捨てていない。僕は
TTスペシャリストの部類だから、アワーレコード更新も可能だと思っている。でも、現段階ではまだ他の目標もあるから、アワーレコードだけを優先してシーズンを組み立てるということはしないつもりだ。」



2002年03月11日

昨年来日しているサエコのビアッジョ ・コンテが日曜日、ツールドシラキューズで落車。路面が雨で滑りやすくなっていたためだが、アスファルトに頭を思い切りぶつけた模様。頭蓋骨の外傷でただちに病院へ。



レース便り(2017年時点で配信停止中)で既に述べたとおり、ダリオ・フリーゴがパリ~ ニースでカムバックを果たした。ジロ2001での出場停止期間6ヶ月も過ぎて、タッコーニのリーダーとしてこのレースで2連勝を目指す。コースは過去数年のコースに比べ、よりシビアで、フリーゴにはうってつけだという。「レースから遠ざかっていたため、多少不利かもしれないが、そんな中、どこまでやれるかが自分でも楽しみだ」という。
TTフォーム改善に取り組み、サドル位置も高くして、初日のプロローグのITTにのぞむ。フリーゴは、今回結果を残せなくても、5月のロマンディーの頃までには、調子をあげていきたいと語った。今シーズンの走りっぷりは、前半の調整にかかっている。



2002年03月10日

現在16チームが選出されているツールドフランス。残り5チーム(主催者意向次第では6チームになる可能性もあり)は、ワイルドカード方式で52日に発表されることになった。恐らくワイルドカード選出チームは、例年通りにフランスチームがほぼ大半を占めることだろう。なにしろ、今年自動的に16チームの中に入ったのは、フランスチームとしては目下コフィディスだけなのだから。このままではフランス国民に見放されてしまいかねない。ちょっと気になるのが、サエコ選出の行方。シモーニVSランス、ヤン・ウルリッヒを楽しみにしているファンも多い。サエコが選出されてくれないと、というわけだ。個人的には、その他にも、コーストに出て欲しい。



2002年03月09日

再度ラルカンシェルに袖を通したフレイレ。意外なことに、マペイとの契約延長手続きは、まだ保留のままだ。昨年の世界選手権で勝ったあと、マペイとの契約を1年更新するということにはなったのだが、年が明けてもまだ実際に手続きは取られていない。

今後ミラノ~サンレモの際にイタリアに行った際に契約手続きをするということになっているのだが、現在彼は他のチームからオファーをもらっており、手遅れにならないうちに、状況を見定めたいとしている。

昨年の今ごろは、サッカーのチームドクターや、フィンランドの女性整体師など、腰の治療完治を目指してあらゆる医者にかかるなど、先の見えない戦いを強いられてきた。長時間座ることすら辛くてできなかった時期もあった。今年は、昨年よりは多少腰の状況もいいようだが、原因は、まだはっきりとはわからず、今後スムースにマペイと話し合いがもたれたとしても、契約自体は多年度契約とはならない見込み。



2002年03月08日

★ チームメートがアームストロングを擁護 

先日、USPからコフィディスに移籍したヴァスールが紙面上で大々的にランス批判を行った。

=> 以前のエントリー参照:
http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/archives/9497507.html

 

内容的に、言い過ぎという感じで、前回の紹介記事では 敢えて訳さなかった部分もあるほど手厳しいものだった。特にUSPの現在のメンバーから様々な声があがっている。

エラスは、「不当な感じがする、言っていることは実際は正反対」と述べ、ヴァスールの倫理観のなさを指摘。ブリュイネール監督も、USPを去った今までの選手について、ライプハイマーやハミルトンなどは、友好的にチームを去った、金銭的なオファーがよかったから移籍したのだ、という点を強調した。


