まじめになっちゃだめだ

そのほうがうまくいくんだ

2015年08月

多摩川を歩く ひねりがなくてスマヌ

昨日は多摩川を散歩した。何のひねりもないのだが…。

国領から南下して多摩川にぶつかったら西進。是政あたりで北上し東府中で電車で帰る予定。

相変わらず電線に鳥が留まってるな。
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下に魚でもいるんだろうか。鳥の集団、遠目で見てもちょっと怖い。

京王線の下をくぐる。
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天気が悪い。小雨が降ってきた。

京王閣の勇姿。
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今は競輪のイメージしかないが、昔はゴージャスなレジャー施設だったらしい。wikipediaによると、

「園内には総大理石貼りの大浴場(ローマ風呂)、和洋食のメニューが多彩な大食堂、カフェ、各種遊戯施設(ビリヤード場など)などを完備した鉄筋3階建ての本館、また屋外には当時まだ珍しかったメリーゴーラウンド、豆汽車、ウォーターパークなど、そしてレヴューを行う演芸場を備え、その規模は東京近郊では最大を誇り、関東の宝塚と称されるほどでまさにレジャー施設のはしりであった。」

へー。養蚕がさかんだった頃は、この辺りも豪勢だったのかね。

さて、ずんずん西進すると、アースくんが見えてきた。
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アースくん。東京都下水道局のキャラクターだ。人気、あるのだろうか。しかし巨大だな。

このあたりは「府中多摩川かぜのみち」と言うのだそうな。
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あ、歩行者は右側を通行するのか。逆で覚えていたわ。

さて、是政あたりの河川敷で。小さな吊り橋を発見した。
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手作り感満載。距離2mくらいしかない。遠目で見るとジオラマみたい。最初、あまりのハンドメイド感に、土木工学科の卒業制作かなと思った。
河川敷のなかの、池に注ぐ流れにちょこんと架かってる。
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いちおう「斜長橋」って名前らしい。なんで吊り橋にしたんだろ。

池には鴨さんがいらっしゃった。
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橋は全部で4本くらいあった。
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めがね橋。これも2mくらい。

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いちおう、河川敷のなかだけど、ここは公園なのかな。河川敷と言えばグラウンドだけど、ここはあえて運動場にしなかったのかな。

府中市の都市計画に疑問をもちながら、是政から多摩川を離れ北上。
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新小金井街道沿いに東府中まで歩いて帰ったよ。

Excel四十八手、更新しました 20150830

Excel四十八手、更新しました。今回はエク弱編第7章です。
今回は割と長いです。なのでじっくり、2回に分けてやるような感じで挑むと良いかもしれません。

さて、突然ですが、エク弱編はあと2回で終了する予定です。もしかしたら「さっさと終われ」って思われてたかもしれませんが…。たしかに、もともとは既存コンテンツのリニューアルをする予定だったんだけど、「その前に初心者向けのコンテンツを追加しよう!」なんて思い至ってはじめたら長くなっちゃって、なかなか既存のリニューアルに入れなくて。『サルでも描けるまんが教室』のなかに『とんち番長』って劇中劇があるんだけど、第2章のゲルとんち教団編で超地味〜な展開になって。夜の店で働きながら子育てしてるんだけど、その子が後の主人公、みたいな。つまんなくはないんだけど、正直盛り上がりには欠けてたり。で、その状況に対して執筆者竹熊が、「地味な流れだけど、ここを書き切らないと次の話に行けないんだ!」って強弁してて。今ぼくもそんな気持ちです。…いや、自分の書いたコンテンツを否定する気はないんだけど、まあ正直、ぼくも早く先に進みたいな、と。
ま、あせっても進まないんですけど、早くコンテンツの揃ったExcel四十八手を提供できるようにしたいな、と。そう思っています。

Webは弱者のもの SNSは多数派のもの

今のところ、twitterやfacebookに手を出してません。LINEさえやってないので、新規に連絡先をgetするときなんか(そんな機会はほんとうに珍しいことなのだが)困ることもあります。「え?LINEやってないの?」みたいな。
やってない理由は、怖いから(笑)。「新しいもの好き」っているけど、僕はその逆で、新しいものって基本なんか怖い。評価が出揃ってからでいいや、って思ってる。

