2000年01月

2000年01月21日

マペイがバーチャルチームプレゼンテーション

2000.1/21

マペイは本日21日金曜日、チームのプレゼンテーションを行うが、これを下記サイトでバーチャルに見られる。イタリア時間で10時とのこと。

1.MTBレース情報 2.元自転車選手誘拐事件

2000.1/23

1. スペインのMTBシーズン到来を告げる Open Monte Naranco (1月30日、オビエドで行われる)にVDBが出場。他に、ヒメネス、ルビエラらの顔も揃う。


2. コロンビア人、オリビエロ・リンコンは今32歳。1年前に、引退したばかりだが、なんと彼が、義理の姉と共に、1月20日、両親の自宅から誘拐された。相手は武装した3人組。姉は開放されたが、リンコはまだ囚われの身。危害は加えないと言っていたらしいが、犯人の目的は解っていない。ちなみに、リンコはケルメ、オンセ、アマヤセグロス、ビタリシオで7年間走った。


誘拐続報

2000.1/23,

リンコン誘拐の続報。誘拐は、コロンビアの国家開放軍ゲリラの仕業と判明。彼がかつて所属したオンセのサイス監督や、ビタィシオのハビエル監督は、早期解放を願っているとコメント。


ドーピングどこ吹く風

2000.1/23,

イタリア検察当局からドーピング関連で尋問の呼び出しを受けたゴッティ。でも、どこ吹く風といった顔で、「ジロに全力を注ぐ」と表明。ヴエルタ出場はまだ不明。ツールには多分出ないと語っている。


マキュウェン婦女暴行で逮捕

2000.1/25

ダウンアンダーのファイナルステージ勝者、オーストラリア人のロビー・マキュウェンが逮捕された。ことが起こったのは土曜日だったが、警察は、日曜の最終日ゴールの1時間後まで、逮捕を控えたらしい。


内容は、宿泊先のアデレードのホテルで、メードを襲ったという内容。彼はすぐ、保釈された代わりに、月曜24日の10時に出頭命令が出ていた。しかし、本人は出頭せず、弁護士が代わりに出頭。何故かその後、秘密裏に訴えは取り下げられた。詳しいことは謎だが、裏で取引が成立した可能性も指摘されている。


フランスのレースをボイコットし続けたジャジャ。そろそろ懐柔策か

2000.1/25

ジャラベールは、ドーピング騒動以来、フランスのレース、特に、ツールには不出場を表明していたが、このほど、2000年ツールには出るかもしれないとのこと。ジャラベールにとって、今年がツール出場&優勝の最後のチャンスと見られるからだ。


パンターニは昨年のジロからの締め出し騒動(つまりドーピング疑惑)後、精神的に立ち直っていない。今でも警察からの聴取は続いており、精神的ダメージは大きいらしい。今年の活躍が期待されているだけに、気になるニュース。


ブエナオラ事故とダウンアンダー

2000.1/27

コロンビア人のブエナオラがバスと衝突。腰と膝を強打した。26日のマヨルカチャレンジへの出場を目指していたが、これで、参加は微妙となった。さて、ツアーダウンアンダーの最終結果が正式に出た。


優勝は MAIGNAN Gilles (AG2R)で、 16 h 57'09"2位は O'GRADY Stuart (Credit Agricole)12秒遅れ、3位はWESEMANN Steffen (Telekom)の 14秒遅れ。


今年期待の....

2000.1/28

先日誕生日を迎えたアブラハム・オラーノ。30歳になっても、「気分は少年」と言っていた。彼の所属チームオンセは、26日にキャンプを終了。今年は弟のニコラ ジャラベールがチームに合流。


果たしてプルデンシオ インデュライン(インドゥラインの弟で、先日引退)の二の舞にならずに立派な成績を残せるだろうか?


さてそんな中、珍しくフェスティナのカセロのインタビュー記事がどこかに出ていた。アキレス腱の手術後のリハビリ中で、キャンプに不参加だったけど、「ピークをターゲットのツールに持って行けるので、出遅れは全く気にしていない。」と。そして、ツール、ブエルタのほかに世界選手権、シドニーも視野に見据えている。


ドイツテレコム

2000.1/30

ベルリンで先に行われたテレコムチームのお披露目会で、チームはツール優勝奪取を新たに誓った。代わりに、今年チームはジロには出場しないと宣言。また、リースが引退した今、ウルリッヒを優勝に導くための助っ人としては、新加入のイタリア人 GM・ファンニーニ(サエコから移籍のスプリンター)とカザフスタン人 アレクサンドル・ヴィノクロフ(カジノより移籍)に期待を寄せている。


