まじめになっちゃだめだ

そのほうがうまくいくんだ

勉強のコツ

・失敗しろ

・時間をかけろ

・反省するけど、最後は自分



これがわたしの勉強のコツ3箇条です。以下、説明。

・失敗しろ
不器用な人間が成長するにはこれしかありません。たくさん失敗して、たくさん痛い目みて、学ぶ。
世の中には要領のいいひとってのもいますが、うらやんでいても仕方ありません。たくさんぶつかって、失敗の経験を蓄積しましょう。後になって気づくものですが、実はそれが一番の財産です。

・時間をかけろ
時間をかける。これより他ないです。「時短」とか「効率」とか「即効果アリ!」が巷ではもてはやされてるようですが、だまされてはいけません。富野由悠季さんも言ってますが「コツコツやるしかない」んです。富野さんほどの人物が言うんだからもうそれしかないでしょう。
お気づきのことと思いますが、「時間をかけろ」は「失敗しろ」と密接に関わっています。失敗するんだから時間はかかります。時間をかけて、たくさん手をだして、たくさん失敗して…、それで身につくんです。要領のいいひとが1回でできたからといって、だから自分も…とはなりません。自分は同じことを2度3度とやって、繰り返しやって、身につける。スピード競争じゃないんだから、それでいいんです。

・反省するけど、最後は自分
…これは、以前からずっと思ってたことなんですが、「どうしてうまくいかないんだろう?」ってなったとき、自分を殺しちゃう人、多いなと思って。自分の考えをゼロにして他人の意見にしたがっちゃう、っていう。心底から納得してもいないのに表面上他人の言う通りにして、じゃあうまくいかなかったらどうするかっていうと、「誰々さんが言う通りにしただけです」って、それはダサイだろう、と。
納得してなきゃ納得するまで時間かけようよ。
納得してないのに表面上うまくやろうとするからストレスになるんです。他人につぶされちゃうんです。自分の心を「他人の意見」に独占させてはいけません。他人の意見は、耳ぐらいまではいれてほしいけど、あくまでハートは自分。考えるのも自分。他人の意見にそのまま全面降伏するんじゃなくて、自分のなかで一回咀嚼して、「この部分は納得できる、残りは納得できない」とか「やっぱ納得いかないわ」というように、他人を一度突き放して考えないといけません。それは、「師匠」とか「先生」と呼ばれるひとの意見でも、そうです。
自分の中の「納得」を、かんたんに手放さない。それが大事です。

…実はこれには、ウラの意味があります。実は、素直に他人の言う通りにできるひとの方が伸びます。それは間違いありません。でも、素直な人間ばかりじゃないじゃないですか。それに、人のいうことを聞くにしても、相手にもよるだろうし。だから、納得するまで失敗を繰り返して、時間をかけて。そうやって前に進むやり方だってあるんです。自分の道なんですから、他人と同じとは限りません。

無題

思いつき。

「町の本棚」作るのどうだろう。

人が集まる場所に本棚つくる
捨ててもいいような本を置いてく
読みたい人は自由に持って帰る

自分にとって役に立たなくなった本が誰か他の人の知的好奇心を満たす、ってことは大いにある。それを無料で実現する、ってわけ。

やることとしては「人が集まる場所に本棚作る」それだけ。

棚さえあればあとは勝手に本を処分したい人が置いてく。

駅のホームとかに置けないかな。そうすれば電車の待ち時間にふらっとのぞいて、おっ!おもしろそう、ってのが起こりうる。

コストはほぼタダ。それで人が勉強するきっかけが生まれたりする。

「スマホがあればそんなの要らないジャン」って人もいるけど、スマホは「自分の関心のあること」しか満たしてくれない。興味以外のことを刺激してくれたりしない。

ホントは町の喫煙コーナーとかに作りたい。タバコ吸ってるときのぶらっとしてる時間に本棚あったらつい見ちゃう。でも雨に濡れちゃうとイヤなので、やっぱ屋内がいい。
イメージとしてはコインランドリーに置いてあるマンガ。アレって興味ないけど暇つぶしに読んじゃうジャン。

「本を自由に読み捨てれるとなるとゴミ置場になっちゃわない?」というのも懸念されるが、そこは掃除人が判断してよいことにする。置いてある本が、新聞・雑誌なら捨てる。エロも捨てる。あとは残す。あまりにも汚い本、雨に濡れてるとか、は捨てる。この単純な基準で運用すればいけるんじゃないかな。