さて。
SNSを介したいじめが深刻な社会問題化してる。
SNSって(完全に閉鎖されてるわけではないけど割と閉鎖的な)グループ内で成立してて。そうするとその中で「多数派」と「そうでない人」に分かれちゃって、そんでいじめに発展する。
いじめのファクターのひとつに「閉鎖性」があって、結局外部の監査がないから、グループ内部に「内部でしか通用しない独自の基準・ルール」が出来ちゃって、まあそれを作るのは多数派なんだけど、で、その「内部でしか通用しない独自の基準・ルール」にひっかかってる人がいじめのターゲットになる。
いっそ開かれちゃった方がいいと思うんだけど。

ブログとかサイトとかなら、オープンだよね。なにしろ可能性としては世界中が読者だし。
もちろん弊ブログのように、誰も見に来ないブログもあるよ。そして、ほとんどのブログが知り合いしか見に来ないという悲しい事実。でも、可能性としては誰だって見れる状態なんだよね。だから、もし閉鎖的なグループ内部でいじめというか、いびつな行為があったなら、Web上でオープンにしてやればいいのさ。オープンな場で、議題に乗せてやればいい。
と言いながら、微妙な点もはらむのは、「ネットでの実名公開」も社会問題化してるってこと。だから今自分も、ちょっと暴論に傾いちゃったことは自覚してる。でも、「ネットでの実名公開」の問題って、どっちかというと「いじめる側」によって行われてるんだよね。僕が言いたいのは、弱者の側が、対抗策として、オープンにして戦う手段をもつというのもひとつの手なんじゃないか、ってこと。まあ、「いじめる側」と「いじめられる側」って反転するから、難しい面もあるんだけど。
でも、多数派が一番恐れてるのって「より大きな多数派」なんだよね。そして、Webって最大の多数派じゃん?だから、そこで議論をオープンにして、互いの正当性をぶつけ合う、あるいは支持/不支持を表明する、ってのが、一番の対抗策になると思うんだけど。


でも。
もしWebというオープンフィールドで戦うとして。
身につけておいてもらいたいのは、「公に向けて語ることば」だ。
「公(おおやけ)」なんていうとカタい表現だが、別に「ていねいなことばを使え」とか「新聞に載ってるような言葉づかいをしろ」ってことじゃない。

わかりやすく、伝わることばで話す。

もう少し掘り下げて言おう。

前提を共有してない人にも伝わるように、話す。

これである。
これができない人が意外に多い。残念ながらよその人は、あなたのことを知らない。あなたがどんな経験をして、どんな問題が起きていて、どんな考え方の下その主張をしているか、よその人たちにはわからない。そうなると、支持のしようがない。下手すると叩かれて終わる可能性もある。
もちろん、長々と説明すればよいわけではない。話の長いヤツは嫌われる。でも、自分の立ち位置を明確にできないと、他人はわかってくれない。
そのためには、自分が無自覚に立っている前提を意識する必要がある。

実は、「前提を共有してないと伝わらない」っていうのは、特定コミュニティの所属に依存している言説、つまり「多数派」の言説なんだよね。つまり、「公に語ることば」をもてない、ってことは、キミの嫌いな「多数派」たちと同列になっちゃってる、ってことなんだ。
上でWebを持ち上げたけど、たしかにWeb上にもひどい言説はある。掲示板なんかでは、例えば特定の国に対する感情的なコメントが垂れ流しにされてる。でもあれは、どっちかと言うとSNS的な、つまり特定グループ内でしか通用しない言説を「公」とカンチガイして発信してるだけであって、そういうのはマネしちゃいけないよ。オープンな場で話すには、オープンな場に耐えうることばが必要だ。それは何も特別な才能が必要なわけじゃない。どうやったら伝わるんだろう。その問いかけが、ことばを鍛えてくれるはず。で、そういうことばで、ぼくらは戦っていかないといけないんだ。