フレイレ2000年初ウィン

2000.1/31

世界選手権チャンピオンのオスカー フレイレが先日、スペイン オビエド地方で行われた第十回 オープン モンテ ナランコ マウンテンバイク大会(参加者は全部で191人、プロも混じったレース)で優勝。さいさきよいスタートを切った。


なお、首の骨の骨折でリハビリしていたソレンセン、思ったよりも回復が早く、2月初旬の地中海のツアーには参加できる目途がたった。



2000年01月17日

マペイの新広報 * アームストロング近況 * ボーヘルトが転倒

2000.1/17,

1.マペイは、以前クラシックで活躍していたベルギー人フォンス・ドゥ・ウォルフを広報担当として起用すると発表した。彼は9年前までプロとして走っていたが、その後、高級車のディーラーをしていた。


2.ツールのディフェンディング・チャンピオン、ランス・アームストロングは、1月25日までキャンプの予定。現在4kgほどオーバーウェイト気味。でも本人は気にしてない。これから着実に絞ればいいと。シーズン初めのレース予定は:トロフィーLuis Puig、バレンシア一周、パリ~ニース、ミラノ~サンレモ。


3.世界ランキングNo.2のボーヘルトが転倒。といっても、落車ではない。「歩いていて」転倒、つまりころんだらしい。手首の骨にヒビが入って病院へ。練習は続行可能だとか。よかった。


ランプレ近況

2000.1/19

ランプレ・ダイキンがキャンプを実施。チームメンバーを2つのグループに分けて、2月早々戦力となるカメンツィンらは毎日5時間の走りこみ、あとの半分ばかりのメンバーは軽い調整らしい。


カメンツィンは今季目標を変える。長いステージレースには出ず、世界選手権をターゲットにすえる。とりあえず、ミラノ~サンレモが最初の目標。尚、世界戦の日程は、エリート男子TTが10月12日、ブルターニュのロストレネン~プルエイ間の48km。ロードが10月15日、19ラップの266km。プルエのコースは上りが3個所ある。


ジロ2001

2000.1/19

2001年のジロはペスカラ(Pescara)を出発する可能性が濃くなった。今、オーガナイザーとペルカラのあるアブルッツォ地方の当局が話し合いをしている。ハイライトはローマとなる見込み。もっともジロの詳細は11月11日まで待たなくてはならないが。


選手たちの近況

2000.1/21

1.ウルリッヒはが練習開始。3日走って1日休む、というリズムで、今のところ、最高で195kmほど雨風の中走ったとか。


2.パンターニは食あたりで(多分魚が原因と本人の弁)腹部に激痛。練習をストップするはめになった。


3.バネストのピエーポリは今年もジロをねらう。去年のジロは首の骨の骨折という不運に見舞われリタイアしたが、今年こそ。バネストは現在マラガでトレーニング中。2/6のマヨルカでのレースまでマラガにとどまる。ジロはピエーポリ、ツールはツーレ、ブエルタはヒメネスがリーダーという単純な構成になる予定。


4.最後にプロチームのオフィシャルページは、まだ2000年のメンバー構成にアップデートされてないところが多い中、先週あたりから、クレディアグリコルの2000年用にページがアップデートされた。ジューリックがお目見えしえいる反面、引退したモンカッサン、ポーリは無論姿を消していて、ちょとさびしい。



2000年01月14日

ソレンセン EPO容疑
デンマークのTVによると、ラボバンクのロルフ・ソレンセンが93年、カレラ時代にEPOを使用したとして、現在糾弾されているとのこと。他にも当時のカレラメンバーであるステファンロッシュやキアプッチの名前も入っている。このEPO使用のニュースは、現在イタリア当局でアグレッシブに進められているドーピング調査の一環で発覚したとされている。ラボバンク側は無論、この容疑を全面否定。

プルデンシオ・インドュライン、遂に引退!
インデュラインの弟、プルデンシオは、プロチーム契約が難航していて、2000年の契約が未締結だったが、遂にプロ界から姿を消すこととなった。彼には当初コスタアルメリアというチームからとりあえずオファーが来ていたものの、条件面で契約には至らず、年齢的なものを考えて、遂に引退を決意。


ヴィランクの近況
1月20日よりポルティの南イタリアキャンプに合流。2月9-15日の地中海ツールを走る予定。

パンターニの近況
1月5日から20日までカナリア諸島でトレーニングのパンターニ。島の南部のグロリアパレスというホテルでくつろいでいる。
カナリア諸島を選んだ理由は、同僚の薦め、気候のよさと旅費の安さ、コースの良さ、だとか。2000年はジロとツールに専念するそうだ。オリンピックはコースを見てから考える、ヴエルタはツールでの調子如何で決めるとのこと。'99ジロの血液検査疑惑については、今だに「ウソだ」と言い張っているらしい。