特にライプハイマーのラボバンクへの移籍には、監督自身が、手続きなどで支援したほどだった。ライプハイマー自身も、USPにいては、リーダーにはなれないが、ラボバンクでなら、リーダー格でやっていくことも十分可能であるという判断だった。ハミルトンにしても、CSCはどうしてもアメリカ人ライダーが欲しくて、USPよりも破格のオファーを出したそうだ。

また、自家用飛行機にまで批判が及んだことに対して、ルビエラは、「あれはランスだけが使用するわけではなく、我々も乗せていってくれるんだ。」今回のムルシアレースでも、もしもランスが大腸炎でレース中止をしていなければ、ルビエラも同乗する予定だったそうだ。


また、ルビエラの友人が癌におかされた話をした時、すぐにアドバイスなど行動を起こしてくれたランスの行動力に、ルビエラはいたく感激したという。ツールの時に賞金を分け与えなかった、といったヴァスールの批判についても、自分が出場した時はそんなことはなかったとも反論。

そして、一番今回の報道で心を痛めたのがヒンカピーかもしれない。ヴァスールがあんなことを言ったとは信じたくない、と語り、報道の内容には事実誤認があると。ヒンカピーがクラシックに出場するために、「ランスは自分自身のプログラムを変えたりして調整してくれた」とも語った。


また、例の自家用飛行機について、ヒンカピーも、「みんなが使えるように所有しているのだ」、と反論した。最後に、「癌撲滅活動に関する彼の貢献も見て欲しい」、そう付け加えた。

実際、ランスは癌を克服して世界のNo.1に登りつめ、更に、現在も積極的に癌撲滅の運動に手を差し伸べているという事実は、ヴァスールの不満記事くらいで揺らぐものではなかろう。



 ドイツ便り

レース便りのページにインプットした通り(2017年時点では本ページは配信中止中)、チーム コーストがいい感じだ。ドイツでは現在No.1UCIポイントを稼いでいる。

3
4日時点で、コーストがUCIランキングで全体の4位、テレコムが8位。バレンシア、カタールでの活躍のおかげだ。シーズン初めだから、その差は微々たるものではあるけれど。とはいえ、今年から幹部に入っているマルセル・ビュストもこれには満足だ。去年は、Div1のお尻で、ばたばたもがいていたのだから。とにかく、この調子で頑張って、特にツールのワイルドカード選考がある5月頃には、選出者の注目をうんと集めて欲しい、そうビュストは思っている。地元バレンシアのツアーで順位は不調に終わったカセロだが、本人いわく至って調子がいいという。調子が良すぎて、ペダルを漕ぐ足をわざと緩める努力をしたそうだ。ここで無理して、肝心なシーズン中盤に調子を崩すのが嫌だったと。カセロは、去年よりも、更に体重を絞っているというから、今後 山岳でも期待したい。



2002年03月07日

USP2年間在籍した後、ツール2001のメンバーからはずされたことが原因でコフィディスに移籍したセドリック・ヴァスールが、このほどランスに対する愚痴を一気に吐き出した。ヴァスールが参戦したツール2000では、ランスが賞金を山分けしなかったという話から始まって、ランスの自家用飛行機移動も批判の対象となり、ボディーガードをつけていることまで酷評したらしい。でもやはり、不満の原因はツール2001から除外されたこと自体のよう。坊主憎けりゃ袈裟まで。。。の状態で、この際なんでもかんでも 愚痴の対象となってしまったようだ。

ヴァサーは、USPのブリュイネール監督からはツール出場を約束されていたのに、ランスによって、参戦がひっくり返された、と主張している。「除外の理由をランス本人の口から聞きたかった」、というのだ。また、ヴァスールは、「これだけ僕が批判しても、ランスにとっては痛くもかゆくもないだろう」、とまで開き直っている。

