2006年07月07日

1年間ありがとうございました。(OKZ)

短い間でしたが、SIDE SWIPE1・SIDE SWIPE2と不定期な更新ながらも、影ながら読んでいただいてありがとうございました。

はじめはどうなるか分からずにはじめたブログでしたが、このブログを通してOKZなりに色々と学ぶことがありました。

実はOKZ以外の方たちはPC環境が悪く、原稿をOKZのメールに送ってもらい、その原稿を貼り付けるという作業を管理人としてさせて頂いていました。


そして「書く」ということをOKZはとても大切だと考えています。

言葉を文字にし書くことで、自分を知り整理することができるものだと考えているからです。

整理することで自分を知るきっかけになり、他人の気持ちが分かることができるからです。

そして大切なのは「人対人」は、その人の持っている「知識対知識」ではなく、素直に認めること、感じること、表現し、創造していくことだと思います。

こちらのブログはこれで終了とさせていただきますが、OKZは個人的に更新してるブログがありますので、なにか感じたら覗いてくれれば嬉しいです。

OKZブログ「L」

「2」の袴田さん、WADAさん、シバタさん、「1」のコブラボールさんほんまにありがとうございました。

そして読んでくれた方ほんまにありがとうございました。




2006年06月26日

85. 「タッチ・ダウン(尺足らず。)」

一年間、お付き合い下さってありがとうございます。

行き成りですが今回で、スリークォーターのコーナーは終わりです。

理由は単純で、一年間と決めていたから、です。この場所を一年間もの間、貸してくれた管理人OKZさんに感謝です。ラッキーでした。

正直、去年はこの場所に文章を書く事を念頭にして生きてました。
それ以外は特にありません。立ち上がり及びこれからの横殴り2の場繋ぎになれば、という思いで。
だって、やるのはOKZさんだから。

無責任?でも、その目標を達成したので後は去るのみ。

このブログがどうなるか、これからは読者として参加出来ることが今の喜びです。

しぶとく付き合っていく所存。迷惑?

では、さらば。


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2006年06月05日

84. 「うず。」(シバタ)

とある人から電話。「映画を撮るから浜松に来て欲しい。」

その人が映画を撮るんならバイト辞めても良いから行くつもり。そのぐらいの恩はある。精神的に。

でも、監督はその人じゃないらしい。その人は補助(助監督、制作、雑用、魑魅魍魎、曖昧模糊)らしい。それで、質問。


「あなたにはその作品に参加する意味があるんですか?」

口篭る。間。そして、「有る。」


その人がそういう風に思っているんなら、参加したい。
でも、何時もの様に、「荷物持ち位で良いのなら。」という前置き。
そして、「どんな人が撮るんですか?」の質問。


「女子高生。」

内心。・・・それを早く言って下さいよーーーーー。もう、気持ちは限定解除。
うきうきうきうき浜松に飛び・・・・・(妄想中)。即答。


「行きます。」


夏休み。高校生の、あの、夏休み。あの、感じ。再び(感慨)。


そこに彼女。高校2年生らしい。ふーーーん。(なんで、映画なんだろう。)そう思った。まあいいや。そして、活動の日々。


多分、彼女は走りたかっただけなんだと思う。
映画撮るとか表現だとか伝えたい事だとか動機だとか必然性だとかそんなモノは二次的で、なくてもよいモノなんだと思った。それは、理解じゃない。認識、でもない。

理屈、ですらない。ただそうしたいからそうするだけ。


彼女は走る。突っ走る。それはその瞬間走りたかったから。形なんてない。

其の過程を其の横に設置されたカメラは記録する。その記録が残るのならば、願わくば、映画として。例え、そうなれなかったとして、それが別の何になるかなんて、ほんとの所、知ったこっちゃない。少なくともそれはあの夏の、彼女の旗を立てる行為で、旗印になる。

彼女はその夏、其処に居たという印。


生きている。ライブで生きている。
そして、現場っていうのはライブな現実で、それ以外に求めたい物なんて、本当は、ない。

「自己満足に付き合ってる暇なんかない。」そりゃそうだ。なら、その人は、自分の方の現実を生きればいい。彼女も生きるし、それに関係する事になった人達も、その様に、生きた。期間限定で。文句なんか言わないよ。言えないもん。


「認めたくないものだな。自分自身の、若さ故のあやまちというものを・・・・・・」(シャア・アズナブル)とでも言いますか?だけれども、それ故の、赤い彗星でもあるんです。


撮影が終わり、帰る時、彼女の母親が何人かに、「これ、交通費に使って下さい。」って、お金を渡してくれました。もう、この時点でインディーズ映画ではない。恵まれてるな、彼女。そう思った。彼女、そういう事、判ってんのかんなあってちょっと羨ましかった。


それが、『うず』という映画の話。だけど、完成品、まだ、観ていません。いつか、観たい。
何年後かに。そんで、その時、その旗印の横に立っている彼女がどれだけ遠く、どれ程の時間を生きてきたのか見てみたい。

多分、その時、初めて、『うず』っていう作品が終われる気がするから。それが、ラストシーンだって、決めてるから。(今、決めてみた。)


後日談。カラオケ。彼女歌う。白いカイト、は判る。シュガーソウル、も判る。
女子高生が歌うってだけで、救われる。でも、木綿のハンカチーフって・・・。
変な女子高生。

おわり。



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2006年06月01日

83. 「公園。」(シバタ)

「映画撮ろうと思ってるんです。」と言った彼。

なんで?と思った。彼は写真を撮ってる人。

だったら、映画撮る時間の分だけ、写真の方を沢山撮れば良いのに。その様に聞くと、「否、映画を撮ろうと思います。」と即答。

でも、それはどうも転進という意味ではないらしい。

なんか分からないもんが目の前にあるので、兎に角、それに登ってみよう、さすれば、おのずと、それが何だか分かる筈、後の事は、やった後で考えようみたいな?みたいな。

ほんとに?知らん。テキトーにそう思ってるだけでありやんす。

「カメラは自分で撮るんですか?」「別の人にお願いします。」変わってんなあ。
自分で撮れるのに。「お話は?」「大体、考えてます。」はや。
「登場人物は?」「子供、です。」