なかまになりたそうにあっちを見ちゃだめだ

いじめをめぐる言説って、考えさせられるものから取るに足らないものまでいろいろなんだけど、まずもって前提を確認しておきたい。

いじめって、多数派によるものだよね。

2名のあいだで行われるのはそれはいじめじゃない。その場合は単なる「対立」であり、要は「けんか」だ。いじめってのは多数派が行うことであって。

もちろん、一見すると2名間のトラブルに見えることもあるけど、しかしその場合でも、加害者側の背後には多数派が控えている。
だから、被害者は、いつも多勢に無勢。

先生とか親とか、(一応)いじめをなんとかしなければならない(ことになってる)立場の人って、このことを理解してるのかな。
「負けるな」とか「話し合え」とか、無責任なこと言ってないかな。
じゃあ自分はどうやって立ち向かったんだよ、多数派に。
あるいは、多数派をなんとかする策があるのかよ。


はっきり言います。
多数派に勝つ方法はありません。
多数派のいない国に行くしかありません。多数派のいない国、つまり、今とはちがうコミュニティ・学級・地域など。
要するに、環境を変えるしかないんですよ。バカのいないところに行くしかないんです。
何も「転校しろ」とまでは言いません。転校できるんだったらした方がよいかもしれませんが(「学校」さえ行ってれば少なくともレールから外れることはない)、とりあえずバカのいるところに行かなきゃよい。だから、学校に行くのはやめて、ちがうコミュニティに所属すればよいんです。あるいは、「どこにも所属しない」というのも手です。
ここで、「なんで被害者の自分が転校しなきゃならないんだ!」とおっしゃる方、あなたのおっしゃることは正論です、が、残念ながら今の社会はその正論が通るレベルに達してません。なぜなら、社会は多数派に都合のよいようにできているからです。何か問題があったとき、弱者側がコストを支払わなければならないようになっているからです。弱者の生き残り策は、柔軟性しかありません。どんな環境にも入り込んで、どんな環境にも対応できる、柔軟性。


さて、「今はいじめられてないけど…」という方もいらっしゃると思います。そういう方に一言言っておきたい。

仲間になりたそうな顔であっち(多数派の方)を見ちゃだめだ。
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多数派はそういう気持ちを敏感に察知します。そして、「仲間にしてやっても良いよ」と上から目線でやってきます。この話に乗ってしまったら最後、弱みにつけこまれ、死ぬまで使役されるだけです。

だから、こちらからすり寄ってはいけません。「さみしいから」とか「なんとなくキラキラしてるから」といった理由で多数派の方を熱っぽく見つめてはいけません。
用があったら向こうから寄ってきます。「用があったら」というのは、特別なスキルや能力、あるいは付き合うことで生じる明らかなメリットをこっちが持ち合わせている場合のことです。
そういうのを持ち合わせていないときは、…あきらめましょう。自分を高める勉強をして、もし自分のまわりに集まってくれる人がいるなら、その人にやさしく、公平に接しましょう。
自称「仲間がいる!」が、幸せとは限りません。友人の多い/少ないに関わりなく、のびのび生きてる人って、魅力的だと思いませんか?

…まあ、そういう人って、たいてい友達も多いんだけどね。

桜ヶ丘周辺の神社・お寺

…前回のつづき。

環状交差点を見に行ったわたしは、多摩周辺をぶらぶら散歩することに。

神社があったのでお参りする。
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割と古めかしい神社。
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賽銭箱がちょっとセンターからずれてたりもするが、それもよし。

名前はその名も「山神社」。シンプルである。
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龍の目だけが金色に光っていた。
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山神社参り、終わり。

次いでお隣にあるお寺へ。
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曹洞宗寿徳寺。 

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僕の好きな禅寺系。門構えが立派です。

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お庭がすてきでした。枯山水?
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こどもを抱いた仏様。
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大日如来像がすてき。待ち受けにしようかな。
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お寺参り、終わり。

あともう1カ所、神社をめぐった。
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金比羅丘。
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どうやらジブリの映画『耳をすませば』と縁があるらしい。
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…うーん、杉村くん、覚えてないな…。
あと、「結局、杉村は雫にふられてしまいますが、あなたもぜひおみくじで運勢を占って下さい」ってどうなんだろう。

・おまけ

このルビ、何て読むんだ?
環状交差点20150826_26

「おのこし」?「おもぬみと」? …「おおものぬこみとし」?

「おおものぬしのかみ」じゃないの?
 
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