2009年02月

2009年02月24日

今週の六十余州 その31「56. 讃岐 象頭山遠望」

56main
 現在の四国香川県にあたるのが讃岐。琴平町にある琴平山はその形が象の頭のようであるので「象頭山(ぞうずさん)」と古くから呼ばれていました。実際はそれほど似ているとは言い難い気がしますが、この広重の図では象をイメージすることが出来ます。


 象の目にあたるところが「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)です。
 赤い花をつけた樹木が両脇に茂る峠道を行く旅人が活き活きと描かれ、ジグザグと続く道は象頭山へと向かっているのか、紫色のすやりぼかしが詩情ををかきたてます。
 金刀比羅宮のホームページ


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2009年02月18日

山口和男先生宅訪問

山口作品来月当社画廊で開かれる山口和男先生の個展の作品を預かりに神奈川県秦野市にあるお宅を訪問しました。
当画廊での個展は実に8回目となります。
私自身1991年の第1回展からのお付き合いとなるので
早や18年になります。
静かで穏やかな人柄の中に絵画に対する強烈な情熱をもった人だなあ
というのが第一印象でした。
それは今も変わってません。

今回の新作では17-18世紀にイタリア、スペインで用いられた技法に挑んでいます。
前回の個展の時と比べ
明らかにしっとりとした温かい
シルクのような質感を感じられる作品となっています。
過去二回の個展では
ア・ラ・プリマといって
下地なしに直接キャンバスに描く技法をとっていました。
よくみると筆のタッチがわかる粗い画面ながら
全体として静物の存在感が際立ってくるという作風で
個人的に感動してました。

今回のはライトレッドのモノトーンの下書きを作った上に描いています。
精密な静物画というと
写真のような絵と思われますが
画家は写真で出来ないことをしようとしています。
毎回新しい試みに挑んでいる山口先生の作品を見ていると
絵画の奥深さにしびれます。

山口和男近影
自宅にて(撮影:O)

技法などについては上述だけでは誤解があるかもしれませんので
山口さんのホームページ「画家 山口和男」で確認して下さい。

「山口和男新作油彩画展」
2009年3月9日(月)〜12日(木)
11:00-18:00(最終日16:00まで)
@毎日アート出版画廊
(O)

2009年02月17日

今週の六十余州 その30「18. 安房 小湊 内浦」

18図 現在の千葉県鴨川市にある内浦湾は別名「鯛の浦」とも呼ばれ、世界有数の鯛の群生地として国の「天然記念物」に指定されています。これは県内唯一の特別天然記念物でもあるそうです。

 今から787年前の昨日、貞応元年(1222)2月16日が日蓮聖人が安房の小湊に生まれました。小湊には日蓮聖人生誕にゆかりの誕生寺があります。
18図寺1276年の建立時はもっと海沿いにあったが、二度の地震と津波で水没し、現在の場所に移築され、再興されたということです。
集落奥の大きな建物が誕生寺でしょうか。

18図旅人 三方を山に囲まれた小湊の様子を、広重ならではの穏やかな風情で描いた図となっています。訪れる旅人も多く、手前の峠に誕生寺詣での姿も見られます。

鴨川市天津小湊観光協会のホームページ


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2009年02月11日

加山又造展

加山又造展@国立新美術館(東京・六本木)
2009年1月21日(水)〜3月2日(月)

会場に一枚の写真が飾ってある
木の椅子の上に膝を抱えて座っている加山先生
15年ほど前大磯の加山先生のお宅にお邪魔した時
玄関のあがりかまちに同じように座る作務衣姿が思い出される


東山魁夷が国民的画家といわれるとしたら
加山又造はなんと称されるのだろう
常に「芸術」ということに真摯に向き合っていたというイメージが強い

展覧会では25歳から晩年までのほぼ全てのキャリアを網羅した構成となっている
会場入ってすぐの1978年の大作「雪」「月」「花」の巨大な三部作にまず圧倒される
模索しのたうち回る中に、鋭い野心があふれる20代の作品がみずみずしい
その初期からすでに加山又造の世界が生まれようとしている
それにしても加山先生にとって「月」というのはどういう存在なのだろう
初期の作品から晩年まで常に月の存在がどこかにある

大胆で切れ味の鋭い線の美しさ
水墨画の墨の深い黒
箔、紙、岩絵具、墨のマチエールの美しさ
画集ではとてもとても表現出来ない
気が付くと日本画そのものの魅力が
展覧会場をみたしている
(O)