あとは転売対策。置いてある本を大量に持って帰って売りさばく人対策に、

本を置いていく人は、ページの横面にマジックでその町の名前を書く

とかルール作れば転売しても出どころバレるから悪質業者対策になるのでは。

学ぶって大事。だけど、強制的に学ばせるなんてこと、できない。だから、興味を掘り起こす、それも押しつけがましくなく、ってしたい。そのための「町の本棚」。本棚はいつもそこにあって、もし興味があればのぞいてもらい、必要であれば持って帰る。良書に出会えれば自分のためになるし、そうでなくても元がタダだから懐も痛まない。それに、強制されたわけじゃないからモチベーションの問題もない。もしオススメしたい本があれば既読の本を置いていけばよい。そうやってサイクルを回していって、住民の、ひとりでもふたりでもいいから、やる気をちょっとスイッチ入れる、良書のおすそ分けをする、そういうの、あってもいいかなーと思うのよ。政治家のみなさん、地域の教育水準の発展に、コストほぼゼロで寄与しそうな運動ですが、どーすか。

(イメージとしては『祝福王』の「誰でも1000円もらえる広場」です。アレって結局最後は「1000円もらいにくる人よりも、1000円喜捨しにくる人の方が増えて、1000円札がいつまでたってもなくならず、しかももらう人よりあげる人の方がうれしそう」ってなるんだよね)

Excel四十八手、更新しました 20180606

Excel四十八手、更新しました。今回はコチラ

VBA編です。単なる構文の紹介なので、おもしろみに欠けますが、きっと必要な内容だろうなーと思って書きました。まあ、もしよかったら。

あ、そうそう、手抜き記事ですみませんが、ウチの猫が超ハマってるおもちゃ。

<リンク>猫の家(R)

めちゃめちゃ遊んでハァハァいうまで遊んじゃうのでこっちが心配になるくらい。加減して遊んであげてください。

あと、こないだ買って超満足してるおしゃれな「もんぺ」。

<リンク>うなぎの寝床

ちょっとお高いんだけど、でも履いててラク。ウエストはゴムだ、。履き心地もいい。涼しいし、軽い。
そして上にシャツはおればビジネスカジュアルくらいならいけちゃいそうなスマート感(色にもよるけど。自分はキャメルを購入)。
蚤の市の出店で購入したのですが、店員さんに「これであなたもモンペニスタですね」と言われる。モンペニスタ…なんだその呼称。。


尊とか徳とか

「経済」を「金もうけ」と理解してる人とは友達になれん。
「儲け」とか「利益」とか「損/得」とか、世間ではそんなことばかり言われている気がするんだけど、違和感ばかり溜まっていって。

自分だけが儲けたいと思ってない?
自分の利益がとにかく増えればいいと思ってない?
実体の伴わないものでも、高く売りつければそれでいいと思ってない?
10円でも100円でも得したいと思ってない?そのためにすごい労力使ってポイント貯めたり値引き交渉したりしてない?

世知辛い。

何となく晴れない閉塞感。こういうときは古典を読もう!そう思い、二宮尊徳『二宮翁夜話』(中公クラシックス)に手を伸ばした。
古典はよい。100年以上、場合によっては1000年単位で通用する知、人間や社会の本質を浮かび上がらせてくれる。古くさいかもしれないが、風雪に耐えてきた重みがある。もちろん、最新の人の最新の本にも良さはある。例えば○○エモンとか。でも、○○エモンの言ってる事の耐用年数はおそらく5年くらいのものだろう。もしかしたらもっと短いかもしれない(あるいは、本にした時点ですでに廃れているかもしれない。本人はそのもっと前から知識を仕入れ考えてきてその情報格差で儲けてきたのだから)。それに、現状を打破する仕方は、現代ばかりを見つめていてはままならんだろう、とも思う。そのための古典だ。古きをたずね新しきを知る。