勢いでちょっと言い過ぎているような感はあるものの、やはりピラミッド式にランス中心に形成されているチームでは、ひとたびトップに位置するランスに対する信頼感を失うと、チームにはもういたくない、という状況になる模様。でも、ランスとしては、ツール
3連勝という偉業を成し遂げるためには、センチメンタリズムを捨てでも、自分流の筋を通す強い意思が必要なのだろう。それだけランスは真剣¥。ツールを目指してまっしぐら、時に冷徹さも辞さない。そこへ庶民的な顔を保ちつつ挑むウルリッヒ。4連覇を見たいとは思うものの、サイボーグの様相を漂わすランスを、人間味のある他の選手が倒すシーンも見てみたいような。。。とりあえず、始まる前は、とにかくみんなを応援したい。今年も今からツールが楽しみだ。



2002年03月06日

ヤン・ウルリッヒの公式HPの中に、今回のドーピング疑惑の「誤報道」に関する見解が掲載された。イタリアのスポーツ誌ガゼッタの「誤報道」とは、例のジロ2001での警察の一斉検挙で、ウルリッヒがインシュリン・ドーピングを行っていたことが発覚した、というインターネットの記事のことだ。その後、ガゼッタは、あれは人違いであったと記事を訂正し、ウルリッヒの手元に、編集長じきじき、親展の詫び状が届いた。これについて、ウルリッヒのHPでは、今回の「誤報道」は 数ある誤報道の中の1つの例である、とした上で、過熱気味の報道に対して(彼の気管支炎の治療薬まで、疑わしい薬物であるかのような書き方をした記事もあった)、報道記事の的確さを求め、今後の報道のあり方に一石を投じる発言を行った。今までなら、こういった記事で一方的に泣かされてきた「書かれる立場」の者たちが、自分自身のWebサイトを持つようになり、一方的に書かれた記事に対して自ら批判の声をあげることができるようになったことは、最近の新しい流れだ。



2002年03月05日

◆ クリストフ・ドゥティルー選手とチャットしたファンたち、その内容は


先日フランス語のサイトVelo-ClubのWebマスターのニコラからEmailが来て、リンクの依頼があった。(英・仏にてリンク公開中。)このサイトに、先日ロットのドゥティルー(ジャパンカップ2000に来日した選手。2001年コルストロップに在籍し、2002年ロットへ復帰。写真)がWebを通じてファンとチャットを行った。
選手の生の声が聴ける珍しいチャンスだった。以下内容一部抜粋:


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― レースが終わってホテルに帰った時、何をしてる時が一番楽しい?

「レースの後は時間がないんだ。体を洗って、マッサージが1時間ほど。食事の後は荷物整理。翌日の着替えを用意して、、、ベッドに入るときが一番幸せだな。選手連中には、パソコン持参組がかなりいる。(今年からロット加入の)マキュウェンなんか、ずっとインターネットやってるよ。でも僕はPCはまだ持っていないんだ。

― もしも、ウルリッヒとアームストロング、どちらかのアシストをするとしたら、どっちを勝たせたい?

「ウルリッヒだな。彼の方が、ランスより親しみやすいから。ランスはスターで、ボディーガードたちが取り巻いているだろ。彼に触ることなんてできないからね。プロトンでも彼はスターさ。それに比べると、ウルリッヒはもっと近い存在。一緒に冗談も言える。」

― チームに初めてジョインした
1996年の頃のロットと2002年のロット、どう違う?

「リーダーが増えたよ。前はチミルだけ。今やヴルブルッハも含め、勝てるリーダーが何人もいる。

VDBのことはどう思う?

「彼とは同い年だから、彼とは一緒によく走ったよ。今年調子がよさそうだったから残念だ。彼は禁止薬物を使用していないんじゃないかとは思うんだけど。だって、今の時代に薬物を使うなんて馬鹿げている。すぐにバレるに決まってるじゃない。

― プロ入りのきっかけは?

