2002年01月28日

イタリア北部の都市ヴェローナ。駅そばの古代の門から街の中心にかけては、とにかく だだっ広いコルソ ポルタ ヌオヴァと呼ばれる大通りが続く。街の中心には古代円形闘技場があり、更にトンバ ジュリエッタ(ジュリエットのお墓)、ロミオとジュリエットのささやかなバルコニーなどを始め、教会、美術館など、観光の名所があちこちにある。そんな味わいのある街を舞台に行われた1999年の世界選手権。

闘志剥き出しに走っていたターフィは、落車に見舞われるも、散らばったボトルを自ら拾いながら再び走り続け、アタックの手を緩めなかった。カサグランデとともにイタリアの優勝候補のひとりと目されたレベッリンは、肋骨を骨折。早々にレースを去っていった。鎖骨のあたりを押さえながら顔を歪めて走っていた
VDBは、後で手首を骨折していたことがわかった。それでも痛みをこらえて走り続け、総合順位は7位。No.1をつけたディフェンディング チャンピオンのカメンツィントは、結局6位に終わった。そして、故障でシーズン余り活躍していなかったオスカル・フレイレが優勝という意外な結末だった。2位マルクス ツベルグ、3位はジャン シリル ロバン。

そして、昨年
2001年。年初から、様々なトレーナー、治療師から腰の治療を受けたものの、じっと座っているのも辛い状態で、レース復帰はできるのだろうか?そんな不安ばかりだったフレイレ。しかし、またまた世界選手権で不死鳥のように蘇ったのだった。そして、今年も、フレイレは世界選手権3勝目をあげるべく、特別なプログラムで走ることになっている。彼の持病の状況にもよるが、一応の予定は、世界選手権を中心に、今年ツール デビュー(といっても最初の10ステージ程度のみを走るという予定)、ヴエルタ参加をめざす。年間レース日数も、例年通り少なめだ。今年の目標として、80から85日程度を走る予定。

また、ワールドカップシリーズについては、パリ
~ルーベ(フレイレいわく、あんな恐ろしいレースは嫌だと)以外には全て参加して、総合優勝を目指す。もともとステージレース主流のスペインにあって、クラシックが得意なフレイレは、スペインチームで走りたい、という気持ちもあったものの、クラシックを走るならイタリアチーム、ということでマペイ移籍を決めたのだった。今年は年初早々風邪をひいて、トレーニングを1週間ほど休んだが、開幕せまったマヨルカ チャレンジが、今年のレースデビューとなる。