ということで二宮尊徳。この人は「経世済民」の人なんですよ。経世済民、世を経め(おさめ)民を済う(すくう)。これが短くなって「経済」。だから「経済」ってことば、本来は「民の暮らしを豊かにするにはどうしたらいいか」っていう、お金の流れも政治についても含めた広い意味のものだったんです。
で、「経世済民」を実現するのに二宮尊徳が重きを置いたのが「道徳」。徳のある行動、仁義礼智に基づいた考え方は民の暮らし向きの向上と結びつく、ということを教えてくれるんだけど、だからといって頭でっかちになっても誰もついてこないよと戒めてもくれる、バランスのとれた本。まあ、時代が時代なんで、農民向けの話が多いんだけど、でも農民の話を自分に置き換えればいいし。それに、オレも心根は農民だし。

というわけで以下、いくつか引用。

ひもじいときに、よその家へ行って、「どうか一飯めぐんでください。そうすれば私は庭をはきましょう」と言っても、一飯をふるまってくれる者はない。空腹をがまんしてまず庭をはけば、あるいは一飯にありつくこともあろう。これは、おのれを捨てて人にしたがう道であって、物事すべてがうまくゆかなくなったようなときにも可能な道だ。

たとえば家を取ろうと思って家を取り、村長になろうと願って村長となるなどは、その家、その村はきっと治まらない。なぜなら、こうしようと欲してすれば謀計(はかりごと)や細工を用いるからだ。謀計や細工を用いれば、衆人の恨みがあつまるところとなるので、いったんは勢いに乗じて智力を用いて成功するとしても、どうして長続きがするだろうか。

農夫が田畑のために力を尽くし、人糞(こやし)をかけ干鰯(ほしか)を用い、作物のために力を尽くせば、秋になって実りを得ることが必ず多いにちがいない。ところが、菜をまいて芽が出ればすぐに芽をつみ、枝がでれば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る。こうしていては決して収穫がない。商法もまた同じことで、自分の利欲のみを考えて、買う人のためを思わず、むりやりにむさぼれば、その店の衰えることは眼に見えている。

将来のことを考える者は富み、目先のことだけを考える者は貧する。

大事をなそうと欲すれば、小さな事を怠らず勤めよ。小が積もって大となるものだからだ。およそ小人の常で、大きな事を欲して、小さな事を怠り、できがたい事を心配して、できやすい事を勤めない。それで、結局は大きな事ができないのだ。大は小を積んで大になることを知らないからだ。たとえば、百万石の米といっても粒が大きいわけではない。万町歩の田を耕すのも、その作業は一鍬(くわ)ずつの仕事である。千里の道も一歩ずつ歩んで到達する。山を作るのも一簣(もっこ)の土からなることをよく知って、よく励んで小事を勤めたならば、大事も必ずなるだろう。小さい事をゆるがせにする者には、大きな事は決してできないものである。

万巻の書物があっても無学の者には役に立たない。隣に金貸しがいても自分に借りる力がなければどうにもならない。向かいに米屋があっても銭がなければ買うことはできない。だから、書物を読もうと思ったなら、いろはから習い始めるがよい。家を興そうと思ったなら、小より積み始めるがよい。このほかに術はないものだ。

世の中の人を御覧、一銭の柿を買うにも、二銭の梨を買うにも、真頭のまっすぐな、きずのないのを選んで取るではないか。また茶碗一つ買うにも、色のよい、形のよいのを選ってなでてみ、鳴らして音を聞き、選りに選って取るものだ。世の人たちはみなそうだ。柿や梨は、買っても悪ければ捨てればよい。こういうものさえこれなのだ。だから人に選ばれて聟(むこ)となり嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者、自分の身にきずがあっては人が取ってくれないのは当然のことだ。自分にきずが多いのに、上の人が取ってくれなければ、上には眼がないなどと、上に立つ人を悪く言い、人をとがめるのは大きな間違いだ。そういう人は、自分をふり返ってみよ。きっと自分の身に傷があるせいだ。人の身のきずとは何かといえば、たとえば酒が好きだとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つや二つのきずはあろう。買い手がないのは当然だ。これを柿や梨にたとえれば、真頭がまがって渋そうに見えるのと同じだ。人が買わないのも無理がない。そこをよく考えるべきだ。古語(『大学』)に、「内に誠あれば必ず外にあらわる」(内容がしっかりしていれば必ず外にあらわれる)と言っている。きずがなくて、真頭のまっすぐな柿が売れないということはない。どんな草深い中でも山芋があれば、人がすぐに見つけて捨てておくことはない。また泥深い水中に潜伏している鰻(うなぎ)や鰌(どじょう)も、きっと人が見つけて捕える世の中だ。だから、内に誠があって外にあらわれない道理はない。この道理をよく心得て、身にきずのないように心がけなさい。

