2002年03月15日

去年(2002年)ヴエルタで優勝したものの、ケルメとのいざこざでチーム探しが暗礁に乗り上げたアンヘル・カセロ。(バレンシア市長が、地元出身のカセロの加入をケルメに進言。これが気に入らなかったベルダ監督、カセロのチーム入りを拒否。)この交渉が長引いてしまったために、今までのオファーは雲散霧消してしまい、気づいた時には、シーズンも終わりに近くなって各チーム、フォーメーションを ほぼ固めてしまっていた。

結果、その後に受け取ったオファーは、みな条件が揃わず。どうにかコーストに最後の選手枠で加入できたものの、カセロが希望していた、「フェスティナにいた弟のラファエロとアシストのビカリオを一緒に連れて移籍する」という項目は反故にされた。
2人のために、チーム探しをしようと、東奔西走しチームを探し回ったがうまくいかず、カセロは随分心を痛めた。

結局、ラファエルはチームが見つかったものの(ジャステル)、ビカリオは、いまだ金額で折り合いがつかずチームが見つからず。そして、このたび彼が公然とカセロ批判を展開した。チームのリーダーとアシストの関係はときに微妙だ。

 

ビカリオとカセロの双方が語った、一致している経緯は下記の点。

― カセロはフェスティナ消滅の後、弟のラファエロとフェスティナでアシストとして働いてくれたビカリオが一緒のチームになるように交渉してくれると約束。(但し、書面契約とかではなく、口約束。)

― しかし、カセロはチーム探しのタイミングが遅くなり、人員数の問題などのせいで、どこのチームも、カセロ以外の2人を伴う移籍を拒否。


― カセロはどうにかビカリオにチームを見つけたものの、ビカリオは400万ペセタでは年俸が下がるから、と拒否。


― 「フェスティナと同じ800万ペセタが払えないないなら、残りの400万ペセタをポケットマネーから出せ」、とビカリオはカセロに強要。


― 結局、ビカリオは800万ペセタに拘り、カセロが差額を払うか、チームが800万ペセタ払うかでなければ走らない、と主張。ビカリオは、「自分が浪人しているのはカセロのせいであることをマスコミに弾劾する」、とカセロを威嚇。カセロはギブアップ。


去年の冬、カセロやカセロの奥さんは、ビカリオのチーム探しに東奔西走していた。カセロは全てのスペインチーム幹部と交渉にもあたり、どうにか弟とビカリオを救済したい、と何度もコメントしていた。そもそもカセロが2人と一緒に移籍できなかったのは、彼自身の移籍が難航したことに一因がある。彼自身、満足いくオファーはもらえなかった。選手は自分を高く売りたいから、前半振るわなかった選手は、ヴエルタに賭ける。しかし、ヴエルタが終わる頃には移籍交渉は、終盤だ。これで乗り遅れたのがカセロには痛かった。スペインチームで走りたい、という夢は叶わず。

もしもフェスティナが継続していれば、チームと契約更新も可能だが、チームが消滅するというのはハンデがある。前の年に、フェスティナと契約破棄してまでオンセに移籍したベロキはいいチョイスだった。フェスティナ消滅の前にスイスイと移籍できたのだ。


カセロは言った。「冬の間、必死になってビカリオら2人のチームを世話するために走り回った。僕ができることは全てやった。それでも、頑なにいい金銭条件でないと走らない、とビカリオは断った。僕は彼に言ったんだ。悪い年もある。僕だってヴエルタで優勝しても、僕自身 チーム探しで相当苦労したし、加えて年俸ダウンだったんだよ、と。でも、ビカリオは聞く耳をもたなかった。」


ビカリオは、非難する時間があったら実力をつけて、「翌年はいい年俸のオファーをもらえるよう頑張ろう」と前向きに考えればいいのに、なんて思うファンもいるだろう。でもビカリオが、そこまでカセロに頼りきり、他力本願でチーム探しをするのにもわけがある。自転車ロードレース独特のリーダーとアシストの構図があるわけで、前者は後者の献身的アシストを必要とし、そのためには彼らになんらかのねぎらいを示さねばならない。主役と脇役の関係は、心情として信頼関係が築かれている場合ばかりでなく、なんらか物質的な確約のもとに築かれる場合もある、ということだ。

ここ最近、アシストによるリーダー批判が噴出するにつけ、こうしたフラジャイルな関係を思い知らされる。