子供?そこが新しかった。へえーーーーー、そういうの、すごいな。挑戦だ。
そう、思いました。


期日は四日。そう決めてあるらしい。
そして、決行、その前夜。彼を含めて、四人(その後、応援でプラス3あり)。
「ちょっと、明日の為にシュミレーションしときます?」と言う感じで始まったミーティング。夜の十時位?なんとかなりそうな予感の中、シーン一から軽くカット割のことなんぞを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、おいおいおい、五十七カット???なんだこれは・・・。
大体、一般的にはワンシーン、5から10カット位が相場とされてると思うんだけど・・・。


それから、ああだこうだ(くみ)言いながら、「やってみなきゃ、分からない。」に落ち着いたのは夜明け前。少し寝て、現場へ直行。


時間が限られてる。
部屋の中をセッティングして、出演者の子供二匹を宥め賺して、リテイクになったら相談して、カメラ位置変えて。

目覚まし時計を鳴らすカット。
一分後にセッティングするも、どうも、タイミングが合わない。数回、リテイク。でもだめ。

あせあせで、うんうんうんの中、それを見かねた応援者の女性がポツリ。「目覚まし時計、もう一個、ありますか・・・。」


同調させりゃあいい。モーションと音を。なんてお粗末な男四人組。撃沈。

どうなることかと思いきや、撮影は、ほんとのほんとに四日で終了。有言実行。彼。人知れず、彼。

不敵、です。

お子さん二名、送迎。帰り際、言われる。

「おっちゃん、もうちょっと、がんばりや。」

恥。

それが、『公園』という映画のお話。

あの時の主演女優二名も、何?今、中三?来年、結婚出来る歳?

犯罪だ・・・・・・・・・・。

そう思う・・・。



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2006年05月24日

82. 「ふたりめの灯。」(シバタ)

「私のことは、どうでもいいから。」と言って、彼女は30人分の飯を作り続けた。
夏休み中。約二ヶ月。朝昼晩。


自己犠牲だとか、自己満足だとか、そんなもんじゃなく、なんというか、自己廃棄みたいなもんを感じた。勝手に。

でも、そこに悲壮感なんかなくて、実は何処までもマイペース。
てくてくてくてく歩いてく。根気よく。時にうつむき加減に、時に鼻唄なんか歌っちゃったりしながら。

気付いたら、なんか、琵琶湖一周歩いちゃってました。てへ。みたいな。そうして、結局、やり遂げる。


マイペースだけど、止まんない。
ゆっくりゆっくり歩いてく。誰かが止めなきゃ倒れるまで。倒れてることにも気付かない。

そういう登場人物、物語の中でよく居たけれど、現実の中に、人として、見たのは初めてだった。ほんとに居るんだ、って思った。
しかも、判りにくい。すごい微妙。
見過ごしちゃうぜ。雑草の茎みたい。


そんな彼女が数年後、「自分がほんとうだ、と思えた人達を集めて、何か一本、確かなものを創りたい。」と言った。


準備期間は長かったんだろうけど、撮影は一日半で終了。残り半日でリアルお引越し。
フィクション撮ってたつもりだったのに、それがドキュメンタリーだったなんて!イカサマ?マジで?


それから何ヶ月か後。自宅のチャイムが鳴る。

眠気眼でドアを開けると、そこに彼女と彼女の彼氏(兼カメラマン、現夫)。
いきなりで、びびった。

“何事か・・・”と思う。すると、「はい、これ。」と見事にパッケージされた完成品。
聞けば、協力者ひとりひとりに手渡しで廻ってるらしい。
郵便屋さんごっこですか?・・・でも、ひたすらに、微笑ましい。


彼女彼氏の帰宅後に、夜になるのを待って、観た。
“こんな風になってたんだあ”の感慨。すると、見た事もないシーン。
“こんなの撮ってたっけ?”そういうシーンの数々が、半分近く続いてく。


画面にのめり込んでた。自分の関係してない所で撮られてた場面にこそ、震えてた。
後日、聞けば、「撮り切れなかったシーンを、出演者と、カメラマンと私で、撮り足した。」との事。

そこに、彼女の力強さを感じた。図太さを感じた。逞しさを感じた。

この作品に関係させてもらって、ラッキーだった。

それが、『ふたりめの灯』という映画の、話。

うん。



2006年05月16日

81. 「ジーク。」(しばた)

例えば、昼は大学、夜は映像の専門学校夜間部、ファッションは普通にお洒落くて、何気なく机の上に置かれていた本はサマセット・モームだかモーパッサンだか月と六ペンスだかのしかも原書で、「いやあ〜なんか課題で。」とか何とかで、映像の専門学校に居るくらいだから、オタクな話をするかと思いきや、そんなこと全然しなくて、「クラプトンて、結構気に入ってるんです。」とか音楽の話で、なんかギターなんか弾けちゃったりして、かといって、それはブルースで、なんだ、かっこいいなあ、渋いよなあとか思ってると、「チェッカーズって、良いですよね。」と切り出してきたりもして、変な人とか思ってると、「いやあ。」とかとか恍けながら悩殺の微笑。


いつも抑制の効いた会話は“あなたほんとに二十歳くらいの人?”と思わせ、平気で大人の会話をスムーズに成り立たせ、かといって饒舌ではなく、それは余裕で、喋るよりも行動で物事を成し遂げ、何かの上映会の当日に他人の作品で使用される音楽のCDが準備されてない事が判明して、あわわあわわと皆、テンパってる中、ぴぴぴぴぴって携帯で連絡、「タワーレコードですか。在庫確認お願いします。」ってひとり、冷静。


