2002年03月13日
3月10日に開幕したパリ~ ニース。その直前に、ヴァスールがインタビューを受け、例のランス批判記事について、自ら語った。それによると、ヴァスールのランス批判記事が出た後、驚いたことに、ランスからヴァスールのもとにEmailが届いたそうだ。
その中で、ランスは、ヴァスールがブリュイネール監督から1ヶ月前にツール出場を確約されていたにもかかわらず、最終的にツールに選出されなかったのは、「その直前のツール・ド・スイスで成績が残せなかったせいだ」、と語ったそうだ。しかし、実はスイスの結果は、さほど悪いものではなかった。(総合では、ヒンカピーよりは上位だった。しかも、各ステージとも、USPの中の順位的には真中くらいでのゴールだった。)だから、ヴァスールは、この理由では到底納得できない。しかも、更に不信感を募らせたのが、今ごろになって回答がきたことだ。去年、あれほど、理由について問い合わせをしたというのに、ランス自身からもチームからも一切コメントがなかった。
でも、誤解もあったようだ。例えば、例の自家用飛行機発言。あれのことは批判はしていないとヴァスールは言う。自分もお金があれば自家用飛行機が欲しいくらいだと言っただけだ、と。また、USP自体は、プロライダーに必要なものは全て揃っていて、しっかりしていた、文句のつけどころはないチームだ、とも語っていた。但し、ランスのヴァスールに対する扱いに対する不満や、ツール2000で賞金の分け前がもらえなかったことは事実だったと。
更に、ツール2001は、ヴァスールの故郷に近いダンケルクでのスタートだったから、ツールに出られなかったことが、何より悔しくて、この一件が彼にはこたえたという。ツール2001の直前には、選出されなかったことを語った彼のインタビューが出たため、ダンケルクでのスタートでは、USPはフランスのファンのブーイングに遭い、チームとヴァスールの溝は深まってしまった。
そして、最後に1つ、ヴァスールはこう結論した。「結局のところ、ランスと僕らヨーロッパのサイクリストとはヴィジョンが違うということだと思う。僕らは、ファンとの触れ合いはとても大事に考える。だから、ボディーガードを雇うという考えには相容れないんだよ。」