「グレッグ・レモンにあこがれた。少年時代から、大好きだった。華があって、レースでもアタックがかっこよくて。全てが好きだった。クラックするとこも含めて全部ね。」


◆ VDB
次のチームは
 

警察から事情聴取を受けているVDB、ことフランク・ヴァンデンブルックだが、彼の獲得に意欲を燃やすチームが2つ現れた。

もっとも、警察の事情聴時に行ったドーピング検査で、禁止薬物が検出されなかった場合、という前提ではあるけれど。

その2つとは両方ともベルギーのチームで、1つはMarlux、もうひとつはコルストロップ。

Marluxチームの監督は、「人道的見地にたって、VDBに再度チャンスを与えたい」、と語るが、もちろんスポンサーの了解も必要だ。VDBの検査の結果は、数日以内に判明する模様。



2002年03月03日

NHK衛星でも放映されているフランス2のニュース(現地では20時に放送している、最もポピュラーなニュース)で、なんと フランク・ヴァンデンブルック(VDB)逮捕のニュースがトップで扱われた。いつものように顎髭をたくわえたVDBが手錠をかけられて裁判所の廊下を歩くシーン、彼の自宅、検察官などが次々に映し出されたのだ。


また、ドモのルフェーブル監督もインタビューに応じ、重々しい様子で語った。今回、
VDBの薬物所持が見つかったのは、彼のトレーナーのスピード違反が原因で、全くの偶然のことだった。これまでの経緯をTVの報道も交えて記すことに。



226日(火) 場所:ブリュッセルそばのフランク ヴァンデンブルック(VDB)自宅。
ベルナール サンツなる人物がヴァンデンブルックの自宅を訪れ、彼の家に宿泊した。実は彼、過去に1勝だけあげたことがある元アマチュア自転車選手(60年代に活躍)で、落車が原因で引退後、トレーナーとして自転車界に再び姿を現した。しかし、彼は禁止薬物を売買し、自転車選手のクライアントに対し、薬物を供与していたと噂されている。

かような闇の人物ゆえ、「ドクター マビューズ(Dr. Mabuse = Dr. m’abuse=英語だと Dr. Abuse me=私のことを翻弄、悪用するドクターみたいな響きがある)」といったあだ名がつけられている。99年、彼はアンチドーピング法に違反したとして、尋問を受け、審議中の身である。


227日(水)場所:ベルギー E17高速道路
翌朝VDBの家を後にしたベルナール サンツは、時速28キロ余りオーバーして、スピード違反で警察の取調べに引っかかった。たまたま、彼は自動車保険に加入していなかったため、警察は彼の車を念入りに調べることとなる。そして、車の中から注射器やアンフェタミンが見つかった。サンツは、これらが「VDB用のものである」と供述。その供述をもとに、警察はVDBの自宅を捜査することを決定。


― 同日  場所:ベルギー フランダース地方
この日、チームドモは、32日に行われるベルギー レース シーズン開幕を告げるHet Volk用のトレーニングをしていた。VDB、ムセウら出場選手たちが、同レースのコースを下見かたがた走りぬけた。VDBは調子もよさそうで、ヨハンムセウとともに、石畳でのアタックを繰り返していた。トレーニング後、食事の相談をしていたところ、VDBの携帯電話が鳴った。彼は、チームメートに「約束ができたから 帰る」と言い残して、その場を去った。


― 同日  場所:VDB自宅
時刻:午後6時頃
VDB
がトレーニングから自宅に帰ってきた時には、既に警察の家宅捜査が始まっていた。そこで見つかったのは、EPO、モルヒネ、クレンビュテロルの他、不明薬物。そのままVDBは警察署に連行され、一夜拘留された。


228日(木) 場所:ベルギー裁判所
朝:VDBが手錠をかけられた姿で裁判所に現れた。既に、ドクター マビューズは逮捕されていた。VDBの取り計らいについて審議が行われた。彼に対するドーピング検査ももちろん行われた。(TVの報道によると、VDBはその後 釈放されたとコメントされていた。別の報道では、日本時間31日の段階では、処遇未定とのこと。)検察官のコメントによると、VDB自身は、ありとあらゆる理由で、薬物所持を正当化しようとしていたとのこと。