読んでみて、「あ、欽ちゃんの考えに似てるなー」と思ったんだけど、つまりは欽ちゃんも尊徳的な考え方を身につけてる、ってことなんだね、きっと。

手をつなぐ

・お手々つないで

娘が手をつないでました。

ねこ444


ねこ445
 
「なあ、ええやろ」
「えー、まだわたしたち知り合って間もないし」
ねこ446

「ええやないか、な」
「えー、どうしようかな」

ねこ447

「好きなんや、好きなんや、なあ」
「ちょっと、強引です」

ねこ448

この娘たちも1歳半を過ぎ。メスのせいかちょっと小さめだけど、もうこれ以上は大きくならないのかね。
抱っこする分にはジャストサイズですけど。


・シャムmixか?

この娘↓。
ねこ449

拾ったこともあり猫種がちょっとわからなかったのですが、、、柄も純日本猫風じゃないし。
いろいろ検索した結果、シャムmixがいちばん近い気がする。
シャムmix、、、そんな高級そうな猫が道に落ちてたのか、、どういう経緯だ。

ねこ450



・ 残業

企業の「残業させない対策」 で「夜9時以降は強制的にPC落とします」みたいなニュースを見たり実際やってる話を聞いたりするんだけど、何だろね、全然ちがうんだよな、と思う。

何かね、いろいろ言いたいことはあるしアレコレ考えてもみるんだけど、結局のところ、会社はおそらく何にもしてくれない。
何かしたとしても、見当違いのことしかやらない。

「人を増やしてくれ」と言っても入れてくれないし(そりゃそうだ、お金がかかるから)、
「新システムを導入してくれ」なんて意見も通らない(お金がかかるから)。
経営者が好きなのは「お金のかからない革新」であって、「新しい仕組みのためにはウン千万円かかります!」ってのは嫌いだ。残念ながら。

だから、個々人が対策練っていくしかないよ。
レベルアップ、スキルアップして時間を減らす。そのための勉強も自分でする。会社が勉強の機会を提供してくれるなんて思わないで、自分で学んで、自分で効率上げていく。それか、あきらめて、まじめになるのを辞める。会社の要求に対して「できないッス」「無理ッス」。会社は守ってなんかくれないです。会社とか他人の要求に対してまじめに応えようとするから心を壊す。無理にでも要求に応えようとしちゃうのはある意味「自分がない、自信がない」ことの裏返しだったりするので当てはまる人はちょっと考えた方がいいんだけど、とにかく自分のできる範囲を正確に見積もって、それを超える分はあきらめる。そういう人間的スキル上達の訓練を、自分でする。

「会社に期待しない」と「学校に期待しない」。この2つが、世知辛い世の中を生きていくのに必要だと思ってるんだけど、、そういうの誰も教えてくれないのかね。どうなのかね。

えー、年も変わりましてですねえ

年も明け。
千葉に遠征しました。目指すは鋸山です。
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拠点とするのは浜金谷駅。朝7時出発で、電車を乗り継ぎここに到着したのが10時。ここから鋸山頂上を目指します。
町の風景。
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海沿いなので南国風の木が多い、気がする。冬枯れしてるけど。
この石垣、鋸山で切り出した石を使ってるんだって。鋸山は石の産地だったらしく、昔は人力で、チェーンソーとかもないからつるはしでガシガシ削って切り出していたらしいよ。セブンイレブンのとなりのカフェのおばちゃんが教えてくれた。
そうそう、セブンイレブンの隣にKANAYA STATIONってカフェがあって、そこのおばちゃんがとても親切で。前を通りがかっただけの私を中に案内してくれていろいろ歴史とか(手短に)教えてくれた。ぜひ帰りに立ち寄ろうと思っていたのだが、、、帰りはちょっとしたルート手違いで立ち寄れず。お風呂もやってるし次はぜひ寄りたい。

さて、駅周辺にさっそく廃墟のすがたが。
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なぞの実も。
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そんなこんなでうろうろしてたら山道入り口に着いた。
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せっかくだから、オレは左の道を選ぶことに。
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左の道は車力道と言って、昔は切り出した石を女性の労働者が手押し車で運ぶための道だったんだって。240kgとか運ぶらしいよ。ハンパねえな昔の人。