「"ああなんておとなのひとなんだああ"とこっちは含羞。こんな男、女の人は放っとかないんだろうなあと思わせる人。」


それが彼、でした。
勿論、イメージ、です。

彼とは点ぐらいの接点しかないのだし、その点も実は小数点以下ぐらいの微々たるモノで、その程度で彼の何某かを理解出来る筈もありません。
裏でなにやってるか知らないし。でも、これだけは言える。

彼の隙を見た事は一度もないって事。


そんな彼から、手紙。
ゴールデンウィークに映画を撮ろうと思うので手が空いていたら来て下さいとの事。
荷物持ちでいいならと参加。


現場、到着。別荘。

・・・・・・・・・・別荘〜〜〜〜〜〜!?なんなんだ、この人は。
すげえすげえと思ってたけど、此処までとは・・・。

以下省略。映画完成。


彼はいつもエンドロールのクレジットに“何とか仲間”として協力者の名を入れる。
そこにいつも、彼のストイックさを感じる。
何故なら、彼は、大抵の事は、たった一人で出来るんだもん。


最近、彼の別の映画を観る機会があった。
そんで、その時、初めて、ほんとに初めて、気が付いた。

彼の作品の登場人物は皆、誰一人例外なく、孤立していた、という事に。
だけど、ちっとも、寂しい世界に観えてこないのは何故なんだろう。

彼がテクニシャンだから?ポップだから?作ろうとすることには妥協しないから?信じてるから?諦めてないから?やさしいから?男前だから?

でも、一人。そう、思う?思ってる?

あの現場から何年か経過した今、彼に、子供が生まれた。

その子供の名には、太陽という意味が籠められてるらしい。

そういう全部が、『ジーク』という映画に纏わる、マイ イメージ。

なんの脈略もないけどね。



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2006年04月20日

80. 「遠い夏。」(シバタ)

専門学校卒業制作発表上映。
彼との初対面はその時だったと記憶されてる。

もしかしたら以前に会っていたのかもしれないけれど、忘れた。薄情保存の法則。

行き成り、感想を言われた。しかも笑顔で。

内心、『この人、誰だったっけ・・・』のあせあせで、でも、笑顔で話してくれるんで、『まあいいや・・・』。

なんか、訥々と、丁寧に話してくれようとする感じで、不器用かもしれないけど誠実そうな男の人という印象をその時は受けた。

受けたけど、こちら側は普通に人見知りなので、どうもすいません、という感じで、その場は終わり。(その後、飲みに行ったっけ?)


何ヶ月か経過。セカンドインパクト。

知り合いの人が、呼びに来た。呼ばれたので行ってみた。

いろんな人が5、6人いて、彼も其処に居た。なんか個人上映をしてる場だった。
彼の映像が流れた。真っ直ぐ、だった。

それは、直球、ではなくて、ただ真っ直ぐだった。
武骨かもしれない。

だけど、多分、彼はもう、その様にしかカメラを持ちたくないんだろうし、撮りたくないんだ、って思った。

自分だけは誤魔化さず、自分だけからは逃げない、そんな風に決めて生きてんのかもしれない、そう思った。
震える声でフィルムを回している、泣きながらそれでも、撮り続けている。
そんな事、出来ない。


だけど、彼は、其れを、していた。

生きてんなあ。どうしようもなく、この人、生きてんなあ。そう思った。


二度ある事は三度でもある。夏の日、電話。「映画を撮る。」という。
「二年間で、200万円貯めた。」という。

そんなお金、なんで映画の為に使うんだろう、と思った。
もっと、気持ちのいい事、沢山沢山できるのに。
一杯いっぱい買えるのに。遊べるのに。


「暇だったら、来て。」「荷物持ちぐらいしか出来ませんよ。」「それでも良いから、暇だったら来て。」


行った。

初めてだった。
映画の自主制作の現場に立ち会うの。
いろんな人、いた。

全員、彼繋がり(若しくは、繋がり繋がり)、で集まってる人達みたいだった。
その現場で初めて知ったこと。
彼曰く、「映画、殆ど、観ないんだよねえ・・・」


何故、撮る!何故、映画観てないのに撮る!そこまでして、撮る!?否、撮れるんだ!?

彼、「なんでだろうねえ。
でも、自分の信じてる人達集められれば、撮れる、と思ったんだよねえ・・・」

・・・・・すげえな、この人。そう、思った。

有象無象の絡み合いののち、結果、彼は撮り終えてた。
現場段階でのその一部始終を見ていて、一見、いつも物静かに感じる彼の一言一挙は、実は、見えない部分に蹲ってる熱と激しさに突き動かされてた、という事を思った。

きっと、彼、怒らすと怖いわ・・・そう思った。

何故なら、彼は、曲がらないから。
曲がってもいいのに、平気で曲がらないから。
「危ないって。」言ってんのに、曲がりませんから。
照れた笑いを浮かべながら。

それが、『遠い夏』という映画の話です。




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79. 「誤字脱字アリ。」(シバタ)

『映画は国境を越える。』

嘘です。

国境こそが、映画を生かします。

何故なら、映画は、ヒポコンテリーだから。

おわり。


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2006年04月17日

78. 「助走なる失速。」(シバタ)

松崎ナオさん。ズボンズ。マッドカプセルマーケッツ。ルーマニアモンテビデオ。135。ザバダック。小川美潮さん。エレキブラン。思い出してけばキリがない。

以上、77.の続きです。

新規更新。78.に行きましょか。

今日は頭の悪い事、書きます。


芸術っていう言葉が苦手です。
アーティストって言葉を使う誰かも苦手です。

その言葉には創造っていうニュアンスも含まれてるので、広範囲に捉えれば歌を生業にしている人がテレビ番組で「アーティストは〜〜〜(云々かんぬん)〜〜〜。」という言葉でインタビュー等に答えていたりするのは、真っ当な事だと感じもするのですけど、(生産者だから。)『ん〜〜〜・・・、なんでミュージシャンって言わないんだ?』と、了見狭い事を思うんです。