インデュライン、結婚退職ならぬ・・
先に引退表明したプルデンシャル・インドュラインは、1ヶ月前にローラと結婚したばかりの新婚ほやほや。だからなおさら、もう1年選手生活を続けたかったらしい。がしかし、新しいコスタアルメニア チームからのオファーは金額面で不透明だったため、9年間のプロ生活にピリオドを打つことを決意。
9年間で優勝経験は3回。でも、ジロやツールで兄ミゲルをアシストできたことが最大の喜びだったと。今後の計画はまだ立っていない。

最後に、彼がぽつりと語った言葉がちょっと物悲しい。「兄は僕と違って、心拍、回復力など、全てにおいて体力的に秀でていた。僕が兄に似ているのは、顔や体型など外見だけなんだ。」
プルデンシオ・インドュライン・ララヤ1968年、6月9日Villaba生まれ、188m、78キロ
91―97年:バネスト、98-99年:ヴィタリシオ



2000年01月10日

ミケーレ・バルトリ復活
膝の故障で戦列を離れていたバルトリが、練習再開。まだ、完治とは言えないものの、毎日4時間の練習をこなすまで復活した。1999年はテレビを見て過ごすことが多かったという残念なシーズンとなったが、2000年はオリンピックと世界選手権に照準を合わせている。完全復活を期待したい。


ヴァンデンブルック合意に向けて
VDBがコフィディスに残留する(であろう)ことを報じたベルギーの「ガゼット ヴァン アントワーペン」の続報を下記にて。
まず、このニュースのソースは、VDBの友人であるヨー プランカートとニコ マッタン。
去る12月1日にコフィディスとの決裂をアナウンスしたVDBだったが、12月30日にVDBとチームのパトロンが会談し、契約継続の話を行った。
30日から31日にかけ、プランカートに電話でVDBが伝えたところによると、(妻に逃げられ、頼りは友人だったか)契約続行の方向で調整に向かったとか。また、マッタンいわく、「VDBのことだから、最後の最後までどうなるかはわかりゃしないけど、1月3日の時点においては、ほぼ残留と見てよかろう」、と。
又、コフィディスのチームマネージャー、ボンドゥ氏によると、本当のところ、今ボールはVDBにあるということで、彼の最終決断を待っている。
契約条件からいうと、2000年は年俸アップ無しという条件。これをVDBが飲みさえすれば、両者合意に至るとみられる。それにしても、VDBの話ばかり書いている自分に気づく。「なんかとっても気になる悪がき」なのだ。


VDBコ フィディス残留決定は、「偽装結婚」
漸くコフィディスとの話し合いがまとまり、VDBの残留が決定。両当事者共、ここで決裂しては、得るもの無しという判断をしたもので、チームも過去のごたごたは水に流す、と言っている。
でも、VDBは「これは偽装結婚と同じようなもの。」と言い放っている。つまり、便宜上・表面上仲良くするだけ、と。当初の契約では、VDBは2001年までの契約だったが、今回の話し合いで、契約期間は2000年いっぱいということに変更された。紆余曲折を経て決着をみた今回の騒動。今後はパリ~ルーベ、ワールドカップ、ツールに賭けるということで、やっと本業に本腰が入りそう。


パンターニ危うし

ツールドフランス'98のドーピングスキャンダルの根元である元フェスティナチームのマッサージャー、ウィリー・ヴート氏がイタリアの警察当局からの尋問を受けた。そして、'98ツールで優勝した際、パンターニがヴート氏にコンタクトしたことを認めたとのこと。
ツールのオーガナイザーであるジョン・マリ・ルブラン氏に目を付けられているヴート氏と、パンターニの接点が暴露されたことで、パンターニの2000年ツール出場にちょっぴり影がさした。


新チーム「ボンジュール」チームお目見え
1月8日、フランスのリオンで新チーム「ボンジュール」の発表会があった。チームスポンサー契約は3年の予定。リーダーは既に触れた通り、ジャン シリル ロバン、及びフランソワ シモン、ディディエ・ルース、ダミアン・ナゾンら。その他の18人のメンバーは、'99アマのチーム「ヴォンデU」からのジョインとなる。ツールドフランス出場はひとつの目標だがそれほど執着はしていない模様。



2000年01月05日

新チーム ボンジュール

クレディアグリコルのフランソワ・シモンがボンジュールに移籍。このボンジュールのジャージ、やはりトリコロールなんだろうか。FDJのジャンシリル・ロバンもリーダーとして加入するこのチーム、暫く要Watch。

VDB コフィディスに居残り?!