ここからは登り道。いくつか廃屋もあった。
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ぺしゃんこ。
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穴だらけ。

のぼって行くと、だんだん石壁がせまってくる。
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こんなところ手押し車で下るのかよ。。

「お墓がある!」と思ってちょっとビビったら、
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切り出した石を放置した跡だった。サイズ感が墓石に似ててビビる。

で、ついに石壁である。
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昔のブルドーザーもあった。
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なぞのオブジェ。
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さて、鋸山山頂は2時間ほどで着きました。
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329.5m。ですが、けっこうアップダウンは激しい。階段状になっているところがほとんどなんだけど、その1段1段がキツいので、足腰膝に負担がきます。正直まじハード。

とちゅう海も見えました。
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向こうに見えるのは富士山!来るとちゅう内房線からも見えたんだけど、そりゃあんだけデカけりゃ信仰の対象になるわな、と納得。
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当日は好天に恵まれて最高の眺め。

あと、変な木もあったり。
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ご年配者にとってのカタカナ表記のむずかしさを再認識させられたり。

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ロープエイ。ロープウェイ乗り場もあるらしいんですよ、今回は使わなかったけど。

で、山頂に寄ったあと一旦とちゅうまでルートを戻り、日本寺の方に寄りました。

崖から下を見下ろせる地獄のぞきは、
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超並んでいたのでスルー。日本寺の方は、ロープウェイや自動車で参拝する人がたくさんいるらしく、人・人・人でごった返す。山の服装してる私みたいな人は少数派。

石壁の仏様も。
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すごく良かったコレ!素直にありがたみを感じたわ!平面仏に小生いたく感動。

そして大仏。
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鎌倉の大仏や奈良の大仏よりも大きいサイズ、みたいです。すばらしいね。

ここでおみくじひいて大吉でした。ついでに厄よけのお札も奉納する前厄の私。

で、下山したら、、出発地の浜金谷の方じゃなく、保田駅の近くに来ちゃったので、、
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保田駅近くの道の駅で温泉はいろうと思い立ち寄る。KANAYA STATIONのおばちゃん、寄れなくてゴメンね。
この道の駅は元小学校なんだって。改装してお風呂・ごはん・宿泊可能な施設に生まれ変わったらしいよ。
しかし、、、本日混み混みでお風呂は15:00まで。。。。ちょっとお風呂の時間に間に合わず。
ということでお風呂入れないまま再び電車で3時間、帰路についたとさ。やはり正月3が日は、綿密に計画たてて行かないとね。


実績

気づいたらもう年末である。はたして今年何をしただろうか、、、今年の実績を列挙すると、

・プラモ作った
・メロウリンク見た
・星をみるひとクリアした

以上。…我ながら華麗な実績である。

そう、ひさびさにプラモ作ってみたら、ものすごく集中力がなくなってる&パーツ分けが複雑で頭がこんがらがるという、老いを直視せざるを得ない事態になって。色塗らない・素組みするだけのお手軽プラモ道なのに、つらい。とにかくつらい。そしてウチの娘が(よけいな)お手伝いをしに来る。

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ちょっと目を離すとさっき作った右足くわえて持ってっちゃったりする。我が家は環境がよくない。

ところで、上のコイツ顔が黒くなったなー、と。ひろって1年経過したんだが、ひろった当初はコレ↓。

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(2月くらい)

こちらも2月。
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んで、今はコレ↓。
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(一緒にメロウリンク見るの図)

黒い。黒すぎる。なぜこうなった。

『星みる』もね、クリアできたんですよ。小学生の頃やった時には「3人目の仲間が見つからない、敵にダメージが与えられない」と投げたんですが、、心のもやがまたひとつ晴れました。

あ、また娘が冷蔵庫の下におもちゃを入れちゃって途方に暮れている。。。

「ムダ!」と切り捨てる思考が、結局自分を追いつめてる

一見無駄だと思ってたことも、結局無駄じゃなかった。

この手のこと言う人、けっこういます。例えばイチローとか。
イチローは「無駄なことって、結局無駄じゃない」と言い切ります。例えば、身体を太くする筋トレ。現在のイチローは野球選手として相当の細身ですが、若い頃に一度ウェイトトレーニングで身体を太く大きくしようとした。しかし、バットが回らない。太く大きくした筋肉が邪魔をして身体が回転しない。結局イチローが自分のスイングを取り戻したのは夏場になって身体が細くなってきてからだった。イチローは当時の自分を「バカ」と認めつつ、誰もがマグワイアみたいに筋肉をつけることが正解ではない、骨や腱は大きくならないのだから過度に筋肉つけてもバランス崩すだけ、自分には自分に合った身体のバランスがある、という結論に達します。でね、ここから重要なんだけど、でもイチローは、そういう失敗を振り返っても、「無駄なことって、結局無駄じゃない」って言い切れるんです。