たかが言葉で、ただの道具なんだから、自由に伸び伸びと元気良く!その言葉を使えば良いんでしょうが、反面、なんでそんなデリケートな単語を容易く使ってしまえんの?とも思うんです。


職人は芸術家か?イエスです。
表現者はアーティストか。ノウ、です。

表現者は生活者、です。大なり小なり、人は表現をしてる。

それは、仕草であり、言葉使いであり、表情であり、沈黙であり。

それが作品として具象化物体化しないものであっても、それは表現。
生きてることに不可欠ならば、それは表現。

なのになんで、芸術という言葉は表現という言葉に拘るんでしょう。その逆も。

作品じゃなきゃそれは表現に値しないものなんでしょうか。
ならば、生活を持続するために己の業を、唯一のメソッドを、対価物として消費社会に提供する桶屋職人は生活者であって、芸術家ではないんでしょうか。
だったら、前文定義は間違ってる。
自爆、です。どか〜〜〜ん。


己の技術に誇りを持つこと。
その地点において、他者のリスペクトは生じる。
芸術という言葉は、本当は、必要ないと思ってます。
アートでなくても構わない、そんな風に思います。


歌舞伎にしたって、モーツワルトにしたって、それは以前、民衆の娯楽であって、王族貴族パトロンの愛玩具であって、高尚なものじゃなかったはず。
漫才漫談という芸能と同じ。
オペラだってそう。或る意味、資産価値保護という名目に似ていて、それは、でも、伝統芸能ではなかったはず。
エンターテイメントだったはず。
なのになんで、芸術という言葉を使いたいのか。

何年か前、『ゴッホの原画、南アフリカの蚤市場で発見。』という新聞記事があった。民衆ってそんなもんだ。殊更、芸術と呼ばれるものを必要としていない。
そして、そこが、しぶとさだ。チャームポイントだ。
重要なのは、そのしぶとさをもってゴミとしてでも残っていくモノが文化なんだ、という事。

そこに保護だとか保全だとかは必要なんでしょうか。
未来とは現代の廃墟なんだと言ったのは、荒俣宏さんで、誰かが保護して保管して、その誰かは多分社会的強者か資産家か、ムーブメントプロデューサーで、もしかしたら、狂言回しかもしれないけど、天才で、「さあ、こんなアートはどうだい?」って小出しにされて狂喜乱舞。

建て増し建て直しの未来。
その下にはフォークロアっていう廃墟が横たわる。
でも、下手したら、ゴッホさんだってモーツワルトさんだって宮澤賢治さんだって中原中也さんだってそうだったんだ。でもだからって、それはアートなの?

それは生活じゃないか。生きようとしてたんじゃないか。それだけなんじゃん。

なのになんで、装飾しないといけないの。そのまんまでいいじゃん。

徒然。

方丈。

くだらんな。今回の文章。

ますがきざる。

The ピーズ。


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2006年04月11日

77. 「ラスト・ダウンテン。」(シバタ)

ゲーム篇を書き終わりまして、次に何を書こうかなあと考えていたんですけど、もう、残弾は歌、位しかない様なので、それを、とも思いましたが、なんか、それも、無理があるよなあ・・・って思うのでやめました。


歌は世に釣られるが、世は歌に釣れない、と言ったのは山下みゅーじしゃん達郎さんで、納得です。

普遍的で万人のあらゆる気持ちを包括するかの様な歌、って言うのは、やはり存在はするんでしょうが、けれども、全てをって訳ではなくて、如何しても、局所展開的なモノになってしまいます。だから、どれほど大切な歌であったとしても、それは個人史での話であって、それを他者に“どうして分かってくれないんですか!”とのたまったところで、それは伝わらないし、独りよがりだしで。

特に歌は形のないもので、人の中に(記憶の中に)しか残らないので。(その時の状況設定共に。)


例えば、自分の肉親が過去の時代に想いを込めた歌があったとしても、聴きたいという欲望は映画や、本や、漫画や、写真、絵、劇、などのそれより、低きものの様な気がする。感情移入、思い入れが持てない気がする。

特に歌、だけは。
歌だけはそれが顕著に出る、と感じる。


軍歌は聴かないし、分からない。
でも、戦争映画は観れる、そんな感じ。


それは歌が主体に依ってのみ成り立てるものだからかも知れません。
強引ですが。
歌は人に依る。
個別に依る。


今でも、自分の中に続いている歌は、沢山あるんですが。

川村かおりさん。斉藤由貴さん。チェッカーズ。尾崎豊さん。佐野元春さん。浜田省吾さん。中島みゆきさん。種ともこさん。オリジナルラブ。さねよしいさ子さん。野本直美さん。服部祐民子さん。斉藤和義さん。ブランキージェットシティー。イエローモンキー。プレイグス。スーパーカー。パンプオブチキン。ナンバーガール。ブラフマン。サンボマスター。ELLEGARDEN。こっこさん。鬼束ちひろさん。岡村靖幸さん。横道坊主。橘いずみさん。篠原美也子さん。真心ブラザーズ。


でも、それは、自分の裡で鳴り続いているだけで、その鼓動音は、誰にも届かない。

コーリング。


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2006年03月30日

76. 「一息。」(シバタ)


ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

一応、ゲーム篇、終了です。


でも、ゲームっていっても、その名詞の部分を映画、やアニメ、や音楽、や漫画、に置き換えても内容は然程変わりませんっしょ。

そのつもりで書いてたんす。
だから、いつもとおなじでやんス。


下手な言い訳。よろしからずや。


まあ、よろしいおま。(自分に寛大。)

