2002年02月07日

(個人的な思い出)
2000
年ツール。この年は、ツールがスイスとドイツを通った年だ。私もプロトンを追いかけてフランスからスイスに入った。スイス ローザンヌのスタートを観戦してから、列車に飛び乗りゴールのフライブルクを目指す。

フライブルクに到着したのは午後
3時半頃。ホテルチェックイン、両替、などをしていたら、プロトンのゴール到着時間がせまっていた。(これからはユーロになって両替がなくなった、嬉しい。)既にゴール地点は、もうすごい人、人。ドイツ中から人が沸いてきたような印象。

先頭の
2人ヴィノクロフとコンメッソは、もうあとゴールまで数キロの地点まで迫っていた。当然、ぎりぎりに到着した私に、レースを見る場所はない。ゴール地点はシャンゼリゼ状態。もう、観客が何重にも人垣を作っている。仕方なく、3重の人垣の後ろにつけて、コースは全く見えないものの、臨場感は味わいつつ、そばの大スクリーンで戦況を見守った。

ゴール付近。ヴィノクロフとコンメッソの争いとはいえ、熾烈なスピードレースにあらず。ヴィノはコンメッソの動きをウォッチしながら、なかなか前に出ない。ゴール手前とは思えないようなスローペース。ほとんどストップしそう。やがて
2人は私の目の前を通った(ようだった)。姿はスクリーンでしか見えないが、歓声の大きさで、目の前の道を通過したのがわかった。

観衆がテレコムのヴィノクロフ応援しながら、絶叫する。絶叫はやがて、悲鳴の渦へと変わる。ゴールを制したのは、積極さでまさったコンメッソだった。この瞬間、ゴール地点にいた全てのテレコムファンとヴィノクロフの夢はついえてしまった。。。

それが私の中で一番強いヴィノクロフの思い出だ。雑誌
Veloの中で、そんなフライブルクのゴール地点の話に少し触れているものを見つけた。


再び「
Velo Juillet 2001」記事から 

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2000
年シドニーオリンピック。ヴィノはウルリッヒについで銀メダルを獲得し、一躍スターになって祖国カザフスタンに凱旋した。その後数ヶ月間、巨大な彼の写真が故郷ペトロパフロフスクの町中の壁を飾った。既にフランスでは、彼の存在は1998年以来知られるところだったが、故郷カザフでは、五輪が彼をヒーローにした。

残る彼の目標はただ1つ。ツールで区間優勝をあげることだ。
2000年フライブルグのゴールで、彼は2位になったが、まだ区間優勝はない。彼は、自国の国旗がはためくのを見るのが大好きだ。青は幸福を表す空の色、真ん中には楽観を象徴する太陽、そして、脇には感謝を洗わず天使の羽があしらわれている。ヴィノクロフ、ツールで空にはばたくか。