弁解の例が1つあげられ、VDBは、「EPOは自宅の犬用だった」と述べたことも公開された。(人間用のEPOを犬に与えると犬が死ぬ可能性があるため、オーストラリアでは、これはこれで 違法にあたるそうだ。ベルギーではどうなのか、さだかではない。)


― 同日 朝 場所:ニコ マッタン自宅
VDB
が窮地にたたされるたびに彼を弁護してきたマッタン。VDBの無二の親友ということで(更に、ドクターマビューズと過去に関わりがあったため)、マッタンの自宅が取調べを受けた。マッタンもこれを認めているが、押収された薬物は全て合法なものである、としている。また、マッタンは同時にドーピングの検査も受けたという。


― 同日 昼\r\nVDBがドモから解雇された。(正式な解雇時期については既に前日の時点で解雇だったという報道もある。)彼の姿はドモのWebサイトから削除され、ドモのルフェーブル監督が記者会見を行った。彼は、「今回の出来事はVDB個人がやったことで、他の選手は道をはずれずにやっている」とし、チームの関与を前面否定。VDBについては、「信頼を裏切られたようだ」、とコメントした。


しかし一方で、チームは、VDBが本当にクロなのか、本当に薬物を使用したのかどうかについては、まだ疑問の余地もあるとしている。というのも、VDBはドモ加入後、何度もドーピング検査を行っているからだ。また、VDBが以前にチーム幹部に語ったところによると、例の事件発覚前にもドクター マビューズの方から、VDBの家に押しかけてきたという。チームとしては、VDBのような弱い立場にいる人間を翻弄し、薬に手を染めさせたのは、闇の人物ドクター マビューズの方である、という立場をとり、どちらかというとVDBよりも、ドクター マビューズの方を非難する声の方が大きい。2人に対する刑は、最高で5年の禁固刑の適用がありうる。



2002年03月02日

木曜日に飛び込んできたフランク・ヴァンデンブルックこと、VDBの禁止薬物所持及び警察への拘留のニュース。いつものゴシップのように扱うわけにもいかず、慎重に内容を見ていたけれど、彼の手錠がかけられた写真もWeb上に掲載され、もはや噂の段階ではない模様。


ことの発端は、彼のパーソナルトレーナー兼ドクターである通称「ドクター マビューズ」が、VDBの家に泊まった後、高速道路でスピード違反で捕まったことに始まる。彼の車からアンフェタミンが発見され、尋問したところ、VDB用の薬物であると述べたため、VDBの家宅捜査が行われ、結果としてEPOを含む種々の薬物が家から押収されたのだった。

ベルギーの法律に基づいてVDBは逮捕。チームのドモのWebサイトから、VDBがただちに消去され、チームは彼を解雇した模様。もっとも、VDBが完全に「クロ」かどうかについては、ドモも、多少は疑問の余地を残している。(本件続報がどんどん出ているようだけど、これから出張であまりチェックできない。明日以降にアップします。)



2002年03月01日

ツールは来年2003年で、輝かしい100回記念を迎えます。例年、前年の1月か、遅くとも2月にはグラン デパールの都市(ツールのプロローグと第1ステージの開催都市)が発表となるのに、今年はまだ発表されていません。変だなぁ、と思ったらツール通。

来年は100年記念ということで、開催地誘致に手間取っているようです。ソシエテのルブラン氏も、折衝の最中だとか。で、グランデパールはさておいて、ズバリ!以下の6つの都市が2003年のツールの日程に入ることが予想されています:
-パリ、リヨン、マルセイユ、トゥールーズ、ボルドー、ナント。

何故かというと、これらは、第1回ツールの際に、訪れた都市なんです。更に、パリ スタートの可能性も現在検討されています。最後にパリがスタートになったのは、1963年に遡ります。その時の優勝者はアンクティル。57年、61年、62年と総合優勝を遂げたあのアンクティルにとって、4度目の優勝の年でした。更に彼は翌年の64年にも総合優勝を遂げ、計5回制覇しました。