2009年02月10日

今週の六十余州 その29「53. 紀伊 和哥之浦」

53図
 現在の和歌山県全域と三重県南部を含む紀伊国は、南東部での降水が本州第一といわれ森林繁茂して木国の異名に相応しい地域である。
 また一方太平洋に面する海岸に屈折多く、数多い風光絶佳の海浜の地をかかえていることも特色である。
 そのなかで「和歌浦は名立る勝地にして、東西廿余町、浜松の色濃くあしべの田鶴波間のちどり、江水洋々たり。」と『名所図会』にある。
「若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴きわたる」(万葉集・山辺赤人)は古来から知られた和歌で、広重もこの歌によって飛翔する鶴を画中に入れたのであろう。

53図部分
「和歌の浦や入江のあしのしもの鶴かかる光にあわんとや見し」(新千載集・家隆)など鶴の歌が他にも多い。
 中央の霞が紫色をしたものと白色のものとがある。前者はその背景の山が薄墨になり、後者は青色になっている。色違いの版を比較するのも興味深い点である。
(復刻版解説書より抜粋)


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2009年02月03日

ランドスケープ 柴田敏雄展

ランドスケープ@東京都写真美術館
2008年12月13日(土)〜2009年2月8日(日)
空や地平線がない
人物もない風景写真
物理的な要素(重力、寸法)を確定するすべのない世界では
自分の立ち位置がわからなくなる


会期終了一週間前に作者の講演会を拝聴した
柴田敏雄さんは
よくモチーフとするダムや崖崩れ防止用のコンクリート壁が特に好きではないという
思い入れがあると無意識に情緒的な作意が働く
目指しているものがクリアになりそうになる
すると作品が似通ってしまう
それは芸術として良いことではない

僕の思っている写真家の印象とずいぶん違う
というか
写真家も物作りなんだと思い知らされる
僕らでもよく知っている写真家というのは
被写体との関係性が重要で
報道カメラにしろ、ファッション写真にしろ
風俗写真にしても動物写真でも
被写体との関係性が主題とも言える
また風景写真でも通常フォトグラファーの視点
美意識、結局は好み、センスであったりする
柴田敏雄は
あくまでも被写体との関係性を希薄にし
距離を置き続けようとしている
極端に言うと
絵画における自動筆記くらい
感情をとりぞく

巨大な8x10カメラで1シーン1カットのみで撮影される
まるでスケッチだ

ここで柴田敏雄さんの略年譜を紹介

1949年東京生まれ
68年の学生運動まっただ中に芸大の油絵科に入り大学院まで進む
大学院修了の翌年からベルギーの王立アカデミー写真科に奨学金で迎えられ
5年後の79年帰国し写真家となる
コンクリートの写真で知られる

1968年に芸大に入学したものの5月革命で一年間授業がない
最初はセザンヌなどの作品に惹かれていたが
当時のアレン・ジョーンズ、ジャスパー・ジョーンズなどの
いわゆるポップアートに一気に冒され
卒業作品などはその模倣作品となる
(講演会のスライドで見せてもらいました)
そしてラウシェンバーグ(去年死んじゃいましたね)
に至っては写真のコラージュ
柴田さんは手で描くのがいやになったそうです

ベルギーで4年間写真を学んだあと
なぜヨーロッパでなく日本の写真を撮るようになったか

ヨーロッパだと感動した場所の写真はどうしても観光写真になる
(すごくよく分かる)
日本にもどり見慣れた風景だからこそ
情緒的な思いから距離をおいて撮影できる


距離を置いて世界を俯瞰したい

(O)

2009年02月02日

今週の六十余州 その28「14. 伊豆 修禅寺 湯治場」

14図
温泉が恋しい季節です

今回は現在でも人気のある伊豆修禅寺(しゅぜんじ)。
多くの温泉地がある伊豆半島でも最も歴史のある温泉です。


修禅寺という地名はその名の通り修禅寺というお寺に因んでいます。
平安時代に弘法大師が開いたお寺が修禅寺。
そして弘法大師が独鈷を用いて岩を砕くと、そこからお湯が湧き出したのが始まりとされています。今でも「独鈷(とっこ)の湯」という無料の温泉が、町の中心を流れる桂川のあずまやにあります。


14図部分広重の図中央、川の中に灯籠が見えますが、その脚もと左の岩場に見える浴槽が「独鈷(とっこ)の湯」です。
閑かな雰囲気の中、渓流の水の流れの音が聞こえてくるような図となっています。


歌川広重「六十余州名所図会」完全復刻版の紹介ページはこちらです。(O)