近況を。


ちょっとまえ、やっと、漫画家浅野いにおさんの『ソラニン』(ヤングサンデーコミック:小学館)1巻を読みました。やっぱ、いいですわ。うん。
ソラニン 1 (1)

あと、『アンダーカレント』(アフタヌーンコミック:講談社)。作者名豊田徹也さん。
アンダーカレント アフタヌーンKCDX

物語中盤で、リリー・フランキーな探偵さんと主人公の女の人が済崩し的にカラオケで歌っちゃう場面、すごいよかったなあ〜〜〜。
ぶぎうぎでちゃら。だうんでDuca。えっへっへ〜〜〜。


そういや、最近、やけに気になる漫画があって、それは、柴田ヨクサルさんの『エアマスター』(ヤングアニマル)。
エアマスター 27 (27)

何でかって言えば、台詞が凄いから。
ここぞという時の、ババババアアアンどどど〜ん感がキレてる。
凄いなあって思う。
力、出る。

土田世紀さんの『同じ月を見ている』を読んだ。久々に、こころ、動く。やっぱり、志、高い。背筋、伸びる。
同じ月を見ている 1 (1)


漫画はコンビニで立ち読み。『ナルト』『ブリーチ』(ジャンプ)『あひるの空』(マガジン)『クレイモア』(月刊ジャンプ)『ゼットマン』『ガンツ』(ヤングジャンプ)『バガボンド』『ピアノの森』(モーニング)『RIN』(ヤングマガジン)『ベルセルク』(ヤングアニマル)『BECK』(月刊マガジン)『WORST』(月刊チャンピオン)『無限の住人』(アフタヌーン)『鋼の錬金術師』(ガンガン)。
それだけは読む。それ以外も、読む。店員さん、大迷惑。


それとあとひとつ、凄かったの。テレビアニメーション版の『ナルト』の百三十三話。
NARUTO (巻ノ31)

この回だけ、異色。

作画監督、演出、絵コンテなどを若林厚史さんという人がやっていたみたいなんですが、もう、エポックメイキング。
突然変異とはこの事かというぐらい、凄かった。
なんで、この回だけ?ってくらい。

何が凄いって、人の動き。故に、アクション。
魂、注ぎ込んでる。
そうじゃなきゃ、あれだけ手を抜かずに出来んだろうって思う。
この人、今後のアニメーション界にとって大切な人なんじゃないかなあって思う。
それとも、もう、中堅の人なのかなあ・・・。重鎮?


映画かあ。

ウォルター・サレス監督『ビハインド ザ サン』(2002)。
ビハインド・ザ・サン

映画の力って神話の力にも似てる気がする。

例えば、『インタビュー ウィズ バンパイア』(監督二ール・ジョーダンさん)の中で、トム・クルーズさん演じる吸血貴公子レスタトが闇の中に光を求めるために(訓練の一環で)映画館に通いつめる場面。

『レオン』(監督リュック・ベッソンさん)のレオンさんが人の目を気にしながらも、憧れの視線をスクリーンに向けている場面。

闇を抱えるものたちが光に憧れる様を描いた情景が映画という装置には組み込まれている気がして、それって、神話ちっくだなあって。

そういう意味で、『ビハインド ザ サン』が持つものは、映画の力、だと思います。


『隣人13号』(監督井上靖雄さん:原作漫画井上三太さん/2004)。
隣人13号

隣人13号 1 (1)

もうこれは、最初の三分ではまってた。

何がいいって、小栗旬さんというひとの呻き声。

それにはまった。

それだけでこの映画の狂気が分かるから。

映画でも劇でも、キャスティングが一番の演出だ、とよく言われます。

なら魅力的な役者を配すれば事は終わる。
でも、そうじゃない。

キャラクターの魅力(脚本、イメージ)と役者の魅力(ルックス、個性)と演技の魅力(虚構、ギャップ)、その三者がその時、そのタイミングで、その瞬間だけに、一致、拮抗した時だけにしか成り立たない。

特に記録され、残る映画の上では。

それを、技術だとか、アドリブだとかいうのは容易い。

だからそれを、幸福って呼ぶ。そんくらい、この映画に映ってる人達は、みんないい。


故に、成り立たせている。
映画本体を。
緊張感の上で。

まあ、2005年はそんな一年間でしたっと。
相変らず、まんがあにめえいがな日々。

これで、年貢の納め時。どき?どきどき?

うきききき〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


2006年03月23日

75. 「エンディング。」(シバタ)

やっと辿り着きました。

エンディング、です。

締め。そして、やり終った後の余韻。
その為に、何十時間、何百時間、地道な作業を繰り返す。正しく、ロールプレイ。我、正鵠を射たり。

トータル的に見て、過去に遊んだゲームの中で“あああ、よかったなあ”ゲームは、多分『幻想水滸伝2』(コナミ)です。
だけど、エンディングという意味に於いていうのなら、“あと少しだけ・・・”というのが本音でして、それは何故かと問われれば、まあ、バッドエンディングでしか終わらせていない、というのが原因でしょう。

実は、ドラゴンクエストシリーズとファイナルファンタジーシリーズを自分は余りしません。

だから、その両シリーズのエンディングが、どういった感情を導き出してくれるものなのかを知りません。

故に、もしかしたら、すんごいエンディングを知らないだけなのかもしれません。
過去に聞いた噂では、エンディングのみで一時間映像(CDロム一枚分)というのもあるような。
そういうの見てみたいですね。
でも、今更、頑張るのも面倒なので。


皆さんはどの様なエンディングが良いですか?
やっぱり、ハッピーエンディングの方が良いですか?