100
回記念の2003年、各選手は、例年にまして、こぞって優勝を狙いに行くでしょう。セビーヤも先日、ツールで「頑張る宣言」をしたところ。フランス選手も負けてはいられませんね。ツール第一回目の1903年の覇者は、もちろんフランス人。モーリス・ガランでした。以後、6年間はフランス人選手の優勝が続き、1909年に初めてルクセンブルクのフランソワ ファベールが優勝。その後フランス人選手が2年連続制覇した後、1912年から1922年まで(第1次大戦で1915から1918年は開催されず、この間は7回開催)ベルギー選手が独占しました。



2002年02月28日

薬物違反で金メダル剥奪になったスキー選手が、オンセの元医師と結託していた、
という例のニュースの続き:

この関連のニュースについて、スペインの新聞記事(「エルムンド」とカタルーニャの地方紙「エル ペリオディコ」)とドイツの新聞記事と
TVWebサイト(「スュードドイチェ ツァイトゥング」とZDF)、計4つの記事を読み比べてみた。


わかったことは、トレーナーとの対立がもとでドイツを飛び出したミューレック選手は(「トレーナーが心霊療法を取り入れている」、とミューレック選手が非難し、ドイツと決別)、スペインに行くようになってから急に強い選手になった。そこで、ドイツのマスコミは、密かにミューレック選手がスペインで何らかの薬物により急成長したのではないか、と疑問を持ち続けていた。

そして今回、ドーピング検査で陽性となったのを受け、ドイツの新聞が、俄然この問題を取り上げ出した。片やスペインの新聞は、ドイツの報道をそのまま報じつつ、「かつてオンセの医師であった テラドス氏は、ミューレックとの関係を否定している」、と報じている。

もともと大々的にこのニュースを取り上げたのは、ミュンヘン一帯を中心に発行しているスュードドイチェ ツァイトゥング紙。以前、本HPのニュース スクラップというコーナーの翻訳欄で、アトランタ五輪の東欧圏の選手の活躍記事を少々ご紹介した新聞だ。(「当方からの風」という見出しの記事。)

この新聞によると、ミューレック選手は事実上の医師は雇っていないという。これに対し、主治医を持たないスポーツ選手は、メカニックのいないF1選手と一緒だ、といぶかしむ声がある。その代わり、ミューレックはニコラス テラドス氏をコンサルタントとして雇っていた、というのである。

但し、彼がテラドス氏を雇うようになった背景については 具体的に書かれている記事はなく、テラドス氏が関係を否定した、というスペイン記事に対し、どうドイツの新聞が反論するのか見ものである。ドイツのマスコミのメッセージは単刀直入だ。フェスティナ事件の後も、スペインではドーピングスキャンダルに対する認識が甘い、とか、フェスティナ裁判で罰金刑に処されたテラドス氏は、ロードレース界にとっては、「ペルソナ ノン グラータ」(外交上、入国を拒否すべき人物に使用される言い回し、ここで「好ましからぬ人物」といった程度の意味)である、と。



2002年02月26日

ソルトレーク五輪で金メダル剥奪のスキー距離選手ミューレック選手、主治医はなんと オンセのチームドクター、かのニコラ テラドス氏だった。


ドイツ出身でありながら、スペインに渡って スペイン選手団の一人としてソルトレークシティー五輪に出場、スキー距離競技で3つもの金メダルを獲得したヨハン ミューレック。
その彼が、ドーピング検査で陽性となり、その金メダルのうち、50キロクラシカルのメダルを剥奪されることになった。

 

この時の尿検査で検出されたのは、EPOとほぼ同じ化学構造を持つダーベポエチンという薬物だった。EPOよりも半減期が長く(=特定の放射性核種が半分に減るまでの時間を指します。ちなみに、ウランの半減期は45億年です)、その効果はEPOよりも高い。酸素を運ぶ血中の赤血球を増やし、持久力を高めることが出来る。反面、体内で自然に生成される物質ではないため、検出が比較的容易だという説がある。但し、検査にかかる費用はかなり高くつく上に、時間がかかるらしい。