ベルギーの新聞が伝えたところによると、コフィディスとひと悶着起こしたフランク ヴァンデンブルックが2000年もコフィディスで走るとか。訴訟は一体どうなったのだろう?他のチームも年俸の高騰で、なかなかVDBの受け入れに難色を示していたが、居残りの理由はどうやらコフィディスを離れるタイミングが遅すぎて、契約延長せざるを得なかったとかいう風にも聞いている。2000年も問題児VDBは健在の模様。

リースはテレコムとの契約宙に浮いたまま

肩の傷でツールドスイス以来療養を続けているビヤンヌ リースは、テレコムとの契約が昨年末で終了しているにもかかわらず、今だに契約更新できていない。治療の推移をもう少し見守りたい、というチームの思惑があるのかもしれないが、他のメンバーが始動しようとする中、彼の去就が注目される。




2000年01月04日

当初あまり冴えないコロンビアとスペインの混成チームだったケルメを、8年間で一流のチームに伸し上げた監督、アルバロ・ピノ。彼がこのほど退任した。

 

身を引くにあたってはいろいろと取り沙汰された。ピノはもともとケルメのパトロンであるぺぺ・キレスとの不協和音が囁かれており、ついに’99ヴエルタの最中に、解任という噂が流れた。結局、家族との生活を大事にしたいという理由で彼はチームを去ることに。

 

そしてこのほど、決断を下したときの心情を吐露したピノのインタビュー(友人のお土産でもらったスペインのシクリスモ・ア・フォンドという雑誌に掲載中)を読んだ。

 

彼いわく、ペペとの意見の相違は退任の理由のうち10%、あとの90%はやはり本当に、家族と一緒にリラックスして過ごしたいという理由だったという。

 

しかし、この家族との時間を考える直接のきっかけとなったのは、どうやら‘98ツールのドーピング騒動だったようだ。実はフェスティナの元監督ブルーノ・ルッセル氏が警察に連行されたその時、ピノ氏は丁度ルッセル氏の前を車で走っていた。そして、警察の強制連行の一部始終を目撃してしまった。

 

その時ピノ氏の頭をよぎったものは、家族、特に子供のことだった。自分が強制連行させられて、投獄されたら??

 

以下、ケルメの成績かいつまみ。

 

1994年19勝(ヨーロッパでのレース)、9勝(コロンビアでのレース)特筆すべき躍進はジロ、ツール、ヴエルタすべての戦いでステージ優勝をそれぞれとったこと。ジロ - ムニョスの総合33位が最高(トップのベルツィンから遅れること1時間12分)ツール - ブエナオラの総合18位が最高(トップのインデュラインから遅れること38分)ヴエルタ - カマチョの総合16位が最高(トップのロミンゲルから遅れること24分)

 

1995年5勝(ヨーロッパでのレース)、9勝(コロンビアでのレース)ジロ - ブエナオラの総合18位が最高(トップのロミンゲルから遅れること30分)ツール - ブエナオラの総合10位が最高(トップのインデュラインから遅れること19分)ヴエルタ - セラノの総合11位が最高(トップのジャラベールから遅れること20分)

 

1996年11勝(ヨーロッパでのレース)、5勝(コロンビアでのレース)エルカルティンの活躍始まる。ジロ - ブエナオラの総合11位が最高(トップのトンコフから遅れる エスカルティンの総合2位が最高(トップのオラーノから遅れること1分半)

 

199922勝(プラス非公式としてエスカルティンの2勝)ジロ - エラスの総合5位が最高(トップのゴッティから遅れること8分)ツール - エスカルティンの総合3位が最高(トップのアームストロングから遅れること10分半)ヴエルタ - エラスの総合3位が最高(トップのウルリッヒから遅れること6分 - この時、エラスはトップのウルリッヒを打倒すべく、2位であるヴィタリシオのガルデアノを山岳でアシストした。チーム間を超えたスペインとしての団結に、ちょっと驚く。)

 

最後に)ヴエルタなどの国民が注目する大会においては、出場選手を決める際に、単にコンディションや総合力のみの判断でなく、フロントの思惑や監督の個人的感情が結構影響したりする。特に、選手の国籍を考慮した人選があったり、マペイの時のエスカルティンのように、チーム移籍が決まった選手をはずしたり。一方で、オスカル・フレイレのようにトップの思惑が働いて選出され、見事世界戦を制覇するケースもあり、一概にこういったエコヒイキがいいの、悪いの、と言えるわけではないのだな。