だけど、それが、もし、取って付けた様なエンディングだったとしたら要らなくありません?だって、あれだけ苦労したのにコレかよ、なんてやり終わった後に思いたくありませんもの。

苦労に耐えうるだけのストーリーがあって、そして、その労力に見合うだけのエンディング。出来れば、それが予定調和でなく、おざなりでもなく、子供騙しでなく(=お子様用良識観)、そうでなければならない、或る決然とした必然を持って、在ってほしい、と思うのです。

でもまあ、ゲームをプレイするのは大抵子供感覚を持つ人達なので、作る大人達が“推奨〜才まで”なんていう規格を作ってしまうのも、親達がそれを求めるのも分かります。
でも、そこに阿るのであれば、それは違う、と思う。

なにも、残虐な描写をもっと、とか、エロをもっと、とかいう訳ではなくて、ちょっと、プレイヤーの望む方向に合わせ過ぎなんじゃないのかなあ、と思うのです。

例え、それが、万人受けするストーリー、エンディングであったんだとしても。
でも、逆に、それが挑戦的過ぎると『キラー7』(カプコン)みたいに、凄いのに受け入れられないゲームになっちゃうんですけどね。(因みに自分は駄目でした。)
Killer7

まあ、簡単な話、ゲームでのハッピーエンディングに、厭きた。ということです。個人的に。

カタストロフィーのある、トラウマ級の(週刊ファミコン通信ライター談)エンディングの為だけのゲーム。悲劇に辿り着く為だけのゲーム。ホラー映画なら腐るほどあるエンディングでも、ゲーム映像でしか成し得ないモノもある。

『ドラッグオン ドラグーン』(エニックス)。

“え〜〜〜、ハッピーエンディングじゃないの〜〜〜。”で、終わる。すると、

「残りのエンディング、後五つ。」の文字。

“そうだよなあ、そんなはずないよなあ。バッドエンディングだけじゃあ淋しすぎるよ。”

だから、繰り返し、やった。

悉くすべて、悲劇、と狂気、だった。
カルチャーショック、だった。だって、終わっても、楽しくない。
これって、ゲームと言えるのか。娯楽と言えるのか。

なんで、たかだかゲームで打ちのめされなければならないのか。

寂しいゲームだった。でも、ゲームで、そんな体験、初めてだった。ゲームに裏切られたの初めてだった。

それは、未知の、違和感だった。

エンディングについて思うこと。

これで、終わり。

にゃは。


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2006年03月11日

74. 「ストーリー。」(シバタ)

まあ、肝ですよね。
心に残るゲームって言うのはこの部分とエンディングに懸かってくると言っても間違いではないと思います。



【GC】バイオハザード

『バイオハザード』(カプコン)や『トゥームレイダー』を持ち出すまでもなく、ゲーム原作の映画やアニメ作品が多くなってきているのも、知名度以外にも、物語の部分の興味があるからなんだと思います。

逆に、最近では『cube』や『SAW.』の様に、ゲームであってもおかしくないものも出てきているように思います。

これは以前書いた映画と漫画と共犯関係と似ていて、それを観客側のイマジネイションの貧困と見るか製作者側の怠惰と見るかは、人それぞれでしょうし、人の脳が既にゲーム化しているから、かもしれません。(もしくは、生活が。)

でも、ここではゲームについて、の話。

ロールプレイングのストーリーは、大体同じです。
無力な主人公が仲間と出会い試練を抜けて、いつか、巨悪に打ち勝つ。そして、それが、伝説(神話、英雄譚)となる。
ブレイブ・ストーリー。(宮部みゆきさん。)


んーーーーー、筋が分かってんなら、やる必要ないじゃん。
なんか、そういう、食傷気味の時期がありました。
なら、働け、とつっこまれまくりですが、働いて、漫画読んで、映画観て、食べて、飲んで酔っ払って、寝て。それ以外に何もないので、ゲームに再び手を伸ばす。


ロールプレイングは升目のない双六です。
上がる為に紙の上(世界)を右往左往する。
町の次は山、山の次は海、海底洞窟、時には宇宙へ。
すべて、上がる為。
エンディングを迎える為。

どんな、エンディングを迎えるのかは判らない。それを知りたい。


『ブレス・オブ・ファイア后.疋薀乾鵐ォーター』(カプコン)というロールプレイングゲームがありました。今、中古屋さんで、900円くらいで売ってます。


【PS2】ブレスオブファイアVドラゴンクォーター

人気ないです。多分、面白くないゲームなんでしょう。


このゲーム、やり始める前から、ストーリーとエンディングが判ります。
それは、パッケージの裏に、もう、書いてあるから。


“空を、見に行く。”

ゲームをやり続ける理由(問い、物語、モチベーション、動機)と結果(答え、エンディング)が、もう、やり始める前から、提示されているゲーム。

それも、たった一言の、途轍もなくシンプルな言葉で。


“空を、見に行く。”


主人公達が次に、往くべき場所が判る。上の階。
主人公達が最後に辿り着く場所も判る。地上。


やる意味あんのかと、思った。このゲーム。


あった。


主人公達に、太陽の光を見せてあげたかった。

自分も、その光を、見てみたかった。この眼で。

もう、理由は、物語は、それだけでよかった。

こんな、ゲーム、他に知らない。

そして、全てが終わる。物語が、おわる。


歌が流れる。
これほどまでに、たかだかゲームにシンクロする歌なんてなかった。
もう、その歌を、そのタイミングで聴きたいがために、ゲームを続けていたのかもしれない。


そう思った。

ブラウン管の放つ偽者の太陽のひかりのまえで。

でも、それで、じゅうぶんだった。

まあ、そういう、物語。


以上。



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2006年03月10日

73. 「システム。」(シバタ)

