2002年02月02日

(個人的な思い出)

2001
年、ツール観戦に行ったとき、まず驚いたことがある。現地に到着してすぐに向かったストラスブールのフィニッシュ地点は、オーストラリア人でいっぱい。(その日、オーストラリア人のスチュアート・オグレイディがイエロージャージを着ていた。)仕方なく、中途半端な場所(フィニッシュゲートを過ぎた直後のあたり)で観戦したら、ちょっぴりハズレ。選手はあっという間に通り過ぎ、お目当てのアンヘル・カセロは見逃した。そこへやってきた羊のようにおとなしそうなエウスカルテルの選手。丁度私の目の前で止まって、インタビューに答え始める。それがスベルディアだった。2001 私のツールの写真は、かくして彼のショットで始まった。

以下はそんなスベルディアに関する記事。再び「
Velo Juillet 2001」記事から

====
.


アイマール・スベルディア。バスクを語る時、彼の声には力がこもる。自転車でツーリングをするのが好きだった父の影響で、自転車を始めた。でも、アイマールにとって自転車は自分の限度を知るための道具だった。そんな彼は、やがて将来有望なオールラウンド ライダーへと変貌する。1999年にはツール・ド・ラヴニールの最中にツールマレの下りで落車。その後、ツールド・ムルシアでも落車でひどい目にあったが、彼はくじけない。

2000
年、彼はチームの地元バスクのビシクレッタ バスクレースで優勝した。優勝の夜、彼は自宅のアパートの台所にいた。そして、トルティーヤ(スペインのジャガイモ入りオムレツ)とビスケットで優勝を祝った。優勝した選手の、かなり庶民的祝い方だ。そんな彼だが、きっと2001年ツールドフランスのピレネーステージで活躍することだろう。(注:この記事は2001年ツール前のもの。)バスクの熱狂的ファンがオレンジ色に沿道を染める中、彼はそんな応援にこたえるべく、オレンジのエウスカルテル軍団の中でも、うんと目立つよう頑張ろう、そう誓った。