無駄なことは無駄じゃない。これはだいたい2つの意味で使われます。

ひとつは、一見すると無駄だと思っていた経験が、実は後になって意外なところで生きてきた、という場合。

もうひとつは、やってみて「ダメだ」ということがはっきりわかってよかった、という場合。イチローの場合はこれですね。筋トレは自分には向いてない、それがはっきりしてよかったじゃん、という具合に。

でも、イチロー自身が認めるように、無駄行動は一面ではやはり「ダメ」なのです。それを無理矢理「無駄じゃない」って思い込もうとしている、イチローの考えはそんな態度に基づいているように思えます。ではなぜ、イチローはそういう「ダメなこと→無駄じゃない」への価値の転換をするのでしょう。

それはおそらく、「自分を嫌いにならないため」です。

「無駄なことに貴重な時間を費やしてしまった!」→「もう取り返せない」→「なんて自分はダメなんだ…」…こういう自己否定の時間は、実際には何にもなりません。自分のセンチなナルシシズムを満たしてくれるだけです。無駄なことに時間を費やした自分を否定しないで、足踏みしてないで、さっさと次へ進む。それはある意味、自分を守る知恵とも言えます。自己否定で鬱々としないための、自分大好きでいるための、知恵。

イチローはまた、

やってみて「ダメだ」とわかったことと、はじめから「ダメだ」と言われたことは、違う

遠回りだって大事

とも語っていますが、これも根は同じでしょう。


しかし他方で、「イチローは結果を出してるからそんなふうにポジティブに考えられるんだ」と、うがった見方をすることもできます。

ザックジャパンがW杯で惨敗したとき、本田が「負けて一番つらいのは、今までやってきたことを否定せざるを得ないこと」とコメントしていました。本田は結果が出なかった。だからザックジャパンの4年間を否定せざるを得ない。それがつらい。
それもこれも、負けたからです。結果が出ないから、自己否定せざるを得ない。

イチローは結果を出してる男です。それもワールドクラスで。だからポジティブに考えることができる、それも一面でしょう。でも反面、ポジティブに考えることができるから、結果を出せてる。ぼくはそう考えます。


やってもみないうちから「それ無駄だよ!」と言ってくれる人がいます。
若いのに「無駄なことはしたくない」って考えてる人も多い。最短距離で結果を出したい、無駄な脇道に入りたくない、って考えてる人。すぐに「無駄!」と断じる人は、その攻撃の矛先を自分にも向けるでしょう。その結果自分もどんどん追い込まれてしまう。イチローののびやかなプレーは、彼ののびやかな考え方にルーツがある。それはわたしの考え過ぎでしょうか。

トリケロスって何かの役に立ってるのでしょうか。

ねこ443

娘2人でハート型。

さて。
近所を散歩してて以前から不思議に思っていたこと。
 
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これの裏はお墓なのだが、なぜお墓を囲う塀に恐竜が描かれているのだろう。。。

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躍動感をもって描かれる弱肉強食の世界。後ろは寺。なぜ。

この辺りは夜散歩することが多いのだけど、夜なので寺の入り口側に回っても門が閉まってて中を窺い知ることができなかったのだが、とある昼間に表側に回ってみた。

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門のところの味のある猫の絵と宝船。

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ネズミもいる。猫と遊んでいるような、襲われているような。

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證源寺というらしい。
しかし奥に映っているあのたてがみは、、、

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お寺。

…うん、両サイドの守護聖獣?にあたるものがなんか変だ。

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レフトはライオン。中華風の「獅子」ではない。「ライオン」である。

そして右側は
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…趣味だろうコレ。
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造形がすばらしい。特に目。

別棟の外観にくじらが描かれており。
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なんか噂では、プラネタリウムやってるらしいよ。寺なのに。
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・おまけ ノラ
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顔のとこ、スミベタで消したみたいになってる。