誤字脱字、多いなあ。

今更。

72.の佐野元晴さんは佐野元春さんです。ソニーピクチャーエンターテイメントはソニーコンピューターエンターテイメントです。

すいませんっス。

次、行きます。ゲームシステム。


これは、前回明記した同名タイトルゲーム2本について、でもあるんですが、ロールプレイングゲームをやるには、根気が必要です。
何故なら、作業の殆どは単純なヤッツケ作業の繰り返しになるからです。


コマンドを選んで○ボタン。間違えたら×ボタン。延々何万回の作業。いい加減飽きてくる。まるでそれは給料の出ないベルトコンベアー作業の様でもあります。

“もっとサクサクっと進めんもんかねぇ”というのが本心で、もう寝たい。


そんな時に人から薦められたのが、『シャドウハーツ』(アルゼ)。

丁度、同じ時期に『2』が出ていたのでそっちの方からやってみた。
シャドウハーツ2


ジャッジメントシステム(審判)。
大上段な名称ですが、なんて事はない、だだの目押し、です。
パチンコも、スロットも苦手なんで、“なんじゃこりゃ”でした。

なんか子供騙しじゃん、でした。別に斬新なシステムでもないし。目押しのタイミングスピードも速いので上手く出来ない。いい加減飽きてきた。一時間ぐらいで。

その時、コマンド部分に或る単語があったのに視線が止まった。

“スコア”。

「何、これ?」でした。“ステータス”なら、解る。“スコア”って?その部分を開いてみました。

ランキング。歩いた距離。買った金額。ダウンした回数。パーセンテージ。エトセトラ。そして、その横に一口コメント。


その瞬間、俄然燃えてきた。やってやる。そう思った。それからは、スコアのパーセンテージを0.1%だけでも上げていくことに拘った。
何よりスコアのあるロールプレイングなんて初めてだったから。

シューティングゲームじゃあるまいし・・・、でもそこに、心躍った。自分の軌跡を誰かが見ていてくれる、成功も失敗も全て。過ちも償いも全て。


他者の評価は大切です。
己の歪な演技でも観客が居るのなら、続ける以外ない。見捨てられるまで。

エンディングまでの過程、それを評価しようとしてくれるスコア、誰かか見ていてくれてる力強さ。勇気?

んーーーーー、サラリーマン世代です。



次、『スターオーシャン3』。
スターオーシャン3 Till the End of Time


それまでの自分流ロールプレイングゲーム不満点は、ガチャガチャ感がない、でした。
ゲームやってる感がない。

例えるなら格闘アクションゲーム、分け解らん、とりあえず押せ押せ!○×?んっ?今、なんかやった?技、出た?うおッやられるやられるやられる、えい。
ありゃ?だめだめだめ、そうじゃない、んっ?んっ?んっ?負けた?負けた?勝った?いえーーーーーい、です。

それがない。花がない。アクションがない。がちゃがちゃ出来ない。

そこが不満点でした。


(以前、以後に『ダーククロニクル』(レベル5)や『バンピートロット』(アイレム)の様に良い感じのもありましたが、自分には身分不相応で、やる事いっぱいありすぎて、何していいか判らないので、止めました。でも、この両者のシステムは、結構へぇーーーーーって思います。)


ダーククロニクルクロニクルナビゲーター―プレイステーション2版



PS2 ポンコツ浪漫大活劇バンピートロット

そこにタイムリーに来たのが『スターオーシャン3』でした。

もう、がちゃがちゃしっぱなし。
それが嬉しくて、楽しくて、倒れては立ち上がり、倒れては向かっていき、もう何度ゲームオーバーになったことか。
飽くことなきゲーム魂。
フラッシュチャリオットーーーっ。
ジョジョ、かよ。久々でした。


また、そのゲームにはバトルカードシステムなんて余分なもんがありまして、それはある戦闘条件を満たしたとき、その条件に合わせて評価してくれるシステムみたいなもんで、あまりゲーム本編にとっては意味がない。
まあ上記の“スコア”のカード版みたいなもんでした。


或る時、ゲーム中、“ぴんぴろぴーーーん。”なんていう効果音。なにかと思えば、「入力回数一万回。」の文字。

1分間。呆然。有益な生き方って何だろう。その事を考えてた。ひとり、部屋の中で・・・

まあね。そんな感じでした。

でもそのゲーム、ひとつだけ不満点があって、それ、何かって言うと、ストーリー、なんですよねえ・・・。“えーーーーーーーーーー、そんなんでいいのーーーーーーーーーー。”っていうのが、くる。物語の残り三分の一ぐらいで。ほんと、それだけ、なんですけどねえ・・・

でもまあ、それも、また、別の話。

以下次号。


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2006年02月09日

雲(OKZ)

ouji雲
1月は雲が多かった。


72. 「キャラ。」(シバタ)

ロックンローラー佐野元晴さんは“メロディーは言葉を乗せて流れていく船。”という例えをしました。

ならば、ゲームに於いて其れを担う役割を成すものは何でしょう、と、もう出だしにも書いてるんで、今更ですが、やはり、キャラクターではないかと。

中には“物語の方じゃない?”と思う方もいるかもしれません。
それについては反論できません。

でも、多くの物語書きの人々が例える実例がある様に“キャラクターがしっかりしていれば、物語は、動く。”という説もあるので、反証しません。めんどいから。

それに、小説家宮部みゆきさんが『 ICO』(原作:ソニーピクチャーエンターテイメント同名タイトルゲーム。)なんていう小説を書いてしまおうとしたのも、それは其処に“この手を離さない。こころまで離してしまう気がするから・・・”な、二人、が居たからで、「お城脱出物語。」を書きたかったわけじゃないと思うから。

まあ、心苦しい詭弁ですが。それに、もし、旅を続けるのであれば、隣に同乗者が居てくれた方が心、軽くなりません?