 

ドイツの自転車サイトがこのたび暴露したところによると、なんと、オンセの主治医で、「ツールドフランス物語」(未知谷)にも登場し、フェスティナ裁判で罰金の判決を受けたあのエリート医師ニコラ テラドスが、今回陽性反応となったミューレック選手の主治医だったというのだ。

 

そんなこともあってか、このたび、元ソシエテの会長だったJCキリーが、「自転車競技でも、この禁止薬物が使用されていた可能性がある」、とオリンピック委員会に対して申し述べをしたそうだ。フランス2のニュースでも、ミューレックの金メダル一部剥奪のニュースをやっていたが、その際、「自転車競技に続いて、五輪でもドーピングが、、、」という解説が入っていた。

 

かと思えば、同時に、昨年のジロで、禁止薬物のインシュリンを所持していたと疑われていたウルリッヒに対し、あの報道は間違っていた、とイタリアのガゼッタ誌が謝罪するという一幕もあった。ウルリッヒが所持していたのは、当初から、彼自身、或いは医師が主張してきたとおり、喘息治療用のコーティコステロイドで、この薬物自体は、限定付きで使用が認められていたものだったという。

 

かくして、ガゼッタは、ウルリッヒ、及びテレコムファンやドイツのファンに対し謝罪したそうだ。

 

EPOの検出方法が話題になっていたかと思うと、今度はまた新しい薬物、ダーベポエチンを警戒しなければならなくなったということらしい。

 



2002年02月25日

かつてUCIランキング1位を死守し続けたジャラベール。UCIランキングトップの座からは降りたものの、先日のオー ヴァールのレースで優勝したように、まだまだ健在ぶりをアピールしている。彼の秘訣とは?


「僕の髪に白髪があるのが見えるだろ?僕は1997年、つまり三十路になる頃から、急に老け込んだんだ。(注:彼は1968年生まれ。)黒髪が白髪に変わるように、20代の頃にあったものを、30になって失った、そういう感じがする。例えば、自慢の爆発的瞬発力。

僕は、スプリントとしての自分の衰えを感じた瞬間、筋肉の性質を意識して変えていくように仕向けた。その結果、ITTや山岳での力が増した。スプリント力が犠牲にはなったけれど。多分、今は「遅い筋肉」が「速い筋肉」よりも発達しているはずだ。筋肉が、年齢にフィットしたかたちで適応してくれている、そんな感じさ。

思考も年とともに変わっていった。以前は、とにかく多く勝って、目立つことだけを考えていた。でも、年とともに、もっといろいろ考えるようになり、区間を狙うより、総合を狙おうといった風に、的を絞って走るようになったんだ。」



2002年02月24日

去年(2001年)7月、ツール中盤まではフランス各地天候が悪く、ツール観戦者やレタップ参加者泣かせとなった。今年は天気がいいといいですね。


ところで、昨年のレタップの参加申込者数は、約7,600人。うち、1,087人がフランス国外からの参戦だった。国の数は意外に(?)少なく、20カ国。20カ国のうち、VELOマガジンが国名を敢えてピックアップしたのは、バーミューダ、アイスランド、日本、ジャマイカ、ニュージーランド。意外な国からの参加、というニュアンスで列記された模様。

日本からの参加人数は、バーミューダからの参加と同じくらい。全体として女性の申込者は157人。この数字は、過去最大だったらしい。



2002年02月23日

かのクリス・カーマイケルが、ランスへのコーチング記録を綴っている。それによると、ランスは、ここ1年ばかりの間、体幹=コアの強化に努めているそうだ。このトレーニングにより、山岳及びタイムトライアルにおける、上半身の安定化を図る。うまくいけば、不必要に上体の力を使わずに、ペダルにも多くの力を連動させることができる。