どうして人を殺してはいけないのか、と子供に聞かれたらどうしよう

「どうして人を殺してはいけないのか」

自分の子供にこう聞かれたらどうしようかな、と最近考えていて。自分に子供はいない。けど、もしいたとして。どう応じるか、それを思案していた。


まず、論理的に答えてみよう。

「どうして人を殺してはいけないのか」


「法律で決まっているから」

まず思いつく応えがこれである。ふつうに人間は人を殺すし、その点は動物と同じ。内発的に殺人を禁止するものがある、なんてことはないし、どこか遠くに「神の善の意志」とか「絶対的な倫理」とかがあってそれが殺人を禁止する、なんてこともない。だって殺人事件、そこらじゅうで起きてるじゃん。それに、戦争状態とかになっちゃったらぼくらはきっと人を殺すのである。相手は国の違う人かもしれないし、自分と同じ顔の誰かかもしれない(内戦とか)。だから、「人間は人を殺さない(ようにアプリオリにできている)」とか「人間は暴力を生理的に嫌悪するようにできている」なんてことはまったく事実に反するのであって、人間は人を殺すし、ほうっておけば人を殺しちゃうようなやつらだからこそ人を殺しては「いけない」とするルールがあるのである。そのルールが「法律」。

もちろん、この問いで我が子が納得してくれるなんて思っていない。けど、「どうして」「いけないのか」と聞かれる以上、「いけないとされる」「理由」を応えたくなる。でも、おそらく我が子が求めるものとはちょっとズレてるだろう。

なので、もう一歩踏み込む。

「どうして人を殺してはいけないのか」


「法律で決まっているから」


「じゃあなぜ法律は、殺人を禁止するのか。
殺人を規制するような法を、なぜ人は作るようになったのか。」

問いはここへ来てようやく出発点に来るように思う。実は、「どうして人を殺してはいけないのか」は、練りこまれていない未熟な問いだ。というのも、「どうして人を殺してはいけないのか」と聞いて「法律で決まっているから」と応えられたとき「何か違うな」と質問者が違和感を感じるのはわかるのだが、こちらとしても「どうして」と「理由」を聞かれている以上、こう応えるしかないからである。つまり、「問いたいこと」と「質問のことばとして出てきたもの」がすこしズレているのだ。でも、まあ、それはしょうがない。大人だって言いたいことにうまくかたちを与えることができないでいるのだし、子供だったらなおさらだ。

さて、じゃあなぜ法律は、殺人を禁止するのか。

ぼくならこう応える。

「自分が法律を作る側になったとして考えてごらん」

例えば、自分の国を作ったとする。人口100人の国でも、10人でもいい。そして、自分がこの国で一番エライ、とする。で、自国民10人なり100人なりを束ねる法律を作る、としよう。そのとき、殺人は「アリ」だろうか。殺人に対して何の罰則もない、そんな国にできるだろうか。
 
…おそらく無理だろう。殺人OKの国は、おそらく『北斗の拳』のような裸に革ベストの男たちがヒャッハー!する世界を想定するのが一番容易だろうが、もしそうなってしまったら気に入らないことがあったときかんたんに人を殺す社会になり、人口はどんどん減っていって、最終的に国として成立しなくなるだろう。そもそも自分の身の安全さえもあやしい。
人殺しを規制するものがないと、人は容易に人を殺す。しかしそれでは、「国」というコミュニティが成立することはできないし、いやもっと小さく「村」でも「集落」でもいいんだけど、人が複数一緒に暮らしていくことはできないのだ、おそらく。だからおそらく、古代に生きる人々は、人を殺すことを抑制するルールを作り、自らにそれを課した、のだ。自発的、自主的に。それは、人と人とが一緒に生きていくための「知恵」である。

なので、ちょっと考えてみてほしい。自分が国をデザインする。その国には人が何人かいる。その人たちをうまいこと生活させていくために、殺人は「アリ」だろうか、「ナシ」だろうか。殺人だけじゃない。そもそも暴力は「アリ」だろうか。

おそらくこれで我が子にもわかってもらえるだろうと思っている。仮にこれでもわかってくれないのだとしたら…、まずは「想像力」を醸成する方法を考えないと。
プロフィール

森田表計算の中の人と同一人物。
実物はスーパーキャットに似ているらしい。『パタリロ』の。

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