と、いう訳で、強引にキャラ立ち。

魅力的なキャラが居るゲームは、もう、それだけで、楽しいです。

まして、感情移入さえ出来れば、もう、”ひとり、じゃあない”。ゲームは一人の作業だけれど、ひとり、じゃあない、から、続けていける、冒険を。持続力は、物語の魅力とキャラの魅力に懸かる。

そういう意味で、一緒に戦ってる感のあったキャラクター達のゲーム。

『シャドウ ハーツ2』(アルゼ)。
シャドウハーツ2

ロールプレイングゲームの大抵は、ハードでシリアスでアットホームでっていうのがもうある種定番に組み込まれてる中、“愛と笑いのローループレイング”のキャッチコピーのその通り、キャラクターがお軽い。

もう、それだけで新機軸で、そのキャラクターたちの台詞を聞き続けたい為にゲームを進めていった感がある。
もうパロディー満載で、“帝都物語(荒俣宏さん作)か?”ってくらい。

それを、パクりじゃんって捨てるなら、拾わせて頂きます。マイ オウン。


『スター オーシャン3 時が終わるまで ディレクターズカット』(スクエアエニックス)
スターオーシャン Till the End of Time ディレクターズカット

もう、イカスわぷりてぃーだわで、台詞も秀逸。キャラクターも勝手に自分達で動いてくれるんで、楽だし。必殺技もド派手で快感で。
ガキの夢見たアクションヒーローに初めて自分がなれた感覚。一緒に戦ってるぜ、冒険してるぜ、ひとりじゃないぜ感があった作品でした。

ん〜〜〜〜〜、こうして文章読み返してみると、なんか、あれだな、ただのおたくだな。
しかも、独り善がりだし。

でも、本気でそう思ってんだから、しょうがないよ、うん。

キモイけど。

ピース。



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2006年02月07日

71. 「オープニング。」(しばた)

ゲーム機にソフトを入れてローディングする。読み込み開始。

画面が変わり、台詞が流れる。音楽が流れる。

ワクワク。

この後に、どんな冒険が待っているんだろう。その、期待感。


それらを象徴し、決定付けるオープニング。

それは、それ以後に連なるやっつけ作業的無意味な労働力との等価交換の法則(鋼の錬金術師)によって、やっと成り立つ。

逆を言えば、快楽的、魅力的オープニングを持たないものは、続かない。やる気がでない。


『クロノ・トリガー』(エニックス)での振り子時計。そして、静かなる音。
クロノトリガー PS one Books


『幻想水滸伝2』(コナミ)でのオーケストラ。そして、連なる、『1』からの登場人物達の後姿、草原を吹き抜ける風。
幻想水滸伝I&II

『ワイルド・アームス 2ndイグニッション』(ソニーコンピュータエンターテイメント)のセンチメンタル主題歌とそのテンポと共に踊る30分アニメーション番組かのようなヒーロー感。
ワイルドアームス PlayStation the Best

『メタルギア・ソリッド2 サンズ オブ リバティー』(コナミ)に於けるハリウッド映画級のクオリティー。
METALGEAR SOLID 2 SONS OF LIBERTY (コナミ殿堂セレクション)

『アヌビス ゾーン オブ エンダ−ズ』(コナミ)、『ドラッグオン ドラグーン』(エニックス)に於けるオープニングなのに映画本編の予告編のようなスタイリッシュな編集。
ANUBIS ZONE OF THE ENDERS

DRAG ON DRAGOON

まあ、例えどれ程心動かされるオープニングであったとしても、それが、ゲーム全体として楽しいモノなのかどうかは別問題ですけれど、それは、映画や音楽(ジャケット)や小説(装丁、書評)などなどと同じ事で、ゲームに限ったことじゃない。

中にはまるで詐欺なんじゃないかと思えるほどのモノだってあるけれど、それはそこ資本主義の社会原理。
騙される方が悪いのです。
だったら巧く騙してよ、というのが私見です。


時々、ゲームを観ていて、“ばかだなあ”と思います。

“そんなことまで拘らないでもいいのに”と。
“だれも判ってくれないよ”と。“ゲームなんだから楽しけりゃあ良いのよ”と。

“そんな無駄な事なくても、もっと大事なこと他にあるでしょ”と。


前述の『メタルギア・ソリッド2』のオープニングを初めて観たとき、“映像の未来が此処にある”と何の根拠もなく思いました。

“こんな画像のハリウッド映画があるんなら、もうそれだけで観て見たい”と。
ちょっと衝撃でした。
ゲームなのにカメラのレンズがある、その事に。


雨が降っていて、男が歩いている。
土砂降りの中を。ブラウン管はそのシーンを映し出している。

それはプログラムであってカメラではないのに、ブラウン管と男の間にカメラのレンズのプログラムがあって雨が、当たっている。レンズに。

レンズという、プログラムに。
“無駄なことしてんなあ”、だった。

でも、それが、本気だっていうことなのかも知れない。
そういうことこそに拘り、妥協しないことが、彼等(創作者達)にとっての、ほんとうってことなのかもしれない。
本当ってこと、リアルってこと、現実ってこと。現実の中にいるってこと。


さて、小説家、福井晴敏さん(『亡国のイージス』『終戦のローレライ』『川の深さは』などなど)は“もし、あなたにライバルがいるとしたら誰ですか。
”の質問に、“ハリウッド映画。”と答えます。


ゲームの気概もそこにある気がしている昨今、皆さんどの様にお過ごしでしょうか。

敬具。




2006年01月31日

法隆寺(OKZ)

法隆寺扉閂01261226000
携帯に画像をよく送ってくれる友人がいる。
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行動力の源(OKZ)

26日(木曜日)、今回袴田氏は急用のため来れなくなってしまったと連絡。
作品DVは袴田氏が24日(火曜日)にOKZのもとへ郵送したらしいが、2日たっても届かない。
上映会は2日後の28日。
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1/28・29上映会無事終了(OKZ)

1月28・29日に大阪で行なった上映会。
無事終了。かるぺ庭続きを読む