コア ストレンクスを鍛えると、さらにペダリングにもしなやかさが増し、ツールの厳しい山岳ステージなどで大いに役立つ、とのこと。今年も、冬季トレーニング用のみならず、通年のプログラムにコアトレーニングを盛り込む予定だ。そして、さらにトレーニングと平行に、フレキシブルなプログラムを組んでいく。

筋肉の強張りを防ぐために、ストレッチも欠かせない。ストレッチの効能は大きく、怪我の予防にもなるし、TTでのアエロポジションの改善にもつながるのだ。今年
26日から20日のコーチング ログによると、ランスは、山岳トレーニングをセントラル カリフォルニアで行った。安定状態をキープしながら、心拍数172から174で登る。登りでのケイデンスは高めのままキープ。85から90rpmだ。



2002年02月21日

バレンシアツアーで、パンターニが脱落した。原因は坐骨神経の炎症らしい。体調不良なので仕方がないけど、次回3月のムルシアツアーでは、どうにか存在感をアピールしてほしいところ。ムルシアツアーでは、1999年に総合優勝もしているパンターニ。昔の好調ぶりをこのレースあたりで発揮して、今季 なんとか波に乗れるだろうか。



2002年02月20日

◆ フェスティナ解散で供給先を失ったスペシャライズドの巻き返しプラン


フェスティナが解散になっても、アクアネサポーネ(
AS)のチームバイクとして引き続きプロのロード界で採用されたスペシャライズドが、このたび2002年シーズン計画を発表した。

メインのターゲットは米国での
MTBレース。そして ずばり、今年のキーワードは、「草の根」活動と「バランス」感覚なのだそう。「草の根」的活動の一環として、MTBレースを広めるために、ローカル エリアでの活動に重点を置く。

また、若手の発掘にも力を入れる。過去
6USAナショナルチャンプに輝いたライダー、ネド オヴァランドは、既に引退したと言いつつも、スペシャライズドとともに、相変わらず選手活動は続け、また、バイクの研究開発に携わり、スポーツイベントの伝道師的役割も担うことになる。

スペシャライズドは、今でこそメジャーな存在となったものの、もともとは、設立者のマイク シンヤードがカリフォルニア州で手がけた イタリアからのささやかなバイク コンポネント輸入ビジネスから始まった。今年、
ASがチームバイクとして採用したのは、S-ワークス E5のコンパクトフレームを中心としたモデル。皮肉にも、消滅したフェスティナ用にスペシャライズドが数年間かけて開発してきたものだ。



2002年02月19日

コーストは選手も新顔揃い。マルセル・ビュストも幹部に加わり、フレッシュな体制で新年度を迎えた。バイクを供給するビアンキも、チームサポート体制はばっちり。全員のバイクがカスタムメードだ。

カスタムメードのバイク製造にあたっては、苦労話も披露されている。
27人それぞれの選手用にジェオメトリーを考慮して製作するのは、たやすい技ではないという。各選手、6台ほどのバイク(トレーニング用EV2、 レース用EV4、クラシック用のチタンのバイクが2台、一般レース用バイク、TT用バイク)が支給される。加えて、パヴェなど特別なレース用の特性バイクが支給されたり、チームリーダー用には別途TTバイクが支給されるとか。

例えば、カセロの様に総合優勝争いにからむような選手には、全く同一の
TTバイクを2台用意する。また、フランク・ホイ用にトラック用バイクを特別にしつらえられたこともあった。最近行われたコペンハーゲン6DAYレースで、ホイはそれを使用した。

参考: カセロのケース)フレームサイズ:
60cm、トップチューブ:57cm、フレームアングル:73/73   クランク長さ:175mm、バーの長さ:44cm、ステムの長さ:120mmサイトは下記。http://www.cyclingnews.com/tech/2002/features/probikes/coast.shtml (2016年時点でもリンクは有効)