2019年08月28日

期待値が高すぎただけかもだけど@劇団四季アラジン

    全く意図して無いことだったが、ちょうど実写映画の終わる時期に劇団四季のアラジンを観劇した。
    人気公演で何ヶ月も前からチケットを取っていたけれど、映画のアラジンがとても良くて観劇のテンションが否が応でも高まる。 

    結果、私と四季とのマッチング率は低めかもしれないという結論に至ってしまった。

    そもそもアラジンに友達が、しかも悪友で腐れ縁な親友が3人もいてジーニーとの友情が薄まってしまったのがどうにも最後まで気になった。
    その友達3人自体は無理なキャラクターではなかったと思う。
    キャストも素晴らしく、かつ見せ場としてジャファーに城へ囚われたアラジンを助けに行くコメディナンバーが楽しく、演劇ならではの面白さを堪能できるシーンではないかと思う。
    でもその分泥棒をしている自分の惨めさや、彼と本当の友情を築いてゆく過程に感動できなくなってしまって。
     恋をして、友達が出来、世界との関わり方が変わってダイヤモンドの原石が磨かれてゆく過程こそアラジンだと思うの。

    それとね、ジャファーはコメディタッチでなくてはいけなかったのだろうか。
    宝塚を主なフィールドにしている私には、どうにも彼のメタっぽい笑いが好きになれない。
    その世界に浸っているのに急に現実が襲いかかってくるその冷やっとしたものを、私はディズニーに求めていない。
    ジーニーがメタな発言をするのはいいのよ。だって彼は狂言回しで客席と登場人物たちの間にいる存在なんだもの。
    彼はその一線を自由に飛び越えるところにこそ魔人の万能さを表している。
    でもジャファーはだめ。しかも回数が多い。
    悪役からの恐怖が無いと作品ってつまらないんだわ。
    ジャファーはこの物語のルールの中で作中最強で大きな壁なのよ。
    ルールを飛び越えては魔人の強さも異次元感も失ってしまうじゃないか。

    でもね、ホールニューワールドのあまりの素晴らしさに涙が出てしまった。
    あれは宝塚では出来ない。
    ほぼ真っ暗に照明を落として、舞台の後ろ一面に星が見える。
    そしてゆらゆらと絨毯で飛ぶ美しい光景、素晴らしい歌声。
    こんなに美しいものが見られるなんて思ってもみなかった。
    四季版のホールニューワールドの歌詞はサビの部分で「自由よ」と歌うの。
    自分の意思を抑えこまれ、自由への憧れがジャスミンにとっては星のようにきらめいているのがわかる。
    私は彼女の目に見えている景色がこんなに素晴らしいものであることにも感動した。
    
    普段の私は箸が転がっても面白いと感じるくらい笑いの沸点が低いと思うけど、こと観劇に関しては違うのかもしれない。
    私が面白いと思うものはアラジンには無かった。それだけかもしれない。
    何にせよ、四季を見るといつも笑いのマッチング率が低いと思うわ。
    以前四季のノートルダムの鐘を見た時は好きだと思ったから、笑いに関することだけがだめなのだろう。
    でもその笑い部分が笑えないだけでなく不快に感じるから、四季を見ようと積極的になれないんだろうなあ。

maity051 at 13:06│Comments(0)観劇感想 | その他

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